ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「すれちがう」20240925(20230528)

2024-09-25 | Weblog

 

 

 


すれちがうふたつの方角がある

求心性/遠心性

分岐をつくるそれぞれの生のかまえ
それぞれに積み上がった歴史と前提がある

愛へ向かう/愛から始める

どちらにもたしかな理由と根拠がある
不可抗のちからが働いている

往き道/還り道

ふたつのルートに別れながら
すれちがいをすれちがいとして

相互の歩みの必然を胸におさめながら

エールを交換するまなざしの合流点
それを手に入れることはできる

どうやってか?

どちらの方角にもない生きることのエロス
その源泉点をそこに見いだせば必ずそうなる

 

 

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「こども」20240924

2024-09-24 | Weblog

 

 

「こどもは小さな猛獣なんです」(田中角栄)

      *

聖化され、御神体と化した「こども」
操作対象、調教対象と化した「こども」

まったく異質なこども像は本質を共有している

つまり、どちらもこどもから遠く
どんなこどももそこには生きていない

善意でも悪意でもおなじこと

わかりやすさの容器にケモノを閉じ込めたら
自然とつながる「野生のからだ」は滅びてしまう

(普遍性の〝地〟としての身体)

ほんとうにこどもと出会いたいのなら
知に毒され、知に汚染されたニンゲンであるまえに
ケモノであるおのれの姿に気づかなければならない

 

 

 

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「幼年期の終わり」20240923(20230704)

2024-09-23 | Weblog

 

 

ことばに教わり、ことばに従うのではない
ことばには何より学ぶべきことがある

その姿は隠されているとしても 

ことばが知らない、触れたことのない
ことばを懐胎し、陣痛に疼き、分娩する
ことばを運びつづける存在について

すべてはみなもとを同じくする 

ことばに手をかけ、たずさえて生きることについて
学びきってはじめて歩みをともにする地平を見つける

そうして幼年期が終わる

 

 

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「教育」20240922

2024-09-22 | Weblog

 

 

たのしくおもしろくゆかいな心をほどく自由時間
ひとりひとり感覚をのびやかに表現できる経験
そういう場所をともにつくり時間と空間をともにする

「ああ、楽しかった、面白かった」(評価権は受け手にある)

そうした共同の体験を否定する理由はどこにもない
それは貴重な学びの経験、宝物になるにちがいない

けれど教育の本質を問うとき、決定的に足りないものがある

そこに教育の原点があると定めるとそこで行き止まりになる
そのことも明らかである

なぜか

端的にいえば、生徒でいるあいだだけではなく、それをたずさえ
この社会に参入し関係を刷新していく武器として使えるもの

やがてうつくしい想い出という場所に安置される経験ではなく
現実論理(競争原理・市場原理)が示す論理に駆逐されることのない

人と人の関係のありかたを拡張してゆける関係の知恵と技術
異者との交わりにおいて関係の合理を見いだすまなざしの獲得

いまここの現実に連結して使えるものを手にすること
つまり、おとなが作るこの社会が手にすべきものと同義のものです

 

 

 

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「ことば」20240921

2024-09-21 | Weblog

 

 

わたしはわかっている
わたしはわかっていた

わたしは知っている
わたしは知っていた
わたしだけが知っている

真実、正義の使徒のつもりなのか
どこかで選ばれた賢人様なのか

最後にそう云いたいだけのチンピラの心
最後にそう云ってもらいたいだけの田吾作マインド

それだけはきっぱりと廃棄したほうがいいな
あるいはむしろ、廃棄処理して別のものに作り変える

(ほんとにことばを開いて使いたいのであれば)

このことを必須の、不可避の、第一の作業として
思考のメニューに書き加えるべきだろう

 

 

 

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「最後の日@箱崎三丁目福山荘」

2024-09-21 | Weblog

                       Los Incas- La Boliviana - YouTube

 

古代に連なるようなケーナの響き、叫び声
そこから立ち去る最後の日
ロス・インカスが奏でる音が下宿に鳴っていた
そしていまも同じ音が同じ鮮度で響いている

交信のチャンネルが完全に閉ざされたとき
すべては主体の思考、感情、ふるまいだけが試される
そう考えるほかに歩みを進める道はないことになる

ほんとにそうか

ああ、いまここに参集しているものすべてを連結して
そこにこみあげたものを生かすルートを切り開くように
ピリオドを打って墓場に安置したくなければそうするほかない

 

 

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「Another Galaxy」20240920

2024-09-20 | Weblog

 

 

内部観測と外部観測は相互に照らし合い
交わる光のハレーションに新たな予期が兆す

      *

「かくありき」から「かくありうる」へ
虚無と諦念はある地点で刹那に破られる

無限連結するシグナル群が転移の地平をあつらえ
情動の奔流は超出への水門を開いて流れ込む

エモーショナルな走査線が風景を走り抜け
一回的コンテクストが次々にピックアップされる

予期のエロスが新たな地平を見いだすとき
システムは光度を増していく

相剋と蹉跌に打ちひしがれるとき
新たなコードの創発的契機が生まれる

システムは絶えざる流動に晒されながら
未踏の均衡点を際限なくめがけていく

応答され応答するものの属性において
いざないの震源はみずからに装填されている

 

 

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「セッションへの誘い」20240919(20221117)

2024-09-19 | Weblog

                              Risas de Bolivia - Los Incas - YouTube

                              Huayno de la roca (Remastered) - YouTube

 

 


 真理が地上に実在し、真理が地上に行われる時には、
 人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。
 真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。(坂口安吾)

      *

人格、思想は問わない
アイデアを出し合うんだ

マイルス・デイビスはそう云った

真理に呪われるまえに
真理が台無しにするまえに

正義が道を塞ぐまえに
正義が占拠するまえに

たどりつきたいのは真理ではない
あとから勝手についてくるだろう

すべて余計なことだ
さあ、はじめようか

      *

千の民族があり、千の信仰があり、千の神がいる
千の共同体があり、千の共同体が営む千のゲームがある

千の正義があり、真理があり、善があり、美のモードがあり
千の価値の公準がつくる千の生活世界、千の宇宙がある

千の暮らしに埋め込まれた価値の公準のまま
その自明性、絶対性のまま千の共同体は共和することはできない

千の民族、千の共同体が出会って共和するには条件がある

千の民族、千の共同体を結びあわせる交通と交歓のルート
千の異者が千の異者のまま交わることを可能にする共通のことば
千の価値を貫く千の共同体に普遍的に共有されたステージの設営

どんな特権的なプレーヤーもいないフェアネスにおいて
千の多様性がそのまま豊饒な資源に変換されるゲーム

つまり、千の多様性をアイテムとして創発するゲームの展開可能性
最初に、そのようにして生きあうことを願う意志の糾合だけがあればいい

 

 

 

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「アンチミテ l'intimité」 20240918(20230708)

2024-09-18 | Weblog

                          原田知世 「ずっとそばに」 (youtube.com)

 

 

   人は勝手ね 
     さみしいからよ  (松任谷由実「ずっとそばに」)

     *

引き離され、遠ざかり、灼けつく帰還の想い

取り戻したい、駆けて行きたい
深く時を食んでいるアンチミテ、親和の原郷がある

ノスタルジー、リリシズム、センチメンタリズム
ロマンティシズム、ヒロイズム、ニヒリズム

ざわめきはすべてみなもとを同じくする
そして、悲しくおぞましくも、ここにテロリズムが加わる

禁じるもの、包囲するもの、遠ざけるもの
滅ぼすもの、そう信じたものを標的として立ち上がる
狙撃、爆破、破壊、掃討、殲滅、さまざまなテロの形式

抑止を全解除する正当性の起源──アンチミテ
そうするたしかな根拠と理由がある

そしてもう一つ、そうしてはならない理由がある

原郷もろとも滅びる帰結を望まないかぎり
すべてを超えて進むべきたしかな方角がある

おそらくそれはあまたの原郷から延長され結節点
どれほど困難なことであったとしても
あまねく共有された新たな原郷を構成することを意味する

 

 

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「グレゴリー・ベイトソン」20240917

2024-09-17 | 参照

 

 

単なる目的合理性は必然的に病的であり、
生に対して破壊的であるということ、そしてその破壊性の源は、
生というものが意のままにならぬ回路の
システマティックな合体のうえに成り立っているのに対し、
意識はそれらの回路のうち、人間の目的心が誘うことのできる
短い弧の部分しかとらえることができないところにある、
というのが私の論点である。(『精神の生態学』佐藤訳)

相互に支え合う前提の織りなす果てしなく
複雑なネットワークに捕らわれて生きること、
これはすべての人間に共通の宿命だろう。(『精神と自然』佐藤訳)

われわれの生活の中では、知覚はおそらくつねに部分の知覚である。
部分を知覚して、そこから全体を推測する。
そして、後に他の部分が提示されるに及んで、
その推測が確証されたり、崩されたりする──すべてその繰り返しである。
われわれの前に全体が提示されることはあり得ない。(『精神と自然』佐藤訳)

聖書に言う──
「他の人先に労し、汝らはその実にあずかるなり」(ヨハネ伝第四章三十八節)。
ここに事の真実がある。この一節は、単に謙虚の必要を説いているだけではない。
われわれ生命体が、好むと好まざるとにかかわらず、
そのなかを生きる他はない巨大な進化プロセスの姿を、
この一文は的確に捉えているのである。(『精神の生態学』佐藤訳)

エピソードのクラスを相手にするためには、
この小さなパターンへのとらわれを打ち破らなければならない。
                   (『精神と自然』佐藤訳)

        *

ランダムさに対応する備えの有無、その違いが、
組織形成─進化─成熟─学習を含む全領域を二分する。
一方にあるのがエピジェネシス(発生)、
もう一方が進化と学習の領域である。
………
発生とトートロジーが模写(レプリカ作成)の世界を構成する一方で、
創造、芸術、学習、進化から成る世界では、
変化のプロセスが、ランダムなものを糧として進展する。
…………
発生の本質はきまったやり方の反復であり、
学習と進化の本質は探究と変化である。(『精神と自然』佐藤訳)

そして関係とは常に、二重記述の産物である。
And relationship is always a product of double description.

相互作用に関わる二者は、いわば左右の眼だと言ってよい。
それぞれが単眼視覚を持ち寄って、奥行きのある両眼視覚を作る。
この両眼視覚こそが関係なのである。
この発想に立つことは、大きな進歩である。 (『精神と自然』佐藤訳)

メッセージが誰にも読めなくなったとき、
それはメッセージであることをやめる。
神聖文字で書かれた古代エジプト人の文書も、ロゼッタ・ストーンなしには、
パピルスや岩の上に描かれたただのエレガントな飾り模様でしかない。
意味をなすためには──否、もっと広くパターンとして認識されるためには──
それぞれの規則性が、それを助ける別の規則性(〝スキル〟といってもいい)に
出会わなくてはならない。そしてこのスキルもまた、
パターン自体と同様、簡単に霧散してしまうのである。(『精神と自然』佐藤訳)

 

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「ゆらぎ」20240916 20230718

2024-09-16 | Weblog

                                                                        Los Folkloristas - Tierra Mestiza (45 años DVD) (youtube.com)

                           Los Incas- El Humahuaqeuno (youtube.com)

 


 系というものは平衡を取り戻そうという
 たえざる細かな作用の集積として成り立っている。
 これはゆらぎであって、ゆらぎがあるからこそ
 外からの作用が入り込むことが可能である。

              ──中井久夫『統合失調症の有為転変』165
           
                           *


変化へ向かう本質契機──ゆらぎ

ゆらぎゆえに、ありうる(存在可能)は宿り
希望、予期のエロスにふるえる心が生まれる

ゆらぎゆえに、せつなく、惑い、くるしく
苦々しく、悲しくも、憎む心が生まれる

ゆらぎがどこへ舵を切るかはわからなくとも
ここから取り出すべき本質はただ一つ

俺たちはつねに変化へ向かうreadinessの状態にある

どこにへ向かうのかはわからない
未踏の試行のルートを生きるしかない

その帰結を先取りするまえに覚えておこう

よみがえるもの、わすれてしまったもの
いまここにあるもの、いまここにないもの

かたわらにはすべてを引き連れるように
いつも、ready to goの始発点が同伴している

 

 

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「表現のテーブル」20240915

2024-09-15 | Weblog

 

 

 


 人びとは活動と言論において、自分がだれであるかを示し、
 そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、
 こうして人間世界にその姿を現わす。

          (ハンナ・アーレント『人間の条件』志水訳)

       *
 

快・苦、喜・怒・哀・楽──変幻する情動のスペクトラム

世界の感知とともに情動は走り、さまざまに泡立ち
色めき立ち、そのつどの表情をもって世界は意識の水面に現象する

意識はおくれてうごき出し、ことばを結ぶ
ことば──善悪・真偽・美醜をめぐるシニフィアンの構成

そうして固有のことばをたずさえて交換の地平へ向かい
表現と審議のテーブルに着席する

人間の姿はこのテーブルをはさんではじめて顕現する

このテーブルが相互の承認によって保たれつづけるかぎり
それぞれの差異性、固有性がともにする地平が生きられていく

 

 

 

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「求める心」20240914(20230727)

2024-09-14 | Weblog

 

 

やさしさ、配慮、気づかい、思いやり、受けとめ、理解
そこにないはずのものをどこかで求めてしまうことがある

求める状況にないときに求め、いらだつ心がいる
あるはずのないものを贈られない心が裁きを下す

求める心はゲバルトと一体化することがある
強権化して人を平気で切り捨てることがある

それは幼いこどもの心への回帰かもしれない

埋められない現在を、不全を引きずりながら
おそらくみずからの先史時代の記憶を召喚してそうしている

もう一つある

求めることなく、予期もなく、ぶらり歩みながら
かつて幼い心が求め、無償のもてなしに迎えられ
満たされた幸いの時に再会することがある

このときも、いまここと先史時代がつながり
もっとも求めるものの姿があらわになるのかもしれない

 

 

 

 

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「ことばの域」20240914

2024-09-14 | 参照

 

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第一巻、636・662・663


最後に、これが最も重要だが、生の体験において生成する「事物」秩序の、
「数学化」された体系への書き換えによって、およそ意味や価値の源泉である
生の主体と事物との根源的な本質関係としての「欲望相関性」が
われわれの目から完全に覆われてしまうということである。

心身問題を統合的一元論の視点で考察し記述すれば、
それが描き出す系列の中に必ずある絶対的な「空白」「飛び越え」
すなわち「自由」の領域が現われる。

この「空白」「間隙」は、事物の因果的連鎖から一旦逸脱し、
再び新しい因果系列を生み出すという意味で、
比喩的に「自由」と呼ぶべきものである。

この「自由」という磁場、すなわち生き物における「感覚」「意識」
「エロス的力動」「欲望」「企投」の原理というべきものは、
本質的に、事物の因果系列の連鎖から消去されるもの、
むしろ連鎖を生み出す「力」であるもの、それゆえ事物の因果の連鎖としては
決して記述されえないものとしてのみ現われる──。

 

 

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「グループ交際」20240913(20230511)

2024-09-13 | Weblog

 

 

 

 


「仕分け、選別、排除、切断、部分連結」
「世界を分けるコードしか知らないって?」
「うそほんと、よいわるい、きれいきたない、すききらい」
「世界を分節しなければ生きられない。生きるためだろう」
「もちろんそうさ」
「なにが足りない」
「分断コードが目白押しだ。星の数ほどてんこ盛りだ」
「世界はばらけたままだと言いたいのかな」
「ちょっとちがう」
「どう?」
「中途半端なばらけが戦線をつくる」
「どういうこと?」
「ひとりひとりに分かれた完全な分断ならいい」
「そうかな」
「ちょっと考えたらわかるはずさ」
「分断が足りないって?」
「そう」
「何が問題なの」
「グループ交際に留まっている」
「個になりきれていない?」
「グループ内で完結することばが幅を利かせている」
「グループ言語しか見当たらないって?」
「うん。ことばも思考も感性もグループ仕様になっている」
「いけない?」
「つまり、ひとり立ちした個がいない」
「いまだ中世?」
「せいぜいグループ間を渡り歩くだけ」
「ひとりじゃ生きられない」
「相互に依存しあって生きる、それはそうさ」
「そうだろ」
「部分依存ではなく、普遍的な依存関係がある」
「事実として?」
「そう。この事実が部分連結に自足したグループには見えない」
「それを見ろって」
「見るためには個の視線を必要とする」
「どうやって」
「エポケーを徹底する」
「判断中止とかいうやつ?そうする動機はどこから来るの」
「グループ構造、グループ思考の限界に出会うこと」
「よくわからん」

「でなければ個になりきるまえに人生を素通りして終わる」
「そうかな」
「ああ、けっこう大きな問題だと思う」
「どう」
「個と個が出会えないグループ構造があって戦線を維持している」
「つまりそれが戦争に使われるっていいたいのかな」
「あっちとこっち、うそとほんと、善と悪。そこで必ず火花が散る」
「消しようがないでしょ」
「うん」
「どうすんの」
「時間はかかるだろうけど、全員が踏み上がるべき場所があると思う」
「どんな」
「メンバーシップをともにする公正なゲームの場所」
「途方もない時間が必要だな」
「イメージだけは描いておいたほうがいいと思う」

 

 

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