ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

2003 IN and OUT

2006-07-20 | Weblog


「わかりません」

楽しさや悲しさやわけの判らないモヤモヤや
じぶんで意識しない感情がもくもくと沸き上がってきて
そのほんとうの理由を訊ねることはいつも難しかったから
なぜなぜなぜなぜと問うことだけで
アナタは真っ白になってしまったのね

ひとまずぐっすり眠ったほうがいいよ
おいしいものをたくさん食べて
ゆっくりお風呂に浸かってから
からだをストレッチでほぐして
温かいミルクを飲んで
静かな音楽を聴いてリラックスして
きょうは早目にベッドに入ることね
明日の朝 起こしに来てあげるわ

「ありがとう」



目の前には眩しい春の景色が広がって
細い道が幾重にも重なるようにつづいている
ここは田舎だから
川向こうのレンゲに埋まった田んぼが眩しい

タンポポの河原が透明な光にきらめいて
渡る風がとてもきもちがいいから
空に向かって大声で叫んでみた

「チクショウ~」
「バカヤロウ~」
「クソッタレ~」
「チョウシニノルンジャネエゾオ~」
「シンジマエ~」

特別イヤなことも 特別嫌いな奴も
死んでほしい奴もいなかったけれど
なんとなく心がほぐされて
またやってみようと思った

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1979 舟歌

2006-07-19 | Weblog
偶然に継起する事象に鏤められし再生の希望。統一喪して、自らの軌跡に傷ましき呪詛の反復。されど、留まること能わず、奔流は自らの悲惨の宿命を尽くし切るべく勉励の雄。振り返れば胸は痛む。不足の感情と躓きの予測。呪わしきも、我が身なれば。おお、悲恋の希望と逆流の転機。

言葉を尽くして、思いをここに披瀝せんとするも、低迷深く、根源的不和の色調拭い去り難し。言葉を尽くして語らんとて、思いめぐらす我が身の不憫に深き慟哭絶えざらん。自らに問うて答えなき反響に、無念の落下。飛翔の神話、告白と懺悔の回生、いにしえの超人に痛み入る。不在の肉体と茫漠の深淵計り難し。今しも、通り過ぎし閃光は、一面に残像生んで眩暈誘う。果してそれは神話の名残りか。

平安に赴くすべなく、困難といとしき狂気。白日の昏倒。深夜の錯乱。ここに無念の小屑集まれり。つましき夜会。定式もたぬ夜会なれば、あちこち入り乱れ、あれこれと言葉を交わして懐かしく、挨拶するもいたわりふかく身に沁みて、聖なる宴極まれり。互いに傷を知るなればこそ、愛惜ふかく、思いやり溢れ、不憫の朋友、抱擁と愛撫の園。つまされて、過ぎたる寛大由々しからざり。窺い知れぬ猜疑とて、ひとえに愛惜の情深まれり。

過ぎ去りし日の雄壮。かつて現われ出でたる狂気一つ。世の数知れぬ不義に、憤激おさえ難く生々しく胸を刺す。ここに埋もれし無為の騎士、この時目醒めん。曙光のごとく、絢爛と立ち現われたる志一つ。ひとたび堰切った血潮はとどまるところを知らず。ありとあらゆる花園踏みつけ砕いて、信念不動のごとし。武者ぶりよろしく背を向けて、確固と天を見る。

生の総量もて、一点に身を捧ぐ。心意気激しく、一挙一動にロマンは迸る。強者の自覚捨て難く、閃光の闊歩はゆるぐことなし。一騎の出陣いさましく、疾風は世を駈け、怒涛において悪を呑む。人々の揶揄の下、黙殺こそが我が信条と心得て直線の驀進。雄々しき進軍。涯なき旅路。人々の妙なるシラベ痛々しく、道ならぬ我が身に真を見る。さりとて不実の息子、狂気の心痛誰そ知る。おお、馬のみが知る。いにしえにロシナンテありしが如く。ここに一時代築かんと、志高く、久遠の誉、自らをいと高きところにおかざるべきや。

慙愧深し。今にみる狂気、凡夫の血気、焦燥の息子。終に偉大なる然りは訪れざりし。煩悶は身を浸して窒息の海。恐れを知らず、自らの傷に火をくべ、復讐は、盲目の疾駆と狂気の論理の旗印。自爆の終焉避けがたく、悲絃のジオロン弾かれたり。

貴様は貴様の他人だから、一応の礼儀を心得よ。貴様に対して加えられた侮蔑に黙っておるというか。ニヤリと微笑み一つ返してやるのが、礼儀というものぞ。誹りに対して、貴様は指をくわえて頭を垂れた。よし、それならば貴様は引き受けた。涙一つ流して貴様は自慰の悶絶。潔くやれ。しかし貴様は自らに悪態ついて譲歩の手管。――すべて知れたこと。そこにイノチの倹約企画して、憐れに看病乞うていた。

貴様の心が痛みだすと、もう一人の貴様も道連れにとどかない歌に向かって歩き出す。行きつく当てのない風まかせ。おお、それこそ恍惚。右や左のダンナ様、貴様はそれと知らず、泣きべそかいて全身で救いを乞うておった。貴様は自らに礼を失して、拒否に出会う。それこそ冷酷、悲惨の極み。

光に目を覆うものなしとは、哲人の自戒と仕込み杖。先刻承知のロマネスク。果して、貴様の身の上を照らす光とは何者ぞ。礼を知り、労をいとわぬ紳士なればこそ、哲人の自戒に礼を送り、光に答えんとする者なればこそ、そこにBarcarolle流れ入らん。
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1998 転位する時間

2006-07-06 | Weblog
最初のシグナルはコスモスのイメージを導いた 

 転調のシグナルはどこからともなく訪れ

 底知れない時空の闇が口を開き
 ただここにあることに
 からだが竦み こころが竦み 存在が竦んだ

 世界は床がぬけ
 方角を定められない無限の暗闇に
 からだは宙に浮いた

 茫然と意識は白濁し
 ニンゲンの声は限りなく遠のいていった

2番目のシグナルは教唆を示した

 伝統のプログラムに騎乗し
 世界は壮大な運動会に沸き立っていた

 はたして一人が考えるのか
 みんなが考えるのか

 マイムマイムの高揚とスペクタクルは
 日常をくまなく覆っていた

 謹厳な威光に染まった
 教唆するニンゲンたちの言葉が走り
 からだは不自然に姿勢をつくった

 抵抗は無意識深く潜行して
 人知れぬ堡塁を確保した

3番目のシグナルは病理を告げた

 明らかにからだは失調しているのに
 外部からの診断によれば健常であり
 身の置きどころのない不快感と
 看病を必要としないとされた微熱がつづいた

 統覚は歪んでまなざしを屈折させ
 言葉は風景とズレて暗い自由を導き
 刻印された病状への覚醒を促した

 日々転変するおのれのエネルギーを前に
 「世界は確かにこうなっている」とは
 口が裂けてもいえないセリフだった

4番目のシグナルは憎悪を招き入れた

 無罪であるものが蒙る酷薄な怯えの由来を
 名づけようがなく
 特定しようもない 

 ほかならないコスモス全体に向かって
 こころはその贖いを要求したいと感じていた

 先行する言葉はどれも仕立ての悪い既製服で
 身の丈に合わない意匠を試着しては脱ぎ捨て
 未知の言葉をさがして
 こころは永遠の試着室にいた

 そう考えたとき
 商品の陳列棚に火を放ちそこを立ち去った
 どこへ?
 ほかでもないいまここしか立ち去る場所はなかった

5番目のシグナルは闘争を告げた

 憤怒とともに時空は妖しく輝き
 コスモスの圏域を突き破る
 不在の何かが幻視された

 「コスモスと対峙せよ」

 言葉は発熱して闇にこぼれ
 存在と非在が入り乱れ
 世界は目鼻立ちをくっきり結ぶように
 むごたらしい厚化粧に彩られた

6番目のシグナルは血脈を求めた

 「又、淋しくなった」

 瀰漫する虚無の累積と威圧に膝を折り
 斃れていく無数のニンゲンの悲鳴が聞こえ
 それをもっとよく聞きたいと思った

 焦燥は苛立ちと野望と渦をつくり
 コスモスに拮抗するもうひとつのリアルを
 いつか樹立したいという妄想に駆り立てられていた

7番目のシグナルは徒労を呼び寄せた

 手応えのない焦燥と苛立ちが生活を覆い
 勝算のない努力に倦怠と退屈が重なり
 エネルギーの自縛は弛緩へと流れた

 記号の森のフェスタは加熱し
 哄笑にまぎれて不逞な自尊が励起し
 かつて信じたことのひとつひとつに
 バッテンがつけられていった

 なんでもありの賑わいと余裕に
 怖気と吐き気を催しながら
 迷路の出口がみえなかった

8番目のシグナルは霧散化だった。

 すべてがアトマイズされた果てに 
 憎悪が死に 愛が死に 友情が死に 
 感情は死んだように感じられた

 こころは嘆きたいのに
 嘆きの起点が不在だった
 嗚咽し 慟哭し 感涙したいのに
 情動をつなぐ撚り糸が見当たらなかった

 エネルギーは零れるのに
 めがけるべき相手を捉えることができない

 衝逼は切実なのに
 身を投げる回路が不在であり
 沸き上がる細胞の波立ちは
 どんな表情も確定できなかった

9番目のシグナルは秘儀を暗示した

 言葉が織り上げる微細なぜん動が風景を分光し
 開示されたスペクトルには
 虚数のシルエットが隠れていた

 告発が帰結する和解でもなく
 結詞が招く融解の風景でもなく
 闘争を導く信仰や矜持や侮蔑でもない

 コスモスに裂開を導き
 内側から視覚を発動させる何か

 こころは明かされたことのない秘儀の可能性を
 信じることなく信じていた

10番目のシグナルはすべてを含んでいた

 どんな場所でも
 どんな時でも

 これはこれとしてここにあり
 それはそれとしてそこにあり

 ど真ん中の感情も
 そこを外れたあらゆる感情も

 言葉はただ紡がれることを待っていた

 世界はその表情のうらがわに
 最後の願いをもっており

 あでやかにか ひそやかにか

 みずからとみずからを取り巻くすべてを含んで
 華やぎたい、という願いに
 深く担われているようにみえた

 シグナルはスパイラルを描いて入り乱れ
 それぞれが指示する内容を重ね合わせながら
 転位への運動を持続していた
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1999 未来からの回想

2006-07-01 | Weblog
男の机の前を、女が通り過ぎる。若く、仕事への意欲に満ちたはつらつとした二十代半ばの女。天気がよく、オフィスの窓から差し込む陽射しがまぶしい。女はその光の方に歩いていく。窓際に並んだ棚に置かれた書類を取りにいくところらしい。なんの変哲もない、職場のありふれたひとコマ。

男は退屈にまかせて想像してみる。この女がいつか将来結婚して、子を産み、育てていく日々の姿を。そして、その子になりきって、未来から逆向きに今日いまの情景のことを考えてみる。二十年後、三十年後、あるいはもっと後に、いま男が見ている小さな情景が彼女の子供にとって一体どんな意味と重さをもつことになるのかを。

決して見ることができない遠い過去の若い母親の姿を、もし男がいま見ているようにその子が見ることができるとしたら。それはその子供にとっては奇跡の情景ということになるだろう。だとすれば、男はいまその奇跡を目撃していることになる。神々に媒介されない奇跡。その必要もないミラクル。男はそう思い至って、もう一度女を見た。

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