生きるコンテクストを異にする者同士の信念対立、不和、抗争
解消へ向かうことばは各々のコンテクスト内部に見出すことはできない
(外部の感知、それは親和空間への耽溺の自覚からはじまる)
心がそれ見出そうと願うなら探索すべき場所はここにはなく
コンテクストのクラス(集合)を捉えるメタビジョンを必要とする
(それを変節という輩もいるだろう)
どれほど皮肉っても、毒づいても、こき下ろしても
自明性に依ったことばを吐いても敵は一ミリも変化しない
むしろ自己強化のネタを差し出すことになる
身内同士や同朋同士そこで和気藹々面白可笑しく一杯やれるかもしれない
しかし覚えておいたほうがいい
それが本質的な連帯には役立つわけではないんだぜ
歴史を見れば明らかだ、同じことのリフレインしかない
お得意のことば、薄っぺらとはまさにそうことさ
つまり、思考を深め展開するには栄養価ゼロの言説空間にすぎない
そのことを知って第一歩を踏み出すにはずいぶん遠い場所だぜ