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ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「友へ──1982」 20200630

2020-06-30 | Weblog

 


  *

なぜか──

どこにもない合流点があるのか
直観は疑えなさで訪れていた

どこにもない
なければそれをつくれ

被害者ではない、
罪を償ってもらうわけではない

ゴミ掃除してきれいに洗い流す
それが願いではない

そのあとに生きられる位相が先行して生きられなければ
すべては無残な出来事として残ることになるだろう

  *

悲しみを供犠するひとびとのために
おまえはおまえだけの勇気にになわれ
そこに滅びていく者のひとりとして
出ていかなくてはならなかった

  *

否定したい、否定しつくしたいと願ったもの

自動化された言葉の応報
決めつけられるまえに決めつける
削られるまえに削りあう命のやりとり

自陣の加点と敵陣の減点をよろこび合う
全体収支が変化しない加点と減点のクソゲーム

なによりも供犠しあう心

切り刻み切り刻まれあい、看取り看取られ
儀礼に従って手を振り、手を振られ
墓場へ安置されつづける心のかたち

  *

みいだされなかった不幸が幸福なら
希釈された対立が平和なら
故郷の夕暮れは
忘却の愛撫に深く抱かれている

意味のわからない弔いのことばに
いっさいが委ねられるように
賄いの台所から湯気が立ちのぼり

星々のきらめきに祝福されるように
木々にとばりが落ち

子どものおまえは小さな膝に傷をつけて
涙をぬぐってもらうために
泣かされた相手の素性を語るために
いつでもここに帰ってくるのだろうか

  *

異端であること、不逞な心が告げる

世界に見つめられるまえに見つめ返す
幼い世界のまなざしに教えてあげなくてはならない

切り刻まれ、看取られるまえに
ほんとうにひとりひとりが出会うために

  *

そこは誰も知らない
知らされないその土地は
おまえの彷徨が導く場所に限られている

じぶんがここにあるということ
それだけのために
おまえの言葉ははじまっている

風景ははじめから
おまえと和解しなかったから
おまえは風景の知らない影にしめつけられている

おまえはおまえの不幸に祝福され
風景に傷を入れるために街に入る

そこでおまえは
永遠に訣別を知らない者にならなければならなかった

 

 

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「トラウマ」 20200629

2020-06-29 | Weblog

 

たとえば──

「強くなれ、強くなれ、って。そんなことばっか言う人かと思ってた」

ちゃんと認めてくれたのに、それなのに、そのひとことがずっと重たく、
そんなふうに思われていたことが、だれにも言えない深いキズになることもある。

だから、「強く」とか、そのたぐいの単純な字ヅラに出会うだけで、
パブロフの犬のように、「そうじゃない」と自動的に反応する心が、
文脈を無視するように打ち消す言葉だけを集めはじめる。

そんな内的な作動によって、言葉を外し、新たな「すれちがい」が生まれる。
そんなこともありふれたイベントとして、
この関係世界ではしばしば起きてるのかもしれない。

 

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「for a friend」 20200628

2020-06-28 | Weblog

 


遠い過去、遠い未来
いまここにない
はるかな影ではない

教えてあげよう

さえぎることのできない
光の通り道がある

窓を開く

ただそれだけで告げられる
駆け出すものを迎え、
きらめきが加えられる場所がある

むりやり考えることではない
人の心にセットされている

見渡すかぎり
どこまでもはてしなく

思いのたけ、思うかぎり
見たい夢を見たいかぎり

泣きたいだけ
叫びたいだけ
悲しいだけ
すべては糧として

心を柔らかくして、窓を開く

遠い過去、遠い未来
いまここにない
手のとどかない幻ではない

光源はこちら側にある

かぎりない惨劇を経ても
かぎりなく立ち上がり

ただ、いまここに
いまここの出来事として

窓を開くだけでいい

遠い過去、遠い未来
すべてを結びあわせるように

光の中を駆けている友がいる

 

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「友」 20200627

2020-06-27 | Weblog

 

それぞれに、存在ごとに、固有の巡航速度があり
生の気圏に描かれる航跡、一回的波形がある

揚力と斥力のたえざる感知、エアポケット
遭遇する危機、雷雲を避けるように
晴れ間を縫うように航跡を描くもの

その全景、全時間、航跡のすべてにわたって追尾し
とらえ尽くすまなざしはどこにも存在しない

たがいに出会う時間、出会える場所
波形が交わる限られた場所、限られた時間のなかで
投げ合う言葉は限られている。

それでも出会うことに
なんらかの〝決着〟をつける言葉を用意しあう

出会ったことに挨拶を交わし
手を振り、いちどきりの別れを告げる

「ありがとう」

   *

心を柔らかくして、窓を開く
永遠の相の下で──

すこしだけ現実への着生がゆるむ許された時間
たとえば、茜色に染まった夕暮れ

海と空が出会う、虹の彼方
そこにだけ根拠なく萌すものがある

見渡すかぎり
どこまでもはてしなく

思いのたけ思うかぎり
見たい夢を見たいかぎり

泣きたいだけ
叫びたいだけ

けっして生きられることのない〝永遠〟
そこにだけ置けるものを置いてみる

     *

わかれの言葉を交わし
消えてゆく航跡を見送りながら

わからないことのわからなさ
知りえないことの知りえなさ

ことばにできないことのできなさ
わかりあえないことのわかりあえなさ

伝えきれなかった、伝えそびれたことば

たがいに未知であり、非知であること
そのはてに萌し、たしかに描かれるものがある

そして、そのことすべてに心よせる友はいる
そのことだけは信じていい

 

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「エクササイズ」 20200627

2020-06-26 | Weblog

 

「Love」は成就をめがけ、結晶化を夢見み、選択的であり、排除的であり、
相互拘束的であり、関係収束的一点へ向かう特質をもつ、多くの場合。
ひとことで言えば、「Love」は二者世界の閉鎖性において満願成就しうる。

 

───K・ヴォネガット『スラップスティック』1976年/浅倉久志訳)

わたしは愛をいくらか経験した。すくなくとも、経験したと思っている。
もっとも、わたしがいちばん好きな愛は、〝ありふれた親切〟ということで、
あっさり説明できそうだ。
短い期間でも、非常に長い期間でもいい、わたしがだれかを大切に扱い、
そして相手もわたしを大切に扱ってくれた、というようなこと。
愛は、必ずしもこれと関わりを持つとは限らない。

愛はどこでもみつかる。それを探しにでかけるのは愚かなことだと思うし、
また、有害になることも多いと思う。
世間の常識から見て、相思相愛の仲だと思われている人たちに──
あなたがたがもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。
「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」

     *

人間的生の主体性(実存)の展開、あるいは再獲得という課題において、
集合的に行使される「倫理、規範」に基づく要請あるいは命令は、
主体性確立にとって阻害要因、破壊要因として働くことがある。
しばしば、あるいはつねに。
たとえば、多くの子どもの胸の内に日々こだます内的叫び、「黙れ」。

 

───山岸俊男『社会的ジレンマ』2000年、『安心社会から信頼社会へ』1999年

自発的に行っている行動に対して外的な報酬(アメとムチ)が与えられると、
その行動を自発的に行おうという「内発的動機づけ」が失われてしまうことを示しています。

従ってアメとムチにより協力行動が促進されている場合には、
自ら進んで協力しようとする内発的動機づけが弱くなるだけではなく、
他人が協力しているのは進んでそうしているのではなく、
強制されていやいや仕方なく協力しているのだと思うようになるというわけです。

すなわち、
①アメやムチの使用は、自発的協力を可能とする愛他的な動機を減少させるだけでなく、
②そのための政府ないし政府類似の組織の発達が、
社会的ジレンマ問題の解決のための自発的協力を育てるための母体としての共同体を破壊する、
とされています。

社会的ジレンマを解決するためには、
「自分の身を犠牲にして他人のためにつくす」愛他的な心を育むように人々を教育する、
あるいは説教する必要はありません。
社会的ジレンマを解決するために、
進化の贈り物である「みんなが」原理(≒「互恵性原理」「社会的交換ヒューリスティック」)が
働きやすい環境を整備すればいいからです。
(愛他心を育む教育は、利己主義者の「獲物」を育てる)

 

 

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「ありうる(存在可能)」 20200625

2020-06-25 | Weblog

 

世界を光と影のテクスチャ-として織り上げるそれぞれに固有のまなざし。
実存のまなざしはそこに新たな光源を探してさまざまな予期を立ち上げる。
新たな〝よきもの〟──「ありうる」(存在可能)を求めて。

「未決」としての実存。しかし生きられる現実の構成は「既決」を求める。

実存と実存の交わりから生成する関係のゲーム、記述を確定するように動く関係世界。
相互の関係の未規定性を〝確定〟へと持ち込むさまざまなコードの生成。
関係のゲームから生成する「既決」の集積体としての社会体。

「既決」としての関係記述、関係項の生成──真理・客観・正義・ほんとう。
個と個を結び合わせるその派生的形式、掟、常識、通念、習慣、禁則群。

      *

「未決」から「既決」へ──

未規定性、不確実性を手当てする集合的な意志と関係世界の構成。
関係世界が求めるこの展開に、もう一つ加えておくべきことがある。

「既決」から「未決」へ──

人間的生の展開からその全域性が切り詰められ、生成性が失われないために。
つねに生成の窓を開き、新たな関係のエロスを生み出していくために。
人間的生の自由の条件、みずからの生成性を携えて生きるために。

 

 

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「パラドクス」 20200624

2020-06-24 | Weblog

 

「客観」(ラング)が個の実存の位相にまで手を伸ばして、 
世界の全域をみずからの説明体系、統制の下に置こうとするとき、 
人間的生は不可避的にみずからの生成性の根を腐食させる道に入ることになる。

この主観同士の相互的な展開において、関係世界は貧しさを加算させるループに入る。
なぜか。 
「客観」という関係子がはじめに願い、目指したもの、
はじめに信じられた役割と有用性が、その貢献の対象を見失うことになる。
それだけではない。
みずからが貢献をめざした対象を逆に制圧し、扼殺するようにそれは暴走する。

 

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「Sad Eyes」 20200623

2020-06-23 | Weblog

 


「われよりもふかく死なんとする鳥の眸に遭えり」
            ――石牟礼道子『天の魚』


気づくことがある
気づかないでいたことに

夢に濡れた
淋しい夜ではない

すれちがった刹那
凪いだ心が泡立つ

まなざしの外にいた
いちどかぎりの出会い

真昼の光を集めたように
そこにだけ
悲しい瞳が映っていた

忘れていたわけではない
知らないでいたわけではない

深く沈めまた生きてゆく
そう思いたい心がある

すれちがった刹那
そんな言い訳がすべて壊れていく

知らないまま、気づかないままに
生きることになったかもしれないことに

 

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「friend」 20200622

2020-06-22 | Weblog


「それがどうしたの?」
「なんでもない、気にしないで」
「はじめから気にしてない」
「そっか」
「ばっかみたい」

いまここにいない
未知の人

知りながら
そばにいながら
知らないでいた

まなざしに映らない
あるとき映りはじめる

聴こえてくる

トレースされ
ループする時間

季節を過ぎて

すべてが重なって
はじめて気づく
感じることがあるって

「ばっかみたい」

 

 

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「価値審級──パラドクス」 20200621

2020-06-21 | Weblog

 

世界に「価値アリ-価値ナシ」を分けるラインが走る。
ラインの多様性、多数性は「人間世界」に不可避的に〝きしみ〟を生み出す。

「よい-わるい」「ほんとう-うそ」「きれい-きたない」

しばしば、あるいは常時、ラインとラインはぶつかり、対峙し、
対抗しあうラインの集合的合流地点で血を血で洗う〝戦線〟を形成する。

よりよきもの、よりうつくしいもの、よりほんとうのものを求めながら、
求めることから外れたものを削り出し、排撃し、蹂躙し、殺し合う。

〝このうえなくよきもの〟を求めながら、〝このうえなく悪しきもの〟に帰結する。
人間世界が脱することができない最大のパラドクスは解かれなければならない。

     *

記述されないものへの感知から新たな創発への予期は立ち上がる。

この領域へのまなざしを失うとき、
世界は一般解、確定された記述命題に埋め尽くされることになる。

一般解ひいては最終解、究極解によって記述を確定させたいと願う世界。
すなわち、完全記述、〝全問正解〟を僭称する社会体への欲望。

その一派生態としての「現実論理」。
生きられる現実に一つの価値コードによって切れ目を入れ、
その切断面から世界の全貌を記述することが可能とする世界記述の一形式。

絶対という信憑において、つねに確定論理へ向かおうとするものに対して、
つねに記述の〝書き換え可能性〟(ありうる)を見失わずに確保するには、
人間的さまざまな価値審級の生成的本質、
すなわちその基底をなす人間的実存の本質へのまなざしを必要とする。

最終解、究極解へいたることを求めない実存の本質──生成的存在本質。
むしろ、みずからの生成性において生きることを望む〝展開形〟としての本質は、
あらゆる戦線の絶対化を「生の自滅」(展開不可能性)であることを暗示する。

 

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「Never Mind」 20200426

2020-06-20 | Weblog

           https://www.youtube.com/watch?v=JZA7eBTFs24

 

つねに姿をみせない未来
かたちを与えられない過去
ランダムなノイズに満ちた現在

まなざしが分散するとき思考は砕け散る

すべての時制を分泌する「いま・ここ」へ

手がかりはただ一つ
手放してはならない起点をキープする

からだの声、それが希望
ただ一つ、自由の入り口にあたっている
この入り口をたどらずに、希望に向かうことはできない

うちなる声は聞かれないかぎり
記述の確定を急ぐ関係項
ひきつった言葉の群れに沈んでゆく

侵入し混じり込む外部の声
現象する言葉と言葉のハレーション
かき消され、声を見失った心に差し出される結語

「パイは限られている」
「生きるか死ぬか」
「勝つか負けるか」
「遊びは終わりだ」

記述を確定する関係項「ほんとう」の用法──現実論理

「みなさんそうしてらっしゃいます」
「This is the world」

一義的世界表象から派生する「かくあるべし」「かくなすべし」

現実論理の規定に服すること
現実論理に一切の決済を仰ぐこと

ショートカットすれば失われる
はじまりの場所、はじまりでありつづける
まなざしをキープしなければ見失われるはじまりの場所がある

ざわめき、もやもや、いらだち、ためらい、ふるえ、ゆらぎ
うちなる声はいつも記述の確定を拒む表情をしている

ふるえ、ゆらぐものの原郷へ
深くわけ入ってはじめて出会うはじまりの意志がある

すべてノイズとして切り捨てることもできる
耳をふさき口をふさいで
〝自由を呪う道〟もこの世には開かれている

NO THANKs

そう断言できるあなたがいる

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「2020、spring」

2020-06-19 | Weblog

 

    *
従順な羊たちは場に並んでも「列を乱すな」と互いをいさめ合うのか。
    *
勧善懲悪。正義は勝つの論理。拍手喝采する心の原理的動き。
これを超えるには、倫理ではなく、
別の原理、別の関係のエロスの所在、
普遍的な生の享受可能性を告げる〝何か〟(人権)が見出されなければならない。
    *
一つの状況にフォーカスする「正義」ではサイズが足りない。
無数の状況がつくる「状況のクラス」を相手にするためには、
「正義」とは別の拡張されたスコープがいる。 
    *
社会は〝正気〟を保つために、外の視線、
内部の論理に呑みこまれない〝不逞な輩〟を必要とする。
「悪法は法に値しない」という自己修正の契機は、
つねに法全体を対象化する〝法の外〟の視線から訪れる。
    *
白組か紅組か。善か悪か。幼稚園児の塗り絵レベルの思想もどき。
思想と呼べない、「左-右」、良くみて横断歩道を渡りましょう。 
    *
ミネアポリス、虐殺の光景。虐殺を許す絶対的分断線。
けずりあう世界。けずりあう日常の関係パターン、救いのない、その極相。
    * 
最後にもうひとつ、基底をつくる退行論理がある。
「生まれたくて生まれたわけじゃない」
その人というより、絶対に政治家にしてはいけないコドモがトップにまつられる構造。
    *
「オトナの階段~♪」が壊れている。
    *
大日本、純正「よい子モデル」がいまだに生き延びている。
    *
「私の体と権利を守ろうとしてくれる社会」じゃない社会、じゃない社会へ。
    *
鼻くそもジャズの資源になる。
鼻くそはそんなことも知らずに、人生を素どおりしていく。
    *
〝錦旗〟、憲法9条を取り合うゲーム。
世界大に拡張できない凝固作用、関係の重力、ローカルな法則。
われわれは自陣の加点と敵陣の減点を示しあい、
一喜一憂するだけの「目くそ鼻くそゲーム」のなかにいる。 
    *
加熱して暴走するマシンには、サーモスタット(冷却機能)が装備されている。
個人にも社会にも、そんなものが装備される必要がある。 
    *
正義が先鋭化すると、不正義は撲滅、せん滅の対象になる。
「正義-不正義」の戦線をのりこえる別のまなざしがいる。非戦をのぞむかぎり。 
    *
「正義」はしばしば、無慈悲とむすびつく。
関係世界から、寛容、信頼、対話、協議の位相が消え、
「正義」がめがけるものと真逆の世界が呼び寄せられることになる。 
    *
腹話術の人形。ケアを必要とする人の姿。
そうした存在が国のトップに据えられる一つの社会体の本質。
    *
正義はときどき、しばしば、あるいは常時、走りすぎる。
走りすぎて、真逆のものに転化するオフサイドラインがある。 
    *
どっちに重きをおくかでお里が知れる。がんばろうぜ。 
    *
なすがママ、いいなりのパパ。こどもの未来が壊れていく。 
    *
ぼくドラえもん 官僚のドラえもん 国民はとざえもん 
    *
ぼく総理大臣、すごいでしょ。いま笑った人、全員逮捕。 
    *
独善、垂れ流し、言いっぱなし、オレさま、聞く耳なし。
対話のない政治。政治と言えない政治。ガキか。
けれど、そうではない。〝ガキの空間〟がそれを許している。 
    *
ゆるぎない信念、絶対の正義、断固のかたまり。銅像かよ。 
じぶん(たち)を正しいと思うこと。正義はこわ、恐すぎるぜ、ベイビー 
 

 

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「世界の姿」 20200618

2020-06-18 | Weblog

 

症状としての世界の姿

「何の症状?」

あなたの心、その現われ
世界の感触、色あい、悲しい意味配列

「よくない?」

うん、けっして
処方箋が必要かもしれない

「どんな?」

希望

 

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「関係課題」 20200617

2020-06-17 | Weblog

 

アタマは「地球は自転し太陽の周りを回っている」と言う。
カラダは「太陽が東の空から昇り、西の空に沈む」と言う。
そのことにまったく関心をもたない猫はあくびをする。

どれがほんとうの〝現実〟かと問えば答えは出ない。
それぞれに取りかえられないリアルがあり、生きられている。

しかし人間がつくる関係世界において、
それぞれのリアルが出会い、ともに生きる場面で、
「ほんとう」という命題は必然のように生成する。

だれにとっても当てはまる「ほんとう」の確定。
事実について一般解(普遍解)を導く思考の方法は、
サイエンスという領域において確立されている。

人間はいつも「ほんとう」について問いたがる。
そのことにもたしかな理由がある。

事実認定については科学的思考(「因-果」論思考)が担当する。
比喩的には「アタマ」が主導する思考の領域といえる。
しかしそれで「ほんとう」をめぐる問いの全域がカバーされるわけではない。

事実にかかわらない領域──それは人間的価値(意味)にかかわる。
一般解、普遍解として因果記述を確定することができない、
一人一人の価値分節とともに生きられている「経験としての世界」。

生成という人間的本質。
たえず変容可能性、未規定な生成性において生きられる「実存世界」。
実存がそのつど見出し、生きる世界像のあるべき姿、あってはならない姿は、
「~にとって」という条件節において絶対的な意味と価値をもつ。

いいかえると、それを生き経験している「一人称」にとって、
絶対的な経験のわたくし性、一回性、代替不可能性。
そして、そのことの相互にとっての隔絶性。

このことの〝厳粛〟な事実から導かれる関係項の運用課題──

関係世界における〝ほんとう〟ということの意味本質の認識、
いいかえれば一般解・普遍解(関係項)の適切な取扱い、
実存を毀損することのない用法について〝普遍的〟合意を生み出すこと。

 

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「関係項」 20200616

2020-06-16 | Weblog

 


「関係項」に先行を許せば避けられない関係のモードがある。

自己責任──すべては「自分が悪い」

個の生のありかたを指定し、評価し、判定し、
順位化する価値コードとしての関係項。

「自己肯定-自己否定」の絶対的参照項として機能する社会体。

個と個を結びつけるパターン(一般意味)としての「ことば」。

記述を確定された関係項のクラスとしての「社会体」。
ことばの体系としての関係世界、すなわち社会体。

一般意味の集積の体系、象徴秩序として機能し、
その歴史的歩みが刻みつづける痕跡としての「ことば」。

参照項を固定すれば、参照する個は、
記述が確定した痕跡としての「ことば」を身にまとい、
参照項に準じてみずから切り詰め、枠づけ、相互に評価しあう。

固定化、すなわち社会体の絶対項化による個の存在のバインド化。
いいかえると、隷属としてのことばの内面化、用法。
      *

参照項は修正、改訂可能──その担い手は個、その集合的意志。
修正・改訂可能な本質が見失われるとき、
個はみずからの生をクラス(社会体)の中で完結させるように生きることになる。

 

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