ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「二次過程」の入り口

2017-06-28 | Weblog

        https://www.youtube.com/watch?v=JXH-sj9miO8   


  二つの記述が担う情報が、別々に集められたものである場合、
  あるいは別々の記号で表されている場合、
  原則的にそこに―比喩的な意味で―何らかの"奥行き"が加わると言ってよい。
                       (グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』佐藤訳)

端的な知覚や情動、欲望の訪れそのものについて、わたしは疑う理由をもたない。
疑う理由は、自分とは異なる主観との出会いを契機としてやってくる。

たとえば同じ料理を、わたしはオイシイと言い、きみはマズイと言い、だれかはマアマアと言う。
同じことがらの経験の「意味」について交換しあう場面において、
わたしは自分の味覚についてはじめて対象化する契機に出会うことになる。

このとき経験のモードになんらかの変化が起きている。
経験の直接性は間接化され、絶対性は相対化される、というように。

譬えると、われわれがそれぞれの経験を交換しようとする場面で、
それぞれの経験の意味は自明性から少し浮き上がった場所に移動する。

このとき単独の経験の位相とは異なる「なにか」、別の位相が予期されている。

この単独の経験の位相とは異なる位相(という信憑)は、
個人史の初期のどこかの段階からか、けっして引き剝がせないものになっていく。

 

コメント

「メタローグ」(参)

2017-06-24 | 参照

         https://www.youtube.com/watch?v=TEn5xxIBxI0


(説明原理)

「パパ、重力は何で説明したら良いの?」
「重力を説明するものか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ」
「「説明原理」と「仮説」とは違うものなの?」
「そんなに違わない。ただ、仮説というのは一つひとつの出来事を説明するためのものだが、
〝本能〟とか〝重力〟とかいう説明原理は、ほんとのところ何も説明しないんだ。
ある点から先はもう説明しようとするのはやめましょう、
という科学者同士の取り決めというのかな、それが説明原理だよ」

(ベイトソン『精神の生態学』佐藤ほか訳)

 

コメント

一次過程と二次過程

2017-06-19 | Weblog

      https://www.youtube.com/watch?v=JHWtkBi8aBU


一次過程──一切の起源としての〈世界〉の訪れ、という心的体験。
知覚、情動の始原的生起、そのことへの配慮としての自己意識、
さらにその展開としての「関係項」を介した第二次の関係的プロセス。

二次過程──心的体験の交換プロセスにおいて生成する間主観的位相。
関係存在としての生が要請する第三項=関係項、
相互的な調整あるいは相互的な了解のための「客観」という第三の位相。

一次と二次の循環関係において動いていく心的体験は、表現型として、
主観(実存)と間主観(普遍)の弁証法的展開(関係構造)において〝現実〟を形成する。
本質的には「主観の一様態」として生成する「客観」(関係項)からさまざまなゲームが創発する。

この一次と二次の先行関係、あるいは根拠関係が見失われると、
客観という関係項は超越項(絶対項)というバケモノの属性をもつものに変異して、
相互に対等な関係において納得や妥当が成立しうる地平を離脱し、
すべての個(実存)を呑み込むように価値下落させるということが起こる。

 


 

コメント

「子ども」

2017-06-14 | Weblog

      https://www.youtube.com/watch?v=0zLQw0UfnT8


「新たな自己記述、世界記述をめがける巨大なブランク」
「未完の自覚」
「存在可能のゆらぎ」
「自己組織化の了解点の探索者」

子どもの生はこの世の「問い」に満ちている。
どう生きればよいか、なにが大事でなにが大事ではないか。

みずからを組織するための意味と価値の探索。
世界を知るための探索の方法(文法)も探索される。

問いを携えながら生きている存在は、
応答を待つ存在といいかえてもいい。

問いは呼びかけであり、応答への期待と予期であり、
呼びかけと応答が重なって響かせるものが聴きとられていく。

われわれは応答することで、応答しないことで、
子どもの生になんらかの「解」を日々刻んでいると言える。

そして子どもは純化されたわれわれの姿を象徴するとも言える。

 

 


 

コメント

「二重記述」

2017-06-11 | Weblog


  パブのカウンターでふたりが出会い
 語りうる水準で語りあい
 わかりあえる水準でわかりあう

 しかし転調の契機はつねに同伴している

 はじまりにおいてラングの交換であるものが
 やがてパロールに相転移する臨界が存在する

 左右の眼としてのふたりから立ち上がる第三の視覚
 第三の視覚が指し示す経験の未知のエリア

 〈世界〉に〝奥ゆき〟を与える二重記述
 という未規定性に開かれた関係のモード

 そのことへの気づきが生まれる瞬間
 透明な非知のカケラがグラスを鳴らす 
 
 語りえないことの語りえなさ
 知りえないことの知りえなさ
 そのことへ開かれた二重記述の可能性

 定数としての関係のモードから
 変数としての関係のモードへ

 左右の眼が生きあい支えあうかぎりにおいて
 〝生成としてのエリアX〟が生成する

 とかろうじて信じられたとき
 超越項を必要としない信の形式において
 希望のテーブルが保持される


 

コメント