「ほんとう(真・義)は我にあり」の思考が永遠にたどりつけない広大な人間的位相がある。
知らないことで〝普遍〟を要求するインフレーションを起こす〝人間的!〟思考がある。
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われこそ、われらこそ、われが、われわれが戴く〝真〟こそ、この世の真理、〝普遍〟を構成する。
究極の実体を表象し信じる心には、もう一つたどられる道がある。
どんな〝真〟も存在しない、一切は〝無〟である──実体を求めた挫折がみずからに処方する結詞。
思考のオフサイドライン──その侵犯によって作動を止める生成のゲームがある。
それだけではない。作動が止まることで、代替するように、すみやかに〝自然の法(ゲーム)〟が立ち上がる。