――河本英夫『システム現象学― オートポイエーシスの第四領域』
内在的生は、基本的に生成関係にかかわるはずである。
だが生成関係での事態の解明は、基礎づけ関係とは本来なんの関連もない。
というのも、どのように基礎づけ関係を明示しようとも、必要とされているのは、
形成運動を行なう回路を現実に探り当てることであって、
根拠からの配置で事態を説明することではないからである。
ことがらを経験できないものは、情報として配置することしかできない。
この場面で行為と知とがまったく疎遠になり、いっさいの経験の動きのない、
わかった風な言葉だけが夥しく発話されるだけになる。
体験的行為と結びついていない言葉は、ただちにたんなる立場へと転化する。
回帰すべき場所はどこか
めがけるべき未来はどこか
話は、じつは単純さ
そんなものはどこにもありえないのさ
なにもないということがすべての背景だ
なにもないガランドウというわけさ
なにもないという、この朗らかな真実が
俺たちの本当のふるさというわけさ
いったいどういうことかわかるか
この上ない風通しのよさにおいて
鼻歌がよく響くということさ
この清らかな真実において
なつかしさの原郷が広がっている
無-意味、無-価値、偶然の戯れ
おお、木の葉のように
風に吹き飛ばされる存在の心もとなさよ
それはただ、意味を求める弱虫の人間たちが分泌する
固有の感情だけに由来している
「本当か!」
然り。本源において
拝跪すべきどんな存在も絵空事である
みずからを捧げるべき
どんな対象も理由も意味をもたない
その了解の果てに
ガランドウには気もちのいい風が吹き抜ける
愛する理由はいらない
憎む理由もいらない
いつも、すでに、あらゆる場所で
それは、ただ訪れる
「本当にそうか!」
然り。それが俺たちの生の核心だ
訪れの疑えなさにおいて
そして、その未規定性において
いつも、すでに俺たちは
ガランドウのなかを歩いている
回帰を拒むことにおいて
未来を語らないことにおいて
ふるさとは清らかに保ちつづられていく
「この酷薄さに堪えられるか!」
然り。ブタだけが愛を語り、倫理を語り、善を語る
カバだけが正義について、未来について僭称する
愛も倫理も善も正義も未来もただ生きられるだけで
語ることで生まれたことも生まれてくることもない
ただ生きられることの延長において
未規定の現在が一つの必然に転位していく
「拝跪する感情もそうではないか!」
然らず。されど倒錯された必然
ヘンタイとしての人間の歴史があり
そのエサは至るところに撒き散らされている
だれかが、みんなが、そうするという理由だけで
だれかが、みんなが、そうしないという理由だけで
一人の人間はみずからの生存を瓦解させることができる
その恐怖に堪えきれず
人間は目をつむり
おのれならざる「なにか」に向かって跳躍する
エサは撒かれる
ブタはすり寄る
ブタは喰らう
ブタは丸々と肥る
おもうツボで
仕上げは人間のとんかつだ
「それを喰らうのはだれだ!」
共喰いさ。エサはどんな形にでも変幻する
Aに代入されるB、Bに代入されるC
無限に変幻するとんかつゲームにおいて
その中心はいつも空虚である
いつみても、どこをみても
差し押さえを喰らいながら
空虚なゲームが展開していく
このありえなさにおいて
人間のふるさとには固有の陰影が加えられる
ブタのエサは至るところに溢れている
振りかえればいつも
だれかが据膳して待っていることだろう
平和とはいえないな
ツラの皮を厚くしながら
文化が序列を配して卑俗を見下している
そういう定式が出来上がっているということさ
ブタ主義、カバ主義がまかり通る土地柄だ
自然は受けつけないシロモノということさ
どん詰りには逆上だけが待っていることだろう
崩壊は必然だろうよ
正義と正気を語る者たちが
全体において狂った算段で裁きを繰り返す
その基本は不信ということだろう
裸体のむせびがすり替えられたということさ
微笑めばなにかが返ってくると
どうもそういう仕掛けになっているらしい
わかっていただきたい紳士たち
かなえていただきたい淑女たち
そして、わたしにおまかせなさいの頓馬たち
この凸と凹のコンビネーションが
いつも同じ風景を構成している
絶えずなにかを拝んでイノチをすり減らす者と
絶えずエサを撒いてイノチをかすめとる者と
時に応じて攻守入れ替わりながら
死の種を配分しあっていく
そうした常套に制御された土地の光景が
ガランドウには鮮やかに映し出されている
愛の裏側。平和の裏側。正義の裏側。戦争の裏側。
閉ざされた視覚に支配された
みせかけの安寧とみせかけの争いの外に
ぐつぐつと燃え盛る紅蓮の炎が見える
「だれがそれを見ているんだ!」
貴様が見ろ。ガランドウの先に
大地を焦がし、空を染め上げ
いつも冷たい灼熱が舞っている
訪れるものはいつも
俺たちの存在を迅速に染め上げていく
まなざしが交叉すると
電撃が走り
なにかが壊れ
なにかが点火する
押し寄せる情動の高波に耐え切れずに
こころは結界を破られる
「おお」
愛なのか憎悪なのか
正体を確かめるまえに
俺たちにはいつも届いていた
エネルギーの凝集において
愛も憎悪も一つの感化にほかならなかった
求めることにおいて
求めないことにおいて
高鳴る心臓の拍動は
いつも同じ強度を刻んでいく
俺たちをいま照らすものが
希望なのか絶望なのか
こころは問うより早く
新たな結界を生き始めていく
俺たちは希望を決断して希望することはできない
俺たちは絶望を企画して絶望することはできない
俺たちの心臓に近接した場所に
俺たちの生の前線があり
絶対の速度においてそれは
俺たちの現在を照らしていく
善人であることも悪人であることも
知っていることも知らないことも
俺たちは俺たちの前線を決して追い越すことはできず
俺たちはそれを追いかけることだけができるだけた
俺という存在は俺という生の前線から
俺において事後的に抽出され
俺の思惑をこえて俺自身を生き抜いていく
聞こえるものは頌歌なのか悲歌なのか
未来へ向かうのか過去へ向かうのか
欲望としてか献身としてか
俺たちはほんとうは
なにも答える必要がなかった
俺たちはいつも生の前線から
俺たち自身を告げられ
すべての時制が織り上げる
未決の現在へ誘われていく
俺たちは世界への着生を告げられ
生存の可能性と危機が同時に開かれる
いまを灼熱の光で焦がしつづけている
永遠に未踏の清らかなふるさとがある
俺たちにとっていつもそこが
新たな結界への入り口をつくっている
そして、そのことをただ知ること
事実を事実として受けいれることにおいて
なつかしいふるさとの地平が開かれ――
終わることのない意志が立ち上がっていく