https://www.youtube.com/watch?v=5i6OfpZHflI
予期はつねに生成し走りつづけている──
すべての人間的企投を先導する予期。しかし予期はみずからに訪れる〈世界〉に触発されて動きだす。
はじまりの内なる触発、示されるものがある──実りあるもの、不毛なもの。イエス、ノー。グッド、バッド。
世界を分節してつぎつぎに意味と価値のランドスケープとして描き出していくもの、あるいは描き切れずに足踏みしているもの。みずからに現象する〈世界〉、その諸相。
予期がほんとうに出会いたいものはその先にある。
たとえば、月あかり、星空、虹、暁の光、夕景が照らす、不在の、非知のなにか。
予期には突き当りたいものがある。いつか、どこかで、出会いたいもの、それがなにかはわからない。
よきもの、よき生をみちびくもの、このうえもなくステキなもの、それはどこにも示されない。
出会いたいもの、いまだ顕現せざる、未知の、非知の、ありえない世界へまなざしを凝らす予期がある。
駆り立てられながらめがけるものはどこにも示されない。わからない。わかるとも思えない。記述の明証性を求めると遠ざかり消えてゆく。
しかし予期には変容の位相がある。
予期が予期と出会うとき。招き入れたいと願うだれかの予期と出会うとき、交わる光のハレーションから立ち上がるように、結ばれるものがある。〈世界〉に記述されていない、記述の網にかからない、時間にも空間にもマップできない、予期が出会いたいと願っていたもの、そう信じられるものが現象することがある。