ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「ヤマト民族」(参)

2009-05-30 | 参照
『THE JOURNAL』(コメント欄)より
http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2009/05/post_4.html


「ニシマツ」「オザワ」「テポドン」「クサナギ」「新型インフル」、
すべてはTV新聞をキャリアーとする空気感染のバリエーションでした。
日本国を覆うメディアという名の風土病と言えるかもしれません。
この病気に抗体をもたない人びとをヤマト民族と呼ぶのかもしれません。

あるいは、機能的には国家統合のお祭りでしょうか。
刑事裁判においては、結審前に「ギルティ」が宣告され、集団リンチ的スクラムにおいて実質的に刑が執行されていきます。
糾弾・憤慨とカタルシスの抱き合わせで、「推定有罪」の祭りが日々繰り返され、そして本日も進行中です。

ある意味で、これはヤマト民族の駆動原理でもあるのでしょうか。
かつて「鬼畜米英」の時代にも同じ風土病が国土を覆い尽くしました。

確実なのは、この病気が巨大な収益モデルにおいて利用されているということです。
「いけにえのヤギ」はいつも必要とされています。
ただ昔とちがって、それを捧げるべき崇高なる存在は現在はどこにもいません。
いるとすれば「当月の売上伝票」(成績)がそれに当たるでしょう。

キャリア―(メディア)といっても、街で会えばみなさんいい人で、
普通に親切で、KYではないことに矜持ももっておられる。
「ジャスティス」と「ニュートラル」の看板の下で日々の精励に忙しい。
風土病に罹りやすさにおいては同じヤマトの人たちでありましょう。

この風土病に例外的に「抗体」をもつ「小沢」という人物が放逐されました。
その結果、風土病を克服するワクチンを当分の間は入手できないということでしょうか。
そうでもないかもしれない、というのが差し当たりの希望です。

ところで「和歌山毒物カレー事件はあまりにもセンセーショナルな事件であったため、このような問題点を指摘する人はあまりいなかった。だが、私はあえて問題提起したい。この判決は問題ありだ。」と述べられた田原氏は、その後どのように仕事を展開されているのでしょうか。
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2009 絶対速度

2009-05-09 | Weblog
まなざしが交叉して電撃が走り
なにかが壊れ
なにかが点火する

押し寄せる情動の高波に耐え切れずに
こころは結界を破られる

「ああ」

それは愛なのか憎悪なのか
正体を確かめるまえに
あなたには届いていたでしょう

エネルギーの凝集において
愛も憎悪も一つの感化にほかならなかった

求めることにおいて
求めないことにおいて
亢進する心臓の拍動は同じ強度を刻んだ

あなたをいま照らすものが
愛なのか憎しみなのか

こころは気づくより早く
新たな結界を生き始めていた

あなたは愛を決断して愛することはできない
あなたは憎悪を企画して憎悪することはできない

あなたの心臓に近接した場所に
あなたの生の前線があり
それは絶対速度において
あなたの現在を照らしていた

善人ぶろうが悪人ぶろうが
知ったかぶろうが何だろうが
あなたは決してあなたの前線を追い越すことはできず
あなたはそれを追いかけることだけができた

あなたという存在はあなたの生の前線から
あなたにおいて事後的に抽出され
あなたの思惑をこえてあなた自身を生き抜いていた 

聞こえるのは頌歌なのか悲歌なのか
未来へ向かうのか過去へ向かうのか 
欲望としてかあるいは献身としてか
ほんとうは
あなたはそれについて答える必要がなかった

あなたはいつも生の前線からあなた自身を告げられ
すべての時制が織り上げる未決の現在へ誘われていた

そこがあなたの世界への着生を告げる唯一の場所であり
あなたの生存の可能性と危機が同時に開かれる
新たな結界への入り口にほかならなかった



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