ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「売らん哉の系譜」(参)

2009-12-26 | 参照

(松本健一『日本の失敗』98年東洋経済新報社)より

さて、満州事変が勃発したとき、ジャーナリズムはこの昭和六年=一九三一年を語呂合わせで「いくさのはじめ」とよび、盛んに好戦気分をあおった(昭和九、十、十一年になると、一九三四、五、六、をもじって「いくさのしごろ」などとはやしたてた)。
戦後になるとだれも口をぬぐってしまったが、ジャーナリズムが満州事変を「いくさのはじめ」といって好戦気分をあおったとき、これを咎めだてるものはほとんどいなかった。唯一、大本教の出口王仁三郎のみが、何で日本人が西暦などで語呂合わせをするのか、皇紀(天皇紀元)でいえばいいじゃないかと、昭和六年=皇紀二五九一年を「じごくのはじめ」と語呂合わせでよんだだけである。


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「一億総特攻への道」(参)

2009-12-19 | 参照
(半藤一利『昭和史』04年平凡社)より

電車やバスが宮城や靖国神社の前を通る時には、決まって車掌さんが「最敬礼!」と叫び、乗客は皆、立って最敬礼をしました。「空に神風、地に肉弾」というスローガンが流行っていたと思います。「一億一心」という言葉も私たちの身の回りにありました。そういう状態で昭和二十年の正月を迎えたのです。

そして内閣情報局の指令のもと、ポツダム宣言について(昭和二十年七月)二十八日の朝刊で発表します。ただし、国民の戦意を低下させるような条項は削除し、政府の公式見解も発表せず、できるだけ小さく調子を下げて取り扱うようにしました。すると新聞社ではこれを独自に解釈し、逆に戦意昂揚をはかる強気の言葉を並べて報じたのです。読売報知は、「笑止、対日降伏条件」と題して「戦争完遂に邁進、帝国政府問題とせず」とうたいました。朝日新聞は「政府は黙殺」と見出しをかかげ、毎日新聞は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃砕せん、聖戦を飽くまで完遂」という具合です。

*「一義性への収斂」「ゲームの一元化」「他者性の不在」等、極東の一国において、メディアをキャリア―とする「空気感染」と「重篤化の危険」は現在も続いているようにみえる。
 この感染症の発現の底には、いつも狡猾な利得計算が存在している。その利得とは、恣意的な、利益誘導・恫喝・断罪・制圧・折伏・責任回避・動員・教唆・懐柔・追従・巧言等、多彩でコンビニエントなバリエーションをもつ。
 ただ、表向きの看板は「聖戦」といった超然的な単純言辞であり、「聖性」(公正・中立・正義・大義)という自己暗示的で思考停止的フィクションがそれを可能ならしめている。
 この意味において、「聖性」維持をツール化したシステムの作動が継続中である。

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「臨界のゆらぎ」「協調システム」「創発ポテンシャル」(参)

2009-12-12 | 参照

(三嶋博之『エコロジカル・マインド』2000年NHKブックス)より

ダイナミカルな観点から見れば、たとえば「歩く」から「走る」への転換期など、ある運動からそれとは違う運動に変化する瞬間には、一時的に「秩序パラメータ」が不安定になることがわかっている(これを「臨界のゆらぎ」と呼ぶ)。
不安定とはいえ、前述のように、新しい行為が「創発される」ための条件なのだ。したがって、もし歩行速度などの「制御パラメータ」を変化させていったときに、歩行パターンなどの「秩序パラメータ」が不安定になる領域を見つけることができれば、まさにそのときが、固着した運動から、それを新しい、より適切な運動に再構成していくためのチャンスなのかもしれない。
さらに補助的な手段として、「外的なリズム」を導入し、それへの同期を試みることで、新しい運動を獲得できるかもしれない。そしてそれは、問題となる行為の指標としていた「秩序パラメータ」が不安定になっているときに行えば、より効果的かもしれない。導入する「外的なリズム」は、自分自身の身体の別の場所のリズムでも良いだろう。つまり、脚の運動に注目しているときには、「腕の振り」をコントロールしたり、左腕に注目しているときには、右腕の振りでも良いだろう。また、たとえば、メトロノームのリズムのようなものでも良いかもしれない。

また、「外的なリズム」は、視覚的なリズム、つまり、視覚的に提示されるパターンのようなものでも良いことがわかっている。たとえば、パーキンソン症候群の「フリージング」と呼ばれる、歩行の開始時に「脚を踏みだせない」特徴的な症状が、床に描かれた縞模様を「見る」ことによって軽減した事例が報告されている。

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1990 The Old Country

2009-12-05 | Weblog

星空を見上げて仲間たちと過ごした夜は
せつなくこころが透きとおり

惑星にとどく光はいつも
讃歌に伴われていた

季節はいつも哀切な陰影を刻み
地上の種族たちのこころに
みずからへのまなざしを育てた

過酷な風土に囲まれながら
魂と名づけたられた孤独な祭壇には
かずかずの物語と
無数の祈願が捧げられていた

     *

ここにこうしてあること
あることじたいの不思議

ハダカとして芽をふき
ハダカの崩壊としてこの星に拡散する
そのひとときに結ばれた夢

ここにこうしてありながら
孤独は深く
高揚は走り
種族たちはいつも
みずからを寄り添わせる何かを探した

底知れない闇をぬけ
遥かな時間の流れをまたぎ
無音のシグナルがきざす

夜は夢に濡れ
星はきらめき
深い森の底に
獣たちの息がこだまし

呼ぶ声が聞こえ
暁の光に洗われ
神聖なまなざしが降りてくる

黄金の光に手招きされ
ゆらめきながら
ときめきながら
ひとときの夢にエネルギーを試行する
情と意思のたゆたい

重なる時間に埋まり
不和と和解がめぐり
新たな航跡と祝祭がめぐり

ローカルに造形された
種族たちの偏差から
位置のエネルギーが生まれ
波を織り上げ
怒濤となり
個と類とエコロジカルな全体が
非人称のなにものかを神々へと祭り上げる

季節は移り
こころは変成し
訪れる夢を
審議する時間は限られていた

この世のディテールに傷を受け
無数の門を過ぎ
たくましさを増し
弱さを重ね
廃疾の予感と
救済の予感を織りあわせ
種族たちはまなざしを磨き上げる

ゆらぎながら
小さな敗北と小さな勝利と
かずかずの記憶に
未来への志向を刻みつける

秘蹟を待ちながら
遊戯の聖性からどんどん遠ざかるように見える
種族たちの冒険

行きつきたい場所も
行きつきたくない場所も
行きつける場所も
行きつけない場所も
ほんとうはだれも見ることはできなかった

ほんとうは何も知らないということのうちに
じぶんを覗き込む

先を急ぎながら
足踏みしながら

振り返り
目を落とし
息を凝らし
何度も咳払いしながら
空を見上げる

黄昏の空に
こころは溶け
焦慮が溶け
哀しみと淋しさが溶け

光が閉じられ
永遠に遠ざかろうとする
きよらかな喪失の光景に
懐かしさが溶け
こころが凍りついた

由来の知れないカオスを抱いて
空虚を呼吸する一つの空虚として
情動に身を投げる白熱として

滅ぼすチカラと
生かすチカラと
拮抗するふたつのチカラが
生存を編み上げる

無音のシグナルは大地に遍在し
いつもかならず
光と風のざわめきに紛れ込み

どこへも誘わず
なにごとも告げず
惑星の四季を
ただ美しく染めた

胎内を通り過ぎ
太古と永遠を貫通する
一つの波動として
一つの予感として
海と空は融けあい

留まるイノチと
離れるイノチと
刹那の点滅があちらこちらに
すれちがい
せめぎあい
まなざしを交わし合いながら

ためらいと勇気の連鎖の中で
種族たちは世界の感触を確かめる

今日も何かが誘っている
明日も何かが拒んでいる

こころはかならず
少しだけどちらかに傾き
少しだけどちらかに唇を向かわせる

めがけるものがないのではない
めがけるものがあるのでもない

記憶の底を洗い
呼吸を詰め
身を固くして
算段と審議をはじめるまえに

世界はエロスに染まり
死に染まり
悲しみに染まり
歓喜に染まり
退屈に染まり
憎しみに染まり
何にでも染まるようにみえた

限りなく血は流れ
渇いた涙が風景を濡らし
始原の感情がシナプスを走り抜ける

軽いものを数えあげる
重いものを数えあげる

ここにこうしてあることに
最初のおののきが重なり
二番目のときめきが重なり
すべてが重なり
ざわめきはさらに深くなる

遠くまで行きたかった
近くまで来たかった

かけがえのない現在と
とりかえしのつかない現在と
数えきれないはげましと
数えきれない断念や絶望と

まなざしの間隙をついて
季節はまたひとつネジを巻いて
こころを進ませる

新しい生命のきらめきが
種族たちを祝い
目の前に広がる風景を祝い

じぶんではない誰かを祝福することが
おのれのよろこびであり
みんなのよろこびであり

ここにこうしてあることに
光がこぼれ
感情がこぼれ
こころが氾濫する

未来へ向かうのか
過去へ向かうのか

空はどこまでも青く
雲は白く
風に木々の楽譜は高鳴り
光は水に溶け
こころは風景に透きとおる

いつか季節に追い越されたとき
種族たちは先回りして
目を細め
手を振り
からだをやさしくして
最後のわかれの挨拶を決めた

かたちをたどれない世界の姿は
仲間たちの声が教えてくれた

ざわめきに揺らぐ仲間たちの姿に
おのれの姿が重なり

聞こえる声の奥に分け入り
耳をそばだて
きよらなか光に身をゆだねると
そこが身を浸した海になる

誰も見たことのないその場所が
苛立ちと安堵と
争いと融和と
まだ出会わないすべての感情の
ほんとうの故郷になる

種族たちは祭壇をしつらえ
祖霊の記憶を刻み
仲間たちのことづてを刻み
語られない沈黙を刻み
おのれを刻む祭壇とした

遥かな時間の流れに乗り
種族たちの細胞は進化を反芻し
反芻することでおのれに倦み

倦むことでまたひとつ
新しい夢が走り抜けた

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「拡張システム」(参)

2009-12-04 | 参照

(河野哲也『暴走する脳科学』2008光文社新書より)

心は脳の中だけに位置づけられるのではなく、脳を含んだ身体とその環境のなかに拡散的に実現している。……脳はそうした拡散したシステムの一部を担っている臓器にすぎない。

脳が可塑的であるということは、それが社会的な環境にも適応する臓器であることを意味している。脳は社会的な臓器なのである。

心とは、デカルトが考えたような外側からは接近不可能な内在的領域ではなく、環境中の対象との志向的な関係性にその本質がある。……心は、身体と環境との相互交流の中に埋め込まれ、文脈づけられている。

身体と環境を含めたシステムにおいては、ある部分の変化が全体の特性に影響を及ぼす「上方因果(下位のシステムが上位のシステムに対してもつ因果効力)」と、全体の特性がその部分に影響を与える「下方因果」という二つの因果性が存在する。脳内の変化は、身体システムや拡張した心というシステムに対して、上方因果の効力を有している。

「拡張した心」の概念からみれば、脳研究は心全体の研究とはなりえない。

*システムの稼働域は親和的時空の外部へ拡張され、
 物理的基礎から離脱した幻想域にリンクを伸ばしている。

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