https://www.youtube.com/watch?v=sqg5yRx2Lsg&index=1&list=RDsqg5yRx2Lsg
血が流れる前に「戦線」は引かれている。
血が流れる条件をつくる「戦線」は、いつも、必ず、
さまざまな意味と価値が交わり対抗し構成する日常を起源としている。
生きることにおける世界を分節することと自らを組織することの相即性。
よい/わるい、きれい/きたない、ほんとう/うそ、敵/味方。
のっぺらぼうの世界は存在しない。
のっぺらぼうの世界をわれわれは生きることはできない。
この世界を生きることの基底をなす「心地よさ/心地わるさ」。
その告げ知らせとしての絶えざる情動生起と企投的展開。
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われわれは日々、いまここで、さまざまな「戦線」を構成し、
「戦線」の向こう側に「ガン」を飛ばし合う日常を生きている。
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われわれはみずから分節された世界を生きる以外ないという「限界」(根本事実)。
しかしこの「限界」の内部にとどまりながら、
あるいはむしろ限界の内部にとどまることだけができることはある。
超越項(カミ、あるいはそれを代行するさまざまな関係項・関係子)に主体を委譲しないこと。
それが、「限界」内にとどまることを意味する。
無数の戦線が引かれ構成される現実を「信仰」の強度で埋め尽くすことはできない。
むしろそう願うことで戦線は太く引き直されることになる。
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