「世界のすべてを見通すのは、全知のまなざし」
「はあ」
「人間にとって世界の全貌はつねに不可知です」感性(受動)・悟性(概念化)・理性(推論)
「それで?」
「けれども、全体の動向についての小さな報告はあります」
「どこに?」
「例えば、季節のうつろいの繊細な表情のなかに潜みます」
「なんて?」
「正確には、〝世界〟とはボクたちの感受性において訪れ、告げられるものです」
「告げられるって、なにが?」
「故郷の花のさかりは過ぎぬれど 面影さらぬ春の空かな」
「ん?」
「新古今和歌集の歌です」
「それがどうしたの」
「ボクたちの意識経験の基底に響くメッセージです」
「はあ」
「わが心ながら、わが心にもまかせぬもの」
「もののあわれ?」
「人の意思を超えて届くダイレクトコールともいえます」
「わからない」
「例えば、太郎くんは花子さんの前では、なぜか心臓がドキドキする」
「好きだからでしょ」
「好きと意識する以前に、好きという感情は太郎くんを襲います」
「まあね」
「前触れなく勝手に知らせは届けられる。そして恋しているじぶんに気づく」
「はい、はい」
「一つの神秘ともいえます」
「神秘ねえ」
「恋という体験は明快です。けれども、その由来を説明することはできない」
「そうかな」
「いきなり人を襲う想定外の出来事、それが恋です」
「本能でしょ」
「本能という言葉は、説明できないものに貼り付けたラベルにすぎません」
「ラベル?」
「季節の情感は訪れる。しかしその訪れの起源はブラックボックス」
「はあ」
「体験は起こる。けれども、体験がなぜ現象するかは汲み尽くせない」
「説明はできないけれど、心が動いていくということ?」
「世界体験は感性を介して、ボクたちの理解に先行して現象しつづけている」
「考えてもしかたがないってことですかね」
「仮説や物語、つまり一種の作り話によって説明を試みることはできます」
「何か宗教的な世界と関係があるわけ?」
「まさしく」
「はあ」
「人間の認識にとって行き止まりの世界、その先はかつて宗教が担当しました」
「そうなの?」
「理性が推論によってそれ以上遡行できない端的な事実性としてある世界です」
「理由もなく」
「理由を問うより早く、感性は走り、体験は訪れ、世界は開かれていく」
「ふ~ん」
「そして、言葉は遅れて結ばれる」
「で、その感性に訪れている内容って?」
「いまボクたちの心に透明なアラームが鳴り響いています」
「はあ。その意味は?」
「世界が壊れていく。そんなシグナルが聴こえます」
「そんなって」
「巨大な犠牲を伴う崩壊の予兆に聴こえます」
「暗い話だ。わからないこともないけどさ」
「現実に起きていることでもあります」
「泣いているわけ?」
「人間の悲しみというものが告げています」
「人間って。あなたがということでしょ」
「はい。ボクのなかのみんなが泣いているという意味でのボクたちです」
「正確に言おうね」
「正確に言えば、ボクはボクの外に出ることはできない。つまり徹底的に主観的な存在です」
「客観的に考えるべきじゃないかな」
「と、ボクたちの主観は考えます」
「まあいいや。それで?」
「世界と人間の関係について不幸な事態が起きています」
「だから何?」
「感受性が告げるものに目をつぶると、システムが歪みます」
「システム?」
「人間という生命のシステム」
「機械じゃないよね」
「システムといういわば補助線を引くと、生命のしくみ全体を考えるのにとても有効です」
「システムの一部として感受性を見るわけ?」
「人間というシステムにとって感受性がどんな機能をもつか、という発想の仕方をします」
「発想ねえ」
「包括的な枠組みを立ち上げると、バラバラな要素を関連づけることができます」
「はあ」
「例えば、地球=エコシステムと設定すると、すべての営みを関連づけることが可能になる」
「かもしれない」
「感受性が人間という生命システムにとってどんな機能をもつのか。そこがポイントです」
「でも、感受性って人それぞれでしょ」
「はい」
「それって本当に信頼に足りる?」
「わかりません」
「だめじゃん」
「真実かどうかは自明ではない」
「何が言いたいのかな」
「真実かどうかは、さしあたり重要でもありません」
「さしあたり?」
「大切なのはボクたちの世界経験にとって最初の出来事だということです」
「意識じゃないわけ」
「世界についての報告が意識に訪れる、あるいは意識を襲う。そこから意識が反省的に動き出す」
「しかし感性的なものには、偏見や差別や憎悪といった系列もある」
「はい」
「いいの?」
「最初の知らせであるということが重要です」
「感情と感情はぶつかる。そして解けない対立から悲劇を生まれることもある」
「もちろん」
「好きときらい、きれいときたないとか、感情の発火点は人によって異なる」
「わかります」
「ちがっていいの?」
「ちがって当然です。ちがわないとおかしいといえます」
「感情は気まぐれで曖昧で身勝手なものともいえる」
「良い悪いではなく、訪れるものだからです」
「それで?」
「感性的な体験において、それが〝正しい/まちがい〟という問いは事後のものです」
「はあ」
「しかし感性的な体験それ自体は、否定できない端的な事実性です」
「まあね」
「もちろん告げられるものが、誤解やエラーを含む可能性は否定できない」
「だからどうなの」
「生きることの最初の、そして唯一の手がかりといえます」
「その報告が?」
「はい。世界と関係する、いまここにいる自分についての報告です」
「それ以外ない?」
「たぶん。世界経験の起点がそこに与えられ、そこから思考や行動が分岐します」
「よくわからない」
「ボクたちが日々、刻々と経験しつづけていることです」
「繰り返すけど、そのアラームはエラーの可能性がある」
「そう。否定できない。しかしエラーという判断は事後的です」
「いいの?」
「まずはアラームがちゃんと聴こえていることが重要です」
「ちゃんと聴けって?」
「聴こえないか聴こえないふりをして、やり過ごすことが拡大しています」
「ふむ」
「感受性は、生命システムにとって唯一の総合的センサーなのです」
「でもエラーなら修正が必要だ」
「必要です。しかし最初から理性にまかせるべきでしょうか?」
「そう思うけど」
「もし感性的な報告がブロックされると全体の機能が損なわれます。このことが重大です」
「なぜ」
「世界との関係についての報告が途絶えてしまいます」
「どうなるの?」
「システムはみずからの状態をモニターして、チューニングする動機と手がかりを失います」
「それで?」
「するとラベルを貼っただけの作り話の世界が、一人歩きをはじめる」
「さっきの仮説や物語の世界ということ?」
「ええ。作り話にすぎないものが自明化し、そして人間は神話の世界に暮らすことになる」
「そうじゃない、いい神話もあるかも」
「もちろん。でも、悪い神話が歴史では猛威をふるってきました」
「つまり、宗教やイデオロギーをめぐる惨劇が歴史を埋め尽くしてきたといいたいわけね」
「血なまぐさい人間の歴史の裏には、絶対化して変化を拒む信念と信念の対立があります」
「システム的にいえば?」
「原データとの接続が切れるということです」
「じゃ理性の役割は?」
「理性の仕事は原データの処理ですが、そのための基準や参照先を必要とします」
「歴史的科学的に検証され、信頼できる知識や学問がある。それを参照にすればいい」
「蓄積された知識がいくら優れていても、その整理や選択の仕方にも基準が必要です」
「まあね。それも感性的な報告によるって?」
「知識を積み重ねても最後は感性的な直観、それが告げるものに頼る以外ありません」
「そうかな」
「つまり、原因は結果に先行することはできない。このことは原理的です」※感性は磨くことができる
「本当かな」
「おかしい、ヘンだ、いい感じ、面白い―こうした報告は理知でしょうか、情動でしょうか」
「感情」
「理性の働きは生存にとって不可欠です。しかし生存の第一原因ではありません」
「でも複雑な状況は、理性的に客観的にとらえたほうがいいでしょう」
「もちろん」
「じゃあ」
「しかし客観的に考えるべきという動機は、理性そのものに由来するでしょうか?」
「じゃないの?」
「例えば、ソレは主観か客観か―この問いを発し、結論するのは主観と客観のどちらか?」
「客観?主観?」
「主観は主観の外に出られない。じぶんのなかに客観があるというのは矛盾です」
「まあね」
「客観とは、一言でいえば主観的に仮構され、信憑された〝主観ならざるもの〟です」
「う~ん」
「しばしば起こることですが、客観はその起源が忘却されて、物象化され絶対化します」
「物象化?」
「仮構物にすぎないものが絶対の真実となり、全能の神といった超越的な系列が生まれます」
「それ以外の見方や論理を許さないもの?」
「独断論や形而上学ともいいます。信憑にすぎないものが、実体化され絶対的客観とされる」
「信憑ねえ」
「生命は知覚をはじめ感性的なセンサーを介して世界についての情報を得ます」
「うむ」
「ここで大事なのは、その情報をいくら積み重ねても世界を語り尽くすことはできません」
「なぜ」
「人間の認識装置は、一定の限定された形式の下でのみ作動するものだからです」
「まあね」
「例えば、ノミと人間は世界認識の形式がちがいますが、どちらが正しいとはいえない」
「犬とも猫ともちがう」
「はい。ところが人間の認識が絶対だと考え、犬や猫に世界観を押し付けることが起こる」
「わかりやすく順番に整理してくれる」
「理性は世界についての情報を整理整頓して、矛盾のない説明体系を作ろうとします」
「うん」
「しかし、その営みのすべては常に一次情報に依存します」
「理性は情報を生まない?」
「一つの公理系、つまり論理的に整合した説明体系は作れますが、原データは創り出せない」
「なぜ」
「繰り返しますが、生存にとって第一原因ではないからです」
「何ができるわけ?」
「理性に可能なのは原データの整理や変換処理、つまり編集作業に限定されます」
「編集って?」
「例えば一つの土地の経験から、選択的にデータを記号化し、マップして、地図を作る」
「いろいろなツールを作るわけね」
「しかし地図は世界でも土地でもない」
「でも必要だ」
「ひっくるめると世界を記号的に変換して、見取り図をつくり、それを基に生活を組み立てる」
「地図は便利だからね」
「そう。人間はそうやって延々と文明を築いてきました」
「まさか地図を捨てろといいたいわけ?」
「ちがいます。地図を捨てることは、地図を批判的に捉える知恵を失うことでもある」
「だから?」
「地図への過剰な依存や誤用や乱用を修正できる知恵を確保しておく必要がある」
「何かぬるい感じがするな」
「なぜか。地図に頼れば頼るほど、感性的な報告から遠ざかるということが起こるからです」
「はあ」
「GPSに頼って街を歩けば、人間の五官と土地との直接的なつながりは希薄化します」
「便利で確実ということもある」
「あるいは天気予報に頼るほど、漁師や農夫の経験的な知恵は消えていきます」
「テクノロジーが進めばそうなる」
「総じて、人間の世界経験は文明的ツールに媒介され、代替されていくことになります」
「だから?」
「地図のまちがいに気づいて修正する動機は、地図それ自体には内在しません」
「感性的な報告がそれを教えるわけ?」
「まさに。その気づきから、理性が緻密に描き上げた地図の世界に修正がもたらされる」
「でも地図の便利さは捨てられない」
「わかります。しかし便利さのもつリスクは便利さそのものからは生じない」
「どう付き合えばいいわけ?」
「科学的な真理というものを、感性的なものと対立的に考える必要はありません」
「だからどうすればいいわけ」
「感性的な経験から派生する特殊な一形式として、科学を捉えるべきなのです」
「でも、科学的で客観的なものはまちがいが少ないでしょう?」
「感性的な世界経験の上に築かれた集合的な〝合意〟の体系、それが科学です」
「はあ」
「そして科学は絶対の真実ではなく、修正されうる合意として機能しないといけない」