ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

1995 わかれ

2006-06-30 | Weblog
ほんとうのおまえよりおまえが
すこし余計に良い人であったり
すこし余計に悪い人であったとき

過去かあるいは未来が
おまえの心臓を脅迫していた

季節に寄り添い
こころが風景の近くにあったとき
おまえは死の気配を感じていた

それは自然の酷薄なやさしさかもしれなかった

何度目かの訣別が訪れたとき
おまえは一つの風景を諦めたようにみえた

かたちのない喪失がこころに響いたとき
おまえは暗い自由を招き入れたようにみえた

いつも見ていた遠い山並みの向こう側から
とどいていたのはいったのは何

黄昏に染まった空の向こうへ
出て行こうとしていたのは何

谷間の里の風景につつまれ
幼いからだが乳を吸った場所で
おまえはいつか聞きかったのだろうか

尋ねられない問いを秘めながら
いつか答えてくれる誰かを
おまえは探していたのだろうか

〈たくさん生きるんだよ〉

賄いの湯気の向こうには
ほほえみが輝き
じぶんではない誰かを祝福することが
みんなの幸せだった
黄金の時間が流れた

それはあたたかな息と体温が結晶した
おまえがこの世で出会った
最初の光景のひとつをつくった

〈どこまでおまえは行くのだろうね〉

おまえの最初の記憶をつくった光景は
おまえが最後までたずさえていく
こころとからだがひとつに結ばれるための
チカラの原理だったのだろうか

ほんとうのおまえよりおまえが
すこし余計に楽しかったり
すこし余計に悲しかったとき
おまえはもっと遠くへ行きたいと考えていたのかもしれない

いつかほんとうのわかれがくる
その日のために
おまえは準備をはじめていたのだろうか

ひとつの訣別とひきかえに
すこしだけじぶんでかんがえ
すこしだけじぶんの手でつけ加えられる
何かがあることを

おまえは最初の場所から見ていた空の向こうに
そのことを予感していたのだろうか
コメント

ゲシュタルト変換(用語)

2006-06-29 | 用語
ゲシュタルトが質的変化を遂げるとき、ゲシュタルト内部では意味体系・解釈体系・価値体系の組み換えが生じる。
それは意識的な操作以前に、身体的・前意識的レベルにおける、世界への関与性の根本的な変更として現象する。
このリスクを孕んだゲシュタルトの揺らぎの中に、ある種のartisticな営為が直観的にめざす果実の一つがある。
このプロセスを図式的にいえば、変換を誘導するイメージ形成がはじめにあり、そのイメージの強度が変換へ向かうエネルギーの質・量・持続性を決定する。
コメント

1997 おくる言葉

2006-06-27 | Weblog
ニンゲンの歴史より古い
からだが浸されている海があり
海は際限をもたず
どんな縁やボーダーも想定することができなかった

海はからだ深く浸透していたために
からだを浸す感触も定かではなかった

くりかえされる海の揺らぎの内側でからだは揺らぎ
ただ揺らぎつづけることでじぶんを保っていた 

海は夢とも 幻とも 
時として生々しい実在とも
さまざまに変幻しながら
どこまでいっても海であることをやめなかった

じぶんと海の境界を計る
どんなオーダーも存在しなかったのだろうか

しかしこの僕という意識は鮮明であり
あなたではないほからならぬ僕が存在し
あなたと言葉を交わすことのできる僕がいて
そして僕と画然と分けられたあなたが存在していた

あなたに何をつたえたいと僕は考えるだろう
あなたと触れ合い
近くに言葉や息や感情を聞いた僕は

いま訪れようとしている
恐ろしい終末の宣告に身をふるわせ
かたちをたどれない懐かしさをよみがえらせる

僕はあなたが激しい痛みに耐えている
目をそむけたくなるような苦悶の形相に
生命が引きうけなくてはならない過酷を
生涯にわたって支払わなくてはならない
生誕以来のせつないエネルギーの試行を見ていた

僕はこんな風にあなたを見ることを許されているのだろうか

あなたをこの世で一番いやなヤツと思ったことがある
誰よりも回避し遠ざけたいニンゲンだと感じたことがある

しかしいまその反目も否認も憎悪も軽蔑も
すべてがすべて不可解な変質を遂げて
あなたに抗った感情や観念が遠景に退き
ただ心をしめつける懐かしさだけがからだを包みはじめている

心はそこから遠ざかりたいと思っているのに
そこにはある不可解な力の作用があって

きのうまで嫌いだったあれやらこれやらが
耐えがたかった小さないさかいのひとつひとつが
許容できないはずのあなたの価値をめぐる言説やふるまいのあれこれが
ある親しみを湛えた海へと融解していくように感じられる

それは何かもうひとつの死の形だろうか
それとも誰もが帰っていく最後のふるさとの感触だろうか

ある懐かしさや寂しさや悲しみへと
すべてが結語されていくように感じられるとき

あなたと僕というニンゲンの関係は
もはや死後の世界へ踏み入れていることになっているのだろうか 

拮抗や反目や敵対を許していた
ただ「ある」ということだけに
僕の知らないもうひとつの生は
深く根を下ろしていたのだろうか

だれも見たことのない海に浸されたニンゲン同士として
あなたと僕はつながれていたのだろうか

世界を融解させるちからにおいて
海は最後にそのことを告げたのかもしれなかった

しかし僕にはもう一つのチカラが現象していた
海に浸されたニンゲンとしてでなはく
いまここに観念の小屑にまみれて生きるニンゲンとして

僕はあなたと僕の関係を最後の儀式の内部に
閉じ込めてしまうことができなかった

完結しようとする海の作用に抗って
僕はこれからも生きていかなくてはならなかった

僕が見てきたこの世の一つの掟は
みずから望んでこの世にあることを選べと告げていた

海の融解させるチカラに抗い
揺らぎそのものをじぶんの証として
僕はただ一つ
あなたが嫌いだった事実を見殺しにしないとだけ考えていた
コメント

1983 一九八三年六月のための歌

2006-06-25 | Weblog
一人一人の顔を思い起こすように
過去を振り返っているものは何だろう

決して触れることができないみんなの顔は
俺たちの心の中にあって

あらゆる終局とはじまりの間に
衰亡と再生の歌がよみがえり
沸き立つ時間が隙間を埋める

連鎖する空虚は俺たちが望んだものとして
いつも最後のモチーフとして突きつけられている

懐かしさにおびえ
怖れに勇み立ち
余裕のない心が決意する

勝利とは何か
敗北とは何か

教唆するものがこの世界を隠匿している
教唆はテクノとして成熟をそそのかす
その規定された方角は
一人一人の大小の波乱を許容するまで組織されてはいない

俺たちは過酷さえ笑いの種となった
秩序の大船に乗っているわけではない

ほんとうの未知と出会うために
俺たちは明らかにしなければならない

人びとの集う祭壇の根拠を
小さな午後の平和を
恋人たちの独自の世界を
暴力と処刑のシステムを
緻密に積み上げられた階梯の一つ一つを

戦うことが生存の証になるとすれば
俺たちの意志をこの街の風景全体へと向けよう

チカラへの加担が死を意味し
無力への加担が生を意味し
不可能が一つの風景を析出する

文明のあらゆる変奏をインプットされたこの時代の装置は
メカニズムの小枝に無数の人間をぶら下げている

欠如が俺たちの解体された意識の原因であるとき
この街の風景はおのれの強制力を有効に作動させたことになる

朝と昼と夜と 
憩いには崩壊を 
不幸には呪縛を 
諍いには疲労を 
忘却には報酬を用意して
この街が肥大するとき
俺たちは何ものかの死滅を目撃している

俺たちが倒れないとすれば
風景全体へのまなざしを手離さないことによるのだ

六月は俺たちに具体的な戦いの方法を要求する

限定された生活の限度は
生活の内側から突き破るしかない

俺たちは出て行く場所も
ここよりほかに帰る場所もない風景の中で
唯一の覚悟をしなければならない
――あらゆる同行と共犯と訣別せよ

俺たちの戦う姿はたとえば林檎を剥く手振りに現れる
俺たちの覚悟はたとえば集金人への挨拶に現れる
俺たちはみずからの視覚に異和を投げ狂気を呼び入れるが
俺たちは戦いの目的を生活の重量と置き換えたりはしない

ニンゲンの歴史と現在をつらぬく
見えるもの 見えないもの
そのすべての営みへ向かうまなざしは
この街から教えられたものではない

この街の起伏をいつわりの物語へと収斂させないために
あらゆる距離を超越する俺たちの戦いは
この街の超越を許さないのである

一切の忘却から自由であるために
すりかえられた和解と戯れることをしないために
――連帯と孤独を屠るのである

単独に屈辱を組織した一人一人が
この風景に出て行くために
古代の調和は廃棄されたのである

馴致への拒否がこの街の反復を捉えるのである

白けきった装いのなかに見える一切の企みを
決して許容しない俺たちの戦いは
単独の風景を単独に位置づけるのである

忘却と和解への陥穽において人を絡めとるとき
風景は肥大した全身を高笑いによって揺さぶっているのである

どんな情緒も介入させない暴挙において風景が勝利したときから
俺たちの戦いははじまっていたのである

俺たちの戦いはあらゆる加担が無効へと転換される結節をさぐりあてるのである

分断を正当化しない俺たちの意志は整除する文脈を解体するのである

戦いの前線において現在と結ばれた血と肉を失わないのである

涙も憎しみも悦びも絶望も未来への希望も 如何なる祭壇にも捧げないのである

意味を特権化する秩序の巨大な策略を敵として見るのである

人びとを一色の階梯へと集わせるあらゆる水準の存在を拒否するのである

時間を文節する季節の陥穽を太陽の下で燃やしてしまうのである

ほとんどテクノと化した愛の言葉を物理として解析するのである

ほとんど反射運動へと変質した倫理をその権威の仮面から遠ざけるのである

細やかさを語る暴力を歴史の中枢へと持ち込んで殺戮の共犯を証すのである

風景に釘づけにされた事実性と裁断を受容から異和へと変質させるのである

未来へと供犠されつづける現在を再び生命の場所に連れ戻すのである

六月の最後の一日
俺たちは俺たちの時間を季節へと転化しないから

この日は終止符を打たれる一切の根拠をもたないのである
コメント

1993 出さなかった手紙

2006-06-19 | Weblog
お手紙頂戴しました。
太陽と青空が恋しかった冷夏もそろそろ終りを告げようとする今頃、やっとの返信です。
ものごとは〈突然炎のごとく〉はじまるのでしょうか。
いまここでこのようなお手紙をいただくとは思いもよりませんでした。
こちらは、凪のような時間をたんたんと、それでもこの不況下、
停滞とカタストロフィのほのかな予感に同伴された、
据わりのよくない日々を過ごしております。
冷たい八月の雨が、食料生産に与えた打撃はいかほどでしょうか。
どこかの隠れ里のようなイメージで、そちらを見ております。

  有償の奉仕と献身が退屈な日常であり
  生長と凋落の過程がリレーする循環が
  ニンゲンの物語の土壌であり
  見慣れた悲劇と幸福のふるさとであり

  小さな波乱に互いの情動を擦りあわせる反復があり
  「自然」にロマンの最後の砦を見いだすありふれた風景があり
  一方には「百姓」と罵って文明の渦巻きに溺れる快楽があり
  「差し押さえをくらったイノチ」と無数の怨念がとぐろを巻きながら
  それでも時代はエクスタシーの開発に一所懸命であり
  
  コンビニエントな毎日にまみれながら
  じぶんのいる場所がどんな場所なのか
  見当をつけようもないほど目まぐるしく
  モウナニカガイヤデイヤデシカタガナカッタカラ
  
  文明は克服すべき対象であると考えるドライブがあり
  しかし感情のウエーブはいつも反旗を翻したすえに
  いつも自然に勝つことがなかったから
  最後には忘却の愛撫に晒されていたから
  やっぱり自然は必然のように回帰の物語を存在深くとどかせていたので
  
  かつては百姓であった祖霊たちの恩に報いるために
  仏壇には線香を立てて彼岸花をかざり
  九月になればみんなで
  砂糖のいっぱい詰まった饅頭を食べるのさ

  いやまて自然はもっと金持ちで力持ちだから
  自然の叡智と技術を救い出し
  いつとも知れない願を立てながら
  記号と電子の森の祭りのテーブルに
  水と光と風と大地のピュアな恵みがこぼれる
  理想のヘルシーを樹立するんだ

そのうれしい感情(そのように受け取りました)は一体何なのでしょうか。
それがよくわかりません。
最終的な「解」が見つかったというつもりなのでしょうか。
文明の恩恵と文明の負債を同時に受け取りながら、
どちらか一方に「正解」を求めるありふれた光景の一つにしか見えない。
それが正直な感想です。
田舎に生活の拠点を移したのなら、屁理屈に流れず、
まずは本当においしい野菜とお米をつくることに専念していただきたい。
心を波立たせているものが、一つの反射でないことを祈ります。

コメント

1984 川辺のバス停前

2006-06-15 | Weblog
「気いつけて帰りんしゃい」
 
 シワに埋まった眼をさらにシワとほとんど見分けのつかないように細めながら祖母が手を振った。 
 切りとられたひとつの時代のショットが、線路が縫うように結んだ山の重なりのずっと向こうに消えるように小さくなり、川の流れとさざめきが木々の大海に埋まり、光が閉じられ、やがて語っても仕方がないように思われた一人の神話をつくるように。
コメント

1994 キレイな月が

2006-06-12 | Weblog


月が出ているよ、と身近な誰かがいう。
久しぶりに月をみたような気がする、とあなたが応える。

意味をもちながら意味をもたない
ただ言葉を交換することだけが何かであるような
風景の隙間に織り込まれたかそけきひととき

「どこかで同じ月を見ている誰かがいる」

遥かな祖霊たちにつながる
なつかしい記憶の感触に付き添われ

あたかも騙し絵のように
あなたの輪郭を曖昧にぼかし

風景との境界を消し去るように
秘蹟のように現象した刹那の時間



ニンゲンとニンゲンの闘争と
その帰結としての蓋然的な和解や憎悪があり

誰もがその道で演じる非情や計略や
一切が勝敗へと換算されるゼニやもろもろをめぐるせめぎあいがあり
駆け引きがありつづけた

それはコスモスの本質の顕現において
必然化された絶対の関係性として
ニンゲンの歴史の運行と存続にかかわる
究極のガバナンスに准じるものであったのか

果たしてそれらすべての営みたちが
最後の最後に欲しがったものが何であったのか



キレイな月は前触れもなく
ニンゲンを訪れ

不可触の光とこころがまじわる
世界のもう一つの所在を告げた

消えゆく時間のあわいに
ただ一方的な訪れとしてだけ
許された偶然の邂逅

そしてその訪れの回数だけ
光のカケラを積み上げられた
さらにもう一つの風景が
静かにあなたを呼んでいた
コメント

1984 メロンの優しさ

2006-06-11 | Weblog
『あんたが弱くてどんな野心ももてず、
どんな将来も期待できなくても、
あんたのことはじめからおわりまでずっと好きよ』

コメント

2006 La petite mort

2006-06-10 | Weblog
半身において―
全存在的な凝集と白熱を許す、脱倫理の生命の肯定のビジョン。
揺るがないようにみえる「コスモスの王位」。

半身において―
精神は天翔ける自由を楽しんでいたが、
航跡はいつも同じ線形を描き、
地上には相似形の写像が落ちていた。


コメント

1983 耳男

2006-06-06 | Weblog
一つのベクトルが、
地下鉄の工事現場から大学の構内を抜け、
この惑星の心臓深く持続している。

白昼といわず、深夜といわず、
かすめとられたイノチが歩かされている道があり、

紅に輝く空のむこうには、
哄笑に腹をかかえた不明の中心が
今日も暴利を貪りつづけている。

小さな紛争は、小学校の校庭で、
オフィスの片隅で、家庭の台所で、
あるいはノスタルジーに締めつけられた
難民のキャンプ地で持続の状態にあって、

そこにはいつも、
不明の中心から派遣された私生児として、
正義と倫理と戒律が雨後のタケノコのように林立している。

その貢献は本人の思惑の外にあり
あらゆるコミットメントを、
すべからく一つの全体へと整序していく。

俺たちはベクトルを解除する方法を知らないが、
それでもできることはあるだろう。

〈偶然とは街〉。
子どもたち、大人たちの夜。

同じ空の下で、俺とおまえが一つ一つ、
すくい上げなくてはならないのは、
かなしい夜。
枕元に靴下をおいた、
孤児たちの夢。

コメント