ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「多重記述、カクテル」 20200126

2020-01-26 | Weblog

 

「犬も歩けば棒に当たる」ように、

「関係」という二重記述、多重記述の位相から、新たな経験の位相が生成する。

    *

「A」と「B」がまじわり関係するとき、たとえば単眼と単眼のそれぞれの視覚像が重なることで、

どちらの単眼にも属さない「立体像」が生成するように、経験の「第三の位相」が生まれる。

存在と存在は関係することでそれぞれの「AはAである」という自同律の圏域を離脱するように、

あらたな経験の位相、単体では実現できないあらたな世界記述の位相を求め、開いていく。

    *

焼酎にビールを注いで焼酎をビールで割ると、「焼酎のビール割り」というシンプルな新しいカクテルができる。

そこには単体の味わいとは別の味わい、いまだそこにない記述形式を求める人間的欲望の本質が先行的に動いている。

    *

光のカクテルである太陽光線が大空の水蒸気にぶつかって「虹」が現象する。

Somewhere over the rainbow──人のまなざしが虹とまじわると「歌」が生まれる。

    *

コスモスが朝の光に洗われ、風にゆれ、まなざしに交わり、

心の変換規則に出会うと一つのアンサンブル、「きれいな風景」が構成される。

    *

「なのはなが月のでんきをつけました」(小1女子『小学生の俳句歳時記』)

    *

メッセージは交換され、積み重なり、あるコンビネーションのパターンが生成する。

このパターンを言語的にコードしたとき、「愛」あるいは「憎」などと記述される。

    *

「関係」からみちびかれる、単体では実現不可能な新たな経験の位相。

人生のはじまりの時期のどこかで、二重記述、多重記述から生成する

新たな「経験のエロス(位相)」への予期と確信が生成し、生涯にわたって携えられていく。

 

 

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「展開形」 20200125 

2020-01-25 | Weblog

 

ひとつの悲しみの一撃によってランドスケープは一変する──

彩り、色あい、スクリーンの画面が切り替わるように、

世界を構成する意味と価値の配列が変化する。

 

「そうではなく感じていたいのに、そうであるようにしか感じられない」

 

変化は否応なく感知される。

世界はそうであるようにしかありえない、そうとしか感じられないかのように。

世界はいつもみずからに「告げ知らせる」というカタチで姿を現わす。

 

世界の現われ、世界の告知に意識主体は関与することができない。

意識はおくれて動き出す。

──この先行関係は動かすことができない。

 

現われとしての世界──すべての始発点を構成する世界との遭遇。

一切の起点、動かしようのない初期条件としての世界との出会いの痛切性。

はじまりの世界記述の方法を意識は決定できず、選ぶことができない。

 

「かなしい」

 

遭遇というかたちでしか意識は世界を知ることができず、

はじまりの世界記述に参加することができない。

──しかし始発点は終着点を指定しない。

 

「わかった。十分だ。上等だ」

「けれど、申し分ないとは口が裂けても言えない」

 

世界をみずからに告げるこの記述形式ははじまりにすぎない。

初期条件はいっさいを決定し完結させることはできない。

 

そのつど「よりよき記述」へ、その更新へ向かうかのように。

記述の更新に向けてつねに準備を整えるように、その意志を貫徹させるように、

記述の確定を拒むように〝未決の位相〟を保持し、駆けているものがいる。

 

「新たな記述の場所をつねに空けておけ」

 

未決性において全域性を満たすように、実存はつねに自らに生成する「問い」をたずさえている。

なぜ・なに・どうしたら──

わかること、理解のポッケに収めたものだけでは足りない。

わからないことのわからなさをそのまま保持する。

保持しなければアクセスできないものがある。

 

わからないことのわかりえなさ、知りえないことの知りえなさ。

わかること知ること、すなわち世界の初期記述へ落とし込むことができない。

確定されざる未決性、それが逆説的に疑えない明証として一つの格律がみちびかれる。

 

「世界の自明性、確定された記述につねに留保をかけろ」

        *

〝展開形〟の本質において、実存は実存と出会い、交わり、

少し浮き上がった場所に移動するかのように、みずからに訪れる自明性に留保をかける。

新たな自明性の地平への参入を望むかのように。

        *

〈世界〉生成の原郷としての実存──

それぞれに〈世界〉を示しあい、交換しあう相互性において、記述は二重化され、多重化される。

単体では実現されない多重の記述から現出する新たな〈世界〉の相。

実存にとって生涯にわたるもう一つの世界生成の原郷として生きられる「第三領域」がある。

 

実存と実存は交わり、関係しあい、共同化することで、生成の第三の位相を発足させる。

「相互的了解項の形成」──

どの実存にも属さない第三の位相という共同的な信憑形成において、

多重の記述に対する相互的な信頼に基づく〈世界〉の交換がつづくかぎり、

その生成性と展開力は保持される。

 

 

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「Another Galaxy」  20200124

2020-01-24 | Weblog

     *

ふたたび出会うことのない現在を次々にトレースしながら、

システムは新たな「いま、ここ」の出産に立ち合いつづけている。

 

システムはゆらぎのリズムに満たされ、

ギャラクシーには新たな接続可能性の海原が広がっている。

 

かつて-いま-これから──すべての時制がループを描いて結集し、

状態遷移の中心から新たな予期が立ち上がっていく。

 

システムは相互に照らし合い、同期と非同期の光が明滅している。

光と光、予期と予期はまじわり、いちどかぎりの新たなカクテルの光が生まれていく。

     *

 

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「ライン」 20200123

2020-01-23 | Weblog

 

つねにラインは走っている

あれかこれか、審議する以前に

ラインは引かれ生きられている

 

それぞれの理由、それぞれの価値

それぞれの沈められた確信の意識において

 

近づくこと遠ざかること

選ぶこと選ばないこと

つながることつながらないこと

 

あらゆる作動に先んじて

ひとりひとりの

あらゆる作動の前提をつくるように

ラインは世界を走っている

 

区切られるインサイドとアウトサイド

透明なボーダーラインがわける

グッドとバッド、キレイとキタナイ、ホントとウソ

 

知ること考えることより早く

知ること考えることを導くように

ラインが世界を告げる

 

生きることの条件が与えられる

区切ることと生きること、それが

同じことであるかのように

     

選び、選ばれつづける生きるかたち

固有の世界記述、固有の着生、固有の適応

 

その代え難さ、動かし難さ、絶対性において

それぞれには生まれ、生きられる理由と根拠がある。

運命、宿命、生の条件、そんな語り方もなされる。でもさ

 

「そんなことは百も承知さ」

 

条件は最後の〝結審〟を意味しない

ただのはじまりにすぎない

 

それぞれに生きられるラインとライン

出会われる地点、現象するアタッチとデタッチ

 

ここにいる、そこにはいない

視線はまじわり、すれちがう

 

ラインは世界を教え、世界へナビゲートする

あらかじめ決められた

動かせない唯一の世界であるかのように

だから、明らかにしなければならないことがある

 

「なぜ逃げる」

 

ぶつかるに値するかどうか

逃げなくていい、そうすればはっきりする

記述を確定するのはそれからだ

 

決めつけられるまえに決めつける

決めつけられることと同じことだ

 

「運命」を受け入れ

追認するために生まれてくるわけではない

 

ラインは引き直すことができる

ラインは動く、動かすことができる

 

確立された命題がある

──「世界の本体は仮象にすぎない」

 

真実客観、唯一、不動の世界はどこにも存在しない

ただ生成する世界

世界の生成をになう「おまえ」と「おれ」がいるだけだ

 

ニンゲンの数だけラインは走っている

ニンゲンの数だけ世界の現われがある

 

ラインの本質を見極めれば出会えるものがある

 

「もっと本質的なことを教えよう」

 

ラインは方便にすぎない

はじまりの条件は世界を確定しない

「確定すると考えるバカがいるだけだ」

そう断言できる未踏の世界、記述されざる世界が待っている

 

「そこで会おう」

 

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「先生の言葉」 20200122

2020-01-22 | Weblog

 

 

──みんなちがって、みんないい。

そうにちがいありません。しかしちがうもの同士が共生する原理、

異なるスタイル、異なる価値、異なる世界観にしたがって生きる、

異質な子ども同士が共に生きる知恵が獲得され行使されなければ、

いつかどこかの場面で対立は必然的に生まれます。

こうした場面で、「みんなちがってみんないい」というメッセージは、

かぎりなく無責任で能天気なもの、絵に描いたホラ話、バカ話に転化します。

愛でも、やさしさでもない、倫理や道徳でもなく、

関係しあうための技術、異質な価値を生きる存在と関係する知恵が必要です。

愛は世界の全域をカバーできない。原理的にローカルな範囲を超えることができない。

なぜなら「わたしはすべての人間を愛する内的理由をもたない」からです。

「カミ」という絶対的価値への帰依とその命令にしたがうのでなければ不可能です。

「隣人を愛せよ」ということの要請は、人間の感情の自然性にフィットしないからです。

絶対的価値、超越的な真理や正義やモラルをかかげて、その許への結集を促すこと。

それは言いかえると、「みんな同じであれ」というカミの命令と同じことになってしまいます。

同じく、憎しみは世界の全域を覆い尽くすことができない。

なぜなら「わたしはすべての人間を憎む内的理由をもたない」からです。

人間の自然な感情にフィットしないやりかたは必ず人間の生を歪めてしまいます。

 内的な理由、つまりそこにひとりひとりの〝納得〟が刻まれないような方法で強行しようとすると、

そこにはかならず「ゲバルト」(暴力的要素)が混じることになるからです。

もし共生を願うなら、そしてその普遍な原理を見出すには別のアプローチが必要です──

すなわち最初に愛や真理や正義といった絶対的な価値を設定して、

そこから逆算して人間の生き方、あり方を決めるのではない方法。

「みんなちがって、みんないい」という自然な感情が育つには、経験と時間が必要です。

頭で考えるのではなくて、日々の生活のなか「ちがい」を認め、〝納得〟を刻んでいくこと。

それが第一の条件。

 さらにそこから、「ちがい」を生活のなかで生かすことができる知恵と技術が求められます。

 

 

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「変わる理由」  20200121

2020-01-21 | Weblog

 

変わらなければならない理由はちゃんとある。

悲劇のリフレーン──吹きすさぶ嵐は止むことがない。

専制・差別・抑圧・搾取・収奪・拷問・殺戮・蹂躙のアラカルト。

ふたつの法──

悲劇は日常に引かれた〝戦線〟を根として生育し、「法の支配」を蝕んでいく。

法のほころび、法の破れ、法の決壊、最終形としての無法。すなわち「自然の法」への回帰。

「人間の法」が包摂できない、個と個、集団と集団、国家と国家における関係のゲームの展開可能性。

戦線の痛切性、絶対性(関係の絶対性)がみちびく悲劇のリフレーン。自然の法=力の論理の全面展開。

最終の決着をつける「自然の法」が顕在化するまえにやるべきことはある。

     *

「自然の法」(無法)はつねに人間世界に潜在している。

「自然の法はだれも裁かない」

ただ淘汰の原理にしたがう無法としての自然の法。自然がつねに用意しているシンプル解。

審判者、裁き罰する者のいない自然状態において生き延びるための手段はフリー(自由)に選択される。

生存、死の回避という絶対命題にしたがうかぎりの、手段を選ばない敵のせん滅、

殺戮の自由、すなわち〝自然権〟。

「人間の法」が生きているかぎり、「自然の法」は眠りについている。

しかし「人間の法」の下において、〝戦線〟はつねに生きられ、新たに生成する。

すべての戦線を消去することはできない。

消すことができないことを前提に、その生育を抑え包摂する条件をさがす。

第一には、「人間の法」そのものが変わること。その包摂性の拡張。

自明な確定記述としての「人間の法」ではなく、成長する法としての「人間の法」。

さまざまな〝戦線〟の生成と生育に対して、それに先んじて包摂性を拡張するように、

書き換え可能性に開かれた〝未決性〟において成長変化する「人間の法」、という概念。

第二に、そのことの共通了解と書き換える意志。

いいかえると、それは絶対的な確定項、理想理念(超越項)の棄却を意味する。

 

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「freestyler」 20200120

2020-01-20 | Weblog

     https://www.youtube.com/watch?v=U0fk5L1ifbo&list=RDU0fk5L1ifbo&start_radio=1#t=2

 

どこか遠い場所へ。

じゃなくて。

もっと近くに向かって。

 

帆を上げ、舵をとる。

むずかしくない。ステップを踏む。

 

動いている。

からだの声。インサイドから。

しっくりくる。しっくりこない。

疑いようのない、わたしだけの感覚。

 

One more step!

キープする。

One more step!

 

あなたの声。指示や要請や命令じゃない。

からだに伝わる。やさしいビートと響き。

アウトサイドから。ありがとう。

 

インあんどアウト。

 

まじわる地点がはじける。

フリーハンド。フリースタイル。

思いつくまま、感じるままに。

 

いまはじめて生まれたように動いてみる。

 

「母」が教えた。かわいい子。

生まれたての「あなた」に。

ようこそ。たくさん生きるんだよ。

 

息つぎする。はじまりの場所で。

いつでもそこに帰還できるように。

 

考えをめぐらす場所じゃない。

考えることと考えることの間にスキマがある。

 

ちょっとちがう。

リアルにはスキマがある。

とってもおおきなスキマがある。

 

世界を切り取って書きとめる場所じゃない。

じゃない場所でステップする。

Step on Step on and on

 

 

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「一般解」 20200119

2020-01-19 | Weblog

         https://www.youtube.com/watch?v=AQVxRZJF3Bk

 

ひとりひとりの主観(実存)の経験を交換可能なもの、

共有可能なものに〝変換〟するいとなみとしての「言葉の歴史」。

 

個と個のへだたりを超えてリンクし、集合的いとなみを展開するという生の主題に対して、

個と個を結び合わせる〝結節〟、すなわち関係項、一般解として生成し生きられる「言葉」。

 

さまざまな存在の問い、認識の問いをめぐり、「一般解」をつくり上げ、

その成果として生み出され蓄積されてきた集合的合意項、一般解の集積のさまざまな系。

 

一般解集積の系のバリエーション──科学・医学・政治・経済・法・宗教・芸術、ほか。

ひとりひとりの実存という基礎構造から立ち上がるものとして、それらはすべて生成的本質をもつ。

 

その構造的本質──関係項へ〝変換〟可能ものだけが変換されるという構造がある。

いいかえるとすべての関係項は、変換されざる実存の経験の地平から立ち上がってくる。

この地平は関係項にとって、生成の母体であり、巨大な記述されざる未踏の海である。

 

関係項、一般解へ視線が過度にフォーカスされ生きられると、この地平は見失われ、

生成の基盤はやせ細り、未踏の海は枯れていくことになる。

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「言語ゲーム」 20200118

2020-01-18 | Weblog

    

ボールゲームにおいて〝ボール〟が必須であるように。

言語ゲームにおいてわれわれは、みずからの内に、

〝他者を棲まわせる〟ことでプレーヤーとしての属性を獲得する。

 

自己と対話する動物──関係存在としての人間的生。

人間的身体(幻想的身体)は、「自己-他者」のまなざしが出会い、

せめぎあい、親和し、対立し、輻輳しあう関係のなかで、

関係項がさまざまに変容し、また生成するトポスとして生きられていく。

 

関係項──コトバ。それは個と個をへだてる淵の乗りこえツールとして生成する。

コトバの交換可能性、共有可能な確定記述へ向かう展開において、

関係項は相互に解放としても抑圧としても変異する。その両義性。

      

関係項からの規定としての「個」。

個からの規定としての「関係項」。

 

人間的自由の生と死をわける関係項の意味、用法、その取り扱いについて。

関係のゲームにおける「個」(プレーヤー)という関係存在の本質からの生成として、

先験的自明性ではなく、主観において生成し消滅するものとして「関係項」を捉えること。

 

 

 

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「予期」 20200117

2020-01-17 | Weblog

    https://www.youtube.com/watch?v=kQzYbMXtGac

 

すべては関係をめぐっている──関係のゲームから脱退することはできない。

 

プレーヤーはすべて「ありうる」(存在可能)という主題をたずさえている。

うちなるBackstageから告げられる──より「よき生」、よきゲームのほうへ向かって。

 

しかし「よき生」とは何か。告げられるメッセージに明示的な記述はない。

ただひとつ言えること。

どんなゲームの展開もすべては関係的に動き、変化していく。

「よき生」というものが一人のプレーヤーの内部で完結できないということにほかならない。

 

「ありうる」すなわち存在の未決性を埋めるように、つねに予期は立ち上がる。

「予期」──新たな企投を向かうためには、先行的に世界を読まなくてはならない。

 

予期が手がかりとする経験の記憶、過去の推論の妥当性/非妥当性をめぐるメモリのプール。

メモリには経験がつぎつぎに累積し、再編集の作業が継続している。

経験の累積とともに、解釈コード、重要と考えられる情報のピップアップの仕方は変化していく。

 

新たな経験はつぎつぎに訪れる。

既知の解釈コードに収められない経験を取り込むためには、

新たな解釈コードそのものが生み出されなくてはならない。

 

すべては変化している。しかしまったく変化していない、ともいえる。

「私」というひとまとまりの存在、という統合のコードは一貫して維持されている。

 

しかし「よりよき生」をめがけるかぎり、「ありうる」(存在可能)を捨てないかぎり、

記述の未規定性にもかかわらず、「私」という統合のコードそのものも変容可能性に開かれていなければならない。

なぜか。

それは関係の相互性にかかわっている。予期は世界を読み企投をめがけていく。

新たな予期の形成と企投の展開は、関係のゲームにおいては新たな「変数」としてゲームそのものを動かしていく。端的には、プレーヤーの存在の仕方が変化することで、ほかのプレーヤーの予期と企投を変化させ、ゲームそのものが変容する可能性をもつ。

サッカーでは、ボランチは全体の展開を読むことでゲームを動かす中心にいるが、みずからがひとつの変数としてゲームを動かしていることを忘れることがある。

 

「私」というひとつの統合のコード──

変化するためには変化してはならない。変化しないでいるためには変化しなくてはならない。

「変化」の重心はそのつど入れ替わりながら、ゲームの帰結をそのつど生み、次の展開に接続される。

 

すべては関係のゲームにおける出来事として動いてゆく。

この二重性において保たれるもの──相互的な「ありうる」の地平、関係のゲームの活性的維持。

 

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「Light in December」 20200116

2020-01-16 | Weblog

          https://www.youtube.com/watch?v=-n9N2tY1GFI

 

光が閉じられ

永遠に遠ざかろうとする

夕暮れの

 

きよらかな喪失の光景に

かたちのない応答が現象する

 

静かに眠らせたいときがある

深く、ざわめきを沈め

 

月明かりにさがした

帰り道

 

許された時間のなかに

すべてが溶けてゆくように

リアルよ 眠れ

 

沈黙しているかぎり

世界よ

おまえはなぜか懐かしい

 

 

 

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「問い──ゆらぎの地平」 20200115

2020-01-15 | Weblog

      https://www.youtube.com/watch?v=so44n2ZQnRA&list=RDso44n2ZQnRA&start_radio=1#t=1

 

いらだってカタチを与えることで見失われる生成の位相がある。

知ることわかることの内側にすべてを収納可能と考え、

わからないことのわからなさをノイズとして手放すとき、

新たな形成運動の手がかりは途絶え、巨大なわからなさ、

「問い」にゆらぐ地平は遠ざかっていく。

    *

単なるモノ、物質的存在、モノ化した存在に、「問い」のゆらぎは内在しない。

    *

「世界はAである」──確定項の集積体は「ゆらぎ」を捨てることで一つの公理系を構成する。

「世界はAである」と整合する記述命題を集めたクラスの編成、それは社会体に似ている。

あれはあれ・これはこれ・それはそれ。

記述命題を集めたクラス(社会)を生きることが要請する記述命題の学習。

このことの必然性は、社会体の成立へ向かうメンバー(個)自身の内的要求から導かれる。

そのうえで、社会体は個の生の全域を覆うことができないこと、

さらに、ゆらぎを否認し、失えば、社会体そのものが枯れていくこともまた必然的に導かれる。

    *

「なに・なぜ・どうしたら」──未決の主題はつねに生成する。

みずからに生成する問いをたずさえ、問いに駆動され、問いを手がかりとする組織化特性。

人間的生、そのフォーメーションはつねに問いのゆらぎの中にあり、

わからなさを手がかりに、そこを起点として、新たな形成運動は立ち上がっていく。

    *

非知を既知のスコアに回収しない意志にみちびかれ、問いのゆらぎのままに、

相互にそのことを認め、相互にゆらぎの波形を交換するように出会い、

第三の〝生成の位相〟を生むように対話し、沸き立つセッションがある。

 

 

 

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「セッション」  20200114

2020-01-14 | Weblog

    https://www.youtube.com/watch?v=AqZceAQSJvc

 

わかること知ることと世界が一致すると、世界はやせていく──

 

理解のポケットに収めると消えてしまう。

ある一つの確定命題「世界はAである」が刈り込み、回収し、示す、

「果実(パイ)の有限性」が教えない人間的生の位相がある。

 

ある特定の意味、価値の確認、認証ではない。

価値的、意味的な収束点、一致点へ向かう関係行為ではありえない。

有限な果実(パイ)を分け合うこと、ともに摂り合うことでもない。

あるいは、競いあい奪いあって雌雄を決することではさらさらない。

 

相互にリンクを伸ばして、結ばれ、一体化することでもない。

うちなるBackstageがほんとうに望んでいるのは、

「crystal」のように結晶化して世界を完結させることではありえない。

 

そこには「無限性」にかかわる感受性が動いている。

歌えば歌うほど、踊れば踊るほど、果実の種子が蒔かれる。

費やせば費やすほど、使えば使うほど、蕩尽すればするほど、

与えれば与えるほど、歌うほど、踊るほどに、

新たな果実が受胎し、芽吹き、沸き立ち、拡張し展開する人間的生の位相がある。

 

「踊りませんか」

 

うちなるBackstageが反応する。

相互の非知性、未知性を資源として与えあう位相へ。

新たな記述にいざなう、開かれたセッションがある。

 

 

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「高い、高い」20200113

2020-01-13 | Weblog

 

構造への適応と依存、変化──

     *

「知」的に上昇しても、ただ上昇するだけではどこにも行きつけない。

着地する場所はあらかじめ前提されている。

だれが一番高い場所に踏み上がることができるか。

同じ場所で「高い、高い」している子どもの遊びにも似ている。

 

知の獲得の優位が劣位に積み上がる関係のパターン、そのフラクタルな全体構造。

知の階梯は不動の構造として屹立している。

知の階梯が指定する経験のモードは上昇と下降の二方向に限定され、

上昇と下降の競い合いをつうじて構造は維持され、強化される。

 

記述命題の集積体としての社会、その確立された価値と意味の整合的配列。

非整合の命題、ランダムネス、ノイズ、カオスを排除した公理系の同一性。

いいかえると確立された記述命題「かくある」のクラスとしての社会体。

 

さらにいいかえると、人間的問い一般に対する「模範解答」の歴史的集積体。

そうした自意識によってみずからを支え、メンバーにも求めるクラスとしての社会体。

 

クラスの同一性維持の機制は必然的に構成するメンバー(個)にクラスの思考を求める。

クラスが求めるメンバーの存在規定、すなわち「かくなすべし」「かくあるべし」。

    *

単純に記述命題を並べて「知」として格納し、集積しても変化は起こらない。

単なる量的変化は質的変化を導かない。

経験のモードが書き換わる契機はクラスの思考の「外」から訪れる。

 

変化が起こるには記述命題を結び合わせる新たなクラスの思考を必要とする。

記述命題を結び直して包括する新たなまなざし、新たな思考、新たな原理の生成。

いわゆる論理階型を踏み上がり、新たな包括的意味あるいは価値の原理を見出すこと。

そうしてはじめて〝発火〟する生理学的な臨界がある。

 

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「リンク」 20200112

2020-01-12 | Weblog

        https://www.youtube.com/watch?v=wlvQb6wqu2A

 

人間的生を構成する柔らかくゆらぎに満ちたコンポーネントは、

透明なリンクを伸ばすことでみずからをかたどり、動かしていく。

   *

ここにあるもの、ここにないもの、どこにもないもの

ありうるもの、ありえないもの

あるべきもの、あってはならないもの

その在/非在を問わず、リンクは伸びてゆく

 

検証可能なもの、検証不可能なもの

モノとして特定可能なもの、時間空間のどこにもマップできないもの

 

すべてはみずからに生成し、求め、求めないものを決している

 

たとえば「希望」という、ここにない存在可能

その反転としての「絶望」という存在不可能

活性にみちびく、不活性へみちびく、かたちのない

ただ「ありうる」「ありえない」として表象されるもの

   *

実存の未決性──つねに外的な記述とすれちがう生の形式。

動的な未決のフォーメーションは、どんな記述もそれを射止めることができない。

みずからの外へ伸びる、伸びつづけるリンクがそれを許さない。

連結可能性、連結不可能性、その帰結の未知性、未規定性によって生を突き上げ動かすもの。

 

予期は走り、走りつづける。リンクは伸び、伸びつづけてゆく。

生のコンポーネントはみずからに生成するリンクをたずさえ、たずさえられ、

つねに未決性のなかでみずからを試行している。

   *

みずからの生の本質、その不可避的に湧き上がる志向性へ言葉を与える。

「永遠の輝きに命のかじを取ろう」

もっとも遠くへ、もっともありえないものへ向かって、リンクを伸ばし、帆を上げる。

そのことの仮象性を知りながら、言葉を与えることで生のかたちを決する。

ここにない、どこにもない、ありえない

ただ、みずからに無から有を生むことを求める、創発をみずからに仕掛けるリンクがありうる。

 

 

 

 

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