ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「音楽」20241004

2024-10-04 | Weblog

                         坂本龍一 未来派野郎 黄土高原 - YouTube

 


鍵盤上の指のうごきをめぐり
右手と左手が言い争いをしているあいだ
演奏は忘れられ、どんな旋律も奏でられない

放棄された演奏、聴かれなかったメロディ
砕け散った夢が眠る場所があって

その場所への帰還を導くように奏でられる音楽がある

 

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「猫は知らない」20241003

2024-10-03 | Weblog

                       "I Wish I Knew" by Steph Johnson (youtube.com)

 

 

「こんばんは」

いきなりノラさんに遭遇にして思わず挨拶する
おそらく猫にとって聴くにあたいしない
意味を構成しないノイズにすぎない

(なんとも思わない)

ただ視線と視線がまじわり
ただ素通りするだけの音と響き──ことば

(この雑音には情動の奔流が流れ込んでいる)

ことばとことば、だれかとだれか、俺とおまえ
ときどき、しばしば、(あるいは永遠に)
互いが互いにとって〝猫〟であるかもしれない

 

 

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「サークルゲーム」20241002

2024-10-02 | Weblog

 

 

 

 

サークル内の同質性が強まり高まるほど
異質なものの排除メカニズムが強く働きはじめる

同質/異質を仕分けるセンサーは感度を高め
微細な差異をさぐりあてるように精度を増していく

同質性の強度の亢進の背景には
不安という共有された心的機制が動いている

サークル内のメンバーシップ、資格要件
それが生存に対して脅迫的なまでに強化されるとき

そこからの没落不安が猖獗を極める場所において

資格要件の自己証明、不安の穴埋め、補償行為として
いじめ、差別、排斥という現象が多発することになる

 

 

 

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「からだ」20241001

2024-10-01 | Weblog

 

 

 

世界を招き入れるエントランス
すべてが経由するターミナル

からだ

ここから出ていく
ここから入ってくる

出入りのたびにスイッチが入り
明滅するシグナル群

かなしい
うれしい
さみしい
たのしい
せつない
くるしい

さまざまな波形を描き、乱反射し、変幻する
エントランスを飾る情動のイルミネーション

個として生きる、類として生きる
ふたつの気圏を行き来する心のすみか

ことばを宿し孤独を宿し普遍を宿す地平、からだ

 

 

 

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「ゲーム・チェンジ」20240930 

2024-09-30 | 参照

 

 

 

 ──グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳

 重要なのは、国家間の相互作用のルールが変わっていくことではないでしょうか。
 いま現在のルールの中でどう動くのがベストかということを思い悩むのではなく、
 過去十年、二十年、われわれを縛りつけ動かしてきたルールから
 どうすれば抜け出せるのかということを考えなくてはならない。

 

 

 

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「はじまりの場所」20240929

2024-09-29 | Weblog

                                                                          ヒマワリ (youtube.com)

 

 

ことばに毒され汚染された世界をいったん横に置く
哲学のことばでは「エポケーする」と呼ばれている

     *

どんなに否認のシグナルを浴びても
涙に暮れる日々がつづいたとしても

晴れ渡ったあおぞら、夜空のきらめき
かなしくも美しい光景を照らし出す

すべてはただ一つの光に由来する

光が生まれ、闇が生まれる、ふたつは一つ
世界の姿を編み上げる光と闇のdialectic

それは、いまここに生きている心の現前
それをそうとして告げる地上の光源に由来する

おまえのおかげで月は月でいられる
ひとりだけの空があり、だれかだけの空がある

つねに表情をほどこし色づけるように
はじまりの場所において世界ははじまりつづけている

すべてを照らす光源への帰還がそれを教える

 

 

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「チーム正義」20240928

2024-09-28 | Weblog

 

 


 
  ただ矛盾と希望を言い立てるだけの空しい言葉。
        (竹田青嗣『哲学とは何か』)

 あなた方のご託宣の背後には、悲惨な現実がある。
        (ポール・ニザン『アデン、アラビア』篠田訳)


前提を埋め込んでせめぎあう
分別をこすりあわせて削りあう

此岸と彼岸、世界に分断線を引いて自足し
最終解を求め雌雄を決するかのように潰しあう

削りあい潰しあうだけのゲームにはどんな加点もない
全体収支はキープされない、ただ下落していく

チーム正義は知らない、だけではない
チーム編成の地平自体が分断線に支えられ、支えている

「悲惨な現実」の本質はこの地平から決して捉えることができない

 

 

 

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「涙の谷(マルクス)」 20240927(20230213)

2024-09-27 | Weblog

 

 

 


  お前は他人の何を愛するのか?
  ──私の希望をこそ。
 お前にとって最も人間的なことは何か。
  ──誰をも恥ずかしい思いにさせないこと。
 体得された自由の印は何か?
  ──もはや自分自身に恥じないこと。

                (ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳)


正義、真理、理想、善き心はこちら側にある
おそらく対岸にいるものたちもそう考えている

正義、真理、善をかわちあう素晴らしい関係世界
そう思うのは勝手だが対岸にも異なる関係世界がある

全能の神を持ちだしても対岸には別の神がいる

はやく気づいたほうがいいな
すでにルートは開通している

その安酒は向こう岸であつらえられ届けられたものだ
安酒の宴を断念する覚悟をもって
隔絶の淵をはさんで永遠に暮らすならそのままでいいだろう

もし谷を渡り、向こう岸へ出て何事かをなすつもりなら
対岸に届けられるものを手にしてそうしなければならない

 

 

 

 

 

 

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「原始感情」20240926(20210603)

2024-09-26 | Weblog

 

 

 

相手がそうする
だからこっちもそうする

にっこりすればにっこりする
にらめばにらみかえす

ああ云えばこう云う
喰らえば喰らわせかえす

自然の文法がそうせよと命じる
贈与と応報、感情交換の根本原則
原始感情、原始のエコノミーが動いている

主題はすべて関係をめぐっている

絶対に外せないゲノムの刻印であるかのように
墨守すべき天命に服するかのように

やられたらやりかえす
ノシをつけておかえしする 

ふりかえればどれもこれも似ている
同じ軌道上を同じ波形のまま動いている
展開のシルエットをみれば区別がつかない

どんな個もどんなクラスも周回軌道上にあって
同じところをグルグルグルグル回っている

どこにも行きつけない、思う壺の中の世界
あまりにもはまりすぎている、そう思わないか?

ちょっと外してみようか

未決の展開本質、両生類の神髄にふさわしく
もう少しましな生き物として生きることはできる

繰り返しのコードを外したその先に
巨大な未踏の展開フィールドが広がっている

 

 

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「すれちがう」20240925(20230528)

2024-09-25 | Weblog

 

 

 


すれちがうふたつの方角がある

求心性/遠心性

分岐をつくるそれぞれの生のかまえ
それぞれに積み上がった歴史と前提がある

愛へ向かう/愛から始める

どちらにもたしかな理由と根拠がある
不可抗のちからが働いている

往き道/還り道

ふたつのルートに別れながら
すれちがいをすれちがいとして

相互の歩みの必然を胸におさめながら

エールを交換するまなざしの合流点
それを手に入れることはできる

どうやってか?

どちらの方角にもない生きることのエロス
その源泉点をそこに見いだせば必ずそうなる

 

 

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「こども」20240924

2024-09-24 | Weblog

 

 

「こどもは小さな猛獣なんです」(田中角栄)

      *

聖化され、御神体と化した「こども」
操作対象、調教対象と化した「こども」

まったく異質なこども像は本質を共有している

つまり、どちらもこどもから遠く
どんなこどももそこには生きていない

善意でも悪意でもおなじこと

わかりやすさの容器にケモノを閉じ込めたら
自然とつながる「野生のからだ」は滅びてしまう

(普遍性の〝地〟としての身体)

ほんとうにこどもと出会いたいのなら
知に毒され、知に汚染されたニンゲンであるまえに
ケモノであるおのれの姿に気づかなければならない

 

 

 

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「幼年期の終わり」20240923(20230704)

2024-09-23 | Weblog

 

 

ことばに教わり、ことばに従うのではない
ことばには何より学ぶべきことがある

その姿は隠されているとしても 

ことばが知らない、触れたことのない
ことばを懐胎し、陣痛に疼き、分娩する
ことばを運びつづける存在について

すべてはみなもとを同じくする 

ことばに手をかけ、たずさえて生きることについて
学びきってはじめて歩みをともにする地平を見つける

そうして幼年期が終わる

 

 

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「教育」20240922

2024-09-22 | Weblog

 

 

たのしくおもしろくゆかいな心をほどく自由時間
ひとりひとり感覚をのびやかに表現できる経験
そういう場所をともにつくり時間と空間をともにする

「ああ、楽しかった、面白かった」(評価権は受け手にある)

そうした共同の体験を否定する理由はどこにもない
それは貴重な学びの経験、宝物になるにちがいない

けれど教育の本質を問うとき、決定的に足りないものがある

そこに教育の原点があると定めるとそこで行き止まりになる
そのことも明らかである

なぜか

端的にいえば、生徒でいるあいだだけではなく、それをたずさえ
この社会に参入し関係を刷新していく武器として使えるもの

やがてうつくしい想い出という場所に安置される経験ではなく
現実論理(競争原理・市場原理)が示す論理に駆逐されることのない

人と人の関係のありかたを拡張してゆける関係の知恵と技術
異者との交わりにおいて関係の合理を見いだすまなざしの獲得

いまここの現実に連結して使えるものを手にすること
つまり、おとなが作るこの社会が手にすべきものと同義のものです

 

 

 

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「ことば」20240921

2024-09-21 | Weblog

 

 

わたしはわかっている
わたしはわかっていた

わたしは知っている
わたしは知っていた
わたしだけが知っている

真実、正義の使徒のつもりなのか
どこかで選ばれた賢人様なのか

最後にそう云いたいだけのチンピラの心
最後にそう云ってもらいたいだけの田吾作マインド

それだけはきっぱりと廃棄したほうがいいな
あるいはむしろ、廃棄処理して別のものに作り変える

(ほんとにことばを開いて使いたいのであれば)

このことを必須の、不可避の、第一の作業として
思考のメニューに書き加えるべきだろう

 

 

 

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「最後の日@箱崎三丁目福山荘」

2024-09-21 | Weblog

                       Los Incas- La Boliviana - YouTube

 

古代に連なるようなケーナの響き、叫び声
そこから立ち去る最後の日
ロス・インカスが奏でる音が下宿に鳴っていた
そしていまも同じ音が同じ鮮度で響いている

交信のチャンネルが完全に閉ざされたとき
すべては主体の思考、感情、ふるまいだけが試される
そう考えるほかに歩みを進める道はないことになる

ほんとにそうか

ああ、いまここに参集しているものすべてを連結して
そこにこみあげたものを生かすルートを切り開くように
ピリオドを打って墓場に安置したくなければそうするほかない

 

 

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