ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

落合式/スローパワー

2012-12-29 | Weblog

1、スローパワー:脱力状態でパワーを溜め、一点に向けて吐き出す。
  可能なかぎり全身リラックスの構え。特に肩甲骨周りの筋肉は意識的にほぐす。
  グリップは握るのではなく、ひよこをやさしく包むように。

2、ピッチャーの投球動作に同期しながら、やや前傾のスクワット型の姿勢へ。
  身体の回転を先行させ、一本のムチを巻き込むように振り出し、インパクトでマックスへ。
  
3、慣性モメント(回しにくさの量)を小さくして、回転速度を上げる。
  ムチの使い方は、腕を畳んで高速回転するフィギュアスケート選手のイメージ。

4、両手を手刀(空手チョップ)のイメージで回転させると、自然に両脇がしまる。
  右手はフォアハンド、左手はバックハンド。

5.前足をステップするとき、右腰を沈め、パワーを腰に溜める。
  インパクトの瞬間に右腰を跳ね上げるようにして、下半身で打つイメージ。
  
6、センター返しが基本:両肩を結ぶ線と平行に打ち返すバッティングが最も自然。
  
7、回転軸に巻き込むような振り出しから、最後フォロースルーを大きく(腕を伸ばす)。
  ボールを強く叩くには、手首を返さず、ボールを送り出すイメージで。

8、足は開いてもOK。クローズドになるほどボールが見えにくくなる。
  スタンスにこだわると両眼視差が死に、立体的にボールが捕らえられない。 

9、意識状態:身体制御を一切行わず、バッティングのイメージに同化する。
  細部への注意を捨て、バットと身体がつくるシステムのフローと一体化する。

10、「どんなボールも手でキャッチできる。即ち、どんなボールもバットで捕えられる」 

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如来とのメタローグ――Ⅰ

2012-12-28 | Weblog

  いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考えるそこに居ります。
  すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、
  いつでもいっしょにゐるのです。
  けれども、わたくしは、もう帰らなければなりません。
  お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。では。ごきげんよう。

                      ――宮沢賢治『マリヴロンと少女』

「あなたはとても疲れた顔をしていますね」
「どなた?」
「ぶしつけでごめんなさい」
「どこかでお会いしました?」
「初めてお目にかかります」
「おかしな人?」
「信じないでしょうが、如来と云われています」
「アミダくじの?大丈夫ですか?」
「ええ、いたって」
「ごめんなさい」
「無理もありません」
「勘弁して」
「時間はとらせません」
「だから」
「十万円差し上げます」
「如来がそんなこと言っていいの」
「方便といいます」
「よくわからないけど」
「ほんとうです」
「マジかよ」
「はい。十万円です」
「おっと。しょうがないなあ、何でしょう?」
「この時代の感受性は研ぎ澄まされています」
「は?」
「如来の関心領域の一つです」
「意味がわからない」
「おいおいわかります」
「如来はわかったけど、なぜ私なの?」
「ひどい世の中だと顔に書いてあります」
「それだけ?」
「顔はその人の本質を映します」
「だから?」
「ぜひお話したいと思いました」
「続けてみて」
「評価のメカニズムにかかわります」
「手短にね」
「みなさん、評価に対する研ぎ澄まされた感受性をお持ちです」
「評価は大事だから」
「ええ。しかし鋭敏すぎる感受性が自分を苦しめます」
「仕方ないよね」
「評価は誰からのものでしょう」
「上司」
「ほかには」
「世間とか」
「ほかには」
「奥さんとか、いろいろ」
「大事なあなた自身が抜けています」
「じぶん自身?」
「ええ。あなたに住みついたもう一人のあなたが苦しめます」
「そうなかあ」
「じつはアナタ以外誰もいないのです」
「まさか」
「世界にはあなたしかいません」
「やっぱりダメだ」
「もう少し我慢してください」
「ほんとに大丈夫?」
「きっとお役に立てるはずですから」
「なんだかなあ」

「いまのご気分は?」
「いいはずがないでしょ」
「低すぎる評価に悩んでいらっしゃる」
「まあね。余計なお世話でしょ」
「ここは大事なポイントです」
「なぜ?」
「評価は外部から来ますが、評価はご本人の承認がないと成立しません」
「他人の評価を真に受けるオマエが悪いといいたいの?」
「端的にいえば、そうです」
「それはないでしょ」
「他者はあなたのなかにいます。正確には、他者という観念だけがあります」
「世間にはウルサイ奴が溢れているけど」
「それもこれもすべてあなたが構成する世界です」
「万一そうでも、なぜ苦しめるものをじぶんで背負い込まないといけないのかな」
「あなたが世界を必要としているからです」
「ん?」
「ゆっくり行きましょう。死にたいと思うことは?」
「大丈夫」
「どこか行きたい場所や欲しいものは?」
「まずは休みたい」
「ごもっとも。ほかには?」
「別に。面倒くさい」
「どちらかといえば小食ですか?」
「普通です」
「わかりました。質問を続けさせてください」
「どうぞ」

「ところで世界がどう統治されてきたのかご存知ですね」
「ある程度はね。話がデカすぎない?」
「一見複雑ですが、問題はシンプルです」
「そうなの」
「ええ」
「そうは思えないけど。どうシンプルなのかな?」
「あなたの生き難さと深く関係します」
「改善できる?」
「あなた次第です」
「結局それですか」
「例を挙げて、説明してみます」
「わかりやすくお願いします」

「一匹のムカデを想像してみてください」
「ムカデ?ムカデって昆虫かな」
「昆虫です。仮に百本足として、そのムカデが歩き始めます」
「はい、想像しました」
「第一歩目の足は、百分の一の確率で選ばれます」
「でしょうねえ」
「どんな順番で百本足を使うか、組合せ問題として考えます」
「何のために?」
「でも、最初からどの足って決まっているかもね」
「一種の思考実験です。ムカデが百本の足を使って、百歩歩くと想定します」
「まあいいか」
「二歩目は、残りの九十九の足の中から選ばれます」
「でしょうね」
「三歩目四歩目五歩目と、順番に百歩目までいくと考えてみてください」
「考えました」
「三歩目は九十八本の足から、四歩目は九十七本の足と、百回の選択がなされます」
「でもそんなに単純かなあ」
「複数の足を一緒に出すこともあるでしょう。でも単純化して進めます」
「はい」

「以上を数学的に表すと、ムカデが百歩を歩くための選択セットは、100の階乗分だけあることになります」
「100×99×98×97×96×……………×3×2×1」
「そのとおり」
「計算するとどうなるのかな」
「93326215443944152681699238856266700490715968264381621468592963895217599993229915608941463976156518286253697920827223758251185210916864000000000000000000000000」
「ワオ」
「ケタでいうと158桁。ゼロの並びでいうと、1兆の13乗×100」
「ムカデってすごいな」
「演算してから歩くと考えると、ムカデは歩くことができません。永遠にね」
「でしょうね」
「でもムカデは歩いています」
「普通でしょう」
「ええ。だから演算はしていない」
「まあ、ロボットじゃないからね」
「そのとおり」
「百歩まとめて計算するからおかしい。一歩ごとに計算する手もある」
「それでも数字的な演算はしません」
「断言できる?」
「できます」
「なぜ?」
「別のメカニズムで動いているからです」
「どんな?」
「なぜか動けてしまう。そう言うしかいえません」
「ええ?」
「だれも解けない不思議なしくみが働いています」

「計算はだめなのか」
「正解は、なぜか歩けてしまう」
「そうなの」
「結論的にいうと、頭でっかちの生命は死にます」
「頭でっかち」
「はい。頭でっかちは、傲岸・不遜・自我肥大・誇大妄想・自信過剰とも言います」
「どういうことかな?」
「行為に演算は先行できないのです」
「逆に、演算してから歩くとどうなるの?」
「外部世界からの入力が途絶えます」
「環境と切り離される?」
「イエス。環境から孤立すると、歩くという行為全体が破壊されます」
「なぜ?」
「ムカデの歩く行為は、ムカデだけで成り立つわけではありません」
「歩行という抽象的な行為は存在しない?」
「しかり。ムカデの歩行は、森や草むらや人家や道路といった環境を離れて存在しません」
「環境ですか」

「環境とのインタラクティブな動的関係が、歩くという行為です」
「情報がそのなかを駆けめぐっている?」
「はい。情報がめまぐるしく駆け回っています」
「ムカデと環境が一つになって」
「歩くという行為は、環境と一緒に情報のサーキットをつくる生命固有の形成することです」
「じゃあ、生きることぜんぶに関わる?」

「まさに。とびきり重要なポイントです」
「なんとなくわかる気もする」
「生命活動は、つねにすでに計算に先立ちます」
「ちょっとわかりにくいな」
「計算しようという動機は、生きられる現実から生成します」
「説明でしかない?」
「ええ。生きる現実のなかで、説明したいという動機をもつ」
「なるほど」
「この順番は普遍的です」
「生きることが最初で、説明はその後」
「どんな精緻な説明も、結果に先行することはできない」
「原理的ということですか」
「人間は説明の結果を行為の動機にあてはめますが、倒錯です」

「じゃあ、死ぬということは?」
「環境適応の営みが断たれるということです」
「どう考えたらいいのかな?」
「なぜか歩けてしまう。この端的な事実を端的に生きることです。」
「なぜか歩けてしまう」
「あるいは、じぶんは歩けるように出来ているというじぶんに対する信頼です」
「わけがわからない」
「他力という言い方がありますね」
「生かされているということ?」
「何か超越的な神のようなものを想定する必要はありません」
「信心は元々ないけどね」
「そこに、如来のレゾンデートルがあります」
「あなたのことですか?」
「種明かしは後にしましょう」
「えぇ?」

「わけがわからないけど、なぜか歩けてしまう」
「はい。なぜか歩けてしまう」
「歩きたいから歩く。けれど、なぜ歩けるのかは知らなくていい」
「まさしく」
「それでいいのかな」
「ムカデに意識があるとしても、歩行のしくみにはノータッチです」
「ただ歩きたいと思えばいいの?」
「歩きたいと思うだけでいい」
「それだけはわかるけど」
「じつは二本足の人間も同じです」
「右足か左足かの2通りなのに?」
「人間も意識でコントロールしようとすると、たちまち歩けなくなります」
「そうかも。変に意識するとぎこちなくなる。で、結論は?」
「意識はノータッチでもいい、じゃなくて、積極的にノータッチでないとまずい」
「ノータッチ?」
「正しくは、最初に歩こうと思うだけで作動する生命の営みがあるということです」
「おまかせでオーケー」
「はい」
「最初に歩こうと思う。すると、勝手にからだが歩き出す」
「ええ。そこが極めて大事なポイントです」
「なぜ?」
「つまり、意識が介入するとシステムがフリーズしてしまいます」
「でも意識は介入するものでしょ」
「介入します。するからおかしくなります」
「歩くこと以外も?」
「エヴリシング!人間の営みのすべてに関わります」
「本当かな」
「本当です」
「それで結局、どんな教訓がみちびかれるのかな?」
「歩いているムカデに、次の一歩はどの足を出すか聞いたらどうなるでしょう」
「どうなるの」
「実直で生マジメなムカデだったら大混乱に陥るでしょう」
「だから意識が介入してはならない?」
「運動が滑らかに流れるための条件です」
「でも、よりよい歩き方に改善はできない?」
「できます」
「じゃあ」
「おっしゃりたいことはわかります」
「説明してよ」
「意識の役割があるとしたら、一旦停止機能です」
「行為を中断する?」
「はい。イメージの形成に関係します」
「どういうこと?」
「運動にスキマを入れて、イメージの再調整を行う」
「それで」
「運動のフローを破ることを代償に、イメージを改良する」
「ステップを変えるとか?」
「ええ。うまく再編集できると、よりスムーズな運動が誘導できます」
「それって制御じゃないの?」
「演算とはちがいます」
「ちがうのかな」
「運動形成の選択肢を広げるといいましょうか」
「自由度を上げる」
「それです。習慣的なこだわりを崩して、身体的な自由度を開く」
「それがエクササイズ?」
「わかってらっしゃるじゃないですか」
「どうかな」

「大事なのは、意識は運動に同伴できないということです」
「はい」
「そこを無理に操作しようとする運動の自然なフローが破壊されます」
「それが世界の統治と関係するって?」
「さすがに察しがいいですね」
「それほどでも」
「ここから、統治の本質、カラクリとつながります」
「どうぞ」
「問題の核心は、先ほどの〝ムカデの演算〟にあります」
「はあ」
「〝ムカデの演算〟で世界を制御しようというのが、これまでの文明のメインストリームです」
「そうなんですか」
「〝ムカデの演算〟のために、すべての人員もポストも予算も緻密に配置されます」
「無理スジなことをしようとしている?」
「はい」
「つまり、愚かな演算処理に基づいて誰かが世界を仕切ろうとしている?」
「そんなところです」
「だから?」
「無理に演算を行えば、世界はバラバラに解体してしまいます」
「自然のいとなみ?」
「生命の自然ないとなみ全般が破壊されます」
「こわい話だけど」
「現実的には不可能に決まっていますが、そう見せかけることはできます」
「世界を破壊しながら、破壊していないようにみせかける?」
「まさに」
「本当かな」
「本当です。きわめて深刻です」
「簡単にいうと、みんなだまされているということ?」
「ええ。けれども、それほど単純は話ではありません」
「よくわからないけど」
「はい。深刻なのは、共犯関係にあるということです」
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十二月の光 2009

2012-12-22 | Weblog

十二月の月明かりの夜空は冷たく透きとおり
今夜は途切れのないクリスタルだったから
心はどんな感情も結ぶことができなかった

刹那を刻む情動の発火が先行して
時制のコマンドは壊れ 
数えきれない昼と夜が入り混じり

呼ぶ声も応える声も 
どれが自分かわからなかった

いつかあなたといた空があり
今夜もあなたといた

もうすぐ消えようとしている灯を照らすように
病室の外の月はこんなにも綺麗に輝いていた

光が触れた情景が
永遠に保たれるものなら

空の彼方のどこか 
はるかに遠ざかりながら

あなたとぼくは
いつまでも同じ場所にいるのでしょうか

真夏の太陽の下で冷たい清流を泳ぎ回り
焼けた岩肌に腹ばいになりながら
川瀬に潜ったあなたの姿を追っていた

あなたは隆々の腕っぷしを見せつけるように
並んで泳ぐ二匹の鮎を一刺しにして銛を突き上げ
こぼれるような笑顔を投げて寄こした

青空を映した水面には
白い雲が流れ

澄みきった光と風のなかで
少年の心は満たされ

水辺には夢と区別されない
黄金の時間が流れていた

横たわったベッドでか細く息をつぎながら
あなたはその意味を受け取る力なきものに
ふり絞るようにわずかに手を握り返した

帰る場所も、留まる場所も、送る場所も
だれも教えてくれないさびしい時代のシグナルが
月の光がつつむこの街に巨大な不在を告げていた

病室を出てから上流の懐かしい土地へ向かった
真夜中の時間、そこにも待ち受けてくれる人たちがいた

ヘッドライトが照らす暗闇の川べりの道を
影が走り、風がわたり、木々がそよぎ、
月明かりの夜空と無明の現在が溶け合っていた

永遠の遠ざかりの臨界に萌すものがあるのでしょうか

心なるものの応えなき応答のいとなみにおいて
冴えわたった月の輝きが
なにかに召喚を促していました


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花とミツバチ

2012-12-22 | Weblog

   進化史上最もめざましい成功をおさめた種間関係は、
   昆虫と顕花植物の「共進化」である。
   クローバーの芳香に引き寄せられるハナバチはその身体を「操作される」、
   他種の生殖サイクルの内に組み込まれている。
   しかしハナバチはそのことによって
   自身もまた生存と生殖の機会を増大しているのであり、
   ハナバチに意識あるいは意識の原基形態が存在するなら、
   ハナバチは誘惑されてあることに歓びを感じ、
   あるいは歓びの原基形態を経験しているはずである。   
                      ――真木悠介(1937~)『自我の起原』


秋になると聴こえてくる

かすかな羽音と交わるように
花ざかりの河原から聴こえてくる

「すべてはあなた次第よ」

透明なメッセージは
さざなみのように
無音の調べに運ばれ

青空に染まり 
風にゆらぎ
水に溶け
秋を埋めていく

「好きなだけむさぼればいいわ」

空は晴れわたり 
川面はきらめき
そよ風に
咲き乱れた花たちが揺れている

  君待つと我が恋ひ居れば 我がやどの簾動かし秋風の吹く  
                   ――額田王女『万葉集』第4巻488

気がつけば
いつのまにか
コスモスの河原を飛んでいる

たなびく雲の影にじぶんの影が重なり
草むらにふるさとの匂いが満ちてくる

誘うような 
拒むような

無音のことばに
こころは高鳴り
光がきらめき

なにかが点火し
なにかが溶けていく

くちびるの向かうよりまえに
高揚は走り
せつなく空は透きとおる

「陶酔のときは、いまここをおいてありえないのよ」

よぶ声がきこえ
こころは
応答に染まり

区切られたおそれと不安と
ためらいのボーダーが破られていく

「さあ、すべてのためらいを捨て去って」

まなざしが重なり
輪郭を照らしあい

ことばが交わされ
夢が結ばれる

すべての時制がひとつに溶け
きよらかな官能の在処を告げるように

まぶたを閉ると
からだはいつのまにか
灼熱の火焔に焼かれている

「花弁の一枚一枚深くわけ入って」

はてしなく
呼びかけは応答をいざない

澄みきった光が凝集し
まなざしを照らし

そのまなざしの子宮に
数億の夜に連なる
祭礼の扉が開かれる

 「ああ」

リズムが刻まれ
旋律が流れ
空を舞い
地にとどろき 
祭礼ははるかに駆け上る

からだはむせび
夢に濡れ
氾濫し

はるかな祖霊に連なる
永遠の祭礼に溶けていく

   暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月
                          ――和泉式部『拾遺』1342

季節のしきたりにしたがい
調べが奏でられ
まなざしが出会い
夢がむすばれ
永遠の舞踏がつむがれていく

コスモスの花とミツバチは
終わらない夢にみちびかれるように
今夜も同じ
澄みきった月の光に照らされるだろう

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歌謡曲 ――3・11 One Year Later

2012-12-21 | Weblog

  ひともわれもいのちの臨終(いまわ) 
  かくばかりかなしきゆえに 
  けむり立つ雪炎の海をゆくごとくなれど 
  われよりもふかく死なんとする鳥の眸に遭えり  
 
                      ――石牟礼道子(1929~)『天の魚』
     
とおい記憶の地平のむこうがわへ
消息のとだえたおもかげを追ったとき

あなたの詠む歌は悲恋でしょうか
それともおごそかにつづられる叙事でしょうか

いまこのとき 
この春に

あなたのまなざしの奥に
ちいさくきらめく光は何でしょうか

それはだれにも語られたことのない
悔恨のおき火しょうか

いくつもの物語をたどらなくてはそこに至れない
生命の深い森につらなる
このうえもなく貴重な何かでしょうか

心がいつか必ずそこを訪ねたいと願い
願いつづけながら滅びてゆく
はかないかなしみでしょうか

あるいは深くわけ入ったとき 
道ゆきの途上でついには口ずさんでしまう
いにしへの歌謡につらなる何かでしょうか

  花ならぬ身をもいづちにさそふらん 乱れたる世の末の春風 

                     ――心敬『権大僧都心敬集』

あなたと血脈をおなじくする
あまたのまなざしが告げていました

そうでありうることがせつないのです
そうでありえないことがくるおしいのです

あめつちはじめてひらけしときより
あはれにはかなく 
かなしくむごたらしい
つねならぬつねの
つねになりてなりゆくありさまを

ただひとり見すぎたこの星の自然よ
おまえは倦むということがないのでしょうか

時のあわいにあるかなきか
永遠のまにまに
かつ消えかつ結びて

なおも見わたせば
春にひろがる情けのさざなみを

ある人のたまはく、

  まことのひとのなさけ
  しごくまっすぐに
  はかなくつたなく
  しどけなきものなり

かさねてのたまはく、

  つたなく執着尽きがたく
  めめしくあはれなるものなれば
  あはれの心をあはれのままに語れぞかし

  ひとのこころをたねとして
  まにまにかつ消えかつ結びて
  つたなくめめしふ詠みつくれば
  あやしふこそものぐるほしけれ

あなたのまなざしの向かうかなたに
むすばれる言の葉は挽歌でしょうか
あけそめの露に連なる頌歌でしょうか

よしなきいざないは止まず
遠いおもかげをよすがとするものが
終わりなき連歌のえにしにみちびかれ

踏破すべき一片のよしなしごととして
いまもあなたに訪れているのでしょうか


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手にむすぶ

2012-12-21 | Weblog

  手に結ぶ水に宿れる月影に あるかなきかの世にこそあれ   
                      ――紀貫之(872~945)『拾遺和歌集』 

万象流転
無常迅速 
諸行無常 
諸法無我 
一切皆苦 
一切悉無

さはさりながら 
しかあれども
さのみのみ
おもふべきや

  はかなくて雲となりぬるものならば 霞まむ空をあはれとは見よ   
                     ――小野小町〔続後撰1228〕

春の野にかなしき
ひとびとありて

はてなき空
澄みわたり

はるかに
無音のさざなみ

遠く近く
熱く冷たく

逝きし世のおもかげ
空に調べ
響くものありけり

  こころよ
  では いっておいで
  
  しかし
  また
  もどっておいでね
 
  やっぱり
  ここが
  いいのだに

  こころよ
  では
  いっておいで    ――八木重吉(1898~1927)「心よ」

では、行ってまいります。

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キレイな月が 2012

2012-12-20 | Weblog

月が出ているよ 
と身近なだれかがつぶやく

ひさしぶりに月をみたような気がする 
とあなたがこたえる

  めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな  
                     ――紫式部『新古今和歌集』1499

意味をもちながら 
意味をもたない

ただ言葉を交わすことが
なにかであるような

あるかなきか
かたちをたどれない
なつかしさにいざなわれ

月の光に風景はきらめき
淡く、秘蹟のような刹那が現象する

  ゆくへなく月に心のすみすみて 果てはいかにかならむとすらむ   
                     ――西行『山家集』

キレイな月は前触れもなく
あなたをおとずれ

だまし絵のように
あなたの輪郭を曖昧にぼかし

不可触の光とこころが交わる
この世のもう一つの所在を告げる

消えゆく時間のあわいに
一方的なおとずれとしてだけ
許されたかりそめの応答

  み空行く月の光にただ一目 相見し人の夢にし見ゆる     
                    ――安都扉娘子『万葉集』

そして
そのおとずれの回数だけ
光のカケラを積み上げられた

さらにもう一つの風景が
いつも静かに
あなたを呼んでいた

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12歳のトランスフォーメーション 

2012-12-14 | Weblog

永遠の光をつかまえたいと願ったからなのか
理由をたどれないかなしみのためなのか

いつの頃からか
こころにはいつも
冷たいアラームが鳴っていた

それは希望のきざしだろうか 
それとも絶望へのさそいだろうか

なにが変化の扉を開いたのか
じぶんにもだれもにわからない

   ぼくは/うちゅう人だ/また/土のそこから/
   じかんの/ながれにそって/ぼくを/よぶこえがする 
                 
             ――岡真史(1962~1975)「ぼくはうちゅう人だ」

やさしくされたことか
冷たくされたことか

やりすごせば忘れてしまう
せつないすれちがいだったのか

ときにはげしく 
ときに消え入るように

それでもひたすら
アラームは鳴りつづけていた

そう、こころはなにかのはじまりを待ちのぞみ
ずっと走りだす準備を整えていた

ある日、母に買ってもらった白いノートを開いたとき
目の前にハンティングの荒野が広がった

ハンティング
希望と危険に満ちたことばのハンティング
それは新しい存在のフォームをさがす冒険

机に向かってノートを開くと
呼びかける声が聞こえ
こころは透きとおり
孤独なハンターが現われる

孤独なハンターになりきって
荒野の果てまで出かけてゆこう

   ぼくのおしろは何よりも/とてもりっぱなおしろ/
   ギターがころがって/ラジオはベッドの上/やぶけたジーンズ/
   イスの上/ポスターはかべから/わらいかけている/
   クリスマスにもらった/オセロゲーム/今では色もはげてきました/ 
   これがぼくの/おしろの家来です                  
                       ――岡真史「ぼくのおしろ」

なにか見つかるかもしれない
なにも見つからないかもしれない

けれども問いがはじまるより先に
ノートを開いた瞬間から
いつのまにか未知の荒野を駈けていた

ハンターは鉛筆を握りしめ
光に輝くことばを求めて
ひとりでハンティングへ出かけていく

からだに潜んだ不思議な力が立ち上がる
「feel」――それは、世界のかたちを分光する
こころの未知なる演算装置

つくることと壊すこと
成功することと失敗すること
光と闇と不思議さと
荒野には冒険のすべてが散らばっている

希望のカケラに出会うたびに
危険なトラップに出会うたびに
なんどもなんどでも
からだに潜んだ「feel」が立ち上がる

ハンターはフォームを探索する
あしたを告げることばのかたちと
新しい存在のフォームを求めて駈けてゆく

じぶんと世界のすべてを編みなおす
だれも見つけたことのない
存在とことばの新しいフォーメーション

   心のしゅうぜんに/いちばんいいのは/
   自分じしんを/ちょうこくすることだ/
   あらけずりに/あらけずりに……      ――岡真史「無題」

希望がおとずれるように
あしたが光に輝くように

荒野を走り
ことばを拾いあつめ
こころを込めて
だれにも語られたことのない
新しいかたちを組み立てる

みずからの「feel」を立ち上げる儀式
それがハンターにとっての詩をつくることだ

ハンティングが開始されると
じぶんと世界へ向かうまなざしが変化していく

   ごめんなさいというほほえみは
   雨上がりのにじにあたいする    ――岡真史『ぼくは12歳』

「feel」の作動は終わらない
新たな「feel」は次々に立ち上がり
襲いかかる影を払いのけるように
変換へ向かうトリガーを引いていく

フォーメーションが一気に書き換えられ
世界は生まれたてのピカピカの姿で現われる

   耳をすますと
   春のあしおとがする 
   そう…… もうすぐ春だ!         ――岡真史「春」

こころの出口がふさがれ、暗い予感が陰影深く兆したとき、
少年はサバイバルするために、
みずからの「feel」と創造のチカラに身を委ね、行使した。

少年は新しい地平を開くように荒野を駈け、
希望のフォームが訪れるように詩をつづった。

孤独なハンティングの果てに、
はかなく、うつくしい果実が結ばれ、
みずから発見したことばのきらめきに、
少年のボディは、――インフォームされていく。

   夕ぐれ
   赤い
   もえたつ太ようが
   くもも空も
   みんな
   仲間入りさせてる……
   くもも空も
   まっ赤にそまる
   ぼくも
   仲間だよね
   ほら
   全身まっ赤だよ        ――岡真史「夕ぐれ」

生かすチカラと、滅ぼすチカラと、
拮抗するふたつのチカラが生存を編み上げていく。

新たな記述の形式を誘導するイメージ形成と感染がからだに走り、
その強度がトランスフォームするエネルギーの特性を決定していく。

――一九七五年七月十七日、十二歳の少年は大空に向かって身を投げた。

あまたの生命が滅ぼすチカラに遭遇し、敗れ去っていった。
しかしそのたびに、新しい「feel」は立ち上がり、
その記憶の地平に留まるものたちが再生の種を芽吹かせていく。

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【精神=(行為の)組織化特性】

2012-12-12 | twitter

【精神=(行為の)組織化特性】

「精神とは独立した『実体』ではなく、ひとつの組織化特性だということだ」
 …a mind is an organizational characteristic, not a separate 〝substance〟.
                  (グレゴリー・ベイトソン『天使のおそれ』)

サッカーチームには、プレーの基本となる固有の組織化特性(フォーメーション)がある。
大雑把には、チームAは攻撃的であり、チームBは守備的であり、チームCはフリースタイルである。
こうした組織化特性は、プレイヤー相互の役割関係の学習によってチームに埋め込まれていく。

組織化特性は、個別の局面におけるプレイ一つ一つを規定するものではないが、
各プレイヤーのプレイ選択の優先順位を決める参照系として、つねにプレイヤーの行動を拘束している。
ゲームの場面では、各プレイヤーに埋め込まれた組織化特性が、チームのプレイ連鎖を方向付けていく。

そしてこの方向づけは、強い相手、弱い相手、拮抗する相手など、各ゲームにおいて試練を受けることになる。
対戦チームとの関係によっては、大幅なフォーメーションの修正が求められる事態に遭遇することも起こる。
あるチームの組織化特性が、この修正要求に応えられない硬直的なものであるとき、
チームはゲームを失う確率が高まると同時に、チームとしての成長(変化)の可能性も失われていく。

チームを一つのクラスしてみると、クラスはメンバー(選手)から構成されている。
そして選手一人一人も、それぞれの組織化特性をもつ存在である。
選手の精神(組織化特性)をみると、チームについてと同じ記述が成立する。
個性(例えば、保守的・進歩的・攻撃的・守備的・依存的・運命論的…)と呼ばれるこうした選手一人一人の組織化特性を、
実体化・固定化して捉えた場合も、システム的な柔軟性、成長の可能性を毀損することに通じていく。


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「世界の区切り」 twitter6

2012-12-04 | twitter

【陣地(なわばり)ゲームの終焉】

現実に区切りを入れ、マップ(地図化)して、なわばりを決める。
こうして形成された陣地の守りを固め、神殿を築き、神話とルールを定め、
祭司と臣民からなる位階のシステムを敷き、陣地内にあらゆる資源を集積していく。
この陣地と神殿につらなり、精励することがハピネスの最大の指標となる――
そうした歴史的を貫いてきた陣地ゲームが終焉を迎えつつある。

陣地の内外をわけたボーダーラインは陳腐化し、意味をなさなくなっている。
第一には、陣地の内側で完結してきた要素群の陣地の外へ延びるリンクの拡張がある。
第二には、本源的な現象世界の流動性、変化のリアリティに対する認知の広がりがある。

こうした歴史的分岐は、陣地をめぐる求心力と遠心力のせめぎあいとして現象するが、
いったん開始された外部リンクに基づく自己組織化のダイナミズムを阻止することはできない。
この自己組織化は、陣地内ハピネスの陳腐化とともに進行していく。
陳腐化したゲームに固執するだけ不幸が累積するような新しい時代が兆している。

しかし、この動向に対する陣地の側の強圧的阻止行動が、とめどなくエスカレーションして、
システム全体を破壊にみちびく可能性もゼロとはいえない。
このとき交渉のテーブルをどこに置けるか。本当の知恵が試されることになる。



【コミュニケーションの2層性】

コミュニケーションは、メッセージとメタ・メッセージの2層的形式で遂行される。
このうち、一つは指示内容(メッセージ)、もう一つは文脈(メタ・メッセージ)。
例えば、「I love you.」(指示内容)は、文脈次第で「うれしい」にも「バカにしないで」にもなる。
メッセージはそれ自体として完結できず、かならず文脈から出て文脈に帰るという循環のなかにある。

システムの解釈系は、情報(メッセージ)をこの2層性において受け取り(ダブルテイク)、
ここから変換プロセスを経た行為の帰結をフィードすることで、
みずからと環境との関係パターンを再組織化しつづけていく。

文脈はコミュニケーションを行うシステム間の相互規定的な関係パターンを意味する。
正常な二者関係においては、「どんな意味?」「まじ?うそ?」といった、
意識的無意識的な、文脈への言及や参照、解釈の交換がたえず同時並行していく。
一言でいえば、相互学習的なフィードバックの回路が形成されていることを意味する。

この解釈系のダブルテイク(メッセージ+メタ・メッセージ)が正常に機能しないとき、
いきいきとした会話は死に、単層(ワンテイク)のしばり(焦点化)のなかで、
ダブルバインド的な関係パターンが生まれていくことになる。

システムの解釈系の作動がデフォルト化(定型化)するとき、
システムの行為は動的なダイナミズムを次第に喪失していく。
例えば、歩行は、たえざる不均衡状態における、たえざる身体的補正(再組織化)の進行。
解釈系の作動も同じく、情報の処理形式をそのつどをチューニングする柔軟性をそなえている。
解釈系の作動がこうした柔軟性と自由度を失っていくとき、
システムは環境(人・社会・自然)との関係調整力を失い、不適応の関係パターンのなかで衰微していく。



【聖(あるいはタブー・結界)の特性】

ある文脈のもとにおけるシステム作動(自己組織化プロセス)のさなか、
別の文脈から訪れる情報が干渉するとき、自己組織化プロセスはいったん固有のフローを破られる。
プロセスは中断や攪乱を余儀なくされ、新たな対処と編成を強いられ、別の生成プロセスの起動を強いられる。
こうした干渉を排除し、最初のプロセスを維持するため、干渉不可の表示=「聖」が掲げられる。

システム作動の自然性は、ある一つの全体相的イメージ(ゲシュタルト)と共に進行するようにみえる。
このとき「意識」は、システムの作動に対して不介入の状態にある。
しかし意識が全体相を凝視し、その作動プロセスの特定の細目のどこかに焦点を結びはじめると、
全体相的イメージと作動の連結にくさびが入り、フローが破られる(一旦停止機能としての意識)。
こうした意識の働きに対して、「聖」はあらかじめ一定の作動のフレームを被せる機能をもつ。
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