ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「なりすまし」「教育の素人」

2012-07-28 | comment
(http://ameblo.jp/sanni1132/entry-11312941385.html#cbox へのコメント)


「教育」の看板をつけた「収容施設」がイメージされます。
こうした「管理」のゴールは何なのでしょうか。

社会人の経験からいうと、
「人事考課」(成績表)が前景化した組織は、
だんだんと愚かなふるまいが加速するように思います。
多くの場合、考えない(無能の)トップがいる組織ほど、
この傾向が強まるように思います。
(最後には沈没=倒産します)

Hさんには、愚かな連中の言葉を「真に受けないでください」と
言いたいように思います。
もっといえば、彼らは自分の成績(数字)以外関心のない、
本当は「教育の素人」(なりすまし)なのですから。

それより「外」へのリンクを無数に伸ばすことを大切に。
「さぼること」も、生きのびるための大事な技術です。
(偉そうに聞こえたらごめんなさい)
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2012 手に結ぶ 17

2012-07-19 | Weblog

    *

(S・ストロガッツ『なぜ自然はシンクロしたがるのか』蔵本由紀監修・長尾力訳 2005年)
「同期は、三つの異なるレベルで起きる。一番下の、最も微視的なレベルでは、特定臓器の細胞が相互同期を見せ、それに伴う化学的・電気的リズムも同一歩調で変化する。次のレベルでは、同期が各種の臓器間で生じる。(中略)最後に同期の三番目のレベルとは、身体と環境のそれである。昼は起き夜は眠るという規則正しい生活を送っている場合、すなわち通常の条件下では、身体全体は基本的には外界の明暗の変化にもとづく、一日=24時間の周期に対して同期を見せる。この、外界とのかかわりで生じる外的同期プロセスが「引き込み現象」と呼ばれるものだ」

「科学の王道を行く非情な科学者ですら、還元主義が、ガン、意識、生命の起源、生態系の回復力、エイズ、地球温暖化、細胞機能、経済の浮き沈みといった、人類の直面する「大いなる謎」を解き明かすのには力不足かもしれないと認め始めている」

    *

「如来とのメタローグⅠ」


「アナタはとても疲れた顔をしていますね」
「どなた?」
「ぶしつけでごめんなさい」
「どこかでお会いしました?」
「初めてお目にかかります」
「おかしな人?」
「信じないでしょうが、如来と云われています」
「アミダくじの?大丈夫ですか?」
「ええ、いたって」
「ごめんなさい」
「無理もありません」
「勘弁して」
「時間はとらせません」
「だから」
「十万円差し上げます」
「如来がそんなこと言っていいの」
「方便といいます」
「よくわからないけど」
「ほんとうです」
「マジ」
「はい。十万円です」
「しょうがないなあ。何でしょう?」
「この時代の感受性は研ぎ澄まされています」
「は?」
「如来の関心領域の一つです」
「意味がわからない」
「おいおいわかります」
「如来はわかったけど、なぜ私?」
「ひどい世の中だと顔に書いてあります」
「それだけ?」
「顔はその人の本質を映します」
「続けてみて」
「評価のメカニズムにかかわります」
「手短にね」
「みなさん、評価に対する研ぎ澄まされた感受性をお持ちです」
「評価は大事だから」
「ええ。しかし鋭敏すぎる感受性が自分を苦しめます」
「仕方ないよね」
「誰が評価するのかご存知ですか」
「上司」
「ほかには」
「世間とか」
「ほかには」
「奥さんとか、いろいろ」
「大事なアナタ自身が抜けています」
「じぶん自身?」
「ええ。あなたに住み着いたもう一人のアナタが苦しめます」
「そうなかあ」
「じつはアナタ以外誰もいないのです」
「まさか」
「世界にはアナタしかいません」
「やっぱりダメだ」
「もう少し我慢してください」
「ほんとに大丈夫?」
「きっとお役に立てるはずですから」
「なんだかなあ」

「いまのご気分は?」
「いいはずがないでしょ」
「低すぎる評価に悩んでいらっしゃる」
「まあね。余計なお世話でしょ」
「ここは大事なポイントです」
「なぜ?」
「評価は外部から来ますが、評価は受け手の承認がないと成立しません」
「他人の評価を真に受けるオマエが悪いといいたいの?」
「端的にいえば、そうです」
「それはないでしょ」
「他者はアナタのなかにいます。正確には、他者という観念だけがあります」
「世間にはウルサイ奴は溢れているけど」
「それもこれもすべてアナタが構成した世界です」
「万一そうでも、なぜ苦しめるものをじぶんで背負い込まないといけないのかな」
「アナタが世界を必要としているからです」
「ん?」
「ゆっくり行きましょう。死にたいと思うことは?」
「大丈夫」
「どこか行きたい場所や欲しいものは?」
「まずは休みたい」
「ほかには?」
「別に。面倒くさい」
「どちらかといえば小食ですか?」
「普通です」
「わかりました。質問を続けさせてください」
「どうぞ」

「ところで世界がどう統治されてきたのかご存知ですね」
「ある程度はね。話がデカすぎない?」
「一見複雑ですが、問題はシンプルです」
「そうなの」
「ええ」
「そうは思えないけど。どうシンプルなのかな?」
「アナタの生き難さと深く関係します」
「改善できる?」
「アナタ次第です」
「結局それですか」
「例を挙げて、説明してみます」
「わかりやすくお願いします」
「一匹のムカデを想像してみてください」
「ムカデ?ムカデって昆虫かな」
「昆虫です。仮に百本足として、そのムカデが歩き始めます」
「はい」
「第一歩目の足は、百分の一の確率で選ばれます」
「でも、最初からどの足って決まっているかもよ」
「一種の思考実験です。ムカデが百本の足を使って、百歩歩くと想定します」
「まあいいか」
「二歩目は、残りの九十九の足の中から選ばれます」
「でしょうね」
「三歩目四歩目五歩目と、順番に百歩目までいくと想像してみてください」
「想像しました」
「三歩目は九十八本の足から、四歩目は九十七本の足からと、百回の選択がなされます」
「そんなに単純かなあ」
「複数の足を一緒に踏み出すこともあるでしょう。でも単純化して進めます」
「了解」
「以上を数学的に表すと、ムカデが百歩を歩くための選択セットは、100の階乗分だけあることになります」
「100×99×98×97×96×……………×3×2×1」
「そのとおり」
「どのくらいの数かな」
「93326215443944152681699238856266700490715968264381621468592963895217599993229915608941463976156518286253697920827223758251185210916864000000000000000000000000」
「ワオ」
「ケタでいうと158桁。ゼロだけの数にすると、1兆の13乗×100」
「ムカデってすごいな」
「演算してから歩くと考えると、ムカデは歩くことができません。永遠にね」
「当然でしょう」
「でもムカデは歩いています」
「普通でしょう」
「ええ。だから演算はしていない」
「まあ、ロボットじゃないからね」
「そのとおり」
「百歩まとめて計算するからおかしい。一歩ごとに計算する手もある」
「それでも演算はしません」
「断言できる?」
「できます。結論的にいうと、頭でっかちの生命は死にます」
「演算処理は頭でっかち」
「はい。頭でっかちは、傲岸・不遜・自我肥大・誇大妄想・自信過剰とも言います」
「どういうことかな?」
「行為に演算は先行できないのです」
「演算してから歩くとどうなるの?」
「外部世界からの入力が途絶えます」
「環境と切り離される?」
「Yes。環境から孤立すると、歩くという行為の全体が壊れてしまいます」
「なぜ?」
「ムカデの歩く行為は、ムカデだけで成り立つわけではありません」
「ムカデの歩行という純粋な行為はない」
「まさに。森や草むらや人家や道路といった現場を離れたムカデの行為はない」
「環境ですか」
「環境とのインタラクティブな動的関係が、歩くという行為です」
「情報も同時に動いている?」
「はい。ムカデと環境は一つの情報のサーキットを形成しています」
「死ぬというのは?」
「環境適応の営みが断たれるということです」
「どう考えたらいいのかな?」
「なぜか歩けてしまう。この端的な事実を端的に生きることです。」
「なぜか歩けてしまう」
「あるいは、じぶんは歩けるように出来ているというじぶんに対する信頼です」
「わけがわからない」
「他力という言い方があります」
「生かされているということ?」
「何か超越的な神のようなものを想定する必要はありません」
「信心は元々ないけどね」
「そこに、如来のレゾンデートルがあります」
「アナタのことですか?」
「種明かしは後にしましょう」
「えぇ?」

「わけがわからないけど、なぜか歩けてしまう」
「はい。なぜか歩けてしまう」
「歩きたいから歩く。けれど、なぜ歩けるのかは知らなくていい」
「まさしく。仮にムカデに意識があるしても、歩行のしくみにはノータッチです」
「ただ歩きたいと思えばいい」
「歩きたいと思うだけでいい」
「それだけはわかるけど」
「じつは二本足の人間も同じなのです」
「右足か左足かの2通りなのに?」
「人間も意識でコントロールしようとすると、たちまち歩けなくなります」
「まあそうかも。変に意識するとぎこちなくなる。で、結論は?」
「意識はノータッチでもいい、じゃなくて、積極的にノータッチでないとまずい」
「ノータッチ?」
「正しくは、最初に歩こうと思うだけで作動する生命の営みがあるということです」
「最初に歩こうと思う。すると、勝手にからだが歩き出す」
「ええ。そこが極めて大事なポイントです」
「なぜ?」
「つまり、意識が介入するとシステムがフリーズしてしまうのです」
「でも意識は介入するものでしょ」
「介入します。するからおかしくなります」
「歩くこと以外も?」
「everything!人間の営みのすべてに関わります」
「それが世界の統治と関係するって?」
「さすがに察しがいいですね」
「それほどでも
「ここから、統治の本質、カラクリがみえてきます」
「どうぞ」
「核心は、先ほどの〝ムカデの演算〟にあります」
「はあ」
「〝ムカデの演算〟で世界を制御しようというのが、これまでの文明のメインストリームです」
「そうなんですか」
「〝ムカデの演算〟のために、すべての人員もポストも予算も緻密に配置されます」
「つまり、バカげた演算処理をするためにバカが世界を仕切っているって?」
「現実的にはムリに決まっているのですが、そう見せかけることはできます」
「要するに、みんな騙されているということですか」
「はい。深刻なのは、騙す側と騙される側が共犯関係にあるということです」



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2012 手に結ぶ 16

2012-07-17 | Weblog

    *

「われわれは回帰不能な過程中に逃げ込み、事物が矛盾と可逆性を保持している地点を通過してしまった。そして、矛盾のない、過熱したエクスタシーの宇宙に入り込み、不可逆的でそれでいて意味を失った過程を前にして、あっけにとられている。
現在では、インフレーションよりはるかに驚くべき事態が進行している。浮遊する貨幣の大群が軌道上に連なって、地球を包囲しているのだ。これこそ、真の人工衛星というわけだ。貨幣は純粋な人工物となり、恒星の流動性と即時的交換可能性をもち、ついにウォール街の株式取引所よりすてきな場所に落ち着く。人口太陽のように、貨幣が昇っては沈む軌道のうえだ。」(J.P.ボードリヤール『透きとおった悪』塚原史訳1991年)

    *

「魂の占領地帯」 

わかるかい。この国は魂の占領軍が支配している。
ボクもキミも魂をオキュパイされた悲しい国の住民だ。

占領軍の実体は存在しない。しかし、あらゆる魂に遍在する。
中央の制御盤はないけれど、呪術的コマンドが心を捕捉する。

人びとの魂は発令されたはずのない戒厳命令に従うように、
不安と不信と不寛容の警戒ラインを相互に向けて走らせている。

日々の暮らしは、警戒のまなざしと繰り返しのコードに制圧され、
私空間も公空間も魂のモニタリングスポットが埋め尽くしている。

「みなさんそうしていらっしゃいます」

占領地一帯は、共感呪術が支配する部族集団の風情を帯びている。
誰もがすることを誰もがする、という安堵の幻想が魂を占拠する。

システムは戦前のマジカルな動員システムと血統を同じくする。
主人と下僕のコマンド連鎖が階層ブロックを積み上げていく。

70年前には、赤紙一枚、向う三軒両隣がこぞってバンザイ三唱して、
数百万の若者を無間地獄の戦場へ送り出した動員実績を誇る。

粒よりの極悪人たちがサタンの心で国民を欺いたわけではない。
すべては善き心と日々の精励の蝟集が一つの歴史的帰結を準備した。

同じ巨大なシステムが改訂版のリクルーティングシステムを回している。
新たな世代がぞくぞくと、システムに魂を捧げるかのように、
学びの共同体の教唆にしたがって占領コードをインストールしていく。

――だれかが仕組んだものでもなく
――だれかの犯罪が導いたものでもなく
――だれかとだれかの悪意や逸脱や計略が原因でもなく
――だれかとだれかの呪いやルサンチマンが持続しているのでもない

――みれば溢れる善男善女
――街は分別の四則演算と
――話せばわかる良識にむせかえり
――意を汲みあい
――知恵を絞りあい
――感情の股と股をこすり合わせながら
――加担することなく加担し
――悪意することなく悪意し
――共犯することなく共犯し

――いまここに
――進化のフロントラインは生きられているのであり
――だれか悪党を探し出してシラミ潰しに撲滅しよう!
――そんなスローガンはもう誰も信じない
――だれかが決めたシナリオがあるわけではなく
――だれかが望んだ状況に収斂していくわけでもない

――システムはただ回っている。
――回すために回されている。
――猛烈な回転速度で回っている。
――なにもかもが素通りしていく。
――現実は速やかに希釈され、新しい現実に入れ替わる。
――新しいコードがぞくぞくと名乗りを上げる。
――へえ、そんなこともあるんだ。
――はい、次どうぞ。
――感情や思考は一ヵ所に留まることができない。
――学習課題は次々に陳腐化していく。
――ノウハウの更新速度は追尾しきれない。
――課題は与えられ、与える人間にも与えられる。
――次の展開が行列を作って待っている。
――じゃあお先に失礼します。
――帰って宿題片付けなくちゃ。
――ちょっと待ってよ、じゃなかった、こっちも時間だ。
――さようなら。
――魂と魂は一度も出会うことなくすれちがう。
―ーバイバイを交わしあう日々だけがある。

――ところが行き着くべき未来はどこにもない。
――もはや定点はどこにも存在しない。
――帰還すべきふるさとも消えた。
――ゴールはどこにもないし、イメージもできない。
――人も感情も思考も環境も、ただ迅速にワープしつづける。
――無限のスパイラルだけが虚空を埋めていく。
――異常も日々つづけば、やがてそれが正常になる。
――なにはともあれ決済と査定の日は必ずやってくる。
――支払いと受取り、評価のルールは厳密に守られる。
――命を削りながら日々精励する人びとの背中には、
――くっきりとマーケット・プライスが貼り付けられ、
――次なる展開へのスタンバイがスタンバっていく。

悲しい国の住民は世代的任務を果たして死んでいき
魂をオキュパイする強靭なコードだけが生きのびていく。

    *
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2012 手に結ぶ 15

2012-07-13 | Weblog

    *

「撮影現場の強烈なライティングは、美女の皺を覆い隠す。「誇るべき祖国・ニッポン」。その陳腐な物語の再演にも、まぶしすぎるほどの照明が必要だ。笑顔に覆われた鬱の陥穽が地雷原のように広がっている。一つだけ、忘れないでおきたい。この世では強制された明るさくらい、暗いものはないのだ。 (田原牧『ほっとけよ。』06年ユビキタ・スタジオ)

    *

「夜の果てから」


遠くでオマエを呼ぶ声が聞こえたが、
オマエの唇はそこへ向かわなかった。

どこかへ出て行こうと思っていたけれど、
行く先を訊ねられたとき、
オマエは向かうべき方角を告げられなかった。

否定すべき執着のせいなのか。
それとも強いられたものなのか。

オマエはまだ眠ることを知っていた。
眠りのなかに秘められた安寧の記憶が、
かりそめの夢の地平を開いていた。

――それは母なるものの胎内を遥かに通り過ぎて、
――生命の歴史へと連なる最後の砦かもしれなかった。

じぶんの弱さを裁断する心が、
差し出された現実を呑むとき、
倒れるひとつの全体がある。

気の迷いにとどまる心が、
みずからの限定にむせびながら、
こまやかな交感に逃げ込むとき、
死に瀕するもうひとつの全体がある。

眠り足りないからだに引きずられて、
心にもない歌に唱和したとき、
オマエは腐食するじぶんを目撃していた。

そうして結語は、道連れに、
アナタがたとともにであったのか。

――サタンがやさしい心を知らないと思ってはいけない。
――サタンはいつも正義とこまやかな配慮に満ちている。
――サタンはオマエの知らない心の深淵から立ち上がる。
――そうしてオマエに仲間であるための条件を語り出す。

オマエのこころが発語へと向かわないとき、
オマエは孤独のなかで引き受けなければならない。

拒むことだけがオマエを証するものなら、
オマエは喜んでその対価を支払って、
そうして、本当に拒むために時間をかせげ。

――もっとも信じない人間がもっとも上手に操作する。
――善なるものと悪なるものは踵を接して近くにいる。
――手管の担い手たちは共感と慰安を携えやって来る。
――どうにでも転ぶことができる隠された命題がある。

糸の切れた凧のようなオマエの、
焦点を結べないでいるまなざしや、
ひ弱な足許をすくおうと身構えている。

周到に設計されたアルゴリズムを片手に、
手ごわい現実の祭司たちがオマエの骨を抜いて、
一切の結語である忘却のプログラムへと誘っている。

まだ見ることのない明日が、
オマエにとっていったいどんな意味があるのか。
オマエの夜と引き替えにできるほどの何があるのか。

どう考えてもその閉ざされた情の温もりに、
オマエの夜を飼い慣らすチカラはないのだから、

季節の結び目をめがけてプログラムされた交歓から身を引いて、
まだ血を流したことのないオマエを、
神殿から放たれた飼い犬たちが襲ってくる日のために、
オマエはオマエの孤独な夜を磨いておけ。

    *

「いま再生を内包していないものはこれからも再生しえない」(吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』)

    *

「接続エラーⅢ」


殲滅すべき悪は不在だが
本日いま片付けるべき敵は見えないが
空を切るような実感だけはあざやかだ

シュールなまだら模様が
ウツボツと脳髄に渦を巻きながら
不可抗の歪みの中で
カタチを作れず
トホホに困り果てている

からかい、冗談、照れ隠し、冷やかし、ねたみ、そねみ、停滞、落胆、高揚。
おお、未だ語れぬ秘めたる野心。

ビジネスの凋落の予感と据わりのよくない日常のなかで、
他者とみずからへの配慮がインフレーションを起こしている。

しかし実相においては
お互いの日常を一挿話へと変換し合う「オレ」と「オマエ」

一切の情念の→←↑↓は、メカニカルに整備された偉大な駆動装置と慰安装置の効力を、自尊を、深く満足させるように巨大な⇒へと収れんしていく。ようにみえる。

情念のノロシは上がらず
今日も聞き耳を立て
分別を全開させ
伝統と前例にかんがみ
理を尽くし
礼を尽くして
―異論反論正論笑論オブジェクション―

「じつはそんな意見もほしかったんだよね」

はじめから変化するつもりのない男たちが
装われた多様性を看板に現状を墨守している

家畜のような従順と厚顔と
理知と頓馬の抱き合わせと
世界を乗っ取ったような正論に

脳髄は悲鳴を上げられず
困憊し尽すには症状は軽度で

〈正常〉と〈異常〉の
二つの遮断機が交わらない
わずかの隙間に
存在はからだを細くして

ドクターの診断によれば
「本日も晴れてこともなし」

過ぎてゆく一日一日の中で
カタチを結べないあぶくの〈反逆〉が
午後の紫煙とともに宙に消えていく

肉体をもたない呪詛の反復
浅い眠りへ収斂していく夜ごとの熱気たち

居場所を指定された疲労とやすらいと
射程をくくられた一日のホメオスタシス

脅迫と懐柔をデジタル変換する巨大な自動装置の中で
その一分署に配属されたパーツである労働機械として

整合された労働と報酬のサーキュレーションにしたがって
またファインチューニングされた朝がやって来る

本質的な崩壊に手を差し延べることができない何か。
それが何かはわからないが、
今朝も駅へ向かっている、
「かろうじて情状酌量されているように感じる誰か」、
だけがいる。

    *


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2012 手に結ぶ 14

2012-07-10 | Weblog

    *

少年のボディには数十億年の生命史のエッセンスが装填されている。
遺伝情報という精選され尽くされた天然のハードプログラムだ。

ハンターは内部から沸き上がる創造のチカラに導かれる。
存在のフォームを書き換えながら成長するチカラと、
世界との関係をアップデートするチカラは一つになる。

プログラムには数えきれない先行世代の戦いの果実が刻印され、
時間を超えてリレーされる生のメッセージが書き込まれている。

遺伝情報はピックアップされて組み合わされ、
ボディを構成する物質の絶えざる生成をつうじて、
内部状態の最適化ポイントが探索されていく。

サバイバルに向けたチャレンジはそれだけではない。
環境はつねに遷移し、次々に新たなトラップが現われる。
淘汰の圧力はプログラムの書き換えを迫るように変幻する。

環境にはカオスに等しいランダムな情報がせめぎあい、
「生かすチカラ」と「滅ぼすチカラ」が混じりあう。

変幻する世界に立ち向かうためには、
生きた情報を適切にピックアップして、
新たなフォームが創り出されなければならない。

世界の姿はつねに新しい形式として出現していく。
例えば、一人だけ教室の外の風景を見ていた少年が、
「雨だ!」というメッセージを叫ぶ。
すると、その途端に世界はフォームを変える。
「雨」と「教室」と「外の情景」は一つに結ばれ、
生まれたての世界のフォームとして、
教室にいるみんなに「インフォーム」される。
みんなは雨の情景に合わせるように心を遷移させていく。

少年は生きぬくためのフォームを発見しなければならない。
捨てるべき存在のフォームと、獲得すべき存在のフォームがある。
権威ある誰かから教えてもらうわけにはいかない。
新たなフォームはみずからの「feel」を通過させなければならない。

    *

「ごめんなさいというほほえみは/雨上がりのにじにあたいする」 (岡真史『ぼくは12歳』)

    *

生存を脅かし収奪するトラップが襲うとき、
少年の秘められた生のポテンシャルが顕現する。

始原の「feel」がシナプスを走り抜け、
みずからの変換のトリガーが引かれる。

環境へ向かうまなざしは相転移して、
世界を読み解く新たなコードが生まれ、
一気に存在フォームの再記述が現象する。

感情の出口が塞がれ、苦悩の日々が累積したとき、
少年はサバイバルのために創造のチカラを信じ、行使した。

「耳をすますと/春のあしおとがする」
「そう…… もうすぐ春だ!」    (岡真史『ぼくは12歳』)

少年の詩は生を肯定する世界のフォームを告知し、
少年のボディは発見された「美学」にインフォームされる。

少年は繊細なゆらぎに満ちた生活のなかで、
新たな地平を開くコトバを見出し、
世界とみずからのフォームの根本的な書き換えを図った。

サバイバルするために生み出した「美」は、
生きることの苦さに滲んだ、はかない果実を意味した。

新たな記述形式を誘導するイメージ形成と感染がはじめに起こり、
その強度が変換へ向かうエネルギーの特性を決定していく。

多くの生命が収奪するチカラに遭遇し、敗れ去っていった。
しかし、その記憶の地平から新たな再生の種が芽吹いていく。

    *
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2012 手に結ぶ 13

2012-07-05 | Weblog

    *

美しい秋空の夕ぐれに
少年の心は溶け 
哀しみとせつなさが溶け
苦しみが溶け

やがて光が閉じられ
永遠の遠ざかりを告げる
きよらかな喪失の光景に
すべての「feel」が溶けていった

黄昏の光景から延長された
なにもない星空に
まなざしにトレースされて
光と光を結ぶ物語が浮かび上がる

心は透きとおり
地上にとどまれない感情が
明滅にあわせてスキップする

かりそめの時間を埋めるように
星々のまたたきの彼方から
ひとつのシグナルが告げていた

大人たちも仲間たちも知らない
じぶんだけの孤独とひきかえに
すこしだけじぶんだけで感じ
すこしだけじぶんだけで考えられる
何かがあることを

    *

「ある体が他の体に、ある観念が他の観念に「出会う」とき、この両者の構成関係はひとつに組み合わさって、さらに大きな力能をもつあらたな全体を構成することもあれば、一方が他を分解して、その構成諸部分の結合を破壊してしまうこともありうる」(ジル・ドゥルーズ『スピノザ―実践の哲学』)

    *

日一日と、地上の悲しさ美しさ、出会いとわかれを残らず胸に納めながら、
少年はハンターとして、無数の死のトラップに抗するサバイバーとして、
未踏のフロンティアを羽ばたきの地平として切り開いてかなければならない。

試練が待ち受けている。愛が待ち受けている。
悲しみが、歓びが、怒りが、畏れが、切ない感情が、苦しい孤独が、
それら一つ一つが世界との関係を知らせるアラームとして心を訪れる。

仲間たちと自分の危機を告げる「feel」が身体を走り抜けるとき、
新しい接続のラインを速やかに走らせなければならない。
否定のシグナルを「Yes」のシグナルに変換しなければならない。

魂にとってこの世の何が素敵なことかはもうわかっている。
魂を縛りつける接続ラインは果敢に切断しなければならない。

光と影が織り上げるこの世の風景には、
天使の囁きと悪魔の囁きが混じりあい、
天国にも地獄にも分岐する道が縦横に走っている。

もつれあう期待とリアルと夢と謎を解きほどいていくように、
少年はこの世のすべての風景にハンティングのまなざしを向ける。

    *

「相互に支え合う前提の織りなす果てしなく複雑なネットワークに捕らわれて生きること、これはすべての人間に共通の宿命だろう。逆に言えば、変化が起こるためには、この前提網の内部に、様々な弛緩や矛盾ができることが、どうしても必要だということである」

「そのような生物界にあって、変化が生じるためには、二重の条件が満たされなくてはならない。生物体の内部から来る一貫性の要求にも、外部環境の要請にも共に応じるのでなければならない。(中略)進化はこの板挟みの中で進行する。存命を模索する生物は、常にこの二重の規定の下で、変化していかなくてはならない」(G・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳)

    *

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