(安冨歩『複雑さを生きるー柔らかな制御』2006年岩波)
ある種のカオスにノイズを加えることで、秩序を創り出すことができるという観察が知られている。
「ノイズがある」ということは、カオスになんらかの「外部」が接続されている、ということであり、カオス単独の場合よりシステムは複雑になっている。
ところが、カオス単独の場合よりも、「カオス+外部」という、より複雑な場合の方に、より高い秩序が見られるのである(津田一郎、1996)
非線型性を持つ要素同士を相互作用させると、逆に高次のレベルで、操作しやすい部分があらわれるという予想を述べることが可能ではないか……。このような制御のあり方を「やわらかな制御」と呼ぶことにする。
人間は実行不可能と思われるような複雑な操作を実現するために、自らのシステムの中の複雑さを利用する、という手法を用いているのではないか。
対象とすべきシステム(投手の場合はボールの流体力学的複雑さ)を制御するには、身体の非常に多くの部分を参加させて複雑なシステムを用意し、これを対象システムに接合し、複雑さをさらに高くすることで、そこに安定的なダイナミクスを創り出している、と。
(コーチと選手の場合)
双方向にコミュニケートするなかで、ひとつの複雑なシステムが構築され、そのなかでコーチングという現象が立ち現われるような力学が構成されることで実現される。……コミュニケーションの構成するコンテキストのなかで、単純なコマンドが意味を持つ形で立ち現われることで、操作可能性が見えるのである。
(「共生的価値創出」→個々に内部的複雑さをもつ主体の相互接続)
働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう1つのシステムとして認識しようとする姿勢。……
これを実現するには、ある場面において利用可能な資源を、並列に検討することから始めるべきであり、目的を定めるところから始めてはならない。
両者にある資源を、並列の関係で考え、……どのように接続して新しい価値を創り出すかが問題となる。
コーチによるメソッドの強要は選手の動きをぎこちなくする……。
「コミュニケーションの活性」「動的な過程がうごき出すような接続関係」へ。
ある種のカオスにノイズを加えることで、秩序を創り出すことができるという観察が知られている。
「ノイズがある」ということは、カオスになんらかの「外部」が接続されている、ということであり、カオス単独の場合よりシステムは複雑になっている。
ところが、カオス単独の場合よりも、「カオス+外部」という、より複雑な場合の方に、より高い秩序が見られるのである(津田一郎、1996)
非線型性を持つ要素同士を相互作用させると、逆に高次のレベルで、操作しやすい部分があらわれるという予想を述べることが可能ではないか……。このような制御のあり方を「やわらかな制御」と呼ぶことにする。
人間は実行不可能と思われるような複雑な操作を実現するために、自らのシステムの中の複雑さを利用する、という手法を用いているのではないか。
対象とすべきシステム(投手の場合はボールの流体力学的複雑さ)を制御するには、身体の非常に多くの部分を参加させて複雑なシステムを用意し、これを対象システムに接合し、複雑さをさらに高くすることで、そこに安定的なダイナミクスを創り出している、と。
(コーチと選手の場合)
双方向にコミュニケートするなかで、ひとつの複雑なシステムが構築され、そのなかでコーチングという現象が立ち現われるような力学が構成されることで実現される。……コミュニケーションの構成するコンテキストのなかで、単純なコマンドが意味を持つ形で立ち現われることで、操作可能性が見えるのである。
(「共生的価値創出」→個々に内部的複雑さをもつ主体の相互接続)
働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう1つのシステムとして認識しようとする姿勢。……
これを実現するには、ある場面において利用可能な資源を、並列に検討することから始めるべきであり、目的を定めるところから始めてはならない。
両者にある資源を、並列の関係で考え、……どのように接続して新しい価値を創り出すかが問題となる。
コーチによるメソッドの強要は選手の動きをぎこちなくする……。
「コミュニケーションの活性」「動的な過程がうごき出すような接続関係」へ。