ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「初期条件」20210731

2021-07-31 | Weblog

 

「むかつく」

こうした内的作動を「倫理主義的」に乗り越えることはできない。
また、「論理」によっても乗り越えることはできない。
乗り越えようとすれば、かならずなんらかの要請、
なんらかの強制力(ゲバルト)が混じることになる。

この強制力は内的作動の打ち消しを意味し、心的分裂を導くことになる。

情動の内的作動を倫理主義的に否定することも改変することも、
また論理の力によっても、本質的には不可能であることを知ること。

正の作動と等しく、負の作動は内なる事件としてつねに現象する。
意思にとって自由にならない端的な訪れとしての情動生起。
主観の恣意が染めることができない自律性において動いているもの、
「ソレがおまえだ」と知らせる内的作動があり、
むしろそこから倫理、論理がそこから起動する基底をつくっている。

意思は第一原因とはいえない──
意思による情動の制御とは、「靴ひもを引いて自らを持ち上げる」ほどの無理がある。

人間の生には情動生起と同伴する回路が存在している。
倫理主義的な乗り越えではなく、
いわば「変わることのエロス(快)」を知る別の回路を開くこと。

情動の打ち消しではなく、それが基底の作動であること、
生の動かせない初期条件であることの受け止め。
そこから、その由来と根拠、背景をみずからに問うことはできる。

そのためのテクニカルな思考の作法、使い方がある。
情動は情動によってしか本質的に乗り越えることができない──

 

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「はじまりの地平」20210730

2021-07-30 | Weblog

                                                                                                        Les Frangines - Ensemble (Clip officiel) - YouTube

 

 

どんな神秘も倨傲も奇跡もいらない

すべてはいまここに ただ一つ
おまえが生きる地平からはじっている

心の波立ち ゆらぎのなかに
世界は現象している
あらゆることはここに顕現する

すべてを映す水面のきらめきがある
ここと結ばれたまなざしをキープする

ノイズを払い 作為を払って
まっすぐに光の通る道を開けておこう

内なる世界視線が肥大するとき
光の通り道は細く閉ざされていく

このまなざしが失われるとき
おれたちは〝外の光〟に蝕まれていく

この相関関係は覚えおこう

世界に照らされるのではない
照らす光はこちらにある

母であるもの 希望であるものとして
ここからけっして離れず
いまここを豊かに耕すことができるもの

死んだことば 砕け散ったことばを集めて
よみがえらせられる場所はここだけにある

大事なことがある

どんな世界の姿を確定する命題に出会っても
いつも新たな記述のスペースを開いておくこと
はじまりの地平を与え与えあう作法において

 

 

 

 

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「世界視線」

2021-07-30 | Weblog

 

 


「価値あり-価値なし」の公準にしたがって
世界視線はおまえを値踏みし、査定し、ランキングする

世界視線は心の内側から訪れている

みずから世界に服属するように
おのれを世界に捧げるように
おのれを射抜くように走るおのれの視線

(おれたちは世界を、みずからを逆算して見ている)

世界視線を投げあう存在と存在の関係
世界視線は存在と存在のあいだに〝戦線〟を引く

値踏みし、査定し、ランキングしあう
この基底にはランキング上位を願うおのれの欲望がある

世界視線に服属し捧げる存在同士がつくる関係
日々の喜・怒・哀・楽の〝戦場〟がある

しかしそれだけではない

世界視線から構成される〝戦場〟を溶かすように
もう一つの視線を行使して射抜き返すことはできる

たとえば「正常‐異常」という価値概念を溶かす視線
この視線行使から生成する言葉──

「誤謬は弱さではなく力であり、夢想は煙ではなく力である」(カンギレム)

     *

「価値あり-価値なし」の公準に従った世界視線による相互査定
共同世界をいとなむかぎりこの世界視線は必然的に生成する

おれたちが世界視線を捉え返すこの視線をもてないとき
公準刷新の契機は生まれず、戦線はバインドされたまま動かない

 

 

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「真理ゲーム」20210729

2021-07-29 | Weblog

 

 

真理、ほんとうを射抜くゲーム──
われわれはこのゲームに耽溺している

「だれが射抜くか。だれが一番的に近いか」

射抜くべきターゲットはアプリオリに設定され
採点法も決められている(決めたのはだれか)

真-偽 ほんとう-うそ
善-悪 よい-わるい
美-醜 きれい-きたない

確立された価値の階梯は射手のランキングを確定する

記述(世界認識)の的中率を競うゲームを生きるかぎり
この採点ゲームに埋没して生きるかぎり(採点者はだれか)
だれが一番真理の近くにいるかで毎日が暮れるかぎり

〝真理〟の生成的本質は永遠に捉えることができない

確立された一つのゲームに没入し耽溺して生きるかぎり
なにより大事なゲームそのもの生成的本質
ゲームの基底を構成する価値の集合的な創発的特性
その刷新可能性、無限的展開可能性は視界の外に消える

 

 

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「おまえが富め」20210729

2021-07-29 | Weblog

 

  人間は自分の本質を対象化し、そして次に再び自己を、
  このように対象化された主体や人格へ転化された存在者(本質)の対象にする。
  これが宗教の秘密である。

  神を富ませるためには人間は貧困にならなければならず、
  神が全であるためには人間は無でなければならない。

       ──ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』船山信一訳       


somewhere in time 
──いつかどこかで

「ある」はつねに「ありうる」をたずさえ
たずさえることで「ある」を編み上げていく

ひとり歩みながら 世界を振り切り
はじき返せないと感じるときも

光が駆ける方角へ
道を空けることはできる

帰らない時間 とどかない場所から
照らされて生きるのではない

月の光に照らされ、月を富ませるのではない
月を照らす光源はここにある

「おまえが富め」

決めごとに埋まり、諭し、導く世界が知らない
教えるちからも意志もない世界から
ただひとつの光源が失われないように

「おまえが怪物ならだれが手出しをするものか」(Rimbaud)

そんなことではない、どこでもないいまここに 
あたりまえのように世界を照らす光の道を開けておく
そうしなければならない

 

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「1983」

2021-07-29 | Weblog

 

 

一人一人の顔を思い起こすように
過去を振り返っているものは何だろう
決して触れることができないみんなの顔は
俺たちの心の中にあって
あらゆる終局とはじまりの間に
衰亡と再生の歌がよみがえり
沸き立つ時間が隙間を埋める
連鎖する空虚は俺たちが望んだものとして
いつも最後のモチーフとして突きつけられている

懐かしさにおびえ
怖れに勇み立ち
余裕のない心が決意する
勝利とは何か
敗北とは何か
教唆するものがこの世界を隠匿している
教唆はテクノとして成熟をそそのかす
その規定された方角は
一人一人の大小の波乱を許容するまで組織されてはいない

俺たちは過酷さえ笑いの種となった
秩序の大船に乗っているわけではない
ほんとうの未知と出会うために
俺たちは明らかにしなければならない
人びとの集う祭壇の根拠を
小さな午後の平和を
恋人たちの独自の世界を
暴力と処刑のシステムを
緻密に積み上げられた階梯の一つ一つを

戦うことが生存の証になるとすれば
俺たちの意志をこの街の風景全体へと向けよう
チカラへの加担が死を意味し
無力への加担が生を意味し
不可能が一つの風景を析出する

文明のあらゆる変奏をインプットされたこの時代の装置は
メカニズムの小枝に無数の人間をぶら下げている
欠如が俺たちの解体された意識の原因であるとき
この街の風景はおのれの強制力を有効に作動させたことになる

朝と昼と夜と 
憩いには崩壊を 
不幸には呪縛を 
諍いには疲労を 
忘却には報酬を用意して
この街が肥大するとき
俺たちは何ものかの死滅を目撃している
俺たちが倒れないとすれば
風景全体へのまなざしを手離さないことによるのだ

六月は俺たちに具体的な戦いの方法を要求する
限定された生活の限度は
生活の内側から突き破るしかない
俺たちは出て行く場所も
ここよりほかに帰る場所もない風景の中で
唯一の覚悟をしなければならない

――あらゆる同行と共犯と訣別せよ

俺たちの戦う姿はたとえば林檎を剥く手振りに現れる
俺たちの覚悟はたとえば集金人への挨拶に現れる
俺たちはみずからの視覚に異和を投げ狂気を呼び入れるが
俺たちは戦いの目的を生活の重量と置き換えたりはしない

ニンゲンの歴史と現在をつらぬく
見えるもの 見えないもの
そのすべての営みへ向かうまなざしは
この街から教えられたものではない
この街の起伏をいつわりの物語へと収斂させないために
あらゆる距離を超越する俺たちの戦いは
この街の超越を許さないのである
一切の忘却から自由であるために
すりかえられた和解と戯れることをしないために
――連帯と孤独を屠るのである

単独に屈辱を組織した一人一人が
この風景に出て行くために
古代の調和は廃棄されたのである

馴致への拒否がこの街の反復を捉えるのである
白けきった装いのなかに見える一切の企みを
決して許容しない俺たちの戦いは
単独の風景を単独に位置づけるのである
忘却と和解への陥穽において人を絡めとるとき
風景は肥大した全身を高笑いによって揺さぶっているのである

どんな情緒も介入させない暴挙において風景が勝利したときから
俺たちの戦いははじまっていたのである
俺たちの戦いはあらゆる加担が無効へと転換される結節をさぐりあてるのである
分断を正当化しない俺たちの意志は整除する文脈を解体するのである
戦いの前線において現在と結ばれた血と肉を失わないのである
涙も憎しみも悦びも絶望も未来への希望も 如何なる祭壇にも捧げないのである
意味を特権化する秩序の巨大な策略を敵として見るのである

人びとを一色の階梯へと集わせるあらゆる水準の存在を拒否するのである
時間を文節する季節の陥穽を太陽の下で燃やしてしまうのである
ほとんどテクノと化した愛の言葉を物理として解析するのである
ほとんど反射運動へと変質した倫理をその権威の仮面から遠ざけるのである
細やかさを語る暴力を歴史の中枢へと持ち込んで殺戮の共犯を証すのである
風景に釘づけにされた事実性と裁断を受容から異和へと変質させるのである
未来へと供犠されつづける現在を再び生命の場所に連れ戻すのである

六月の最後の一日
俺たちは俺たちの時間を季節へと転化しないから
この日は終止符を打たれる一切の根拠をもたないのである

 

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「全域性」

2021-07-28 | Weblog

 

 

「生き延びること」
「勝利すること」

現実論理、競争原理が示し求める主題
この主題の外に生は別の波形を描いてみせる

生の波形は競争のピッチ上に全域を描くことができない
ピッチに展開する生はその閉域性を受け入れながら
ピッチの外に駆けている別の作動と結ばれている

どれが〝真の作動原理〟ということではない

ただ「生の全域」という理念が保たれているとき
一つの原理で生の全域を覆う不可能
全域を覆えば生は荒廃への道を歩むことになる

そのことの明晰な了解だけが導くことがある

すなわち、全域でありえないものの独裁
特定の原理の暴走、専制、一元化への否認
そして、全域性にかなう生のかたち、関係原理への問い

 

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「関係のコード」20210727

2021-07-27 | Weblog

 

 

どんな存在をみずからに住まわせているのか
シェアハウスとしての「わたし」

もっと増やしたほうがにぎやかだ
住まわせる数を絞ったほうがいい

好き、嫌い、特別な存在、どうでもいい彼、彼女
しかし、そこに住んでいることには変わりはない

本質は一つである

シェアハウスの住人構成を導く世界像、世界記述
オーナーが生きる関係コードの限界と可能性について

固有の入居条件、入居規則、キャパシティ、関係価値
その包括的出力としての「わたし」の日々の企投

ここに、つねに、すでに
オーナーとしての力量を示す包括的本質が示されている

 

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「関係のプラトー」

2021-07-27 | Weblog

                                                                                                              Paradise - Coldplay (Fingerstyle Guitar) - YouTube

 


「ありがとう」

一つのシグナルの交換
たったそれだけで

世界との直列が外れ
言葉の包囲がほどかれ

日常の楽譜に、
小さな休止符を書き込むように

魂が息つぎするスペースが開かれる

武装は解除され
モードが切り替わる

停戦合意が導く
やわらかな配慮と贈与の光

休戦状態のまま生成的に立ち上がり上昇していく
どちらにも帰属しない関係のプラトー

お互いの存在を資源として、糧として
惜しみなく与え重なり交わり享受しあう

世界に華やぎを導くように
そのつど開かれる透明なセッションがある

 

 

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「コード進行」 20210726

2021-07-26 | Weblog

 

コードされた世界以外に世界は存在しない
この原理から逃れることはできない

もう一つある
この世にコードは一つではない

おれとおまえが出会う
コードとコードが出会う位相がある

この位相を固有のコードまま直進することはできない
固有のコード進行として走り切ることはできない

なぜか

そうではなく生きることを望んでいる基底の意志
関係のエロスを求める根源的欲望がある

新たなコードが生成する理由と根拠がここにある
この生成には二つの道がある

相互に打ち消しあうコードの生成
いいかえると制御、統制、支配へ向かう道

相互に解放しあうコードの生成
いいかえると転調、拡張、展開へ向かう道

コードとコードが出会うこの場所
ジャズはみずからを後者の道に定める

「ジャズの倫理」(ハービー・ハンコック)

この意志といとなみ自体を
巨匠はジャズの倫理(コード)と呼ぶ

 

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「Quotes」 

2021-07-25 | 参照

 

 

 

── Grogery Bateson

Multiple descriptions are better than one.

You live in your description of reality.

Creative thought must a;ways contain a random component.

Science, like art,religion, commerce,warfare,
and evern sleep, is based on presuppositions.

A man walking is never in balance,
but always correcting for imbalance.

Without cntext words and actions have no mieaning at all.

We are not what we know but what we are willing to learn.
(Mary Chatherine batoson)

 

 

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「if、then」20210724

2021-07-24 | Weblog

                                                                                                         Leo Rojas - Now I Feel Alive... - YouTube

 

だれもが苦しいって?
そうかもしれない
そうでもないかもしれない

「かもしれない」

世界認識のキーワードかな
能天気に聞こえるかもしれないけれど

現実は決着を求め、結語を結びたがる
かもしれないまま走り切ることは難しい

しかし展開形の本質に照らせば
本質にかなった言葉といえる

思考のスペースを開いておく
記述を確定させないためのフックにして
新たな記述が芽吹く位相をキープする

そのためには覚悟と意志がいる、かもしれないではなく

          *

「心は動く、つねに動いていく」
「うん」
「実感はかならず訪れる。願っても願わなくても」
「そうにちがいないって」
「まよい、ためらい、ゆらいだまま生きることは難しい」
「なんらかの決断は下されていく」
「実感の奴隷?」
「実感をもてなすことはできる。どうもてなすか」

「実感は先行するけれど、それを見つめ返すことはできる」
「実感は疑えない。それを疑えって?」
「疑うのではなくて問い返してみることはできる」
「それでオーケーかって?」
「うん」

「それで?」
「そのうえで何かを差しはさむことはできる」
「なんのために?」
「ギザギザの実感の滑りをよくするように」
「滑り?」
「うん。やっぱり、ことばかな」
「どんなことば?」
「借り物じゃない、自分のことば。陳腐な言い方だけどね」
「でも、ことばも実感でしょ」
「そう」
「どんなことば?」

「実感って単色じゃない」
「ああ、そうかもしれない」
「色相環とか、混じりあう色、反発しあう色もある」
「それぞれに主張があるのかな」
「ギザギザ感が強いときはせめぎあうこともある」
「収拾がつかない。それで?」
「すこし全体の色味を調整することはできる」

「どうやって?」

「つねに自分をモニターしている心がある、自分の中に。
それには色がついていない。
実感とは独立しているようにメモリ機能が動いている」
「なにがメモっている?」
「自分の経験の軌跡をね」
「実感とは独立している?」
「冷徹にみずからを記録している作動がある、ともいえるかな」
「それで?」
「おそらくそれが心の突き当たりになっている。
意識が手を伸ばせるギリギリの限界点ともいえる」

「自分の言葉。それを決めるのも実感でしょ」
「うん」
「いいの?」
「心の突き当りに出会うと、少しの間だけ色が消える。
配色を決めるというより、受け取る場所、そんな気がする」
「わからない」
「どんな色あいに染めるか。絵を描くときのことを想像してみて。
筆を動しながら、全体の色調や構図をとらえ微調整しているまなざしがある。
このまなざしには色はついてない、そんな感じかな」
「実感そのものとは別に、そういう心の位相があるってこと?」
「あくまでも比喩だけどさ」

「くりかえすと、絵の出来上がり具合をモニターして、
全体のバランスを調整するなんらかの手がかりが生まれる場所がある。
たぶん、この場所と結ばれたところに自分のことばが生まれる」

「実感と行動が直列したまま生きる。それが日常の定常状態かな。
けれど直列を外してスペースを開くことはできる」
「突き当りに帰って、色の調整しろって?」
「そんな感じ。自分だけのことばをそこで見つける」
「わからない」
「実感、こみあげるものがあって、そして、それをどうもてなすか。
この作業は人間に許されている。そこに人間だけに可能な転位の位相があると思う」

 

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「桜のセッション」20210723

2021-07-23 | Weblog

 

 

ふたつのゲームは同時に遂行できない

共通のゲームのピッチにあると信じながら
それぞれが別のゲームを生きるとき
かならずすれちがうことになる

どちらかが正しいゲームというわけではない
ゲームのタイトルはどこにも表示されない

異なるゲームが生きられ、すれちがい、矛盾、齟齬が生まれ
おそらくどちらも決して望むことのない結末が導かれる

後戻りできない悲しく残酷な展開
それを一つのゲームとして総括することはできない

すり合わせる時間と経験が圧倒的に不足した
バカげた幼稚なゲームと呼べばいいのか

わからない
代償はあまりにも大きい

 

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「月を照らす」

2021-07-23 | Weblog

 

  なのはなが月のでんきをつけました(小1女子)

やわらかな心が教えてくれる
たくさんの決めごとに満ちた世界を壊すのではない

かたちがほどかれ、結びなおされ
世界が知らない世界の姿があらわになる

どんな神秘も奇蹟も秘儀もいらない

月に照らされるのではない
月を照らすまなざしだけが教える

〝月のでんき〟が灯る方角へ
そこで会おう

 

(金子兜太・あらきみほ『小学生の俳句歳時記』2001)

 

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「空隙 open phase」20210722

2021-07-22 | Weblog

 

 

情動と行為が直列状態のまま事態が進行するとき、
行為の自然性を貫くように
意識は行為領域の背景にしりぞいている

情動と行為がスキマなく直列した状態

情動と行為が一体化し両者を媒介する何ものも存在しないとき、
事態はある〝因-果〟的に、線形的に
定まった方角をめがけて動いていく、ようにみえる

帰結から行為をふりかえった後に
「感情のままに」
「衝動にかられて」
そんな言い方をすることがある

行為と情動が直列するとき、夢中であるとき
意識の反省機能は出現の機会を与えらない

そのつど振り返る意識は行為的遂行の渦中にあって
いわば〝欄外〟の置かれている

しかし生きることの全域性はそれだけで完結しているわけではない
情動について行為について事後的に振り返ることはできる

どんなに直列した状態にあっても
どんな経験もトレースされメモリに刻まれている

生きられた軌跡は意識するまでもなく
頼んだわけでもないのにメモリに収納されている

なぜか

記憶のプールから特定の行為を引き出し想起することはできる
熱が冷めた段階で引き出そうとするものに引き出しは用意されている

意識と切り離された位相で行為の進行をモニターし
内部に記述する「メモリ機能」はつねに作動している

それだけではない
メモリにはそのつどの情動の微細な動きも刻まれている

なんのためにか

一つの仮説──
定型化した行為の組織法になんらかの修正の契機をあつらえるために

実存主体と世界、両者の関係が安定した定常性をキープしていれば、
定型化した行為の組織法に修正をほどこす必要は生まれない

しかし関係はつねに変化、流動のなかにある

いずれかに定常性を破るようなノイズ、トラブル、課題が発生したとき
両者の調和的関係、整合的なからみあいに〝破れ〟が生じ
なんらかの〝修正〟あるいは〝転換〟をほどこす要請が生まれるとき

なんらかの〝修正〟へ向けてスタンバイしている内的作動がある
それを〝スキマ〟と名づけてみる

行為と行為の間にみずから用意された非空間的スキマ
自己の再組織化、再編集に開かれた、新たなフォーメーション形成のための空隙

みずからに内在するこの空隙へのまなざしをキープしておく
理由が明らかである──
〝よりよき生〟、新たな存在可能へ向かう契機を見失わないように

 

 

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