昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

想い出のキャンプ

2005-05-28 16:58:12 | じゃこしか爺さんの想い出話
 最近親しくさせて頂いている同年輩のブログ仲間の方が、この度奥様同伴でキャンプに出掛けられた事がブログに掲載されていた。私と同年輩と云えば、昭和一けた生まれです。先ずそのご夫婦の旺盛な行動力と体力には、感嘆し敬服するばかりです。お二人にチョッピリでもあやかりたい思うものの、普段のウォーキングでさえ思うに任せぬ身体では、ただただその積極さを羨むのみです。
但しそんな私にも若い頃があって、夏が来れば毎年のように仲間とキャンプに出掛けていたものです。

 それは約50年も昔のことで、その頃私は夜間高校に通う勤労学生でした。夏休みが来ると気の合った級友たちと出掛けたものです。毎度出掛けたキャンプ場は、その頃若者に人気があった支笏湖畔の「モーラップキャンプ場」です。
 キャンプ場情報によれば、今は立派な直通道路が通り更に色々な施設も完備されているという。当時は汽車で最寄りの駅(室蘭線・錦岡)まで行き、そこからは路線バスを利用しキャンプ場までは徒歩である。まだ車社会以前の事であり、またテントなどのキャンプ用具は今のようにレンタルという便利なシステムが無かった時代だったから、テントは勿論寝具や炊事道具一切は貨物便(チッキ)で送り、其処からはそれぞれ小分けにして、それぞれが分担してキャンプ場まで運んだのです。

 その頃でも水場だけは完備していたが、その他の燃料に使う焚き木などは全て自分達の才覚で調達しなければならなかった。自然を体験するためのキャンプなのですから、そんな不自由さは当たり前で承知のこと、日の暮れる前にカマド造りや飯炊きなどは終え無ければならないから結構忙しかった。それに飯盒による飯炊きは楽しいが水加減が難しく何度も失敗した。お副食はカレーが一番手っ取り早くて簡単だったから、毎晩そればっかりだった。それでも皆は意気健康で、探検と呼んで辺り一帯を歩き回ったり又ボート遊びや登山(樽前山)で遊び呆けて、一週間も居続けた年もあった。

 今はただ当時の写真を取り出して眺め、かって級友たちと共に過ごしたキャンプ生活を懐かしく想い出しているのです。

テントとかまど作りが済んでいよいよ炊事です。

夜の楽しみはキャンプファイアです。

樽前山の頂上を制覇する。