https://www.youtube.com/watch?v=Bmb-lXFSIZc
ソレがなくとも生きてゆくことはできる
ソレは生きる絶対的な条件とはいえない
ソレそのものが存在するわけではない
ソレはただ絶対的条件の外に透明な体験を結ぶ
ソレがない生を侮り呪う理由は存在しない
ソレがなくとも生が枯れてしまうわけではない
ただ枯れてしまうという感性的作動だけがある
ソレをソレとして語ることはできない
ソレをひとつの実体として示すことはできない
カタチでもなく表象でもない、ただ体験としてだけ
そのつど、いちどかぎりの触発としてソレは現象する
*
ソレは楽器と楽器が奏でるアンサンブルの音に似ている
ソレは空間のなかにも時間のなかにもマップすることができない
ソレはただ聴かれること奏でられることの体験のなかにだけにある
ソレはひとつの楽器が奏でる音とはちがっている
ひとつの楽器が奏でる音はひとつの限定のなかにあって
奏でられる原因も理由も「このこれ」と示すことができる
けれども忘れてはならないことがある──
ひとつの楽器という限定おいてはじめて楽器は楽器でありうる
ひとつの楽器であることを生きるかぎりにおいて
ひとつの楽器はべつの楽器と出会いアンサンブルを奏であう条件をつくる
*
ソレが現象するとき、いつも、かならず連れ立っている原理が存在する
ただアンサンブルへの意志が生成するときだけソレは現象する
聴かれなければ奏でられない
奏でられなければ聴かれない
聴くことなく奏でられることない生を侮り呪う理由は存在しない
ただソレがなければ生が枯れてしまうという感性的作動だけがある