ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「システムとしての関係」(参)

2013-11-28 | 参照


                    ――G・ベイトソン『精神の生態学』(佐藤他訳)
        
                       軍事競争、隣家同士の見栄っ張り、スポーツ競技、ボクシング・マッチ等々は、
                       一般に見られる対称的な関係の数々である。

                       支配―服従、サディズム―マゾヒズム、養育―依存、見る―見せる等々は、
                       一般に見られる相補的な関係のかずかずである。(※教える―教わる)

                       これらの病的発展性を秘めた一方向的変化が現れる原因は、
                       対称型のシステムにも相補型のシステムにも、
                       冷却(修正)機能を欠いた、正のフィードバック機構が組み込まれている点にある。

 

 

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「たたずむ」(参)

2013-11-26 | 参照


                ――河本英夫「知的アスリートはどこへ向かって走るか」

                  「佇む」という動作は、今日ほとんど消えてしまっている。
                  そのためあらためて獲得しなければならないほどである。
                  意味で物事を理解してしまう場合には、作品に対して配置を与えるような理解をして、
                  それでわかったことにするというのがほとんどである。
                  この作法は作品に対して、経験の速度が合っていない。
                  あるいは作品を経験せず、理解と配置だけで通り過ぎてしまうのである。

                    目がこうあるでしょう。そうするとあなたの魂が
                    目を通してすうっと外側のほうに出かけていく。
                    すると外側のほうから、何か鳥のようなものが飛んできてて、
                    魂の鳥のようなものが飛んでくる。
                    そして魂のなかにすっと入ってきますか。
                    そのために目が通りやすいようにしてありますか。
                    目から鳥が入ってこようとしているときに、
                    入ってこられるような目でやっていますか。
                    いつも動作しながら、
                    すっと入ってこられるように、すっとやらないとだめだ。(大野一雄『稽古の言葉』)
            
                  たとえ視覚であっても、眼とは触覚的に感じ取るためのひとつの媒体であり、見るための器官ではない。
                  そのため例えば植物を見るとは、植物の傍らでみずから植物を感じ取ることである。
                  無理に言えば、みずからの身体や魂に含まれる植物性を呼び起こし、
                  その植物性に身を添わせるみることである。


                      
         

                          

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「SOCCER 12 ~希望の原理」

2013-11-22 | Weblog


             なんども新たに出発しなければならない場所がある。
             なんども新たに、すべてを捨てて立ち上がらなければならない場所がある。
             そしてなんども新たに、
             ただ希望が到来するように行為しなければならない場所がある。

                            ――河本英夫『システム現象学―オートポイエーシスの第四領域』


         ゲーム展開がどんなプロセスをたどるかはつねに未規定である――
         未規定ゆえに活性化していく作動と、
         未規定ゆえに不安に押しつぶされる作動がある。

         希望と絶望――すべてのプレーはふたつの極性においてゆらぎ、
         ゆらぎのカオスが、ゲームのダイナミクスの震源をつくっていく。

         展開は、つねに制御の意思に先行して目の前に開かれ、
         展開が告げる意味連関が次のプレーを解発していく――

         展開の先行性は、プレーにとって規定性として現われ、
         同時に未規定な選択可能性の領域が照射され、
         新たなプレーの可能性が開かれる初期条件をつくる。

         プレーヤーは展開を引き受けることで相関的にセルフ像を結び、
         展開とセルフの関係構造から次のプレーイメージを描き出していく。 

         規定性を規定性として受け容れる――
         未規定性を未規定性として受け容れる――
         希望あるいは絶望を一方的に強いるものをしりぞける――

         すぐれたプレーヤーはそのことをプレーの格律として、
         その場所に、プレーの自由とエロス=可能性の原郷が存在するように、
         展開に修正を加えうるプレーイメージを探し、実効的な希望を立ち上げていく。

 

 

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「み空行く月の光に」(参)

2013-11-22 | 参照


             み空行く月の光にただ一目 相見し人の夢にし見ゆる
     
                                     ――安都扉娘子『万葉集』

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「さよならの挨拶を」

2013-11-14 | Weblog

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          「全体の姿は永遠に不可視ですが、動向について小さな報告はあります」
          「どこに?」
          「たとえば季節のうつろいの繊細な表情のなかに潜みます」
          「なんて?」
          「正確には、それを感じるボクたちの感受性が告げるものです」
          「告げるって、なにを?」
          「世界体験の基底から湧き上がるメッセージがあります」
          「ん?」
          「わが心ながら、わが心にもまかせぬもの――」
          「もののあわれ?」
          「言葉がカタチを結ぶ前に訪れるものです」
          「報告の内容は?」
          「破壊の広がりと深度、そのシークエンスが導く巨大な犠牲」
          「はあ」
          「透明なアラームが鳴り響いています」
          「泣いている?」
          「人間の悲しみというものが告げています」
          「はあ。それって信頼に足りる?」
          「わかりません」
          「だめじゃん」
          「最初に報告をもたらすものです。そこから分岐します」
          「アラームが鳴っても、それはエラーかもしれない」
          「はい。しかしエラーで済めばそれでいいのです」
          「いいのかな」
          「システム全体につながる総合的なセンサーともいえます」
          「警報機のエラーは修正が必要でしょう」
          「理性にまかせるべきでしょうか?」
          「そう思うけど」
          「しかし、この働きがブロックされると全体性が損なわれます。このことが重大です」
          「なぜ」
          「例えば、へんな感じ、いいね、不安だ――こうした報告は、理知でしょうか、情動でしょうか」
          「感情」
          「知性は重要な生存装置の一つですが、生存の第一原因ではありません」
          「でも状況は知性的に、客観的にとらえたほうがいいでしょう」
          「知性は生理整頓して報告を作りますが、その仕事はつねにセンサーの情報に依存します」
          「だからそれを使ってセンサーを正しく制御すればいい」 
          「知性がつくる一般規則、いわば生理整頓のルールは、最初の報告に先行できません」
          「一般規則って?」
          「論理的に記述された言葉や物理法則など、いわば第二次の情報です」
          「それでいいじゃん」
          「とりあえずそれでOKという領域と、それではダメという領域があります」
          「どうして」
          「繰り返しますが、二次情報は感性的な一次情報に先行できません」
          「わからん」
          「〈I love you〉――この記述内容は辞書的にも定義できますが、それは交通標識と同じです」
          「細かなニュアンスは消える」
          「言葉の意味が定義どおりに一定なら、人間はロボットとしてふるまうしかない」
          「でも、〈1+1=2〉のような知的真理もある。これは千年後も真理でしょ」
          「もちろん永続する命題は存在します。しかしそれですべてはカバーできません」
          「感情的な曖昧さを排除できるということもある」
          「厳密な定義、一般規則の類が有効なのは、それが公共的に承認された分野に限られます」
          「例えば?」
          「言葉には二つの面があります。一つは私的な面と、公共的な面があります」
          「いろんなルールや法律なんかは公共的か」
          「はい。合意事項といえます」
          「合意ね」
          「ところが合意事項、つまり一般規則はすべて修正可能性を逃れられません」
          「万有引力も?」
          「絶対ではない。明日も絶対に東から太陽が昇る、とはいえない」
          「ばかな。バカボンのパパかよ」
          「人間の世界経験にとって、一般法則を記述する行為はあくまでも二次的です」
          「だけど不変の法則はある。それを発見するのは感情ではなく、知性」
          「知性は独立的なものではなく、つねにすでに感性的な世界経験から派生するものです」
          「だから…?」
          「システムにとっての第一原因、つまり神々のポジションには立つことはできません」
          「まあね」
          「センサーの作動は、その指示対象が外部環境であれ内部状態であれ、つねに内発的です」
          「はあ」
          「理知の作動は、内的な世界経験から遅れて開始される。この順番は原理的です」
          「そうかな」
          「理知が働きは、いわば世界体験の母体から生まれた子です」
          「けれどもそこから報告には、まちがいや勘ちがいもある」
          「もちろんノ―エラーではない。報告は完全なものとはいえない」
          「じゃあ、知性の望ましい役割は?」
          「礼節をもってふるまうこと、感性的なものの知らせに謙虚に耳を澄ます」
          「それで?」
          「知的にこしらえた物語を、生の営みに先行させたり、強制したりしない」
          「なぜ」
          「基底をなす始原のフォームが知的構成物に代替され、否定されると構造は瓦解します」
          「構造?」
          「精神の全体」
          「どうして壊れるのかな」
          「抑圧されるとシステムのトータリティ、つまり全体の機能が不全に陥り失われる」
          「そうかなあ]
                       「システム全体の働きは、数十億年におよぶ歴史的試練を経たものです」
                  「人間の感受性を結ばれたものが?」
          「ウィ。―情感cœur には、理知raisonが感取しえない独自の理raisonsがある―」
          「意味はわかる」
          「パスカルの『パンセ』のなかの言葉です」
          「感情は曖昧でわがままで、暴走もするけど」
          「人間以外の生命は言葉を用いずに、自然と調和しながら生き延びています」
          「動物は暴走しないわけね」
          「ジェノサイドに走る動物はいません」
          「そうね」
          「ボクたちの世界経験は、精神に訪れる報告からはじまります」
          「そうなの」
          「抑圧や制御ではなく、まずその報告に耳を傾けることが決定的に重要です」
          「だけど理知や科学的思考をバカにしちゃいけない」
          「もちろん。同じ血脈につながります。でも近親憎悪に似た傲慢さが目立ちます」
          「握手できない?」
          「できます。しなくてはならない」
          「でも、できない?」
          「握手するには、両立できる作法や方法の確立が必須です」
          「理性にとって?」
          「はい。理知の働かせ次第で、致命的な事態が起こります」
          「けれども偉大な文明史的な達成もある。期待もある」
          「近代科学は中世的魔法の呪縛を解きました。しかし後発したものです」
          「とって代われない?」
          「つけ加わったもので、代替可能というのはみずから起源を忘れた妄想です」
          「明晰判明という自尊心ね。世界はいつかすべて合理的に説明できる」
          「正しさや真理の主張は、すべて有形無形の承認要求を秘めます」
          「独断的に歪んでいるのか」
          「歪みが極まり、全体が悲鳴を上げる事態を招いています」
          「そうかも」
          「でも、ボトムラインは示されました」
          「ボトム?」
          「透明な神殿はみずから限界を露呈したのです」
          「だから?」
          「現行のコードと意味論的な書き換えは必然です」
          「無理でしょ」
          「転換へのシグナルが明滅しています」
          「どういうこと」
          「ウンザリだということです」
          「それをいっちゃね」
          「そこから語り出すべきなのです」
          「なのかな」
          「沈黙のモラルが惨劇の再生ボタンを押します」
          「どんなふうに?」
          「悪徳が資源化して承認が与えられてしまう」
          「それで」
          「さよならの挨拶を告げましょう」
          「え?」
          「変化するためには儀式が必要なのです」
          「どこに向かって?」
          「原理的にいえることがあります」
          「何。自然に帰ろうとか?」
          「それでは、愚かな歴史を繰り返すことになります」
          「じゃあ」
          「報告の訪れに開かれた、一つの場所をきちんと用意すること」
          「それで?」
          「世界の知らせの訪れは、理知がそれ以上遡行できない限界点を示しています」
          「はあ」
          「理知のカーソルはそこを超えて進めず、そこからはこちら側に向けないといけない」
          「ほう」
          「そこを無理に超えようとすると、超越的な神々の物語をこしらえる以外ない」
          「おとぎ話の世界か」
          「おとぎ話が乱立して正当性を主張しはじめると、暴力装置が呼び寄せられます」
          「そこに留まれということ?」
          「世界の訪れという神秘に留まり、その報告にふさわしい言葉を与えつづける」
          「そして?」
          「そうすることで、いつでも帰還可能な不可知の全体性を確保しておく――」
          「は?」
          「フィリップ・K・ディックという作家の言葉があります」
          「どんな」
          「―〈帝国〉と戦うことはその錯乱に感化されることである。これはパラドックスである―」
          「どういうこと?」
          「〈帝国〉との戦いで別の帝国を生まないために、生命の原理に従うということです」

 

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「アンサンブル」

2013-11-13 | Weblog

 

            サイバネティックスな目で世界を見るということは、
            現象のひとつひとつのステップに、マッピング、翻訳、変換といった形式を
            持つプロセスの存在を見ることにほかならないのだ。

                               ――G・ベイトソン『精神の生態学』佐藤他訳

          
          光と影と色彩のランダムな差異の連なりに
          タクトを振う超越的な存在がいるわけではない

          だれかのまなざしが風景に接続されるといつも
          差異の連なりは情報としてピックアップされ
          非線形的な変換とマッピングが起動していく

          写像された視覚像は即時に変換規則と交わり
          固有の電荷を帯びて相転移へと導かれ
          錦繍とも呼ばれる意味とパターンの構成――〝紅葉〟が創発していく

          汲み尽くせない世界の現われはいつも
          ランダムな差異の連なりにおいて変化し
          同時にまなざしが携える変換規則も変化していく

          ときに〝うつくしさ〟のアンサンブルとして
          ときに〝みにくさ〟――アンサンブルの乱れとして

          まなざしが担う志向性と意味的統一の作用に誘われ
          世界の色あいと表情は変幻していく

          そこには遥かな面影と重なりあうなにか
          世界を一つの構成へ導く密やかな
          シグナルが明滅しているようにもみえる

          季節の遷移と差異のゆらぎのなかに
          だれかのまなざしが向かうとき
          新たな意味とパターンの配置が織り上げられ          
          またひとつ、固有の響きが奏でられていく

 

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「SOCCER 11~コンテキスト、境界設定、外部性」

2013-11-10 | Weblog


       ひとつの行為であるとか、ひとつの経験に貼られたレッテルであるとかは、
       つねにコンテクストのなかでとらえなければならないものだ。
       そして各行為のコンテクストとは、認識論とその行為にかかわるあらゆるシステムの状態
       ―その状態にいたる歴史を含んだ―が織りなす全ネットワークに他ならない。
                         
                               ――G・ベイトソン『天使のおそれ』星川淳訳

 
             ピッチ上で起こることは、ピッチ上の出来事だけで完結しない。

             親に叱られた朝のことが一瞬フラッシュバックして、意識が飛んだ。
             その間に、敵のサイドバックはボクの横を駆け抜けていった。
             この失点でチームは負けてしまった。

             もちろんボクのエラーは母親のせいではない。ボクの責任だ。
             けれどもピッチの上にはボクと親との関係も参加していると思った。

             ある殺人者は動機を訊かれて青空のせいにした。
             陪審員たちはそれを理解することができなかったし、
             語った本人もその意味をわかっていたとは思えない。

             世界のさまざまな出来事の連鎖とその帰結は、
             人間が決めた小さな区切りをやすやすと超えて動いていく。

             すべてのことは根底でつながっているのかもしれない――
             そして、つながりのすべてを数え上げることは誰にもできないだろう。

             そう考えてもサッカーが少しもうまくなるわけじゃないけど。

 


 

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「経験の位相~現象学的アプローチ」

2013-11-07 | Weblog


             「君が現象学者だったら、このカクテルについて語れるのだ。そしてそれが哲学なのだ」。
         サルトルは感動で青ざめた。
                            ――S・ボーヴォワール『女ざかり』朝吹他訳

      テーブルの上に置かれたカクテルグラスはボクにとっても、
      キミにとっても唯一同一のものとして存在している――

      という内的な確信はボクの勝手な思い込みを超えてボクを訪れる。
      この確信はボクの主観の外に「客観世界が実在する」と告げている。

      これまで一度もアメリカという国を訪れたことのない人間でも、
      疑えない事実として「アメリカは存在する」と確信している。

      リンゴもシロナガスクジラもウイルスもブラックホールも、
      そして目の前のカクテルグラスも客観的に存在している――

      こうした世界像を構成するさまざまなアイテムの実在について、
      ボクの意識はすでに自明の客観性として主題化を完了させている。

      ボクがカクテルグラスを見つめているときも眼をそらしているときも、
      カクテルグラスが存在しつづけるというボクの確信は揺るがない。

      感覚や直観をとおして告げられる世界の色合いや意味について、
      ボクの意識に届けられるメッセージはボクの勝手な恣意ではない。

      本当は幻か夢ではないかと無理やり疑念を抱こうとしても、
      それを振り切るようにグラスの実在は意識を占領してしまう。

      この確信の構造は「主観の外にグラスは客観的に存在する」と告げ、
      グラスを含む広大な世界の実在を疑いえない事実として告げる。

      ――そう。たしかにボクは世界を経験している。
      ――しかし、ほんとうにボクという主観の外に世界は存在しているのだろうか?

 

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「肉まんを食べる」

2013-11-02 | Weblog

 
        勉強は好きの反対。嫌いです。遊ぶことは嫌いの反対。大好き。
        勉強はとても大事だと思うけど、じぶんで考えたことではありません。
        それはオトナのみなさんが、子どもに教えてきたことです。
        オトナの言うことだから、きっと大事なのだと子どもは考えるのだと思います。

        だれかに教えてもらわなくても楽しいことはみつけられます。
        だれかに教えられるより先にからだが知っているからです。
        つまらないこと、面白くないこと、イヤになることもとてもよくわかる。

        これからもずっとわかりきったことなので教えてもらう必要はありません。
        教えてもらってはじめてわかることはもっと別なことです。

        知らなかったこと、知りたいことを知るのは楽しい。
        知らなかったじぶんが知ったじぶんに変身するからです。
        でもね、知らないことで困ることがあれば、きっとじぶんで知ろうとするでしょう。
        知らなくても困らなければ、きっと知ろうとはしないでしょう。

        知らなくていいことを知るために無理矢理勉強しろと言うのはやめてください。
        知らなくていいことを知っていることを褒めることもやめていただきたい。
        褒められるためだけのために頑張るのは、苦しいし、すごくヘンだと思います。

        肉マンを食べたあと何をするかは、食べてから考えます。
        別のことを気にしすぎると、おいしい肉マンを味わうことができません。
        だから、いまは肉マンのことがすべてなのです。

 

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