ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「詩人の顔」

2013-10-29 | Weblog


          ひろごりて たひらかの空、
            土手づたひ きえてゆくかな
          うつくしき さまざまの夢。      (中原中也「朝の歌」)  


       夕ぐれの風景に
       かたちのない喪失が響き
       
       なにかが壊れ
       なにかが萌していく

       だれにも告げられない
       小さな孤独とひきかえに

       聴かれないかぎり奏でられない
       聴くことから遠い
       透明な旋律がこだまし

       ここにあるコトは
       ここにないコトと交わり

       永遠の遠ざかりを追うように
       心はクラス(公理系)の外に唇を向けていく

           (*参照)
           ひとは誰でも必ず、つねにすでに言語の海の中に投げ込まれているという条件を生きている。
           だから人間のどんな自己表出性(〈私にとっての対象の固有の意味や在りよう〉)も、
           すでに成立している言葉の指示性を使ってしか表現され得ない。

           しかし言葉が新たな指示性をつけ加え、その網の目を拡大していくためには、
           すでに成立している言葉の指示性の連関だけでは十全に表わし難いと感ずるような固有の関係の意識にひとが出逢い、
           そこで従来の指示性を押しひろげるようなモチーフを受けとるのではなくてはならない。

           これを小林秀雄の文脈にそって言えば、心が自らの深く動いた「情」を意識し、
           それを日常の知恵、分別の秩序に位置づけきれないと感じたときだけ、
           ひとはその言い難い想いに「カタチ」を与えようとする動機を持つということになる、
           そういうときこの新しい「カタチ」は、言葉の規制の指示性を踏み破らざるをえないからだ。
           小林が宣長に見た「言霊」とは、言葉のそういうありようを意味している。

           しかし、小林が「一般言語表象」に回収されない実存的体験に強く照射するのに対して、
           吉本がその(「一般言語表象」≒「客観的世界像」)の不可避性をとらえていくことにおいて両者は袂を分かつ。
           小林の見解からすれば、「言語名称観」や「客観的世界像」など、
           ふつうのひとが日常生活のなかで形成している「源信憑」というようなもの自体が虚偽であるということになる。
           しかし、そうしたものが成立していることにはそれなりの意義があるはずだ。
           吉本には、それを見取っていこうとする観点があった。
  
                                          ――竹田青嗣『世界という背理』


 

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「SOCCER 10~ Moments of Magic」

2013-10-27 | Weblog
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「SOCCER 9~関係とメッセージ」

2013-10-26 | Weblog
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「回路を開く」

2013-10-22 | Weblog

       
       猜疑と敵意と怒号と怨念と差別と独善と欺瞞が渦巻くおのれの陣地に、
       交渉のテーブルをあつらえ、ゲストを招き入れることはできない。

       訪れるものに侮蔑と罵声を浴びせている間に、世界はやせ細っていく。

       それは情報の遮断、回路の封鎖、間主観的位相の否認、死に至る籠城。
       相互に作用しあい二重記述する関係性が生む「経験のボーナス」を拒み、
       有限のおのれの資源の内部で自己充足し、自己完結していく存在の形式――

       そうした存在は必然的に自己修正のフィードバックが機能不全に陥り、
       限りなく物質のあり方に酷似していく。

       秩序を自明化し、組織化のコードを固定し、ハリネズミ化したシステムは、
       変化しつづける環境の多様性を受容できず、情報の生成を収束させていく。
       自己充足し自己完結した「孤立システム」は、第二法則に従って熱死に至る。

       回路を開け――

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「SOCCER 8 ~思考のステージ」

2013-10-18 | Weblog


相手のボールを奪いに行くのか、それともパスコースを潰すのか。
ディフェンスのオプションが定まらないと、陣形にノイズが混入する。

サッカーは相互に自由度を奪い合うゼロサムゲームとして進行する。
ノイズは自陣に隙間を生み、相手のオプションを増やすことになる。

ゲームは敵と味方の相互に読み読まれる二重記述の進行として、
プレーイメージが連続的に接続される相互作用として展開する。

チームのポテンシャル、展開の予測、リスクとチャンスの収支など、
無数の変数を重ね合わせて選択可能なプレーのクラスをつくり、
最適な選択のための確度の高い情報を瞬時に析出しなければならない。

サッカー選手は運動能力と同時に、こうした演算作業の能力が問われる。

実行可能なプレーイメージの形成は選手個人の内部で完結することができない。
二重記述が作る予期的映像のレベルに思考のステージを移さなければならない。

 

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パラフレーズ「二重記述」

2013-10-16 | Weblog

 

        生活のコンテキストの学習は、
        一個の生物の中で論じられるものではなく、
        二個の生物間の外的な関係として論じなければならない。
        そして関係とは常に、二重記述の産物である。

        相互作用に関わる二者は、いわば左右の眼だと言ってよい。
        それぞれが単眼視覚を持ち寄って、奥行きのある両眼視覚を作る。
        この両眼視野こそが関係なのである。
        この発想に立つことは、大きな進歩である。

                       ――グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳

 

相互作用するあなたとぼくは、いわば左右の眼だと言ってよい。
それぞれの単一の視覚を重ね合わせ、奥行きのある両眼視覚が作られる。

この両眼視覚は、ぼくたちが「関係」と呼んでいるものに相当する。

すなわち、「関係」とは「二重記述の産物」であり、
二者関係における「結び合わせるパターン」であり、
GBによれば単独では獲得できない「経験のボーナス」を意味する。

両眼視覚は、あなたにもぼくにも帰属させることができない。
どちらか一方が制御し制御されるという線形的関係とも異なる。

呼びかけ、応答し、相互に作用しあう関係のループから、
ただ間主観的な経験の位相が自生的に立ち上がっていく。

この発想に立つことで、さらにもう一つ別の視覚が生起する。

二重記述によって導かれる経験のボーナスはメモリへ格納され、
場所もかたちも、時間も空間も指定することができない、
未規定性な出会いが導く二重記述への予期(的視覚)が懐胎する。

「あなた」は風景の一角に咲く一輪の花として現われることもある。

「ぼく」は自然に織り込まれた「差異」の連なりとパターンとして、
「あなた」に出会い、そこに奥行きと「美」が二重記述されていく。

 

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「少年」

2013-10-13 | Weblog


       ためらいと勇気の連鎖のなかで
       つねになにかが終わり
       なにかが立ち上がっていく

       ディフェンシブな電価を帯びた求心的な作動があり
       オフェンシブな試行を挑発する遠心的な作動がある

       勇気と誇りをみちびくものも
       躊躇と後悔をみちびくものも
       同じ強度を刻んで乱流をつくり

       なぜそうしているのか問うより先に
       未知の均衡点をめがけるように

       情報はピックアップされ
       身体とイメージの二重作動に接続されていく 

       愛と誇りを導くものも
       愛と誇りを壊すものもの

       喜ぶことも
       怒ることも

       等しく強度を刻みながら
       世界を照らす一つのシグナルに照らされ

       こころはいつも
       美しさが告げるものへ唇を向けていく

       ――否定的視線に包囲されて生きることはできない
       ――否定的価値を強いられて変わることはできない

       ――誇りと愛と成長を導くものは「美」と呼ばれる
       ――誇りと愛と成長を損うものは「悪」と呼ばれる

       ――美しい光に応答する装置はみずからに内在し
       ――世界の姿を分光する巨大な問いに導かれていく

       ランダムな応答に沸き立つ身体は「巨大な問い」に抱かれ
       存在のフォームを創発する「カオスの縁」に佇んでいる

       「巨大な問い」はみずからと他者と世界に開かれ
       不安と希望が溶け合うreadinessと結ばれている

       「巨大な問い」において世界の区切りはゆらぎ
       ゆらぎにおいて新たな接続のラインが走っていく

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「フォーメーション」

2013-10-11 | Weblog
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「 - readiness - 」

2013-10-09 | Weblog


     カーテンを開ける音と一緒に
     朝の光がベッドルームを洗い
     
           魔法のつぶやきが響き
     まどろみが破られる
     
          「あっ、雨」
     
           眠り足りない
     待ち受けのフォームに
     
           あなたのメッセージが運ばれ
     やさしい朝のかたちが
      インフォームされる

      「おはよう」
     
           まぶたを開くより早く
     ぼくのこころは
          十月の雨に濡れ
     
           いつのまにか
     朝のフォームに変わっている
     
          -readiness-
     
           魔法の訪れを待ち望むように
     こころはいつも
     無形の形式をまとい
     
           新たなメッセージに導かれ
     
           くちびるを重ねるように
     みずからを変化させていく
 

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礼節としての「知」

2013-10-02 | Weblog
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