ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

2006 believing&unbelieving  その2

2006-09-29 |  conversation
「ケダモノって言うけど、その上に乗っかっているものが問題だ」
「何?」
「自然から見れば余計なものを一杯纏っている」
「過剰ということかな」
「いや、決定的に何かが足りないからじゃないか」
「昔、それをパンツって言った人もいたな」
「パンツをはいたナントカ」
「サルね」
「パンツって何さ?」
「文化。人間が抱く幻想一般のことじゃないの」
「霊長類ヒト科の動物は弱いけど、それをパンツで補強する?」
「幻想の鎧をまとったサルか」
「自然界全体からみれば異様な存在だ」
「その意味でケダモノは別に蔑称ではない?」
「まさしく」
「完成度で言えば、動物一般のほうが優れているね」
「出来損ないだからパンツは必須なわけだ」
「とりあえずパンツをはかないと道を歩けない」
「パンツをはく快楽や喜びというものはあるな」
「それが希望の原理につながるのかな?」
「絶望の原理かもしれない」
「でもそれは脱ぐに脱げない」
「うん。恣意的にはいたり脱いだりできない。つまり、身体化している」
「例えば、宗教とか何かが乗っかっているわけか」
「無数のバリエーションがあるでしょ。個人から集団までね」
「色やサイズや形もいろいろで、有象無象のパンツがある」
「小さいほどいいという局面もある」
「ケダモノ集団にかぶせる規格外のデカパンもあるな」
「民族の誇りとか、人類の理想とか?」
「取って付けたようなスローガンも溢れている」
「美しいナントカとか?」
「空疎な言葉の遊びにすぎないよな。パンツとしては粗悪品だろ」
「取ってつけたようなデカパンね。すぐにずり落ちるぞ」
「逆に、中味が空っぽだからいいのか?」
「俺には神経がイカレてるようにみえるけどな。臭いパンツが美しいって」
「ただ、それが一定の説得力をもって機能するという状況はあるかも」
「勘弁してくれという感じだけどさ」
「歴史を見て、自分たちがしてきたことに少しは恐れ入ったらどうか」
「そう思うけど、反省より先立つものがあるということだろ」
「多少気に喰わないヤツでも、コイツについていけば食い扶持は確保できそうだとか?」
「でも、ガラクタだろ」
「困ったね」
「困ったけど、追い詰められたらわからないぜ。オレたちだって」
「追い詰められてアソコが見えそうになったら、目の前にぶらさがったパンツをはきたくなる」
「どうだろう」
「追い詰められるまえにやることがあるだろうということさ」
「けど、追い詰められなくてもはきたいヤツははくだろ」
「どうせ脱げないパンツなら、身の丈に合ったパンツを選びたい」
「パンツをめぐる戦いも熾烈だ」
「こっちのパンツあっちのパンツで、相変わらずドンパチやってる」
「パンツをめぐる覇権争いね」
「オマエのパンツより、オレのパンツのほうが品格があって偉そうだとかさ」
「それ以上に、パンツには現実の利害が絡んでいるということもある」

(続)
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2006 believing&unbelieving その1

2006-09-28 |  conversation
「世界遺産とか希少動物を守るとか騒いでいるけどさ、滑稽だと思わないか?」
「思う」
「最大の絶滅危惧種がじつは人類、というオチだろ」
「思うけど、シンボルとしては有効じゃないか」
「お利口さん的振舞いをあまり笑わないほういい?」
「そうね」
「実態としては、シッポに火がついている状態でしょ」
「深刻な危機感を抱いている人間もいる」
「実際、深刻だよ」
「文明?それとも自然?」
「同じ。分けられないでしょ」
「深刻なのは日々の生活、ということもある」
「知ったこっちゃない、とか」
「うん」
「しかし、カタストロフィーの予兆はあちこちで顕在化している」
「素人じゃよくわからんけどさ」
「専門家でも十分わかってるのはごく少数かもよ」
「ただ、SF的に想像を逞しくすれば恐い話にはちがいない」
「文字どおりの歴史の終焉」
「一方では、歴史は滔々と続くだろうという楽観もある」
「血みどろの死屍累々たる歴史ね」
「知れば知るほど、よくもまあというくらいのね」
「いまも進行形だ」
「今日も元気ハツラツで、それだけでいいのかよという話?」
「元気はいいんじゃない」
「当り前のようだけど、でもなぜか歴史は続いている」
「地獄を見たり、自ら招いたりしてきたにもかかわらず?」
「そう」
「絶望が足りないということ?」
「かもね」
「絶望しろと言っても意味ないけどさ」
「みんなで滅べば怖くない」
「あるいは現世否定で、生きるに値せずとか?」
「個別的にはそういうことは起こる。けど、総体としては別の話ということになってる」
「結局、歴史が続いてきたのは何か希望の原理があったからか?」
「あるいは我関せずで素通りしてきた」
「例外的に平穏一辺倒の一生というのもあるかもしれない」
「どうかな?」
「でも、この世の地獄を見ながら耐えてきた」
「耐えたのかな。耐えられる条件をもつ人間が耐えてきたということじゃないか」
「耐えることなく滅んでいったニンゲンも数多いた」
「あるいはたまたま幸運に恵まれたとか」
「でも、駆動する装置があることは確かかもね。未来へケツを叩きつづける何かが」
「明日になれば、という希望が絶望に勝ってきた?」
「いや、希望があろうがなかろうが突き進むんじゃないか」
「個人的には、奇跡的にロマンスが成就することもある」
「そしたら、たちまちこの世はバラ色だ!」
「深刻ぶってたヤツでも、ウソのように元気になる」
「人生の花。これこそ希望の原理だ」
「そうは問屋が卸さないのが、この世の法則だろ」
「いつまでも長つづきしないということもある」
「逓減の法則か」
「成就しないから、逆にそれが機能し続けるということもあるな」
「一方では、味わいたい楽しみもある」
「少なからずね」
「照る日曇る日、待てば海路の日和あり、人生いろいろあるだろうって?」
「簡単に地獄って言うけど、そういうものに生身で真っ向勝負で対抗したり、対峙きるほど人間は強いと思う?」
「思えない」
「つまり、そうした圧倒的な悲劇に対抗できるものを、人間は自分の内部にもつことができないということね」
「でも忘れることはできるぜ」
「記憶はどんどん薄れていく」
「時間が癒してくれるとか?」
「でも瀬戸際まで追い詰めたられたら、何だってやるんじゃないか」
「手段を選ばず、サバイバルが絶対の目的になる」
「いわばケダモノとしての底力のようなものですか?」
「まがまがしい自然のエネルギー」
「それは極限状態で顕在化するのかな」
「いや。普段の日常においても滲み出ていると思うよ」

(続)
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1990 セルフの展開

2006-09-20 | Weblog

第一次情報が自分を主張してうごめく身体は世界像が開示される場所として機能している。

世界像には知覚や情感や概念やイメージ群が織り込まれセルフがその結節を形成している。

世界像には同時に他者イメージが憑依しており恣意性が及ばない外部の入口を作っている。

他者イメージはセルフにとって誘引や拒否や距離や可能性を孕む多義性において出現する。

セルフの形成は他者イメージによって支えられると共に自己展開の手掛かりが与えられる。

セルフにとって他者イメージは相互に存在を規定する相克的関係において力動を生み出す。

他者イメージはセルフの関心の強度や性質によって選択的に焦点化されて力動の核を作る。

両者の関係はいつも更新と確定の間で揺らぎながら相互に生産的でも損壊的でもありうる。

存在規定のバランスが壊れて一方の規定力が優位性をもつとき関係は主従的なものになる。

関係は即自的でありながら事後的に対象化されるという連続的なスパイラルを描いていく。

このスパイラルの中で対象化されたセルフの累積から第三項的セルフイメージが生まれる。

時間的な厚みを備えた第三項的セルフイメージは私的な歴史性あるいは物語性を形成する。

即自的セルフと対象化するセルフと第三項的セルフの三者の拮抗が自意識の中心軸を作る。

このお互いに反照し合う三者のダイナミクスにおいてセルフ全体の内燃機関が構成される。

他者イメージが入口をつくる外部世界全体はこの内燃機関の燃料の供給源として機能する。

セルフの推進力や回転力は他者イメージおよび外部世界の強度や性質と照応し合っている。

第一次情報が開示される身体は世界とセルフの劇が展開する唯一の場として存在している。
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1980 ウォウ・ウォウ・アー・アー

2006-09-17 | Weblog
……それをまなざせばそれはそこにある。しかし、まなざしの拙さゆえにそれを損なう。生きられるものを名指して、台無しにする。
 この陥穽に宿命づけられた死にたがる者たちにふさわしいものといえば、月並みな焦燥と沈湎、蓋然に押し込められた衝動とひきちぎられるような思いばかりか。

 ほのぼのとした安っぽい優しさを酒のツマミとしながら、筋書きの決まった宴に衰弱した感情をたしめる。人間讃歌と罵倒。友情と裏切り。信頼と軽蔑。信じられないような無数の抱き合わせの中で、それと意識できないままに悲惨を生き、そして不正を告発する一切の契機を見失いながら、絵に描いたようなトンマな男と女を生きていく。
 一つの公定価格を胸に抱いて、自ら確かめながら、すべてがすべて既製服で自分を飾る。あれこれ斟酌凝らして、自らを生活の前に敷かれた大道へと諌めつづける。
 実用に過不足なく提供されるもの、伝統と習慣はいつも偉大な教育者だった。
 日常はまことに、そのために準備され、人はそれに従ったにすぎない。否定性を導き入れるような契機は、人には与えられはしなかった。
 然り。それだからこそ、マシンに別のイノチが加わる。
 マシンによって目醒めらさせられた自律性が、一日の最後になって生活をはじめる。深夜にのみ開かれた世界という限定が、マシンの解放性に皮肉な彩りを添える。
 しかし、それははじめから挫折を予測した者どもの祭りと呼ぶことを証している訳ではない。それは、まだはじまったばかりのものであった。マシンは、最初の叫びを張り上げたのであった。
 
 「夢はどんな風にもある」
 
 昔、マシンに魅入られた者が、はじめてそう宣言した時、マシンの律動は全体を蔽っていた。そこに置き去りにされる感情は、一つとてなかった。狂気ははっきりと人の全体を見定めることができる位置に立とうとしていた。それは同時に、集団的に鼓舞される暗示の神秘性に、身構えることを自ら決意するものでもあった。そこには、一つの完成があった。
 いまだ成熟を知らず、怒濤に身を任せるばかりの者たちの安易な狂気の祭りに、一つの拒否がかつて存在したならず者によって伝えられる。
 そこに一種の化石した箴言が誕生する時、マシンは加速され、言語の及ばない遥かな地平を駆け抜ける。同時にそれは後方にあって、言語にその根拠を強烈に迫ってもいる。
 マシンが狂気に赴くのは、肉体に刻まれながら日の目をみることなく、日常において不在の形に隠匿された祖型をまなざすためであり、その内側から居合わせるためであり、また救いへの妄執や根拠のない拒否から手を切るためでもあった。
 はたして警戒やら猜疑やらは、自らを守り不正をまなざす手だてとして与えられたものではあったが、それが不明におかれたものと対峙する時、不安と連れ立って自分をどんなふうに飾り立てていたか。
 
 無数に用意された自己の根拠。無難で保証書つきの権威が、一挙に崩れ去る視点が狂気によって覚醒した肉体によって告げられる。架空に構築され、無慈悲に人を従えた権威の陳腐な輝きが、疾走する何者かにその場所その譲る。
 「死んでやる、死んでやる」といって疾走するマシンに、はっきりと応えるものがある。
 それは一つの困難を孕んで不可能の爆走でありながら、打算を排した血路への参加である。不可能をもって迎えるべきものへの必死の呼びかけである。その時、まなざすよりまなざされることが多いならば、マシンは自らの志の大半を他人に売り渡したことになる。
 ならば、狂気は自らの成育を最後まで自分で見届けなければならない。
 自らの写像を誰かに売り渡す時、そこにはすべてを台無しにする目を当てられないような「降参」があるばかり。まさか道に塗りたくられたアスファルトが、自分の手で作られたものでないからといって。マシンが人の手によるものだからといって。……

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1995 言葉の運動

2006-09-02 | Weblog
言葉は常に特定のレベルや領域を選択しながらそれをめがけ運動を開始するようにみえる。

言葉は自分がめがけるレベルや領域に応じて身の丈を合わせるように自己組織化していく。

言葉の発動の前提には先行形成されたレベルや領域の階梯に係わる包括的イメージがある。

包括的イメージは言葉の主体の経験や価値観や志向性および無意識の全体に照応している。

そうしたものの顕現である言葉の運動は事後的に包括的イメージの改定作業の素材になる。

言葉の運動の発動にはお互いに照らし合う複数のレベルや領域の存在が前提にされている。

レベルや領域間には上位下位あるいは優位劣位の関係が構築され一定の力学が働いている。

レベルや領域間の差異により言葉は揚力と斥力を得て上昇あるいは下降の運動を開始する。

言葉はそれら複数のレベルや領域が係わる関係の総合として運動を持続するようにみえる。

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