ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「311」

2016-03-11 | Weblog


抱かれた希望や夢や善意は、いまも
惑星を一周めぐると悪夢に変わっているかもしれない

求められた平安や礼節が殺戮や拷問を準備することもある
〝理想〟がたどる道は絶滅へ通じているかもしれない

もっと遠くへとまなざしを凝らしたオレたちは
地上の幸いを酷薄に見捨てる可能性もあった

加担することなく加担し
悪意することなく悪意し
共犯することなく共犯する

なにもない空の向こうに心は深く交わり
赤く染まる時間を悲しく受け入れながら
オレたちは投げる言葉をもたなかった

オレたちが感慨を結ぶより先に季節は移ろい
流れる雲はいつの間にかオレたちを追い抜いていった

出来事がどんなメッセージをたずさえ
どんな意味を告げたのか

すべては存在企投
オレとオマエの存在企投にかかわっている

不可能が〝聖域化〟するまえに
不可能を意志の理由とするために
そこにとどまり
ていねいに結んでおくべき焦点がある

 

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「一次過程」

2016-03-09 | Weblog

               https://www.youtube.com/watch?v=TPu3Xs_xQxI

 
「失敗=エラー」は、成功以上にシステムを活性化する──

経験の自然な流れが滞ったり障害に出会ったとき、内的なアラームが点滅する。
感情、情動という内なる警戒のシグナル。
なんらかの修正あるいは再点検、経験の拡張をもとめる警告音。

「ある種のアート」は、〝閾〟の外へ誘うようにシステムを活性化する──

想定された世界、期待の地平を亀裂を走らせるもの。
思考、感情、イメージ、それら閾値を破り出るように、
あるいは経験の拡張をうながすように訪れる音と響き、視覚像、言葉、コト。
ソレと特定できない泡立ち、うごめき、情動の氾濫が内部に現象する。

 

 

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「シャッフルできないもの」

2016-03-05 | Weblog

                               https://www.youtube.com/watch?v=3835BehoBro


シャッフルする。極限までシャッフルする。
あらゆるコード、あらゆる諧調、あらゆる感性、……、
すなわち世界に切れ込みを入れるすべての差異線をシャッフルしつくす。

しかしシャッフルする意思、手つき、方法そのものは、
「シャッフルされざるもの」「シャッフルできないもの」として、
一つの意味(情報)としてすべての音に貼りついている。

 

 

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「ゲーム世界」

2016-03-02 | Weblog

                   https://www.youtube.com/watch?v=z-gq2k3kypE


「ゲームは一つである」

ゲームは関係のフレームであり、関係のルールであり、関係のゲームである。
〝ゲーム世界〟にはすべてのプレーを規定する〝関係の絶対性〟があり、
〝関係の絶対性〟においてのみ生成する「エロス=ゲーム価値」があり、勝利と敗北、栄光と悲劇がある。
〝関係の絶対性〟を生きるプレイヤーにとって、ゲーム世界とは〈世界〉であり、〈宇宙〉全体である。

「ゲームは一つではない」

〝ゲーム世界〟の外には、無数の〝ゲーム世界〟が点在する〝ゲームの宇宙〟が広がっている。
〝ゲームの宇宙〟、それはゲーム世界の多数性と多様性が織り上げるギャラクシーの集合、
絶えざる生成と死滅において流転しつづける広大な「メタ・ゲーム世界」である。

「ゲームは生成する」

〝ゲームの宇宙〟では、時間に堪えないゲーム世界は滅び、新しいゲーム世界が生成する。
一つのゲームの死滅、それは〝関係の絶対性〟の破れにおいて現象する。
一つのゲームの生成、それは新たな〝エロス=ゲーム価値〟の生成において現象する。

あるゲーム世界の生成と死滅、永続性と短命性、調和と破たん。
その分岐をなす条件と根拠とは一体なにか。

新たなゲームの生成──新たな関係のフレーム・関係のルール・関係のゲームの生成。
プレイヤーにとってそれは、新たな「存在可能」の提示、
「このように存在する」から「別のように存在しうる」という新たな「エロス=ゲーム価値」の発見を意味する。

〝ゲームの宇宙〟のもつ原理、ゲームの生存にかかわる格律はシンプルにみえる。
それは、一つのゲームが指定する関係の絶対性を生きるプレイヤーの「活性/不活性」に照らし出される。

プレイヤーたちがある閾値を超えて不活性であるとき一つのゲーム世界は滅びのプロセスに入り、
プレイヤーが既定の〝関係の絶対性〟を超えた活性の位相「エロス=ゲーム価値」を予感し確信したとき、
新たなゲームの創発のプロセスが必然化していく。

〝ゲームの宇宙〟には、(倫理でもなくモラルでもなく)そうした原理が存在している。

音楽──
ゲームを補強する音楽、ゲーム内にとどまる音楽、ゲームを壊す音楽、ゲーム外をめがける音楽、
最初から別のゲームを生きている音楽……、それはプレーが生きる「関係のゲーム」を示しているようにみえる。

 

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「創発の起源」

2016-03-01 | Weblog

                 https://www.youtube.com/watch?v=Fq98d0JOiKQ


ゲーム世界。その多様性と多数性。
それぞれのゲームにおいて、そこにのみ生成するエロスが存在し、
ゲームの多様性と多数性をまたいで享受できるという「存在可能」。

「ゲームは一つではない」

ゲームの多様性と多数性を侵略し破壊しないという原則において、
それぞれのゲームの世界が〝全体宇宙〟を構成するという「関係のゲーム」。

敵との対峙における高揚でもない。
せん滅に向かう暴力のエロスでもない。
ルサンチマンの頽落した蝟集でもない。
自己放棄と従属によるマスゲームでもない。

ただ、そのこと自体をめがける〝アート〟の創発。

しかしここには決定的な逆説が存在する。
創発はいつも「悲劇」を必要とするというパラドクス。

この前提を打ち破る可能性。
それぞれのエピソードへの執着ではなく、
エピソードのクラスをつくる〝全体性〟へのまなざし。

もしそれが可能であるなら、
存在することそのものの〝悲劇性〟、
それを〝糧〟として立ち上がる創発の可能性。


 

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