ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「絵を描く」 20230131

2023-01-31 | Weblog

 

 

 

前提を埋め込んでせめぎあう
分別をこすり合わせ削りあう

自明性が引いたラインの彼岸と此岸
最終解を求め雌雄を決するように潰しあう

罵りあう世界の口を塞いで黙らせる
そうしてはじめて開かれる位相がある

チーム正義は知らない、その外にある

何もいわず絵を描くスペースを開き
筆を握ってキャンバスに向かう

そこで出会えたらいいと思う場所がある

 

 

 

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「親鸞のおしえ」 20230131

2023-01-31 | Weblog

 

 

 

「いわんや悪人おや」(歎異抄)

 

パラフレーズすればこうなる──

善人づらのほがらかなのぼせあがり、むごたらしさ、残忍さ
この光景はきちんと胸に刻んでおいたほうがいい

ゲスも悪党も鬼畜もはぐれ者も暮らすことが許されない
清く正しく抗菌処理された遊園地エリア
魂のチャイルドシートに着席して生きる、その閉域性について

 

 

 

 

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「希望が暮らす場所──中間地帯 20221206

2023-01-30 | 参照

 

              おのれではない誰かにとっての充足と安心の感覚が、
              おのれの充足と安心をつくる大切な条件であるとき、
              愛と呼ばれるものがそこに生きられている。(サリヴァン)

 

          *

 

──ハリー・スタック・サリヴァン「緊張─対人関係と国際関係」阿部大樹訳

ここまでわずかに触れただけだが、私たちには「一体になろうとする」、
いわば相補性の欲求とでもいえる引力が効いていて、
この欲求が繰り返して感じられると関係性が固く結ばれていくことになる。
そして反対に、ここまで多くコトバを費やして説明してきた、
不安およびその派生物、そして恐怖には私たちを「遠ざける切断力」があって、
この不快な「切り離し」が繰り返して感じられると相互不信や嫌悪が固まっていく。

この二つを論じただけではまだ不十分で、対人的な相互作用がありえたのに欠如したこと、
つまり「中立地帯」のできることについても考えなくてはならないだろう。

中立地帯に足を踏み入れるのは睡眠と覚醒のあいだ、すなわち夢を見ているときである。
ありえたけれどもそうと気づかれなかった関係性が、寝ているときや夢遊病の最中に現れる。
夢が醒めてからは事象のつながりは霧散していく。

 

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「よき感情」 20230129

2023-01-29 | Weblog

 

 

引き返せない時間、取り戻せない場所
そのことが気づきを与えることがある

亀裂、破綻、切断、訣別、喪失が導く負の感情

言葉たちを、別の必然性において、その逆の方角へ
新たな「ありうる」を導き、ささえるように

見出したほうがよいもの
そう呼ぶほかないもの
いまを損なわないよき感情がある

そうあれかし

静かな祈りに似た感情があって
それが尽きることなく保たれるとき
ある出来事の訪れを迎える場所になる

そうかもしれない
そうではないかもしれない

たしかなことは言えない

それがなにかはわからなくとも
損なうものに加担しない心のかまえ
そういうものはありうると思える

 

 

 

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「イマージュ──夏の光」 20200808

2023-01-28 | Weblog

 

 

 


 エピソードのクラスを相手にするためには、
 この小さなパターンへのとらわれを打ち破らなければならない。

          ──G・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳

      *

幼い心をグリップするように
一つのイマージュが占領している

「泳げるようになりたい」

変身を求めて沸き立つ心
可能性としての身体

できることとできないこと
ふたつのスキマに希望が点滅している

どうすればいいのか
なんとなくかんじている

できるようになるために
からだは時間化する

泳げないからだと泳げるからだ
イマージュがふたつの時間に橋を架ける

夏の光を浴びながら
さなぎが羽化するように'

(架けられた橋を渡る)

かたちはほどかれ
新しいかたちへ結びなおされていく

いったん壊してから組み立てる
からだの新しいフォーメーション

いも虫からさなぎへ
さなぎから蝶へ

(メタモルフォーゼ)

からだはイマージュにみちびかれ
泳げないかたちを脱ぎ捨てるように変化していく

 

 

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「夜行列車」20220222

2023-01-27 | Weblog

 

 

深夜の駅で二つの列車が偶然のように隣り合う
外は音もなく深い闇に溶けている

視線を感じて見ると窓ごしに女が顔がある

ただ視線だけが交わり
交わったまま視線を逸らすことができない

どんな表情も意味も無意味も構成できない
味わったことのない情動が動いている

発車のベルが鳴る

女のまなざしが突き刺さったまま列車が動きだす
交わりを切らさないように視線を移しながら限界線を過ぎる

底知れない闇にかき消えていく刹那のまたたき
たったそれだけのことに引き裂かれていた

 

 

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「エロス中心性の転移」20230127

2023-01-27 | 参照

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第二巻

「フロイトが自体愛から対象リビドーへの転移として描いたものを、
われわれは「リビドー概念」を廃棄して、
「身体的エロス」から、「能う」エロスを中間項とした
「関係的エロス」(関係感情のエロス)へのエロス中心性の転移とみなす。
「関係的エロス」への中心性の転移によって、
人間のエロスは幻想的本質を獲得し、動物的エロスから本質的に離脱する」

「人間が作り上げる関係的エロスの本質は、
それが「言語ゲーム」によって媒介されることで、
「関係感情」のエロスの変様形式として展開してゆく、という点にある」

「母の禁止-要求によって幼児は初期的なエロスの全能性を放棄し、
身体のエロス、能うエロスの中心性を、
母との関係感情のエロスへと転移せねばならない。
関係感情のエロスは、「子」が家政的言語ゲームによって、
諸ルールを内面化してゆくことの前提となり、
さらに「母」による「よい子」と「わるい子」という文節的規定を介して、
「自己価値欲望」と「自己意識」を形成する道へとつながっている」

 

 

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「ライン」 20230126(20211025)

2023-01-26 | Weblog

                      いつか、虹の下で - YouTube

 

 


 「現前意識の周縁に揺曳するもの」

     ──中井久夫『徴候・記憶・外傷』

 

ことばにすることしないこと
することしないこと
分別が引いたラインがある

おとなだから

そうですか、そうでしょうね
でもそれだけじゃダメなんだよ

行き先は決まっている

スーパーフラット
のっぺらぼうの方角さ

削りとられ、こぼれていく
おとなの自覚がしでかす

ほんとうに出会うまえに見逃す、手放す
紙一重のゆらぎ、刹那のまたたき

永遠に出会えないものをつくり出している

ことばは据え膳のように用意されている
決めごとのようにこの世を包囲している

出会えないものに出会うまえに
見切られるこの世のきらめき、光がある

バカすぎる、そう言っておこう

引きなおすために解除しておけ
絶対にそうしなければならない理由と出会いがある

忘れるなよ
偉そうな分別の一本道だけじゃないんだぜ

行き道も帰り道もけもの道もはぐれ道もあつらえて生きる
それがほんとうのおとなの作法というものさ

 

 

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「Backstage──連結のアトリエ」 20230126

2023-01-26 | Weblog

                                                                      Alan Walker - Sing Me To Sleep (Lyrics) - YouTube

 

 

どんなに迅速な展開状況にあっても
プレーとプレーのつなぎ目は存在する

車両と車両をつなぐ連結スペース
すべてのプレーはこのつなぎ目を経由して出力される

出力のしくみは世界には表示されない
すべてはバックステージで起きている

世界が指定するコードに従って動く状況のウラ側に
状況の進行をモニターし、記録し、審議しながら
新たな連結を創り出すための作業場がある

世界にとって不可視の、不可触のアトリエ

どんなに切れ目のないように見える展開状況に直面しても
次のプレーはこのアトリエを経由して生み出されていく

このアトリエにおいて、日々、刻々
まよい、ためらい、はじらい、ゆらぎ、息つぎするように
新たなプレーの出力を思案しつづけている裏方

オモテの一人称を支えるために試行錯誤をくりかえす
プレー創出の作業に専心して生きる影の一人称がいる

このアトリエと裏方を失うとき、状況と状況は直列して
一つとなった状況の展開に巻き込まれ、存在は丸ごと呑み込まれていく

 

 

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「対話的身体」20230125

2023-01-25 | Weblog

 

 

 

不安、あせり、いらだち、怒り、苦しみ、悲しみ

未決性、連結性、対話的身体性──
この展開本質から見放され、遠ざかり、その契機が失われていく

そう感じられるとき

状況からの離脱あるいは修正を求めるように
生(対話的身体)はみずからに負の情動を処方する


  ──中井久夫「統合失調症の言語と絵画」

   文法家は好んで文を一つの完結した系と考える。
   しかし、われわれが一つの文を言い放ち、それが虚空に漂い去るのを、
   あたかも煙草の煙の行方を追うように、ただ眺めていることは、ごく稀である。
   文は、つねに次にくる何ものかを予想している。
   会話においては相手の文を、命令においては行動を──。
   ひとりぼっちで長い文章を綴る時ですら、文は先行する文章を承け、
   次の文章を喚起してゆく。いわば対話的構造が潜在的に存在している。
   数学の証明ですら対話的構造をもっているといえるのではなかろうか。

]

 

 

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「不定形──être」 20230124

2023-01-24 | Weblog

 

 

 

不定形──あらゆる活用に向けてスタンバイしている

あらゆる人称に変化する非人称性
あらゆる状況に開かれた非文脈性
過去現在未来、全時制を含む非時間性

この活用をになう存在はただひとり
「私」(Je)以外には存在しない

人称指定、文脈指定、時間指定──

うちなる意志の励起において活用のコマンドが走り
すべての指定を束ね、駆使ながら新たな記述へ向かう

記述の全プロセスはメモリに次々に格納され
記述は時間化して積み上がり、歴史的身体「私」をつくる

 かつて いま これから もしも
 (étais suis serai serais)

一回的記述が累積する歴史的身体、すなわち個人史が畳み込まれた言語的身体
言語的身体「私」は不定形と一体化して新たな記述の起点を形成していく
(この一体化が記述展開の切り離せない資源となる)

新たな記述のはじまり、すなわち不定形への帰還──

ここで人称指定、文脈指定、時間指定はいったん全解除され
新たなコマンドの励起を待って新たな記述が開始される

どんな人称・文脈・時間の指定性に出会っても
すべての起点をつくる不定形の位相はつねにキープされる

 

 

 

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「展開形、第三領域」 20230123(20211023)

2023-01-23 | Weblog

 

 

 

展開形、その波形はさまざまに変化する

高速、低速、失速、高揚
上昇、下降、旋回、転位

さまざまな気象、気圏
遭遇するストーム、事象

そのつどの視界、情動と意志
そのつどの加速と減速、

スコープに映る気圏
予期のエロスと不安、展開予測

曇天の空が隠した青空
青空に潜んだ嵐の影

回転数を上げて翔け上がり
展開域を拡張する

描かれた波形の全時間、全航跡
メモリに格納された展開履歴

(フィードバックする)

情動累積、思考累積、関係累積
すべてを資源として召喚する

ここにあるもの、ここにないもの
一つの波形を構成する全アイテム

すべてを結び直し
新たな波形が描かれるように

すべてをひとつのこととして
新たなスコープをあつらえる

    * 

それぞれに、存在ごとに、固有の巡航速度があり
生の気圏に描かれる航跡、一回的波形がある

その全時間、全航跡、全景を追尾し
とらえ尽くすまなざしはどこにも存在しない

たがいに出会う時間、出会える気圏
波形が交わる限られた場所、限られた時間のなかで
投げ合う言葉は限られている。

それでも出会うことに
なんらかの〝決着〟をつける言葉を用意しあう

出会ったことに挨拶を交わし
手を振り、いちどきりの別れを告げる

 「ありがとう」

心を柔らかくして、窓を開く
永遠の相の下で──

すこしだけ現実への着生がゆるむ
たとえば、茜色に染まった夕暮れ

そこでだけ許された時間がある

海と空が出会う、虹の彼方
根拠なく萌すものがある

見渡すかぎり
どこまでもはてしなく

思いのたけ思うかぎり
見たい夢を見たいかぎり

わかれの言葉を交わし
消えてゆく航跡を見送りながら

そのはてに萌し、たしかに刻まれるものがある

わからないことのわからなさ
知りえないことの知りえなさ

ことばにできないことのできなさ
わかりあえないことのわかりあえなさ

伝えきれなかった、伝えそびれたことば
たがいに未知であり、非知であること

そのはてに一つの予期が走る

それぞれの航跡を描きながら
照らし、照らされ、照らしあう

どこにも航跡をとどめない
生きられているもう一つの気圏がある

波形がたずさえる第三領域

いつかどこかで、そう信じるに値する合流の気圏がある
そして、そのことすべてに心をよせる友はいる

 somewhere in time

この予期において新たな波形が描かれていく

 

 

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「からだ──自由意志のマトリクス」 20221217

2023-01-23 | 参照

 

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第一巻(685)

ここで「身体」は客体的存在ではなく、世界を対象化し客体化する実存の中心として、
すなわちニーチェの「力」、ハイデガーの「気遣い」の概念を継承するものとして
定位されているが、さらに主体自身にとって完全には意識されえない領域として措定される。

すなわちメルロー=ポンティにおいては、世界を相関的に分節する実存の中心は
「意識、主観、自我」であるのではなく、「人間的身体」それ自身にほかならない。

腕の切断手術を受けた人間が幻影肢をありありと感じる仕方は、
われわれがいま目の前に存在していない親しい友人をありありと思い描くことが
できるのと似ている………。
幻影肢とは、現前しない腕の「表象」というより、
自分の腕が世界にもっていた実存可能性の「両価的現前」である。

(腕の切断の)心理的否認は、
われわれの「心」における一つの意志や態度決定としてではなく、
つまり、なんら「われ惟(おも)う」の秩序においてではなく、
むしろわわわれの「身体」がもつ実存性の秩序の表現にほかならない──。

メルロー=ポンティによれば、「身体」の実存性とは、
われわれが単に生理的身体を生きているのではなく、
いわば過去の経験の総体的な堆積として自己の身体を生きていること、
それは想起可能な記憶としてではなく、非人称的で身体化された世界経験の総体として
われわれの「身体性」を構成していること、を意味する。

過去がそのような経験の全体性として与えられているかぎり、この経験の総体は、
「身体」を媒体としてわれわれの存在を満たしており、
われわれはそこから完全に身を解き放つことはできない。
たとえば、フロイト的無意識とは、抑圧された過去の記憶ではなく、
「身体」それ自身がはらんでいる経験の非人称的な時間性を意味する。
そしてわれわれの「身体」の無名性は、
われわれにとって自由の根拠であるとともに一つの隷属性でもある。

メルロー=ポンティのこの卓越した観点を、われわれは、
そのうちに経験的時間を累積する実存的身体という意味で、
「発生的身体」と呼んでおきたい。

 

 

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「夜の時間」 20230122

2023-01-22 | Weblog

 

 

 

  海の神秘は浜で忘れられ、
  深みの暗さは泡の中で忘れられる。
  だが、思い出の珊瑚はにわかに紫の火花を放つ。

     ──ヨルゴス・セフェリス(中井久夫『徴候・記憶・外傷』)  

 

月明りの木立ちを抜ける風が吹いて
夜の匂いが窓から流れはじめる

ページをめくる手が止まり
からみついたコードを外すように
神聖な文法が降りてくる

命令でも要請でもなく
光の構成と方角が変化する

真昼の光を照らし返す光源の発光

この逆光において開かれる地平
珊瑚が紫の火花を放つ場所がある

 

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「ハイコンテクストへ」 20230121(20210628)

2023-01-21 | Weblog

 

 

 

状態遷移の激流、氾濫
場面の加速展開、加速転換

コンテクストの変形
読解能力超の意味配列

追尾不可、デコード不能
解凍不可の過剰な情報圧縮

解釈コードの切断、破砕、飛散
ノイズの乱入とカオス化

アイドリング、ノッキング、エンジン停止

システム崩壊の一歩手前
けつまづいて地べたに顔面が直撃する

どうしたらいい

明らかなことがある
こじ開ければ完全崩壊する

不可視の展開、わからない
残された方法は一つしかない

(直観が告げる)

すべてを変数Xとしてたずさえ
自然解凍が現象するハイコンテクストへ

 

 

 

 

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