どうしようかなァ...と思いましたが、せっかくなので、お知らせしておきます。
昨日の読売新聞の「レジャー」の面に、「訪ねてあの舞台~大洗の月~」というコーナーがありまして、そこに、徳川光圀公:作詞、滝廉太郎:作曲の歌曲「荒磯」について語った、私のコメントがちょっと載っていたりします。(・o・;ヾ (私の本名&年齢がバレてしまう...。)
まあ、年齢は、元々バレバレの状態ですが...。(笑)
そういえば、先日、滝廉太郎の件を調べようと、昔買った「平凡社版・音楽事典」をめくっていた所、こんな箇所に目が留まりました。
「遺作となった歌曲『荒磯』は...」 遺作? 「荒磯」は、遺作だったんだ...。確かに、ドイツ留学中に病気にかかって帰国し、その直後に作られ、まもなく亡くなられてるから、そういうことになるのかな? 記録は残っていないようだけど、病気療養のために、しばらく大洗に滞在してたのかもしれませんね。あの曲は、実際に「大洗の海」を見なければ絶対できないと、確信します。ピアノ伴奏の前奏の部分は、まさしく「岩に砕ける荒波」が表現されてますから。
私としてもポテト姫さんが歌っているという事実を知らせたかったので、本当に良かった。次回は滝廉太郎特集が組めるほど資料が見つかったり、再現披露したりして、大洗ルネサンス(文芸再興)?につながると楽しいですね。
滝氏は実際に大洗に来ていたのでは?と思えるぐらい迫真に満ちた「荒磯」。雰囲気が大洗の海風景そのものですものね。実際ホントどうなのでしょうね。
遺作は「荒磯」という記述もありますが、「憾(うらみ)」という曲が絶筆の作品であるとするHPもあります。いずれにしても同時期晩年の作品のようですね。
「来たのか?来なかったのか?」 その内,はっきりするかもしれませんね~。
「遺作」の定義が気になり、辞書で調べてみました。三省堂の国語辞典によると、「故人の、未発表の作品」だそうです。
なので、「最後の作品」じゃなくても、未発表ならば「遺作」となるのでしょうか。20年以上前に買った本に、既に「遺作」と書いてあったので、情報としては間違っていないと思われます。
kinparomanさんのお陰で、貴重で面白い体験をさせていただきました。まさか、私が取材を受けるとは...。(・o・;ヾ それにしても、あの新聞記者さん、美人でしたね。(^^)
>一考古学徒
それは楽しみですね。ぜひ、追跡調査をよろしくお願いします。(・・)v
てっきり遺作はいちばん最後の作品のことなのかと思ってました。
記者さん、可愛らしい方でした。だからしゃべりすぎたのか・・・(反省)
ところで、あの若さで読売の新聞記者さんってことは、かなり優秀なんだろうなア...彼女。