ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「革命、進行中」(参)

2012-01-29 | 参照

(田原牧『中東民衆革命の真実』より)

二〇一〇年に世界を刮目させたウィキリークスとその年の暮れに始まったチュニジアのジャスミン革命、そしてエジプトの「一月二五日革命」は一本の糸でつながっていた。比喩ではない。
チュニジアの青年たちにエジプトの青年たちは明らかに触発されていた。その前にウィキリークスとジャスミン革命も連動していたのだ。

ウィキリークスの暴露は、チュニジアの青年に内容以上の力を与えた。
それは自分たち以外の異世界の視点、あるいは世界標準からみても、目の前にある不正義はやはり不正義なのだと確信する儀式だったとしてもよい。
不正義はいつの世にも、どこにもある。しかし、子どものころから、世の中とはそうしたものと教え込まれていれば、それに唐突に反抗しようとは思わない。あるいは諦めが先に立つ。
その日常に決別するには儀式がいる。ジャスミン革命においては、外交公電の暴露がその役を担った。

「非武装の叛乱」(チュニジア、エジプト)は、アル・カイーダに集ったアラブ義勇兵たちが果たせなかった夢―為政者打倒―を実現してしまった。……
起動力は「人は何のために生命を与えられたのか」という単純かつ普遍的な問いである。その闘いは人としての尊厳やプライドの回復のためと言い換えてもよい。国家の論理という政治に抵抗する永遠の叛逆が闘争の本質であり、筆者はアナキズムを懐胎する革命のグローバリゼーションと解釈している。
だから、行く先はみえない。みえなくてもよい。どこまで続くのかは、どれを担う人たちの内的な葛藤がどれだけ持続するかにかかっている。それは政治的というより、もはや文学の領域である。それゆえ、この現象を政治の地平からのみ論じることはおそらく徒労にすぎないだろう。

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