ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「デモクラシー」

2015-09-26 | Weblog


民主主義を必要としない、民主主義が邪魔でもあり、
民主主義を敵視するあるような生存のフォーマットがある。

フォーマットの採用不採用は、いまだ大いなる蓋然性に委ねられている。

民主主義の内部にも民主主義的世界を維持するために、
いまも非民主主義的特性をもつ無数の組織が埋め込まれている。

軍隊組織の機能的要請は民主主義の方法の留保を求める。
企業組織の機能的要請は脱人間化を求めるものでもありうる。

キリストとおぼしき人物と対決する大審問官(ドフトエフスキー)は、
民主主義の本質を理解し尽すように見えながらその有効性を却下する。

個を基礎単位とする民主主義の合意を調達プロセスには時間とコストがかかる。
この「時間とコスト」と「生存の機能的要請」を天秤にかけるとき、
民主主義を棄却する判断が下される可能性は低くないままである。

このとき合意を調達するプロセスは「負債」と記述される。

合意を調達するプロセスがある種の「生の資産」、
あるいは「生の歓び」の条件として認知されるとき、
民主主義を敵とみるフォーマットに却下される可能性が生まれる。

 


 

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「経験としての世界」2015、9.11

2015-09-11 | Weblog


   「いま再生を内包していないものはこれからも再生しえない」
              (吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』)

   「いまここにあるこの刻(とき)の行動の中に、どのような彼方も先取りされてあるのだ」
                               (見田宗介『宮沢賢治』)


 既読と未読──世界を織り上げる二つの位相。
 存在と非在──創発を織り上げる二つの起源。

 予期。非在は予期(ありうる)において力動を生成し、
 無から有へ至る創発のプロセスを見出す。
 
 無明の闇につつまれるとき、〝遠いともだち〟が呼ばれる。
 いつか、どこかで、出会われると信じられた不在の「よき存在」。
 いつかそこに生成するいまだここにない非在の関係、そして〝非在のわたし〟。
 
 わたしをもてなし、わたしがわたしであることを許し、
 ただ受けいれるだけではない、〝遠いともだち〟。

  いまあるわたしではなく、いまだないわたしのカタチ。
 既読の関係から未読の関係へと遷移しつづけていく世界。
 予期においてとらえられる〝世界〟のメタモルフォーゼ。

  「因果交流電燈」の光は、交わり、交わりつづけることでカクテルの光となり、
 生を照らす新たな光源が創発していく──
 その予期とともに、〝わたしの生存〟という命題が維持されていく。


 

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