https://www.youtube.com/watch?v=z-gq2k3kypE
「ゲームは一つである」
ゲームは関係のフレームであり、関係のルールであり、関係のゲームである。
〝ゲーム世界〟にはすべてのプレーを規定する〝関係の絶対性〟があり、
〝関係の絶対性〟においてのみ生成する「エロス=ゲーム価値」があり、勝利と敗北、栄光と悲劇がある。
〝関係の絶対性〟を生きるプレイヤーにとって、ゲーム世界とは〈世界〉であり、〈宇宙〉全体である。
「ゲームは一つではない」
〝ゲーム世界〟の外には、無数の〝ゲーム世界〟が点在する〝ゲームの宇宙〟が広がっている。
〝ゲームの宇宙〟、それはゲーム世界の多数性と多様性が織り上げるギャラクシーの集合、
絶えざる生成と死滅において流転しつづける広大な「メタ・ゲーム世界」である。
「ゲームは生成する」
〝ゲームの宇宙〟では、時間に堪えないゲーム世界は滅び、新しいゲーム世界が生成する。
一つのゲームの死滅、それは〝関係の絶対性〟の破れにおいて現象する。
一つのゲームの生成、それは新たな〝エロス=ゲーム価値〟の生成において現象する。
あるゲーム世界の生成と死滅、永続性と短命性、調和と破たん。
その分岐をなす条件と根拠とは一体なにか。
新たなゲームの生成──新たな関係のフレーム・関係のルール・関係のゲームの生成。
プレイヤーにとってそれは、新たな「存在可能」の提示、
「このように存在する」から「別のように存在しうる」という新たな「エロス=ゲーム価値」の発見を意味する。
〝ゲームの宇宙〟のもつ原理、ゲームの生存にかかわる格律はシンプルにみえる。
それは、一つのゲームが指定する関係の絶対性を生きるプレイヤーの「活性/不活性」に照らし出される。
プレイヤーたちがある閾値を超えて不活性であるとき一つのゲーム世界は滅びのプロセスに入り、
プレイヤーが既定の〝関係の絶対性〟を超えた活性の位相「エロス=ゲーム価値」を予感し確信したとき、
新たなゲームの創発のプロセスが必然化していく。
〝ゲームの宇宙〟には、(倫理でもなくモラルでもなく)そうした原理が存在している。
音楽──
ゲームを補強する音楽、ゲーム内にとどまる音楽、ゲームを壊す音楽、ゲーム外をめがける音楽、
最初から別のゲームを生きている音楽……、それはプレーが生きる「関係のゲーム」を示しているようにみえる。