どれほど陳腐で、おろかで、旧式の価値コードにしたがっているように見えても、それにしたがって存在を賭けてみずからを組織し築き上げたものに、外部から「脅かされている」という感知が訪れれば、第一の応答は、必然的に、ただちに〝防衛体制〟の構築に移行する。
この「移行」の意味と理由には普遍性がある。
生存に対する脅威──生きること、その固有のありかた、生活のフォーメーションに対する否定、破壊、攻撃の感知。身体的な警戒性、不安の強度が高い身体性を生きるほど、それを感知するセンサーは敏感に反応する。ときに、それが常軌を逸しているようにみえることもある。
「不安身体」「警戒身体」──外部の動向を検知するまなざしが、じぶんに向けられる悪意・攻撃・否定の意思だけを選択的に析出する存在の形式というものがある。それは関係世界における関係的一局面を、拡大鏡にかけて具現化したような姿ともいえる。
〝悪意〟、〝攻撃〟の検出は、ただちに関係を覆う〝黒い雲〟の湧出として現象する。黒い雲、それはいつかどこかで、蝟集して現実を覆い尽くし、腐食の雨を降らせる。
関係世界の別の局面──それがあるとして、光。そして黒い雲を掃う光があるとして、それはどのように黒い雲に当てることができるのか。