ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

変わりゆく空(2006/2015)

2015-10-30 | Weblog


みずからの経験が失われてしまわないように、
心は言葉という公理系の外にくちびるを向ける──

エリアX。それが何かは本当はわからない。

オレたちがほんとうに望んだものを見ることはできないけれど、
望んだものから遠ざかっていくという
空を切るようなオレたちの〈経験〉はいまも鮮やかだ

聴かれないかぎり、奏でられない音楽がある
聴かれないかぎり、永遠に顕現しない無音の旋律がある


〝非知の音楽〟は永遠に顕現しないかもしれない
しかしソレをめがけるオレたちの経験のモードは
永遠に失われることはないだろう

公理系の生成。
それは永遠に顕現しないものに対する試行
オレたちの総がかりの試行の結果でもある

一つの公理系がオレたちの経験を滅ぼすものあるとき
エリアXはオレたちに「戦士」であることを要請する

   *

いま、透明な神殿を戴くエリアXには
猛烈な解体の嵐が吹き荒んでいる

神殿を取り巻く有象無象は祭司や神民として連なり
巨大な伽藍の運営にあらん限りの精励を尽くす

酷薄な眩惑と誘引に満ちたその大伽藍が
絶滅のエロスに輝くオレたちの故郷だ

   *

変わりゆく空の下で
どんな残照も消し去るように
解体の嵐は巨大な渦巻きとなって
最後の光芒へ向かって日々拡大している

神殿の更新スピードは加速し
 オレたちが記憶し制御する速度を陵駕しながら
新たなコードがぞくぞくと名乗りを上げていく

神民においては無意識へと撤退することは許されない
 どんな苛酷に出会っても
 どんな陶酔に出会っても
 ただ、強いられた覚醒を生きることができるだけである

   *

キミには信じられないかもしれないが
 オレたちはみずから望んで表層を疾走し
 われにもあらず深層には寂滅の光景を広げている

抱かれた希望や夢や善意は
惑星を一周めぐると悪夢に変わっているかもしれない

求められた平安や礼節が殺戮や拷問を準備することもある
理想がたどる道は絶滅へ通じているかもしれない

 もっと遠くへとまなざしを凝らしたオレたちは
地上の幸福を酷薄に見捨てる可能性もあった

   *

めざすべき達成はいつも眼前にぶら下がり
 それが本当に望まれたものかどうかはわからないが
神殿を埋め尽した果実たちは
永遠の憧れにも等しくオレたちを眩惑し続けている

加担することなく加担し
悪意することなく悪意し
共犯することなく共犯し

一切は推定無罪の裁定において
善き心の蝟集とその帰結において
絶滅への驀走を暗示している

  *

 巨大な渦巻きはすでに最後の光芒に放つように
 オレたちの街の風景を煉獄として照らし出し
 エリアXは限界をこえた煩悶に身を捩っている

状況は想像を絶しているが
零れる闇の正体は不明だが
 すべては必然の途上にあるように嵐は拡大している

 *

オレたちが生息する惑星において
 どの時代も生存の厳しさは等しく人間を包むが
苦悩と慰安はいつも破格のバリエーションにおいて現われる

 オレたちの経験は感慨を結ぶ前にゴミ化し
燃えるものと燃えないものに分別される前に
正体の知れない回収車に投げ入れられる

 むごたらしくも懐かしい記憶は寂滅に染まり
 あの空を満たした感情は虫の息のまま焼かれていくが
速やかに酩酊とエクスタシーが接続される

風景は鮮やかにクリーンアップされ
 ただ、オレたちの生存を祝福するように
祝祭のトランスだけが持続していく

   *

エリアXとは何か
 オレたちの勇気と悲しみと孤独を駆動した
一度も語られたことのない最後の圏域だ

   *

キミには見えないかもしれないが
 なにもないあの空の下には神がいる
君臨する神は仮称的にMと呼ばれる

Mは命令しない
威圧も脅迫も教唆もない
 ウルトラの戒律において
 ただ、決済する

腕を捩じ上げる理不尽な暴力も
忍従を強いる地獄のエージェントも存在しない
 ただ、自動化された神民の精励が持続しているだけだ

   *

 「どこかにあると信じていた?」

    *

いつからかオレたちの儚い夢は
巨大なMの視覚の中心に向かって吸い込まれ
粉砕され 原形を失い 攪拌されながら
次なる再結合のマテリアルへと変換されていく

至るところにうず高く積まれた瓦礫は
新たな生成の回路へ向けて待機の状態に入っていく
 この循環のスピードは猛烈に加速している

順番を待つ瓦礫は数え切れないから
渦巻きが回転するための調達コストは限りなくゼロに近い

滅ぼす力は同時に生成の栄光を讃えられ
 みずからとみずからに関係する数多の血族に対する
蹂躙と殲滅の軌跡が同時に希望へと接続される

汲みつくせない希望の泉はどこか
 オレたちの絶望や辛苦はあの空の向こう側で
永遠に正体を現わさないMへの憧れに変換されていく

   *

Mの戒律は神民の日常にくまなく遍在し
戒律することなく戒律し
断罪することなく断罪しながら
Mの大御心の太っ腹の裁定において
一切はなかったことにされて不問に付される

周到に準備された世界創出のイメージがあるわけではない
回帰すべき過去が祭壇を飾るわけでもない
 ただ、内部調達されたエネルギーが前方へと直列されていく

妙なる媚薬は惜しみなく伽藍に振り撒かれ
猛烈な解体と再結合の目のくらむような循環のサイクルが
絶滅のオーガズムめがけて驀進していく

背信と異端と瀆神に向かっては
容赦なく排除と駆除のメカニズムが作動し
速やかにリサイクルの方策が手当てされる

   *

 「いま、キミはどこにいるのだろう」

    *

なにもない空の向こうに心は深く交わり
赤く染まる時間を悲しく受け入れながら
 オレたちは投げる言葉をもたなかった

 オレたちが感慨を結ぶより先に季節は移ろい
流れる雲はいつの間にかオレたちを追い抜いていった

   *

 定位された日常のプログラムの進行は厳格である
厳格であるが柔軟である
柔軟であるが酷薄である

 オレたちはいつも吹きさらしの中で
指定されたやすらいの場所でやすらい
指定された方法で疲れた情動を慰撫する

自動化された祭司と神民の生活は決して外部を教えない
Mの準則に殉じる神臣という自覚もなく
神殿の巨大な伽藍の内側で虫のような生涯を閉じていく

   *

神意は偉大である
オレたちのエネルギーの回路は制御されるが
それは明示された託宣に従うからではない
神意はただ忖度され、ただ自発の従属が調達される

神殿を埋め尽くす万能の媚薬は霧となり
普遍の駆動装置と慰安装置が同時に作動させている

神殿に連なることごとくは
Mの決済へ向けて組織され
強制された覚醒の最大化を促すように
決済のオノは打ち下ろされ
 オレたちは新たな物神の創出へ向けて蝟集していく

   *

かくしてエリアXは惑星の運航に従うがごとく
限りなく物理に接近し

惑星の四季は大御心のままに
生誕から消滅へ向かう営為の一切が
システム化されたエネルギーの波動に准じていく

惑星を貫通する神殿の力動においては
滅ぼすチカラも生かすチカラも巨大である

あらゆる現象はリミッターを振り切り
偉大さもバカさ加減も度をこえて増幅される

増幅メカニズムにおいて
理想化された生存のカタチは不在だが
逸脱のボーダーだけは確定されている

Mの裁定に黙示の時は示されないが
 そして最後の時は永遠にやってこないが
最後の時はいつかどこかで
 オレたちの永遠の憧れへと転位するかもしれなかった

神殿に刻まれた準則はシンプルである
──無からは有は生じない──

   *

聴かれないかぎり、奏でられない音楽がある
聴かれないかぎり、永遠に奏でられない無音の旋律がある

〝非知の経験〟とともに歩むときだけ
オレたちの生は色めきたち、この空に透明な華やぎをもたらす

──無から有が生じる──

エリアXは公理系の外にある

   *

 「私のこと忘れないでね」
    
    *

 「もちろん」

    *

 「ありがとう」
   
    *

 「ありがとう」

 

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「おかえりなさい」

2015-10-21 | Weblog


「おかえりなさい」

たったそれだけのことに

一つのカタチが与えられ

こころの新しいカタチが

インフォームされる

 

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「感情、feel」、セルフ・プレゼンテーション 

2015-10-17 | Weblog


欲望そのものを対象化して取り出すことはできない。
それ自体が〝わたし〟の基底なのだから。

しかし欲望本体ではなく、その現われ、痕跡を追尾する手がかりはある。
それは、本体の発火という現象、「感情、feel」の作動において現われている。

「感情、feelが動くとき、そこにある種のプレゼンテーションが起きている、ともいえる。
〝それがまさしく実存の核心にあるもの=欲望の一端である〟ということ、
そのことを告げ知らせるメッセージとして「感情、feel」を受けとめ、モニターすることはできる。

…………

それは多くは、あるいはすべて「関係」にかかわるものである。
〈世界〉(他者)と〈自己〉との関係のパターン。

〈世界〉と〈自己〉を結び合わせている〝わたし〟に固有の関係パターン。
みずからが採用し、それに基づいて〈世界〉(という地図)を描いている関係のパターン。

そして、そのものの実践的な帰結に対する自己評価の装置として、
日々起動しつづける「感情、feel」。

欲望がもたらしている帰結に対する自己応答、
セルフ・プレゼンテーションとして「感情、feel」をとらえることができるか。

 

そのためには「エポケー」を可能にする〈別の何か something〉を必要とする。


 

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【関係式(結び合わせるパターン)】

2015-10-10 | 用語


たとえば官・メディアの国民観は依然として、あやしの対象、操作の対象、調教の対象、
そして、しばしば道具的な利用対象である。

官・メディアのさまざまな言説・行動を貫いている〝見下ろしの視線〟は、
「悪」とされる側の恣意性から一方的に生まれているわけではない。

一方には、国民の側に官・メディアを対象化し返すチカラのなさ、
あるいは対象化し返すチカラの放棄がそのことを許している、という「関係式」と全体の構造がある。

あらゆる関係パターンは、関係の相互性から生成する。

関係の相互性の〝根〟には、いつかそうする側に立つことが一つの「ゴール」である、
といった広く共有され、深くハード・プログラムされた「価値」が存在する。

心的に埋め込まれた「価値」が、それをめがけるあらゆる諸細目(言・動)を、
一定の方向に意味づけ、回路づけていく。

この関係式は、「カミ-ヒト」「先生-生徒」の関係パターンと相同的である。
ここには「教え-教わる」「指令し-指令される」「評価し-評価される」、
という一方向的な情報伝達の回路と情報享受の作法が存在する。

こうした各要素の相補的な階層的区分からなる全体=関係秩序のなかで、
あらゆる活動はこの秩序内に収まるように、みずからをチューニングしている。

関係パターンは、一国の政治・文化・ビジネスのすべて、すべての党派をこえて、
日常のあらゆる場面を包括するようにハード・プログラムされている。

あらたな関係秩序が見出されないかぎり、
関係パターンは維持され、再生(アウトプット)されつづけていく。

 

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