ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「自転車に乗れた」

2017-08-29 | Weblog


 聴こえるかぎり、見えるかぎり、触れるかぎりの〈世界〉の内部で自足するとき、
 「非知」とつながる野蛮さが失われる。

 わかることの位相にすべてを収納しようとすると、
 わからないことのわからなさが消えていく。

 不確実性。未規定性。でたらめさ。ランダムネス──
 それらを糧として、それらをめがけるようないとなみがある。

 むしろそれらが不安やおそれをみちびかず、
 ポジティブなシグナルをまとう作動がある。

 試行錯誤──内なる「コール&レスポンス」が動いている状態。
 失敗の連続によって変化し前進の手がかりを獲得している経験のモードがある。

 ある瞬間、解体が同時に生成であるように、
 フォーメーションが変化する。

 因-果のルールを蹴破って「無から有が生じる」ように、
 いきなり不連続なジャンプが起こる。

〈世界〉を構成するすべての記号が意味を変化させ、
〈世界〉の変化と相即して「非知のフォーメーション」へとまるごと転位する。

「自転車に乗れた!」

 

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ハンティング

2017-08-19 | Weblog

               https://www.youtube.com/watch?v=ovd3v0CPXJA


     *

システムは拡張可能性のアバンチュールを幻視し、
応答のパルスを明滅させつづけている。

コード群の拘束を条件として受容し生きながら、
脱コードのハイパーリンクを伸ばすハンティング。

応答する存在と非在への予期においてプレーは起動し、
予期は全履歴の決済として新たなランデブーへ赴かせる。

プレー空間には接続を解かれたエネルギーが輪舞し、
新たな結合パターンがぞくぞくと自生していく。

     *

プレーの進行が世界のランドスケープを変幻させ、
生成するfeelが新たなコマンドを走らせていく。

内部観測と外部観測は相互に照らし合い、
交わる光のハレーションになにかが兆す。

「かくありき」から「かくありうる」へ。
虚無と諦念はある地点で刹那に破られる。

サーチエンジンは万象を走査しながら、
エロス的光源をハンティングしつづけていく。

非知のスコープとシンタックスが次々と生成し、
ランダムな情報を包囲し新たな結合パターンと遭遇する。

シグナルの無限連結が偶発的な転移を用意し、
エロスの奔流は超出への「窓」を開いていく。

奏でなければ開かれない位相があり、
開かれなければ奏でられない旋律がある。

エモーショナルな走査線が風景を走り抜け、
一回的フォーメーションが連続的に展開していく。

新たなランデブーの地平線が開かれるとき、
システムには光度が増していく。

システムは状態遷移の流動にみずからを晒しながら、
未踏の均衡点を際限なくめがけていく。

応答され応答するものの属性において、
巡航速度はキープされなければならない。

  *

システムは審議をはじめるより早くfeelに染まり、
プレーに先行して色づけられた環境世界と遭遇している。

環境は多次元のテクスチャーとして姿を現わし、
センサーとプレーの協働が連続的に地と図を析出していく。

環境のランダムな要素群の流動から生存は獲得され、
環境のランダムな流動において生存はキープされる。

コンテクストにコンテクストが重なるように、
自明性を破る新たなコンテクストは次々に出現している。

一貫性をキープするには変化しなくてはらない。
変化するには一貫性を放棄しなければならない。

矛盾する命題群を生き抜くために時制が幻視され、
いまここからの離脱と着地のスパイラルが作動する。

新たなシークエンスの進行を次々と告げられながら、
志向性のベクトルは回帰曲線を描きつづけている。

センサーによるコンテクストの連続的ピックアップと、
運動の持続的組織化が新たな着地点を試行していく。

まなざしを凝らす時間はかぎられている。
情動は泣き濡れて完結することができない。

時制の展開と意味は時に酷薄な構成として、
時に偶発的な祝福としてシステムを訪れる。


      *

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アトラクター

2017-08-06 | Weblog

        https://www.youtube.com/watch?v=pL1wtqSrr-w


ひかり、いろ、かげ──

サイエンスのまなざしにとってはそうでしかありえないものが、
それより早く、動かしがたい誘因として、うつくしい〝風景〟の一撃として、
固有の心的体験として、わたしにとっての「この世界」が現象しているということ。

むしろ、ひかり・いろ・かげという要素に還元するサイエンスの「始発点」に、
世界の訪れという端的な心の体験が現象しているということ。

音素、振動、波──

物理的な現象として還元すればそのように記述されるものが、
そうした記述を可能にする始原的な心的体験として、
一つの魅了として、〝音楽〟が現象しているということ。

はじめに〝風景〟や〝音楽〟(「この世界」)との邂逅が心的に現象してのちに、
そのことを原的な資源としてさまざまな記述(というわたしの動機)が立ち上がっていく。

***

由来を問うまえに、なぜか意味と価値(アトラクター)の生成が現象する心的構造があり、
「(わたしにとっての)世界」というランドスケープがわたしにおいて開かれていく。

これらの始原的な現象を一次過程と呼べば、
いわば「ひかり・いろ・かげ/音素・振動・波」の構成として記述する二次の過程が後続する。

一次過程の受け止め、解釈、説明、評価、その交換プロセスとしての二次過程。
さらに、二次過程の展開の総体としての「社会」という項の実践的な構成。

一次過程から二次過程へ向かうとき、心的体験はある固有の交換式をくぐりぬける。
このわたしとあなたをつなぐ(と信じられた)交換式は、
交換を可能にするもの(と信じられた)、「変換・翻訳・マッピング」を制御するコードが担っている。

一次過程というエピソードそのものではなく、それぞれのエピソードを記述し、
そこからあらゆる関係(交換)のゲームを可能にしている(と信じられた)〝変換コード〟。

関係(交換)のゲームを貫くこの明示されざるコードのあり方によって、
関係の実践的展開は、たとえば「闘争」あるいは「共存」という二極を分岐させる。

***

変換コード。いいかえると、魅了の形式で示されるさまざまな、それぞれにとってのアトラクター。
一次と二次の循環的構造のなかで、遷移のポテンシャルを秘めたアトラクター。

 

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