ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「絵を描く」202831(20240308)

2024-08-31 | Weblog

                                                                       Antonín Dvořák: Serenade for Strings | NCO · Tønnesen - YouTube

 

 

自分を愚かだと思わないほうがいい
自分を賢明だと思うのと同じくらい、まずい

自足の形式は、正でも負でもありうる
自明性が強権をふるうほど、等しく閉じられていく

非知のクラウドと連結する開口部をあつらえておこう
そこが光が出入りするエントランスになる

気に病むことはない、病んでもオーケー
病んだぶんだけ新しいモチーフがあらわれ
それが未知の光を集める空域をつくる

「わからないことだらけ」

上等、生まれる問いに呼応するように
光を呼び込むキャンバスが必ず目の前に現われる

展開のスペースを拡張するように
ただ筆を握る腕をうごかしてゆけばいい

 

 

 

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「絵を描く、系(生命システム)」20240831

2024-08-31 | 参照

 

 

──中井久夫「絵画療法と私の今」(『統合失調症の有為転変』)


系というものは平衡を取り戻そうという
絶えざる細かな作用の集積として成り立っている。
これはゆらぎであって、ゆらぎがあるからこそ
外からの作用が入り込むことが可能である。
これを動的平衡というのであるが、
これにはフィードバックが不可欠である。

ちなみに、これと異なり、急性発症はフィードフォワードの過程であって、
これは作用の結果が作用を新たに起こりやすくし、
その結果どんどん強力で射程の長い作用となることである。

画を描くという行為には、フィードバックもフィードフォワードもあり、
両者が実に巧妙に組み合わされて、一つの時間的空間的建築物となっている。
そして作用と反作用とが異なることによって、
系は、この両者とは別の、一つの高い次元において動くのである。


*トポスの異なるふたつの作用点と作用点、両者の相互反照が連続する展開。
 この二重の記述から、いわば内なる〝対話のテーブル〟があつらえられ、
 そこに、どちらにも属さない新たな次元(第三領域)が顕現する。

 

 

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「インターミッション」20240830(20240430)

2024-08-30 | Weblog

                                                           

 

 Wait a second, let me catch my breath.
                      ──Alan Walker


スキマなく埋まったことばの包囲をほどくように
日常のスコアに休止符を書き入れる

展開コードとの連結を解除して
魂が息つぎするフリースペースを開く

インターミッション──

走りすぎる配慮の心が溶けてゆく
このスペースは相互に与えあうことができる

 

 

 

 

 

 

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「こどものみなさんへ」20240829

2024-08-29 | Weblog

 

 

きみたちはこどもと呼ばれているけれどおとなも住んでいます
つまり、おとなの種をじぶんの中に宿しています

この種を、毎日水をやり、光を当てるように大切に育てること
きみたちひとりひとりにとってとても大事な仕事です

「おとなってなんですか?」

ひとつだけ、けれど一番大切なことをいいます
なすべきことがらにかかわります

それはね、「戦争を起こさない」ということです

日々の暮らしのなかで、どう考え、どう発言し、どうふるまい
どんな人と人の関係をつくってゆけばよいか
戦争が起こらないための条件についてとことん考え、語り合う

このことを自らのつとめとして生きる人をおとなと呼びたいと思います

ひとりひとり、種が芽吹き、すくすくと幹が育ち、枝を伸ばし
豊かに葉を茂らせ、いつしかたわわに果実を実らせる花ざかりの森
きみたちの成熟した姿をそんなふうにイメージすることができます

 

 

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「共生、共和」20240828

2024-08-28 | Weblog

 

 

 

異なることば、異なる思考、異なる感性
異なる美意識、異なる価値コード、異なる歴史

みずからの生活圏では出会うことのなかった
異質な存在たちと場所と時間をともにする

はじめに感じる異和、おどろき、感心、反発、不協和、ゆらぎ
最初の遭遇から生じる心の泡立ちをどこへ向かわせるか

「みんなともだち」

いきなりそこへは行くことはできない
いきなり行けば矛盾と混乱は不可避になる

なぜか──

それぞれの生活圏には準拠する価値のコードがあって
その内部では、差別やいじめが象徴するように
ちがいを排除し、遠ざけ、コードを保守する心的な機制が働いている

(学校がそうであったら救いがない)

この心的機制を理想、ロマン的理念、先験的に設定された外部コード
つまり、メタ倫理の外からの注入によって乗り越えることはできない

(本質的な変化は、ひとりひとりの内側から起こるしかない)

相互のちがいを抹消するように同期するのではない
そう語り、ゴールを示すまえに、ひとりひとりたどるべきルートがある

「異者にとって、みずからも異者である」

この自覚と認識が第一歩目
この自覚と認識の共有が第二歩目になる

いいかえると、相互のちがいを承認しあって生きあう地平
そこへ向かうための最低の条件を手にすることができる

(その契機を知り、手にする場として学校があればいい)

 

 

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「レッスン2」20240827

2024-08-27 | Weblog

 

 

 相互に支え合う前提の織りなす果てしなく
 複雑なネットワークに捕らわれて生きること、
 これはすべての人間に共通の宿命だろう。

     (G・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳)

       *

ちょっと考えればわかることがわからない
そんなことがありすぎるかもしれない

食う寝る遊ぶ、住むところ、すべて

つまり主義も主張も信条も好きも嫌いもへったくれもない
素性の知れない真っ赤なアカの他人様たちにお給仕して頂いて生きている

「ぼくって、ぼくたちってすごい」

とかなんとか、それが断トツ一番のはずかしいことになる
これは倫理でも道徳でもない、動かしようのないリアルに由来する

覚えておこう、そうしてやっと始発の場所に立つことができる
おとなとして、ひととして、類として、最初に踏まえるべきこととして

 

 

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「教育」20240826

2024-08-26 | Weblog

 

 

キャッチャーに徹したかまえ
誠実な返球がある
信頼の証なのかもしれない

その誠実を疑うことはなくとも
はぐれた心はちがうことを考える

過度の信頼が見えなくするものがある
一面のハッピーを拡大鏡にかけて見る
すると全体が視界から消える

どんなにそうであればよいか

そう思うけれど、生の全域は深く広い
底なしの地層に根を下ろして生きている

永続する生の展開へ連結できなければ
かりそめのセレモニーとして消える

うつくしい記憶の宝箱に保管されるものではなく
生涯にわたって使えるものを獲得できるかどうか

露骨にいえば、愛憎渦巻くこども世界に
こぎれいな表紙つけて飾っても意味がない

(おとなもこどもも等しく)

異者、異邦人、異文化と遭遇しながら共生を願うなら
そのために生き抜く実践の方法を探索することが主題となる
〝教育〟にとって考え抜くべき筆頭の主題だろうと思う

 

 

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「Feedback」20240825(20220622)

2024-08-25 | Weblog

 

 

フィードバックする──

「忘れないでいよう」

修正の契機を見失わないように
自明性に溺れてしまわないように

いまここのリアルの専制を許し
一義的な記述が世界を荒廃させないように

くりかえし確認しておくべきことがある

あれもこれも、すべてを資源化するように
時間と時間に糸を通し、経験と経験をブリッジする
そうして「いまここに」に連結して可動域を確保する

この作業スペースをキープしよう

ここから世界に加えられる未踏の展開域
〝第四次〟の奥行きを拡張していく

 

 

 

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「サンダーバード」20240824

2024-08-24 | Weblog

                                                                                          サンダーバード 日本語OP Ver(Stereo) (youtube.com)

                                                                                          【作業用】サンダーバードのテーマ (youtube.com)

 

 


「呼んでいるあの声はSOSだ~♪」

少年のまっすぐな心がまっすぐなまま生き延びるには条件がある
なにものも代替できない、たくさんの戦いを戦い抜く拠点
帰還地でもある懐かしい場所、小さくてもたしかな出撃地を必要とする

 

 

 

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「Another Galaxy」20240824(20240307)

2024-08-24 | Weblog

 

 

 

照らす対象をもたない光は永遠の虚空へ消えていくしかない

なにもない真空の闇を走るだけの光は知らない
虚空を突き進むだけなら永遠に顕現しない

ぶつかってはじめて知る

真空の闇を駆けている光との遭遇
照らし照らし返される
この反照関係において光はおのれの姿を知る

まったき偶有にみちびかれた邂逅
邂逅は速やかにまったき必然へ変換される

なにもない真空の闇に合流する光と光

光と光は照らしあい、交わり、カクテルされ
消えることのない第三の光源を生成する

 

 

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「またいつか」20240823

2024-08-23 | Weblog

 

 

いつかがなくても
またいつか
そういってわかれる

かぎりなくつかわれてきた
いつかのないいつか

こころにはりついたテンプレート

はかなく消えていくとしても
それだけではないまたいつか

とりあえずビール
すこしだけ似てる?

かたちなくつながる透明なルートがあって
切らさず細い糸を通しておく、かのように

(まっすぐに駆けて行きたい相手は別の場所にいる)

しろくろ、しのごのいわない、そのままに
後味よくわかれるまじないのことば、その一つ

 

 

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「教育」20240823

2024-08-23 | Weblog

 

 

 

こどもたち──

このことばづかいはやめたほうがいいな
群れで生きているわけではない、そんな生き物はどこにもいない
動物園に〝動物〟という生き物がいないようにさ

トラでもサルでもサイでもキリンでもない
一匹一匹、異なる個体がいるだけだ

こどもたち、おとなたち、そんな架空の生き物が住む世界
ここで空中戦を演じても地上にはどんな影響もおよばない
およぶのは思考とことばを同じくするお仲間以外いない

豊かな教育、豊かな未来、とは一体なんだろう

俺たちが教えたら「こんなアホなおとなにはならない」
そうのたまう自信と根拠がおありなのだろうか

アホなおとなをあげつらうのも結構だけれど、まずは
アホなおとなを表舞台に立たせ続けるこの社会の構造を見てね

おそらく、この社会の総合的な教育力がそうさせている
その意味ではどんなおとなも「Not Guilty」ではない

この構造を動かさないかぎり
モグラ叩きのような不毛な言説ゲームも終わらない

 

 

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「情動のスペクトラム」20240822(20240613)

2024-08-22 | Weblog

 

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それでも人間の〈生命〉の位相は呼吸を止めない。
             ──真木悠介

     * 

光と光が合流して混じりあう
カクテルの光が生まれる地点

不安と警戒に襲われるとき
おそれ、怒りが思考を奪うとき
配慮へむかうスペースが消えていく

かなしみがおおうとき
世界はなつかしく、はかなく
あこがれのように色づいていく

ごめんなさい

季節が入れ替わるように
たったひとつのことばに
やわらかく、やさしく変化する

心の曲率にしたがうように

情動はまたたき、カクテルの光は分光され
世界の姿はそのつど変幻していく

 

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「進化」20240822

2024-08-22 | 参照

 

 

──グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳

生物界にあって、変化が生じるためには、
二重の条件が満たされなくてはならない。
生物体の内部からくる一貫性の要請にも、
外部環境の要請にも共に応じるのでなければならない。
進化は、この二重要件または二重規定の板挟みのなかで進行する。

 

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「Spring、2021」20240821

2024-08-21 | Weblog

 

忘れていることがある

ある感情を射止め仕留める意志
疾走する感覚

ことばの包囲をほどく
やわらかな不逞な心

滅びの道を捉えるまなざし

世界構成の必然性、その強度、密度
同時に、そのまったき偶有性について

ひとつに云いかえることができる

すべてを包括する根本地平、根本コード
生成の原郷に居つづけること

社会体の先行をゆるさない、すなわち
ことばから逆算する心への死刑宣告

なによりインターミッション

世界との直列を外してスキマを開き
第三の展開領域をみずからにあつらえる

 

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