★霜村三二『らぶれたあ』かもがわ出版 (2006/06)
「ほかのクラスの親や子も読んでいるらしい」
当然ながら、たくさんのオマージュが予想できますが、
この著者の人物像についての推理を。
最初に、温かな人柄のウラ側にいる、
相当にハラの据わった男の姿が想像されます。
それから、潔さと志の高さのようなものも、
強烈に読み取れるところです。
現在の学校の中で、これだけオープンに、しかも毎日、
自分のコトバを発信しつづけるというのは、
例えばイジワルな視線や言及にも「へ」とも思わない、
明るくしぶといハートの強さが必要でしょう。きっと。
本文に「戦う教師」の姿はストレートに出てきませんが、
毎日ユーモアたっぷりにつづられる教室のスケッチは、
同時に、今の学校のあり方に対するインパクトのある
裏メッセージにもなっているように感じます。
それは、かなり自覚的な作業にちがいありません。
太っ腹で、開けっぴろげで、
引き出しをいっぱいもった三二先生のまなざしの下で、
子供たちは知らず知らずのうちに、
自分たちに備わった正と負の両方のエネルギーを、
ほがらかに開放しているのではないでしょうか。
このことは昔もそうですが、
今の学校ではなおさら、きわめて貴重なことだと思います。
「ほかのクラスの親や子も読んでいるらしい」
当然ながら、たくさんのオマージュが予想できますが、
この著者の人物像についての推理を。
最初に、温かな人柄のウラ側にいる、
相当にハラの据わった男の姿が想像されます。
それから、潔さと志の高さのようなものも、
強烈に読み取れるところです。
現在の学校の中で、これだけオープンに、しかも毎日、
自分のコトバを発信しつづけるというのは、
例えばイジワルな視線や言及にも「へ」とも思わない、
明るくしぶといハートの強さが必要でしょう。きっと。
本文に「戦う教師」の姿はストレートに出てきませんが、
毎日ユーモアたっぷりにつづられる教室のスケッチは、
同時に、今の学校のあり方に対するインパクトのある
裏メッセージにもなっているように感じます。
それは、かなり自覚的な作業にちがいありません。
太っ腹で、開けっぴろげで、
引き出しをいっぱいもった三二先生のまなざしの下で、
子供たちは知らず知らずのうちに、
自分たちに備わった正と負の両方のエネルギーを、
ほがらかに開放しているのではないでしょうか。
このことは昔もそうですが、
今の学校ではなおさら、きわめて貴重なことだと思います。
生起確率の高い「いかにもありそな言辞」は、エントロピーが大きい。
教条的学校空間は生起確率の高い「いかにもありそな人格」を求める。
教条的な教師が支配する教室は、生徒のエネルギーが拡散しつづける。
教条的な学校空間の維持のために、エントロピーは大量に放出される。
教条的な学校空間の維持のために、環境はエントロピー負荷を高める。
教条的な教師は教条的学校空間のシールド外に出ると秩序が崩壊する。