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誠に勝手ながら、これでおしまいにしたいと存じます。
最後に、一番の論点をカッコつけて集約すれば、次の一点です。
「集合命題と要素命題は、論理レベルが異なる。」
例えば、【日本人の集合X】=[a、b、c、d、……]があるとき、
「a」についての記述命題(aは嘘つきである)はそのまま、
「X」についての記述命題(日本人は嘘つきである)として、
使うことができないという、ごくシンプルな問題です。
ところが、こうした認知的な「誤用」(a→X)は、
国家間でも、身近な生活圏でも、
対人関係でも、自己認識でも、しばしば起こるようです。
(個人の場合は、【人格X】=[側面a、側面b、側面c、……])
なぜ起こるのかと考えると、
認知コストの低減というボーナスの獲得があります。
つまり、全体性について精査するための、
観察・学習・検証等にかけるコストを節約できる。
このことが、さまざまなボーナス連鎖を生みます。
(そうしないと生きられないという事情があっても、
マイナス面は甚大である可能性大。)
次長課長河本準一氏の件では、この誤用(悪用)が、
逆向き(X→a)に働いたケースと考えられます。
「生活保護不正受給する一部日本人=許せん」といった、
漠然と醸成された集合命題(空気)が、
特定個人に強引に、作為的に集中的に押し付けられた事例です。
(結果、TVは視聴率のボーナス獲得に成功。
政治家約2名は支持者獲得インコンプリート、失墜)
これは、世論形成・操作・動員の典型的手法のようにみえます。
これまで数多活用され、少なからず犠牲者を生んでいるでしょう。
おそらく、これからも。
昔、「鬼畜米英」(集合命題)のおかげで、
個別アメリカ人のことを考えなくて済み、憎悪&士気アップ。
そのかわりに、戦争止められず、
「日本人=黄色いサル」というカウンター措定も頂戴した。
その意味からいうと、命題捏造(スローガン)プラス
相互に観察や学習がストップした状態が戦争(対立)を生み出す、
固定化する、という定式が成り立つかもしれません。
広げすぎました。この辺りでおわりにします。
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