1月16日(月)
家に入ってきた連れ合い。
「お風呂溜めてるの」
「エッ」
「溢れているわよ」
当然である。蛇口を開いてから、一時間以上たっている。大豆の選別をしていたが、便所に行こうと立ち上がる。そうだ、浴槽の水量を見ておこうと思いつき、浴室を除き、少し少ないので、今日は足し水と、蛇口を開く。少しだから、便所を出たら閉めようと思ったのだ。そんなことは、すっかり忘れ、ああ!すっきりしたと、再びストーブの前に座り、大豆の選別を始める。連れ合いに云われても、あれ、風呂を溜めていたっけ、が、最初に思いついた、意識だった。それから、ごくごく短時間の、タイムラグで、飛び上る。風呂場に飛び込んだ時には、すでに蛇口を閉めていてくれた。
朝のNHKのワイドショー。物忘れの特集をやっていた。曇り空で、気温も低く、ストーブを離れがたく、なんとなく、二人で、茶々を入れながら、見ていた。記憶には、過去の記憶と、直近の記憶と大脳の働く所が違うと云う。直近の記憶は、大脳の前頭葉の部分で、その記憶領域の広さとか、その働きについて、なんだかんだと、話題にしていた。
その時は、さもありなんと、面白半分で、話途中で、スイッチをけして、外に出た。
しかし、その夕方が、これである。しかも、今日だけのことではない。この5日ほどの間に、これは3回目の大きな物忘れだったのだ。
木曜日は、母の洗濯ものを持ってくる日だった。その晩のうちに、石鹸洗いと、一度のすすぎだけはやって置き、朝に、本すすぎをし、干している。その日は、連れ合いの帰りは遅いので、風呂は沸かさないことにした。昨日の残り湯を汲みいれ石鹸洗いをした。脱水機にかけながら、すすぎの為の残り湯を汲むバスポンプのスイッチを入れたのは、7時過ぎだった。翌朝、少し早めに起きた私に、まだ布団の中から、声がかかった。「風呂のポンプが、回りっぱなしだったよ」 小さな体で、5時間も、空になった浴槽から、空気を組み入れてくれていたのだ。
そして、翌日の昼。米の注文。夕方に取りに来るので、一袋、用意しておいてとの電話。受けた連れ合いに、「OK」。夕食の支度をしていると電話。電話に出た連れ合い。「4時ころ、取りに来たけど、置いてなかったと云ってるよ」 「アッ」である。
どうしよう。すっかり自信をなくし、しょげ込んでいる。
午前中、田んぼの草刈に出たが、寒さがきつく、一枚の田んぼの刈払いだけで、小一時間で引き上げる。家の中で、大豆の選別。