ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「静かなとき」20240131 20220227

2024-01-31 | Weblog

               夜に駆ける YOASOBI 【歌詞付き】 (youtube.com)

               YOASOBI - 群青 / THE FIRST TAKE (youtube.com)

 

 


 わたしたちは夜の時に語りあった
 わたしたちは語り合ふことで感じたいと願ってゐた
 わたしたちが伴ってきた
 不幸やそれが重なりあって形成してゐるしずかなときを!

       ──吉本隆明「日時計篇」上巻・281

      *

超えないほうがいい
どこにも表示されない
ボーダーラインがある

だれもがとか
みんながとか

いわないほうがいい
触れると消えていく

ひとり ひとり こわれやすく
たしかめることのできない
静かに生きられている固有時がある

そう思ったほうがいい
踏み入ってはならない地平がある

そして、もう一つ
覚えておいたほうがいい

よそよそしさ
なれなれしさ
親しみ
もてなし
礼節、配慮
わかること
わからないこと

おとずれる表象のすべて
どれにも似ていない

かたちがほどかれ
時のあわいに誂えられる

逸脱でも侵犯でもない
すべての境界が溶けてゆく

超えることが許された関係のときがある
超えなければならないときがある

(振り返って泣かないように)

くりかえされることのない
いちどかぎりの静かなときのために

 

 

コメント

「歌、ことば、波形」20240130 20230811

2024-01-30 | Weblog

 

 

歌、ことば、表情、ふるまい、表現、なんでもいい
すべて一つの意味に収まらない連想のクラウドが同伴している

歌の主題はどこにあるのか、それが一番だとしても
まったくちがうようにも聴くこともできる

なにがこの歌を歌わせているのか
なにがこのことばを選ばせているのか
なにがこの表現へ向かわせているのか

世界経験の症状としての歌、ことば、波形
そのつどの経験と展開を作り出していくもの
すべての始発点を作りながら姿を見せないもの

より適切には、こう云ったほうがいいかもしれない
「どこにみなもとを発するか?」

あんな聴き方もそんな聴き方もできるということ以上に、
俺たちの最初の受信はいつもそこにあるのだ、と

 

 

 

コメント

「親鸞のおしえ」20240129 20230131

2024-01-29 | Weblog

 

 

白い手と汚れた手
善良なるものと邪悪なるもの

ふたつに線を引く魂のほがらかなおそましさむごたらしさ
この光景はきちんと胸に刻んでおいたほうがいいと思う

そこからはぐれて生きるどんな存在も暮らすことが許されない
清く正しく抗菌処理されたエリア、魂の閉域性について

 

 

コメント

「問いと解」202428 20211104

2024-01-28 | Weblog

 

 

全問正解、満額解答、最終解をめがけるルートではない
絶対解をゴールとして生きているわけではない

絶対の真理、絶対の正義、絶対の善
ガラスの天井を敷設すれば、そこが行き止まりになる

問いは生まれ、更新され、くりかえし生まれつづける
世界はほどかれ、結び直され、新たな解が導かれ
そのつどの解を投下して新たな問いの下地が作られる

問いを糧として、資源として、よりよい解をめがけて生きる
よりよい、とは一体何か、何にとってのよきことか

はじめから決定項、最終解のなかで生きること
そんなことはできないように出来ている

外部に示された絶対解ではとうていありえない
ただ、そのつど、われ欲すにおいて探索する地平
それを「よきもの」とする、価値とする交換の地平はある

みずからの問いと解をたずざえ交換の地平に向かう

だれかとだれか、よきものとよきもの
そう信じるもの同士が出会って混ざりあう
誰のものでもない第三の問いが生まれ
共有された地平において新たな解をつくりだす

このセッションの展開には明らかに「快」がある
ひとりではかなわい獲得できない経験がある

ことばにすればそれだけのことにすぎない
たったそれだけのことを価値として生きあうことはできる

最後の解はどこにも存在しない
実体化すれば世界は一つの像としてフリーズする

交換の地平を生きあうかぎり
相互に交換の地平が保たれるかぎり
この努力の集合において相互に報われる地平がある

はじめから決められた「解」から逆算して生きるのではない

さまざまな問いと解が織り上げる「地平」を価値とする
そうして生きることを決め、生きあうことはできる
俺たちの展開本質にかなう作法、そう思わないか

 

 

コメント

「倫理」20210127

2024-01-27 | Weblog

 

 

 

みずから信じる倫理的な内圧が高まったとき
すこし頭を冷やしたほうがいいかもよと思うことがある

(黙って聞いてほしい)

なすべし、あるべき、ねばならぬ、であってはならぬ
絶対にそうじゃねえだろ、誰しもそんなことがあるさ

(まっすぐな心情の誠実さは疑えないとしてもさ)

でもね、そういうものが頭と心をもたげたとき
それはテンパった状態かもしれないぜ
この反照が新たなルートを開くことがあるかもよと思う

つまり、それって世界の姿が切り詰められていく
結果的に、魂のフリースペースが縮小していく徴候かもしれないぜ
対岸とブリッジする余白が消えてしまうことを意味するかもな

少しだけ立ち止まってそう考えられたらいい、そう思うことがある
第一に俺自身に向けてのことだけどさ、ちょっと考えてみてくれ

 

 

 

コメント

「おおたか静流、花」20240127

2024-01-27 | Weblog

                   花 (youtube.com)

 

 

博多渡辺通り四丁目あたり、名前も覚えていない居酒屋
三人で囲んだテーブル、店内に有線放送が流れていた

だれか知らない、どんな資格で歌っているのか
いきなり場違いの歌が一番柔らかい部分に侵入してきた

いいもわるいもない、わけがわからなくなって
話をするどころではなくなり
嗚咽を見られたくなくてトイレに駆け込んでいた

 

 

コメント

「橋を架ける」20240126 20231216

2024-01-26 | Weblog

 

 

哲学のことばではこう示される──

 生成と産出の無限の活動を通じて、
 理性は分離されていたものを合一し、
 絶対的な分裂を、根源的な同一性によって
 制約された相対的分裂に格下げする。 
  (『ヘーゲル・セレクショ』廣松・加藤編訳)

涙の谷を渡るルートを開くように
動かない重い思考を動かすように

リンクする
糸を通す
結び合わせる
血を通わせる
ブリッジする

結び直すためには一度ほどかなければならない
そのために経由すべきエリアがある

なによりスペースをキープする
キープする意志をキープする

バインドされた世界との直列を外すように
スペースを開き、あらゆる確定記述の外へ出る

一切の確定記述を解除して静かにたたずむ
そこが始発の場所を意味する、それから深く降りていく

湿った深い地層がある
いつも濡れている

いまも降りやまない雨粒が沁みていく
涙が積み重なった底知れい地層がある

ことばの包囲がほどけていく
さらに深く地層へ降りていく

かなしいことばに呼びとめられる
ひとつひとつに理由があり根拠がある
代わることのできないそれぞれの由来がある

呼び止められ、くじかれる心を黙らせ
耐えがたい限界を超えるように、
リミットを超えて降りていく

第三領域、人称以前、非人称の連結エリアへ
精神医療の世界では小難しくこう呼ばれたことがある

「調和的相互浸透渾然体」(バリント)
 harmonious interpenetrating mix-up

行きっぱなしではない、そこから帰還する始原の場所がある

 

 

 

 

 

コメント

「記録係、世界の時間化」20240125

2024-01-25 | 参照

 

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第一巻


ベルクソンの「記憶」の概念は、生命体に何らかの感覚、意識、感受、
つまり「内的体験」があるとすれば、それはすなわち世界の時間化として
了解されるものであることをよく表現している。

最も根源的な出来事としての世界感受という事態……

「内的体験」の本質は、どんな意味でも現代の認知科学が求めるような
事物的因果性との交換式をもたない。

哲学はこの内的体験の様相を、多く、明るみや閃きの比喩によって、
あるいは同一、否定、区分、差異の概念によって形式論理化してきた。
われわれはそれを「エロス的力動」の概念によって再編する。

欲望が告げ知らされ、一つの欲求-衝動が開始されるや、
主体が突き動かされ、引きつけられ、接近をめがける努力を開始する。
ここに「身体」の本質が、すなわち対象との求心的-遠心的力動の
可能態としての「身体」の本質がある。

生き物はつねにすでにエロス的力動の可能態としての身体である。
一切の生き物は、衝動、欲求によって世界を時間化し、
また「身体」において世界を空間化しつつ生きる。

われわれはこういわねばならない。
「過去・現在・未来」が「ある」は「実在する」ではなく、
「現前意識」のうちで構成される「世界」の現出の秩序性であると。

 

 

コメント

「こどもの疑問」20240124

2024-01-24 | Weblog

 

 


  「子どもは、ペットの次に大人の慰みものにされやすい存在である」
         (中井久夫『「思春期を考える」ことについて』)

   「いまさら生活指導の先生はいらないでしょ」
            (レスラー三沢光晴)

      *


ぼくたちは教室から出て行きます
でも先生たちは教室に居つづけます

このちがいは決定的です

先生は先生のまま生きられます
生徒は生徒のまま生きられません

(生徒のままでは自立できません)

学校に居つづける人が出て行く人を教える
どう教えるのでしょう?

生徒をつねに必要とする職業の人がいて
生徒の属性をいつか脱ぎ捨てなければならない人がいる

この両者のニーズの矛盾は、どの時点で、どう解消されるのでしょうか
学校はその答えをちゃんと用意しているのでしょうか

 

 

コメント

「返信」20240124

2024-01-23 | Weblog

 

 

観るより、描く、かな?

ミロとピカソ
ともに定型を破壊して遊んだふたりは
幼馴染みということでした

ミロの絵をみて、
教養のアトリエが浮かびました。

デタラメが遊ぶ居場所、分別のダサさ
一切の配慮を外したフリースペース

(例えば民青的正論は圏外、そのクサさは常識以前だった)

それがただ一つのとりえ
得がたいとりえだったかもしれない

新作!いつか拝見したいと思います

 

 

コメント

「一次愛からの分離、自我の愛」20240123

2024-01-23 | 参照

 

 

──アリス・バリント「母への愛と母の愛」中井・桝矢訳

母からの分離とは、相互性にもとづく
原初的愛着を解消させるという意味ならば、
母親が私的利害をもつ個別の存在である
という事実を受けいれることを意味している。

そういう母親を憎悪してみても何の解決にもならない。
憎悪とは愛着を温存しつつ、
それにマイナスの符号をつけることだからである。

洗練された、配慮、思いやり、共感、感謝、
(抑止された官能性という意味での)やさしさ、
これらは情動の世界における現実感覚の力が
増大しつつある徴候でありまた結果である。

社会的な意味における愛を可能にする現実的能力は、
外的な攪乱によって生み出される二次的形成物である。
それは性器性(の発達)とは直接の関係はない。

性器性交は、実は、幼児期に経験した互恵的相互依存が
再創造される場である。両者の中間期に学習したものは
何であっても求愛には重要な役割を演ずることだろうが、
性行為の最中は忘れなければならない。

私は、観察可能な現象から出発して、
この初期段階を現実感覚なき古型対象関係と表現しようとした。
一般に愛と言い習わされているものは、
現実の影響下に直接この初期相から発生してくるのである。

私の仮説は、自我をイド(エス)という用語を使えば
簡単に述べることができる。
現実感覚なき古型の愛はイド(エス)の愛であり、
それはそういうものとして生涯存在しつづける。
一方、社会的な、現実に基礎をおく愛の形は自我の愛の形である。

 

 

コメント

「Another Galaxy」 20240123

2024-01-23 | Weblog

             京都橘S.H.S. BAND 京都さくらパレード2018 - (youtube.com)

             京都橘高等学校吹奏楽部 2010年ブラスエキスポ (youtube.com)

             京都【京都橘高等学校】マーチング (youtube.com)

 

 

心臓に近接した生の前線があって
いまここを告げる作動がある

けっして追い越すことはできない

頌歌なのか悲歌なのか
過去か未来か、向かう方角はどこか

考えるよりはやく世界への着生が告げられる

読み切れないシグナル群を縫うように
新たな結界へ導く光の通り道が開かれる

すべてを照らし返す意志が駆けている
より生の祝祭が沸き立つ方角へ

 

 

コメント

「詩人の肖像」20240122 20230930

2024-01-22 | twitter

 

 

真理と真理、正義と正義、善と善、現実と現実
せめぎあい、呪いあい、殺しあう
ただ一つの惨劇のふるさと、現世、涙の谷(マルクス)

     *

どんな職業のリストにも載らない仕事の人
涙の谷を目撃した哀しみを糧として耕す人
詩人と呼ばれた心の起源に一つの意志が励起する

滅ぼしあう両岸をブリッジする
橋を架ける理由はただ一つ

 すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから (『春と修羅』)

荒廃と滅びのふるさと、死の谷を無力化する
無力化して新たな交感のルートを開通する

地質、水量、風量、地震、洪水、交通量
強度、耐久、耐震、エトセトラエトセトラ
想定可能な全パラメータの集積と解析、構造計算

この準備作業に先行して起動する連結装置
一切に目的と意味を与える一つの意志のかたち

 すべてこれらの命題は
 心象や時間それ自身の性質として
 第四次延長のなかで主張されます (『春と修羅』)

意識と意識
感情と感情
存在と存在
非在と非在
価値と価値
真理と真理
正義と正義

ことばを用材としてすべてをブリッジして連結ルートを開く
鉄道を走らせすべてをシャッフルして混ぜ合わせる

みずからを連結装置とする作業の目的はただ一つ
混ぜ合わせた一切を新たな祝祭のマテリアルに変換する

 

 

コメント

「信念対立──未決のアポリア」 20220404

2024-01-21 | 参照

 


──竹田青嗣『人間の未来』

カントによれば、何が善であるかは理性によって必ず判断でき、そうである以上、
人間は、自由であるためには、善をめがけて行為する意志をもつべきとされる。
善(道徳的行為)に向かう自由意志に人間の自由の本質があるから、
この「当為」(かくあるべき)こそ「道徳法則」
(自然法則ではなく、自由の世界の法則)なのである。
だがここからは、理性が感情や欲望を抑制し、善の判断を絶対的義務として向かうべし、
という理性対感情の対立の構図が現われる。

しかし、ヘーゲルによれば、理性が感性(感情・欲望)を一方的に抑制するという仕方ではなく、
むしろ人が教養を深めることで、感性や感情のありようをより社会的なもの(=普遍的なもの)
へと陶冶してゆく点に、近代精神の倫理性の本質がある。

カントの「道徳」の本質は、「人間は善であるべき」という理想家の
単なる希望、当為、要請、要求を超えるものではなく、感受性をより
普遍的なものへ陶冶してゆくという近代人の倫理の本質にむしろ反するものである。

さらに、もっと決定的な批判は、ヘーゲルの、
近代社会における「善」の理念の複数性という考え方から現われる。

近代社会は人々の「自由」を解放し、許容する。この自由は大きく二つの柱をもつ。
各人の「享受」の追求の自由と、各人の「善」(ほんとう)の追求の自由である。
すなわち近代社会では、「享受」だけでなく「善」の追求もまた自由なゲームとなる。
いうまでもなく近代以前の社会では、善はただ一つ(=真理)でなければならない。


──竹田青嗣『言語的思考へ』

私の考えでは、カントの「最高善」の理念は、近代的な「善」の原理としてひとつの
極限概念をなしている。それはつまり、「善」という概念の根拠を、
極限的理想状態から逆算して導こうとしているのである。

しかしすでに見てきたように、現象学の方法では、「倫理」や「善」の本質を
捉えようとするなら個別的な内的実存におけるその本質から出発し、
そこからこれを「間主観的」に展開していくという順序をとらなくてはならない。

そして、この方法によって取り出される「倫理」の問題の本質的アポリアは、
「福徳一致」や「万人への愛」といったアポリアではなく、
「信念対立」というアポリアにほかならない。

現代の社会理論は、社会が客観的に「いかなる存在か」という
事実学であることはできない。
むしろそれは、何が社会の「正義」や「公共」の根拠たりうるか、
また統治権力の正当性が何にもとづくのかについての
普遍的な理論でなくてはならない。
そしてその根拠は、デリダ的「贈与」やレヴィナス的「他者」といった
任意の理想理念に求めることはできない。
そうした理想理念は現代社会の矛盾や問題点を人々に意識させる
ことはできても、価値の多様性、あるいは理想理念の複数性という
難問を克服する可能性をもたないからである。

市民的メンバーシップの育成に失敗すると、
社会は複数の共同性、複数の価値観によって分裂し、
その対立によって市民社会としての命を失うのだ。

 

コメント

「最低限のプライド」20240120

2024-01-20 | Weblog

 

 

若者支援?

ばかにすんじゃねえよ、おっさん
子供扱い、生徒扱い、ふざけるな、てめえ自身の課題があるだろ
すりかえるんじゃねえよ、そこを掘ったほうがいいじゃねえか
まっすぐに向き合ったほうがいいじゃねえかな

(余計なお世話さ、お互いさまかもな)

あの詩人は金輪際ごまかさなかった
そのはての救われない見事なあの死にザマさ

まねできない死にざまだよな
仲良し相手のツアコンレベルの話じゃないぜ

(入口がツアコン水準なら台無しだな)

種を蒔く?
ツアー客をバカにするにもほどがあるな

ところまわず感応できるやつは感応するさ
ひとりひとり時が熟す時間がある、覚えておけ
この時間はけっして加速することができない
先取りして手柄にしたい下心の臭さダサさ、わかるかな

かっこつけないほうがいいな、
老若男女問わず真剣な連中にはばればれだ

わかりやすいメディアレベル戦後民主主義レベルの外
全然別の場所をあたったほうがいい、がんばれ、あばよ

 

コメント