ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

トワイライト5

2009-09-23 | photo
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1990 狂風のシグナル 

2009-09-18 | Weblog

回帰すべき場所はどこか。
めがけるべき未来はどこか。

話は、じつは単純さ。
そんなものはどこにもありえないのさ。

なにもないということがすべての背景だ。
ガランドウというわけさ。

なんにもないという、この朗らかな真実が、
俺たちの住んでいる本当の風土というわけさ。

いったいどういうことだかわかるか。
鼻歌がよく響くということさ。
風通しはバツグンだ。

このきよらかな真実の前で、
耐えられるニンゲンはどこにもいないだろう。

無-意味。無-価値。偶然の戯れ。
木の葉のように、風に吹き飛ばされる存在の心もとなさよ。

それは意味を求める「弱虫な人類」が分泌する
固有の感情に由来している。本当にそうか!

然り。本源において、
拝跪すべきどんな存在も絵空事である。
自らを捧げるべきどんな対象も理由も意味をもたない。
その了解の果てに、
ガランドウには気持ちのいい風が吹きぬける。

愛する理由はいらない。
憎む理由もいらない。
いつも、すでに、あらゆる場所で、
それはただ訪れる。本当か!

然り。それがおまえの生の核心だ。
ブタが愛を語り、倫理を語り、善を語る。
カバが正義について、未来について僭称する。

愛も倫理も善も正義も未来もただ生きられるだけで、
語ることで生まれたことは一度もなかった。

しかし、語ることが生きることと結びつくとき、
生きられた累積がひとつの必然へと転位する。
拝跪する感情もそうか!

然らず!おのれならざるものへの拝跪は、
生の否認、死への邁進、偏執狂の遺伝を意味する。
それもニンゲンにとって必然ではないのか!

然らず!されど倒錯された必然。
ヘンタイとしての人間の歴史があり、
そのエサは至るところにころがっている。

だれかが、みんなが、そうするという理由だけで、
だれかが、みんなが、そうしないという理由だけで、
ひとりのニンゲンは自らの生存を瓦解させることができる。

その恐怖に耐え切れず、
ニンゲンは目をつむり、
おのれならざる「なにか」に向かってジャンプする。

エサはまかれる。ブタはすり寄る。
ブタは喰らう。ブタは丸々と太る。
思うつぼで、仕上げはニンゲンのとんかつだ。
それを喰らうのはだれだ!

共食いさ!エサはどんな形にでも変幻する。
Aに代入されるB。Bに代入されるC。
無限に循環するとんかつゲームにおいて、
その中心はいつも空虚である。

いつみても、どこをみても、空虚なゲームが展開する。
このありえなさにおいて、
ニンゲンのふるさとには独自の陰影が加えられる。

振り返ればいつでも、
文化が据え膳して待っているだろう。
ブタのエサは至るところに溢れている。

平和とはいえないな。
文化が序列を配して、大きなツラして卑俗を見下している。
そういう定式が出来上がっているということさ。

ブタ主義、カバ主義がまかり通る土地柄だ。
どん詰まりには逆上が待っているという仕掛けだ。
崩壊は必然だろう。
自然は受け付けねえシロモノということさ。

露骨に正義と正気を語るものたちが、
全体においては、狂った算段で裁きを無残にくりかえす。
その基本は不信ということだろうよ。

裸体のむせびがすり替えられたということさ。
微笑めばなにかが返ってくると、
どうもそういう計算が成り立っているらしい。

わかっていただきたい紳士たち、
かなえていただきたい淑女たち、
そして、ワタシにまかせなさいの野郎どもの、
凸と凹のコンビネーションが、
いつも同じ風景を構成している。

絶えずなにかを拝んでイノチをすり減らす人間と、
絶えずエサを蒔いてイノチをからめとる人間が、
時に応じて攻守入れ替わりながら、死の種を配分し合う。

そんな常套が染め抜くこの土地の光景が、
ガランドウには鮮やかに映し出される。

愛の裏側。平和の裏側。正義の裏側。戦争の裏側。

閉ざされた視覚に支配された、
みせかけの風景の喧騒と静けさの外に、
ぐつぐつと燃えさかる紅蓮の炎がみえる。

ガランドウからみえる風景の先には、
空を焦がし、大地を染め上げ、
いつも冷たい灼熱が舞っている。




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2009 夏Ⅱ

2009-09-12 | photo
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2009 Another Galaxy (8)

2009-09-04 | Weblog

     *

リズムへの感応はゲシュタルトの揺らぎに先導され、
外部との同期においてシステムは更新を指向していく。

     *

散逸するエネルギーの乱流と気圧を基底にしながら、
システムは永遠に先送りされる定位を志向していく。

予測可能性と予測不可能性が混融する開放系において、
システムはリズムへの同期において運動を組織していく。

同期するためにシステムは開かれなければならない。
自壊しないためにシステムは開かれすぎてはならない。

システム自身と周囲の環境への二重のまなざしが励起し、
運動とモニタリングのループが新たな視覚を開いていく。

システムとシステムは相互に媒介されながら体験を刻み、
相互感応のトポスにおいて世界とおのれを更新していく。

ゲシュタルトはシステム間に相互越境的に励起され、
拡張された作動が歴史的トポスとして累積していく。

組織化のポテンシャルが一気に起爆する臨界領域があり、
新たな運動のトリガーを引くゲシュタルトとの遭遇がある。

連鎖的同期を導くビートとの遭遇において、
システムは拡張可能な領域を発見していく。

体験は恣意性を超えた訪れとしてまなざしに先行し、
まなざしはいつも事後的にシステムの姿を発見する。

     *

絶えざる交感の連続は新たなビートを刻んで、
シンフォニックな共振の位相を解発していく。

     *

システムは単一性のリズムの破れにおいて、
集合的拡張システムへ参入を開始していく。

単一性の破れにおいて集合的結合へ至り、
システムは要素群を超える位相へ向かう。

リズムへの感応機制が外部と同調しはじめるとき、
相補的結合への誘いがシステム全域を包んでいく。

システムのリズムへの同期が連鎖し、
応答空間の境界ラインが拡張される。

リズムはニュートラルな誘引において、
システムを根こそぎの動員を触発する。

システムは相互に境界を浸潤させ合いながら、
位相特定的に同期する特異点を析出していく。

自己籠城から自己委譲へ赴く動向は、
リズムの亢進の強度に照応している。

ローカルなリズムへ感応の体験の累積から、
コズミックなリズムへの感応が萌していく。

     *

システムには永遠に充填され尽くされない空位があり、
王位継承の擬態が日々のシークエンスを先導していく。

     *

王位の威力を戴いて完結する幻想の全体性があり、
全体性への感応を前提にするシステムの作動がある。

「空位」は充填されねばならず、
充填され尽くされてはならない。

システムは多層な交信と運動のモードを構成し、
「空位」はモード群において公共化されている。

多層性と輻輳性のマジカルな作用において、
モード群はミクロな位相を離脱していく。

つねに可能態のモラトリアムを担保しながら、
「空位」には機会主義的代入が連続していく。

ひとつの強力なリズムが層を横断的に励起するとき、
モードの単一性は破れて群体的トリガーが引かれる。

内部と外部の交信の回路は断ち切られ、
試行的均衡状態が絶対性を帯びていく。

文脈フリーから文脈無視への機能的亢進が、
システム間の親和的閉域を埋め尽くしていく。

     *

開放系のフローが阻害されるとき、
システム内には毒性が滲み始める。

     *

開放系のガバナンスに留保は存在しない。
流動を阻害する事象は普く許容されない。

流動の回路が阻害され切断されるとき、
システムは自壊の毒を滲ませはじめる。

ハンティング機能は不活状態に陥り、
システム全体は稼働不全へ導かれる。  

情報とエネルギーの回路は塞がれ、
動的回路は崩壊への道を歩み出す。

外部との協働を触発するリズムは響かず、
内部はデジャヴュに埋め尽くされていく。

まなざしは内部を循環しながら腐食し、
光源は消滅点へ向かって収束していく。

享受可能なエロス的契機の枯渇と、
自家中毒的なエントロピーの昂進。

システム崩壊のエマージェンシーに直面して、
危機回避のコマンドが内圧を上昇させていく。

     *

エントロピーは排出されなければならない。
排出不能においてシステムは活性を喪失する。

     *

ディフェンシブな機制のオートマティズムと、
流動性の切断から漸進的に亢進する内部圧力。

内部圧力が限界点に接近するにしがたって、
「システム解除」のエロスが示現していく。

解除は創発への意思にピリオドを打つように、
エントロピー最大化の黄金則へと殉じていく。

全体性への志向は喪われて自己委譲へと転化し、
エネルギー交換の回路の閉じへと帰結していく。

コマンドは乱反射してベクトルを拡散させ、
システムは流動への先行性を喪失していく。

未来をめがける新たなコマンドは響かず、
履歴の反復から永遠の滅却へ退行していく。

外部へ伸びたリンクは閉じられて霧散し、
システムの存在域はシュリンクしていく。

     *

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2009 夏

2009-09-01 | photo
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