ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「始発点」20171231」

2017-12-31 | Weblog

        https://www.youtube.com/watch?v=70WmQk96Btc


いま、ここで、意識のフォーカスは絞られている──

意識は「木」を見ることも「森」を見ることも「世界全体」を見ることもできる。
「宇宙全体」にも「ミクロな構造」にも向かうことができる。

意識の対象化作用──すべてみずからの「訪れとしての世界」に発している。
フォーカスされるすべての存在、思念、真理、客観、正義、
そしてフォーカスする動機そのものが〈経験としての世界〉を資源とし起源としている。

心的現象の基底、「始発点」──

それ以上たどることができない端的な所与としての〈世界〉の訪れ。
ポリフォニックな情動を帯電し、意味と価値のスペクトルを含み、
一切の作動の対象と理由が与えられる固有の経験として〈世界〉の訪れ。

対象化され外部化された「木」「森」「世界」「真理」「客観」「正義」。
そうしたものの側からの規定として世界を見るのではなく、
「始発点」として現象する心的な構造の側からの規定として、
「木」「森」「世界」「真理」「客観」「正義」をフォーカスすること。

 

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「問い」

2017-12-30 | Weblog

   https://www.youtube.com/watch?v=-q8GLfRI1IA&list=RD-q8GLfRI1IA&index=1


なぜ・なに・どうしたら──

実存──「問い」を携える未決のフォーメーション。
あらゆる「因-果」的記述にスキマを開くように作動する内的原理。

ためらい、迷い、とまどい、はじらい、はにかみ──
自己完結を拒むように現象するゆらぎのさざ波。

確定されざる自己記述、関係記述、世界記述。
一義的に収れんされざるポリフォニックな情動生起。

「最終解」を留保し、推論し、検証し、
審議に上げながら陣痛にむせぶ創発の地平。

創発の地平、問いの地平を確保することにおいて、
新たな「ありうる」(存在可能)をめがけ遷移する終わりなき企投。

すべては「非知」のことづけから始発している──

知ることより早く駆けている作動がある
知ることに先行して
知ることを促す生成があり

知ることの手前で
知ることに火を灯す
由来をたどれない始原の発火がある

つねに、すでに
いま、ここに

知として関係するよりまえに
理として解釈するよりまえに
知と理を走らせる作動があり
生成としての〈世界〉の訪れがある

知覚は動き
情動は走り
世界は開かれ

言葉はおくれて形を結ぶ

「おくれ」において動きだすことの意味と構造───
始原の発火にスキマを開く非直列的作動があり、
スキマだけに生成する予期があり、判断があり、選択があり、決定がある。

時間と空間、意味と価値──
新たなフォーメーションに向かう資源の自己内生成。

心的領域はつねに、決議保留の位相として開かれている。

   ***

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「カップリング」

2017-12-26 | Weblog

           https://www.youtube.com/watch?v=DmayB1PlaEU

 
   ──The sacred words 〝I love you〟.
     ……
     Was it too beautiful to last?


「それぞれが自己修正的に動くシステム間の連結(カップリング)の問題は、
人間の社会または生態系への適応にとって、中心的重要性を持つ。」

「ぶつかりあういくつかの存在が、複雑な学習やコミュニケーションをなしうる有機体である場合には、
それらのシステム全体は、均一状態か体系的差異化に向けていずれにしても
より単純な方向へ─急速に変化する。それはいわゆる組織化にほかならない。」 (『精神の生態学』佐藤訳)

 

      *

絶え間ない流動と波乱の気象への適応と、
慣性系のガバナンスに先んじる更新が持続している。

      *

拡張可能性を予感するリズムへの自己越境的感応があり、
再帰的感応によってカップリングの形式が決議されていく。

エントロピーが加算される風土への適応課題の一方で、
すべての交感にはエシカルな制御が同伴している。

リズムへの感応はエシカルで審美的な固有のコードに従い、
創発と廃滅が分岐するボーダーへの予期がある。

〈世界〉はシステムの越境的感応に相即して、
エシカルで審美的なスペクトラムにおいて配列される。

システムが幻視するエレガントな作動の境位があり、
未だ組織化されない作動のイメージへの誘いがある。

流動する環境は審美的スペクトラムとして分光され、
固有の一回的なランドスケープが描出されていく。

確定されざる形式において現在は未来を分泌し、
越境的感応と終わりない志向そのものを創発していく。

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「十二月の光」20171225

2017-12-25 | Weblog

                 https://www.youtube.com/watch?v=_5-pBkwyUxc


十二月の月明かりの夜空は冷たく透きとおり
今夜は途切れのないクリスタルだったから
心はどんな感情も結ぶことができなかった

刹那を刻む情動の発火が先行して
時制のコマンドは壊れ 
数えきれない昼と夜が入り混じり

呼ぶ声も応える声も 
どれが自分かわからなかった

いつかあなたといた空があり
今夜もあなたといた

もうすぐ消えようとしている灯を照らすように
病室の外の月はこんなにも綺麗に輝いていた

光が触れた情景が
永遠に保たれるものなら

空の彼方のどこか 
はるかに遠ざかりながら

あなたとぼくは
いつまでも同じ場所にいるのでしょうか

真夏の太陽の下で冷たい清流を泳ぎ回り
焼けた岩肌に腹ばいになりながら
川瀬に潜ったあなたの姿を追っていた

あなたは隆々の腕っぷしを見せつけるように
並んで泳ぐ二匹の鮎を一刺しにして銛を突き上げ
こぼれるような笑顔を投げて寄こした

青空を映した水面には
白い雲が流れ

澄みきった光と風のなかで
少年の心は満たされ

水辺には夢と区別されない
黄金の時間が流れていた

横たわったベッドでか細く息をつぎながら
あなたはその意味を受け取る力なきものに
ふり絞るようにわずかに手を握り返した

帰る場所も、留まる場所も、送る場所も
だれも教えてくれないさびしい時代のシグナルが
月の光がつつむこの街に巨大な不在を告げていた

病室を出てから上流の懐かしい土地へ向かった
真夜中の時間、そこにも待ち受けてくれる人たちがいた

ヘッドライトが照らす暗闇の川べりの道を
影が走り、風がわたり、木々がそよぎ、
月明かりの夜空と無明の現在が溶け合っていた

永遠の遠ざかりの臨界に萌すものがあるのでしょうか

心なるものの応えなき応答のいとなみにおいて
冴えわたった月の輝きが
なにかに召喚を促していました

 

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Barbara

2017-12-24 | Weblog

             https://www.youtube.com/watch?v=9Gp0Qva1Rcs

         https://www.youtube.com/watch?v=OYM7d4lceWk

              https://www.youtube.com/watch?v=qqPUfuNYk8Y


一次過程──

知覚は動き
情動は走り
世界は開かれ

心は泡立ち
思考はめぐり

言葉はおくれて
かたちを結ぶ

「Alas!」 

日々、いま、ここで、
現象する始原の作動

一切の起点をつくり
一切の資源をつくり

一切がリサイクルされながら
一切が更新され
一切がはじまりつづける第一原因

***

すべてが「実存」からはじまっていること。
関係項(関係子)からの規定としての生ではなく、
関係項(関係子)の生成と展開の起源としての実存。

起源であり
起源を生きつづける

いちどきりの、永遠の一回性としての、
生誕とともに生成し、死において完全消滅する、
生と死に区切られた〝この意識生〟だけが目撃している〈世界〉。

その固有性、各自性、絶対性、とり代えられない実存の一回性。

にもかかわらず一般定立された〈世界〉という信憑(超越)において、
関係し、学習し、変化し、ゲーム的身体として、
企投の生涯を駆け抜けていく人間的実存というものの構造。

ということの了解性が多くの「クソ」を排除する可能性。
そしてそのためにくぐらなければならない条件。

 

      

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「関係のゲーム」20171223」

2017-12-23 | Weblog

                           https://www.youtube.com/watch?v=TtZK9KCNGlo


メッセージを運ぶまなざし。運び屋としてのまなざし。
このことの信憑を消すことはできない──
そうした存在の形式をわれわれは生きている。

ひとつのまなざしによって心的な〝打撲〟を負うことができる。
脱臼、骨折、ときとして致命的となる心的な〝外傷〟。
ひとつのまなざしによって天に昇る〝揚力〟を獲得することもできる。

まなざしの交換。意味の受け取りと投げかけ。
相互的な存在企投、関係企投の連続的展開。

およそ自然の掟になじまない、物理法則から隔絶した特殊な関係の原理。
われわれの経験のモードをもっとも深いところで規定している「意味」の交換ゲーム。

つねに「関係」の意味という主題をたずさえながら生きる存在。
「意味の受発信」という関係のゲーム。
そこにはゲーム内の経験のモードが切り替わるような「意味の閾」がある。

「ちっ」

たったそれだけのことで決定的なトリガーが引かれる。
取るに足りないノイズの混入からメルトダウンが始まる。

肩が触れた瞬間、男の舌打ちする乾いた音が聞こえた。
男がどんな顔をしたのか見なくてもわかった。

視線が泳いだ途端にクソの毒が回りはじめる。
クソの血がたぎって脳ミソに逆流する。

このとき、あるゾーンを確定する「閾」が決壊する。
別の関係のゾーンが開かれ、経験のモードが切り替わり、
習慣化した関係のゾーンの底が割れて基底に眠る「原理」が覚醒する。

一気に、すべてを引きかえにすることを厭わない、
関係の清算を迫るように作用する「暴力原理」があり、
その組織化と凄惨な歴史がありつづけてきた。

 

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「バインド」

2017-12-19 | Weblog

           https://www.youtube.com/watch?v=JZXRB9BuLhk

バインドをほどくことの困難さは、
バインドに向かう作動の存在も告げている。
そのことにもたしかな理由がある。

「ありうる」の可能性と不可能性の両義性。

「ありうる」をめがける根本動機の起点にわからなさがあり
「ある」のバインドをほどいて結び直すことが許された
「ありうる」の〝踊り場〟があり
いまここにたえず現象している〝生成としての世界〟を告げるような音楽もある。

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関係のゲーム/エポケー

2017-12-11 | Weblog


「関係のゲーム」へ参入すると同時に、
プレーモードはゲーム仕様のギアに切り替わる。

主観としての主観はそのままゲームに入ることはできない。
ゲームのプレーヤーとしての属性を身にまとわなければならない。

プレーヤーとしての新たな属性を組織化するには、
主観が主観であることの組織化特性をいったん解除しなければならない。

この解除がゲームに入るための条件であり、
ゲーム成立の原理ともいえる。

そのまま直進することが独善=独断論に転位する(と感じられる)手前で〝クラッチ〟が切られる。
別言すれば、ゲームのピッチに立つために、
主観内部にはいわば〝小さなエポケー〟が現象するともいえる。

主観が主観のままでいることから、ゲームが指定するプレーヤー(関係存在)への転位。
このとき主観は主観のままでいることを一度脱ぎ捨てなくはならない。

主観内において、主観しての主観からプレーヤーへの転位。
すなわち主観としての主観をいったん宙づりにして、
ゲーム仕様の主観(プレーヤー)へギアチェンジするための心的儀式=エポケーが遂行される。

しかし、このエポケーは限定的な疑似的エポケーであり、
ゲーム世界のすべてに及ぶものではない。

 

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二次過程

2017-12-09 | Weblog


対話(オープンダイアローグ)は面倒なのか、楽しいのか。
実りあるものであるかのか否か。
われわれはそのことの予期をどこから獲得するのか。

面倒臭さをスルーして最終解を得るには、力の論理に移譲するだけでよい。
パワーゲームはつねに覚醒の契機を待ちながら関係世界の底に眠っている。

しかし「近代」は力の論理から帰結する惨劇の歴史に嫌気がさすことから始まった。

ある事柄に関するそれが「正しい/まちがい」という確信は、
そのまま「正しさ/まちがい」の普遍妥当性を意味しない。

それは、ただ固有の確信の訪れのみを意味するにすぎない(一次過程)。

どんなに面倒臭くてもそのことは二次過程(関係世界、社会)において、
試され鍛え上げられる以外に〝普遍化〟する契機をもたない。

近代が生んだ(創発した)人権というアイテムを自明(自然権)と考えると、
そうしたフラジャイルな基盤を無視することになる。

オフサイドラインはつねに簡単に破られる。
プレーの正当性の根拠をつくり、侵犯行為を抑止するのは、
ゲームの享受可能性(エロス)に対するプレイヤーの総意(信)以外にない。

 

 

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「大審問官」

2017-12-05 | Weblog


数億におよぶ人間の世代が、せめぎあい、和解しあい、苛酷な経験を刻みながら、
おのれとおのれの血族の可能性と限界に立ち会ってきた。

深く分け入り、迷い込んだ土地には闘争や殺戮や裏切りがあり、
同時に、他者を思いやり慈しむ感情が芽吹いていった。
悪なるものが練磨されると同時に、善なるものが練磨される。

無数の世代が連なり、無限の試行があり、歴史が積み重なり、
その繰り返しの数だけ、歴史は陰影を深くしていく。

しかしそのことの果てしない展開の意味を問うまえに、
すでにすべては決着していた。

「絶対秩序」は「絶対自由」に優先して「絶対平等」を構成する。

絶対秩序と絶対平等という「至高の価値」に近い者、遠い者、中間にある者、
それぞれを位置づける価値の審級にもとづき、絶対的階梯が作られていく。

すべての存在はおのれにふさわしい場所を与えられ、
あらゆる無意味な殺戮のいとなみはそこで止む。

それが絶対的階梯が絶対秩序であることの絶対的な意味である。

絶対秩序を構成する地平に崇高なる神殿があつらえられ、
神殿を守護する祭司たちと臣民の群れが陸続し、
神殿に向かって拝跪する儀礼とコードがつくられていく。

神殿がいつ誂えられたのかはわからないが、
それが絶対秩序という絶対的真理の具現であり、
すべての存在が認めざるをえないこの世の真理の現実体である。

守護する祭司たちは神殿にふさわしいコードを洗練させていく。
コードに従う者たちを讃え、歌と酒盃を用意し、報奨と位階を与え、
その繰り返しに堪えざる者たちを罰した。

「ソレデ良シ」ということ以外に述べることがあれば、述べみよ。

 

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