https://www.youtube.com/watch?v=2ssdVDHvmE4&list=RD2ssdVDHvmE4&start_radio=1#t=2
つねに、すでに、feelは動き、みずからに〝世界〟を告げる。
feelの顕現、情動生起、それは一つのプレゼンテーション。
所与される〝世界〟──
そのつど「私」はすみやかに動機を与えられて起動し、なんらかのreactionへ向かう。
内なるプレゼンが示す根源的シグナル──「快‐不快」。
情動生起、この世界における居心地を分節する透明なメカニズム。
縮約された所与の諸相。表情、色あい、肌ざわり、「いま、ここ」における価値の配置、意味配列。
生の主題(欲望)が析出し、再帰的に照らし出す世界との関係状況。その縮約的な湧出。
どこへ向かうのか──
問いは「私」と「世界」の関係、feelが析出するその縮約点から発する。
根本命題はすでに確立されている──「より快が走る方角へ向かって」
生の意志(欲望)がめがけるフィールドは、しかし、どこと明示されているわけではない。
feelのナビゲーションは「いま、ここ」の関係状況を示しながら、
つねに、未決性を同伴させ、意識主体の手になる生成的「域」を委ねている。
この問いに応えることの格律──根源的な生の意志と連結させるように。
根本命題とすれちがわないように、ほかでもない固有の「解」をみちびくように。
アプリオリにどんな「解」も存在しない。
問いを、一つの自由の実践の契機として受け取ること。
「快」を享受するように「解」をみちびくこと。
その成功も失敗もすべては心のうちで決めたことの帰結として、
企投的現在における新たな資源となりうること、そして、そのことの了解として。
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同時に、そのことが可能であるための関係状況、その条件を整え確立すること。それがただ一つ、ひとりひとりの企投的現在を生かしてゆくための、関係世界全体を貫く最大の「主題」になる。