『THE JOURNAL』(コメント欄)より
http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2009/05/post_4.html
「ニシマツ」「オザワ」「テポドン」「クサナギ」「新型インフル」、
すべてはTV新聞をキャリアーとする空気感染のバリエーションでした。
日本国を覆うメディアという名の風土病と言えるかもしれません。
この病気に抗体をもたない人びとをヤマト民族と呼ぶのかもしれません。
あるいは、機能的には国家統合のお祭りでしょうか。
刑事裁判においては、結審前に「ギルティ」が宣告され、集団リンチ的スクラムにおいて実質的に刑が執行されていきます。
糾弾・憤慨とカタルシスの抱き合わせで、「推定有罪」の祭りが日々繰り返され、そして本日も進行中です。
ある意味で、これはヤマト民族の駆動原理でもあるのでしょうか。
かつて「鬼畜米英」の時代にも同じ風土病が国土を覆い尽くしました。
確実なのは、この病気が巨大な収益モデルにおいて利用されているということです。
「いけにえのヤギ」はいつも必要とされています。
ただ昔とちがって、それを捧げるべき崇高なる存在は現在はどこにもいません。
いるとすれば「当月の売上伝票」(成績)がそれに当たるでしょう。
キャリア―(メディア)といっても、街で会えばみなさんいい人で、
普通に親切で、KYではないことに矜持ももっておられる。
「ジャスティス」と「ニュートラル」の看板の下で日々の精励に忙しい。
風土病に罹りやすさにおいては同じヤマトの人たちでありましょう。
この風土病に例外的に「抗体」をもつ「小沢」という人物が放逐されました。
その結果、風土病を克服するワクチンを当分の間は入手できないということでしょうか。
そうでもないかもしれない、というのが差し当たりの希望です。
ところで「和歌山毒物カレー事件はあまりにもセンセーショナルな事件であったため、このような問題点を指摘する人はあまりいなかった。だが、私はあえて問題提起したい。この判決は問題ありだ。」と述べられた田原氏は、その後どのように仕事を展開されているのでしょうか。
http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2009/05/post_4.html
「ニシマツ」「オザワ」「テポドン」「クサナギ」「新型インフル」、
すべてはTV新聞をキャリアーとする空気感染のバリエーションでした。
日本国を覆うメディアという名の風土病と言えるかもしれません。
この病気に抗体をもたない人びとをヤマト民族と呼ぶのかもしれません。
あるいは、機能的には国家統合のお祭りでしょうか。
刑事裁判においては、結審前に「ギルティ」が宣告され、集団リンチ的スクラムにおいて実質的に刑が執行されていきます。
糾弾・憤慨とカタルシスの抱き合わせで、「推定有罪」の祭りが日々繰り返され、そして本日も進行中です。
ある意味で、これはヤマト民族の駆動原理でもあるのでしょうか。
かつて「鬼畜米英」の時代にも同じ風土病が国土を覆い尽くしました。
確実なのは、この病気が巨大な収益モデルにおいて利用されているということです。
「いけにえのヤギ」はいつも必要とされています。
ただ昔とちがって、それを捧げるべき崇高なる存在は現在はどこにもいません。
いるとすれば「当月の売上伝票」(成績)がそれに当たるでしょう。
キャリア―(メディア)といっても、街で会えばみなさんいい人で、
普通に親切で、KYではないことに矜持ももっておられる。
「ジャスティス」と「ニュートラル」の看板の下で日々の精励に忙しい。
風土病に罹りやすさにおいては同じヤマトの人たちでありましょう。
この風土病に例外的に「抗体」をもつ「小沢」という人物が放逐されました。
その結果、風土病を克服するワクチンを当分の間は入手できないということでしょうか。
そうでもないかもしれない、というのが差し当たりの希望です。
ところで「和歌山毒物カレー事件はあまりにもセンセーショナルな事件であったため、このような問題点を指摘する人はあまりいなかった。だが、私はあえて問題提起したい。この判決は問題ありだ。」と述べられた田原氏は、その後どのように仕事を展開されているのでしょうか。