昨日は、娘の宿題の手伝いということで、町内にある石碑めぐりをしてきました。 なんでも、書道の先生からの宿題で、「書体」の勉強のため、ちょっと読めないような、石碑に刻まれた字などを探して、写真に撮ってくる、という内容なんだそうな...。
そこで、私が歴史講座で習ったことを受け売りし(笑)、案内したわけです。(地元にいても、教わらなけりゃ、知らなかった事実。)
↑ は、大洗神社の裏口参道入り口付近にある石碑。
← これは、後に二松学舎大を開いた、三島沖州氏が大洗に来た時に詠んだといわれる漢詩を刻んだ石碑。詩吟をやってる方には、とても有名なものらしいです。
詩の中に、戦争中だとちょっと突っ込まれそうな言葉が出てくるので、もしやアメリカからクレームをつけられたら...と、一時は撤去する案も出てきたそうな...。しかし、そういう意味ではなく、もっと広い意味だということで、免れたんだとか...。
これは、「子の日ヶ原(ねのひがはら)の碑」 。水戸の徳川斉昭公が、ここからの見晴らしが素晴らしいので、制定したそうな。実際は、今のゴルフ場内にあったのを移転させたそうです。→
← これは、晩年を大洗で過ごしたという「山村暮鳥」に関する石碑。
刻まれているのは、彼の作品の一部で、選んだのが「萩原朔太郎」、文字を書いたのが「小川芋銭」...と、凄い人ばかりなのには、驚きです。
これは、「磯節発祥の地」の石碑。今でも続いている、発祥の地に関する論争(「那珂湊」説もあり)。「‘大洗様よ‘’という歌詞があるんだから、やはり大洗が発祥の地に違いない!」という当時の町長さんのご意向により、建てられたそうな。→
文字を書いたのは、なんと「西条八十」氏。本来なら、氏は、自分の作品しか書かない方針なのを、縁のある町からのお願いってことで、特別に書いてくださったらしいです。
ここでは、ボタンを押すと、磯節が全国的に広まるきっかけとなった「関根安中」氏の歌う「磯節」が聴けます。