ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「メッセージ」20240531

2024-05-31 | Weblog

 

 

生きるコンテクストを異にする者同士の信念対立、不和、抗争
解消へ向かうことばは各々のコンテクスト内部に見出すことはできない

(外部の感知、それは親和空間への耽溺の自覚からはじまる)

心がそれ見出そうと願うなら探索すべき場所はここにはなく
コンテクストのクラス(集合)を捉えるメタビジョンを必要とする

(それを変節という輩もいるだろう)

どれほど皮肉っても、毒づいても、こき下ろしても
自明性に依ったことばを吐いても敵は一ミリも変化しない

むしろ自己強化のネタを差し出すことになる

身内同士や同朋同士そこで和気藹々面白可笑しく一杯やれるかもしれない
しかし覚えておいたほうがいい
それが本質的な連帯には役立つわけではないんだぜ

歴史を見れば明らかだ、同じことのリフレインしかない
お得意のことば、薄っぺらとはまさにそうことさ

つまり、思考を深め展開するには栄養価ゼロの言説空間にすぎない
そのことを知って第一歩を踏み出すにはずいぶん遠い場所だぜ

 

 

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「主題の蒸発」202405031

2024-05-31 | 参照

 

 

 ──中井久夫「精神科医からみた学校精神衛生」

 人に話すとみるみる楽になる。
   しかし、それは心の中であたため反応させてしかるべきものを
 水に流したからで、いわば当然なのだ。

 相談し合う、批判を仰ぐ、という大義名分のもとに、
 治療の際に生まれる疑問や仮説をもちとおす緊張を解除しようとしたり、
 あるいはもっと安易な自己満足すなわち自己の努力あるいは
 その〝成果〟の同僚による是認肯定を求めると、
   なるほど医者の精神衛生は一時良くなるだろうが、
 治療の気が抜けるという〝副作用〟の比重の方が大きいと私は思う。

 

 

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「実存──自明性の解除」20240530

2024-05-30 | 参照

                       Keith Jarrett # Sun Bear Concerts (1976) Osaka # part 1 (youtube.com)

 

  ──竹田青嗣『欲望論』(第一巻、p370)

  意識生としての生き物が、「対象」をもつとは、いわば存在の即自性が、
  懸隔として超えられるべき時間と距離の出現において消滅し、
  そこに一つの存在論的裂け目が現われ出ることを意味する。
  実存とはたえずこの懸隔をまたぎ越す可能性であり、
  存在の直接性があらゆる媒介項へと転じることであり、
  それが「意味」の意味(本質)である。

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「心的展開、感性と思考」20240529

2024-05-29 | Weblog

 

 

心的な展開の基本構成──

感じることと考えること
いいかえると、感性と思考

感じることははやく
考えることはおそい

この原理的なタイムラグにおいて二極が配置され
二極間の循環的な放電として心的営みが現象する

二極それぞれの独立性が保たれてはじめて
放電は連続し、十全な展開へ向かうことができる

感性と思考がスキマなく直列するとき
二極間の放電は消え、その創発的契機は失われていく

 

 

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「失恋」20240528(20230520)

2024-05-28 | Weblog

                                    とまどうペリカン 井上陽水 (youtube.com)

 

 

世界は開かれ、変幻し
そのつどの色づきにおいて姿を現わす

あけそめに妖しく
たそがれに枯れてゆく

望むこと、望むはずのないこと
第一の地平をおしえる峻厳なる告知

だれのせいでもない
すべては内なるBackstageのしわざ

    *

馴染みの店がつぶれ
跡かたなく消えている
ある日突然、行き先を失う

切断のラインが世界に走り
情動が散乱し、決壊する
受け止める容器はない

ありえない連結解除

両立不可能な過去と現在
経験を時間化して展開する道が消える

歩むべきルートが土砂に埋まり
引き返す場所も見失われる

ループする心の先端は着地の場所を見出せない
あたりまえの地面が瓦解して宙に舞う

未来によって埋めるしかない
しかしその未来はどこにもない

身をよじるほかない
正気を失う道だけが開かれている

現在地を離れ新たな地平向かう?
一体どこへ?

読みかえる方法はない
味わいつくす以外なにごともない

世界は少しも変化していない
にもかかわらず根本的な意味崩壊に呑み込まれていく

 

 

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「心的スペース」202527(20220526)

2024-05-27 | Weblog

 

 

「法の正当性」を根拠づけるものは法には内在しない

法の正当性を検証し、なんらかの修正を導く拠点は法の外にある
法内部に留まれば法の正当性は自明なものとして不問に付され
ただ内部における命令と遂行、侵犯の処罰だけが展開する

法が法として「妥当する/妥当しない」という視線は法の外にある

おなじく、ある社会体の本質を問う視線は社会体には内在しない
関係のゲームが「生きるに値する/生きるに値しない」という視線
この視線は社会体がいとなむゲームの外から訪れる

内部に居ながら内部に包摂されない外部の視線が生きる拠点──
この心的スペースを失うとすべてはゲーム内の出来事として推移する
同時に、ゲームを照らし、ゲームに修正を導く視線も消える

 

 

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「刹那の瞬き」20240526

2024-05-26 | Weblog

 

 


見当らない「あたたかい沈黙」
埋め尽くす「つめたい喧噪」

指定され、配置され、配列された
うごかせないこの世への着生にあって

孤独が孤独を見つけてすれちがう刹那

すこしだけこの世への着生がゆるみ
天使が羽ばたきして小さくウインクする
そんな、ありそうもない瞬きの時がある

忘れないでいよう
そこに唇を向け、見逃さないで生きる心がいる

 

*参:S.ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』田辺・杉山訳

 

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「返信、20240525」

2024-05-25 | Weblog

 

 


初夏を感じる気候になりました。
ご連絡、ありがとうございます。
本当に久しぶりの合流、楽しみです。
セッティングに感謝です。
Fくんに加わっていただければ、
一層ステキな会になると思います……
六本松、箱崎、いろいろよみがえることが
あるかも、そんな予感を連れて伺います。

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「夢見るときも」20240525

2024-05-25 | Weblog

                           とまどうペリカン 井上陽水 (youtube.com)

 

 


だまされるおバカさんがいても
かりそめの幸いに誘惑されても

じぶんさえだますようにして
わかったふりはおやめなさい

そうして手にするものはまぼろし
ほろびの途に入る毒のまぼろし

わかったふりで壊してしてしまわないように

わからないことをわからないままに
そうしてそこから芽吹くものを待つように

そっとそのままにして
大切に保つほかない大切なものとして

 

 

 

 

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「道徳と一般的功利」20240523

2024-05-24 | 参照

 

 

──竹田青嗣『人間的自由の条件』(第二章 絶対知と欲望)


ミルの言う社会「全体の利益」とは、社会の「理想状態」を意味するのではなく、
各人の個的な「自由」が最大限うまく調整しあっているような
社会状態ということを意味する。

ミルは「道徳」を、万人に「すべての善を要求する権利」とするような
カント的道徳観念をつねに批判した。

道徳の根拠を、理想理念から切り離して
社会的な「一般的功利」に基礎づけるミルの思考には、本質的な正当性がある。

(カント的な)人間あるいは社会は「かくあるべし」という理想理念は、
世界と人間が「善」なる状態になるべしという
「道徳的意識」の本性から現われており、そして必ず任意の多数性をもつ。
そのためどれも自己の優位性を自らの原理からは証明できないのである。

 

 

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「She said] 20240523(20240409)

2024-05-23 | Weblog

 

 

マジメな向上心をうたがうわけじゃないよ
おとといおいでなんていわないわ
冷笑を浴びせて楽しむなんてシケた趣味はないの

ただね、余計なお世話ってわかってるけどさ

知的、そんなことばに舞い上がる田吾作くん
知的に上昇したつもりになったらおしまいだよ
正義とか、真理とか、本質とか
薄っぺらとか濃厚とか、たわ言はやめなさい

はじめに掲げた看板に居ついたままじゃどこへも行けないよ

そこんところは完全に修正したほうがいいな
放置したままじゃよろしくないよ、おバカさん

ほんとうにモノを考えるって比較級じゃありません
どんだけ周りがおバカさんだらけでも加点はないよ
学校のペーパーテストじゃないんだからね
努力賞も、敢闘賞も、殊勲賞も、一等賞もありません

「真理は醜い」(ニーチェ)ってどんな意味かわかる?

心にたぎる血を抜き取るもの、それが真理(行き止まり)、
ほんとはさ、真理も一つの通過点でしかない展開エリアがあるわけ

小さな陣地戦すべてを包括するもの
この仮構された表象がその入口をつくる

好き嫌い、えり好み、している場合じゃないよ
やりかたはたったひとつ

知者も愚者も、一番もビリも、あれもこれも、すべて混ぜ合わせる
光も影も、花も毒も、正義も悪も、真も偽も、なんでもかんでも
魔女がするように丸ごと投げ込む煮込み用の鍋を用意する

つまり世界鍋を用意してすべて投げ込んでグツグツ煮詰めていく
なにひとつ材料の取りこぼしのないようにね
だれかがあつらえたのじゃなくて自前の鍋を使ってね

それでどうするのかって?

かんたんじゃないけど目的はシンプルなことだよ
きちんと手順を踏んで命が萌え立つエロス(美)を抽出する

わけがわからなくても一度試してみて!ウインクを贈ります

 

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「展開の空」20240522

2024-05-22 | Weblog

 

 


「あなたはわたしの興味をひかない」という言葉には、
ある残酷な行為をおかし正義を傷つけることなくしては、
ある人間が他の人間に話しかけることができないようなものがある。

    (シモーヌ・ヴェイユ「人格と聖なるもの」田辺・杉山訳)


意識的にか、無意識的にか、混じりあうようにか
予測できない展開の空には意味のクラウドが浮かび
かぞえきれないメッセージが舞っている

そしてそのままで終わることはまれである
人間の文法、関係のレシピに従って必ず句点読点が入る

展開を決する底を打つことばがあって
そこだけ切り取って受け取れば完結へ向かう

そうするたしかな理由がある
内的必然、そのことを疑うことはできない

そしてこの疑えなさをふたたび
人間の文法をほどくように、展開の空へ返す

なぜか

そこにはもう一つ
完結のレシピをしりぞける内的必然がある

 

 

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「こども」20240521(20240310)

2024-05-21 | Weblog

 

 


 子供たちは、我々以上に、表層の生活と深層の生活とを合わせ持っているものだ。
 表層の生活はごく単純だ。なにがしかの規律で片がつく。
 だが、この世に送り出された子供の深層の生活は、
 創られたばかりの世界が奏でる不協和音の調べだ。
 子供は一日また一日と、地上の悲しさ美しさをひとつ残らず、
 その世界に納めていかねばならぬ。それは内なる生命が払う巨大な労苦なのだ。

         (L=F・セリーヌ『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』菅谷暁訳)

         *

知らないことを罪(恥)の意識で満たしてはならない
知らないことを「ウィ Oui」のシグナルで迎える
少しだけ多く知をもったオトナが負う務めがある

ことばにすれば一つ
どんなかたちでもいい

ヴェイユが〝聖〟を帯びたものとして語ったもの
だれもがそれを求め糧として生きているもの

le hommage 敬意

未だそれを与えることを知らない存在へ
みずから一番受け取りたいものでもてなす

 

 

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「シモーヌ・ヴェイユ、1909~1943」

2024-05-21 | 参照

 

 


試験は学齢期の青少年にたいして、小銭が出来高払いの労働者に植えつけるのと
おなじ強迫観念を植えつける。自分は小学校教師になれる頭がなかったから
農民でいるという思いを胸に農民が大地をたがやすとき、
社会の組織は深いところで病んでいる。
             (『根をもつこと』1943年/冨原訳)


この痛ましい事態の原因はあきらかだ。
われわれはなにもかもが人間の尺度にあわない世界に生きている。
人間の肉体、人間の精神、現実に人間の生の基本要因を構成する事物、
これら三者のあいだにおぞましい不釣り合いが介在する。いっさいが均衡を欠く。
より原始的な生をいとなむ孤立した小集団ならともかく、
互いを食らいつくすこの不均衡をまぬかれるような、
人間の範疇(カテゴリー)や集団や階級は存在しない。
そして、このような世界で育った若者や育ちつつある若者は、
他の人びと以上に周囲の混沌をおのれの内部に反映する。
             (『自由と社会的抑圧』1934年/冨原訳)

 

 

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「外の光」20240520

2024-05-20 | Weblog

 

 

ちがい、ずれ、異和、矛盾、齟齬、対立

そうではないものに出会って
はじめて照らし出される

みずから輪郭を定めることはできない
そうする動機も生まれない

それはちがうということを示され
はじめて明らかになる

ただ訪れる外の光に触発されるかぎりにおいて
そうではなく生きているおのれの姿が照らし出される

 

 

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