ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「Backstage」 20201130

2020-11-30 | Weblog

 

「図」が描かれるためには「地」がいる
キャンバスがなければタブローは存在しない

キャンパスに向かうとき、すでに用意されている
絵の具、筆、イーゼル、パレット、モチーフ
すべては「地」から運ばれ、表出のかたちが整えられる

「地」をなすわがBackstage──世界は用意され、心は火を灯される

「作品」の欲望は「地」に発している
「作品」──「地」に咲く花

さまざまな思い、触発、モチーフ
「地」から立ち上がるものに気づくより早く
心はつねに、すでに、「地」に染まり
筆を手にとり、キャンパスに向かっている

ひとりひとり、それぞれのそこに、その先に
「地」に生きることが求める花があり
「作品」としての生のかたちがある

Backstage──「地」として駆けるもの
駆けながら「世界」を告げるもの

告知は、ささやきとして、泡立ちとして
あるいは突き上げる触発として
ただ情動によって運ばれ、意識の水面にこぼれる

すべては告知を受け取ることから出発し
絶えざる告知において出発しつづけている

 

 

 

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「15歳」 20201129

2020-11-29 | Weblog

 

「そんなことが一番じゃない」

なぜかわからない
ことばは知らない
ことばを示すことはできない
けれど直観は走り、告げる
一番でないことは自明だ

「そうじゃない、やっぱり一番だ」

そんな外の声を押し返したい
そう思うより先に、直観は告げる

押し返す根拠は差し出しようがない
そうじゃないものは示せない
けれど心は告げている

「ぶざまだ」

どんな正解も外れている
正解も不正解もない
一番も二番もない

わからない
でもそんなことfが一番じゃない
それだけがわかる

この声を見殺しにすれば死ぬものがいる
それだけは疑うことができない、fifteen

 

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「価値の文法」 20201128

2020-11-28 | Weblog

 

心が動く──
この世界の現われは、つねに、価値の文法に色取られている

「価値あり-価値なし」に分節された世界の訪れ
色取り、表情、肌理、意味と価値の構成として
「私」のまえに、「私」において現象する世界

「いいね-やだね」

うちなる確信、生成する経験の疑えなさ──
経験としての世界はつねに内なる「価値の文法」に色づいている

きれい-きたない
ほんとう-うそ
よい-わるい

さまざまに示される世界の表情、意味と価値の構成
その基底にはつねに「快-不快」を分節するコードが潜んでいる

みずからの生にとって「よきもの」と「悪しきもの」
すべての対象は「わたしにとって」という関係相関的に示される
対象に向かって、接近すること、遠ざかること

あらゆる企投をわける価値の文法
「私」の生存を動かす世界分節の根源的コード

固有の価値の文法には、しかし、自己修正の契機が内在する
関係欲望──みずからに発する他者へ向かう希求において
価値の文法はそこではじめてみずからを反照する契機に出会う

他者──「私」とは異なる価値の文法によって生きる存在
「私」の固有の価値コードのまま直進すれば損なうことになるかもしれない存在

めがけられる「関係的エロス」──
このエロスを手にすることを望むかぎり
価値の文法はそこでなんらかの修正を求められる

この修正の内実は、めがけられる「関係的エロス」の本質に相関する

 

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「2020、秋」

2020-11-27 | Weblog

 

 ──笠井潔『バイバイ、エンジェル』

  「アントワーヌ、君は世界を憎んでいるだけだ」
  「憎んでいる?」
  「そうだ。君はお母さんを許していない。子供の君を捨てて先に死んでしまった母親を許していない」
  「下司な心理学者の真似はやめてもらおう。そんなことが今の議論にどんな関係がある」
  「あるとも、君は世界を憎んでいる。この世界を滅ぼすことが君の望みだ。
  そのために、君は民衆だの正義だの革命だのという言葉を都合よく引き合いに出しているだけだ。
  利用しているだけだ。あの娘を愛せなくて、どうして全人類を愛せるだろう。
  あの娘を突きとばした君は、いつか全人類を突きとばすことになるんだ」

       *

観念の倒錯。実存をさいなみ、関係世界をむしばむ観念のお化けは滅びつつある。
しかし、関係世界の基底をつくる関係のコードは対象化されにくい。
いまだに天があり地があり、優も劣も滅びない。
その階梯にしたがって個を配列する関係のコード。
いまだ、この関係の基底を構成する深層のコードに認識のカーソルは届いていない。
それが対象化され、なんらかの修正へ向かう主題として浮上しなければならない。
このことの要請は倫理ではなく、ただ生の享受可能性の拡張の観点から要請される。

       *


 ──M・スミス『エリー・クラインの収穫』東江一紀訳・1992年新潮文庫

  構内の車道を通りに向かって歩きながら、エリーは自分の左腕をつかみ、
  筋肉や脂肪の確かな丸みと厚みを感じて、ほっとした。
  何度か、肺が痛くなるぐらい、深く息を吸った。
  涼しく、重く、湿った空気。木の葉のにおい。排気ガスのにおい。
  病院の向こう側から漂ってくる川のにおい……。
   両腕を振り子のように動かし、両足で軽やかに地面をとらえ、ヒップを悩ましくくねらせながら、
  そのひとつひとつの動きに心が華やぐのを覚えた。
  健康な体で、冷たい空気を吸いながら歩く今の自分の姿を、いつの日か、どこかの病院で、
  強烈なあこがれと共に振り返ることになるのだろうか。
  病にも、老いにも侵されていない今の自分を……。
  振り返ったときには、遅すぎるのだ。あこがれを、願いを、力にかえられるのは、今しかない。

       *

生かす力と滅ぼす力が、高位の水準で、激しくせめぎあい、拮抗し、
決着を迫りつづける都市の風景がある。
自由と平等、自己責任。露骨な成功と絶望。強迫的な虚実のシグナルの乱流に晒され、
剥き出しの野生に等しい光景が展開する。
必然的にそこから派生する病理現象も、都市のダイナミズムを論証する症状として発現していく。

主人公の女刑事はいつも追い詰められた健常者のように振る舞う。
そして、いつか自分も辿るかもしれない末路としての病者(エイズ患者)を見舞い、怯え、
一度だけ自分を振り返る。

 

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「スキマを開く」(参)

2020-11-26 | Weblog

 

──稲垣諭『大丈夫、死ぬには及ばない ~今、大学生に何が起きているのか~』

幼少期から虐待を受けてきた子どもたちのなかには、
与えられる激しい痛みを無視し、
記憶を消去する術を身につける者がいる
それは文字通り、生存を賭けた戦いなのである。

対象が明確な状況であればこちらも攻撃性を発揮し、
相手に向かっていくことはできる。
実際、ラッシュ時の電車内では足を踏まれたといって怒鳴り合っている乗客がいる。
都会の戦士はこんなところにいたのかと、いつも落胆のため息が出る。

こういう無名の敵意によっては簡単には打ちひしがれない
「魂のしぶとさ」を身につけなければならない。

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「〝痛み〟について」 20201125

2020-11-25 | Weblog

 

たとえば、歯の痛みはどんなに苦しくても
横の人間は笑っている、じぶんもそうしてる
ちいさな日常のバカ話みたいにいじり、いじられる

けれど、当事者であるときそんなことは吹き飛ぶ

わかるわけねえのに、やさしいふりするんじゃねえ
そうつぶやきたくなる
そんなブラックな気分というものもある

突き刺さる、身もだえするほどの痛みに襲われると
どうしようもなく、世界の姿かたちが変形する

身体的、心理的、いろんな痛みがある
けれど、痛みが指定する〝心の状態〟はどれも似ている

世界を引きかえにしてもでも逃げたくなる疼痛、激痛
「痛みが消えるなら世界が滅びたっていい」
どす黒い感情がどんどん高まってくる、そんなこともある

感情優位の状況のなかで
まともさ、理性の陣地は確保できなくなってくる

痛みが間欠的に訪れ、それがルーティーン化する
すると、そんな心的な陣地の配置はだんだんと定常化していく

そしてもとのかたちに戻れなくなる
そんなことも起こる

「だから?」

平時の気分(そんなものがあるとして)
それを大事にしておかないとおかしなことになる

世界の姿かたちが歪んだまま放置される
日常と非日常が入り混じって〝正気〟が見失われる

そんなことが少なからず起こる、起こってきたと思う

 

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「音楽」 20201124

2020-11-24 | Weblog

                                             https://www.youtube.com/watch?v=yPDQDnJBN6E

 

直列状態を解除して、スキマを開く──

情動が所与するものとスキマなく直列した言葉、思考、行為
日常を構成する直列モードが知らない生成的位相が存在する

直列状態を外すことではじめて
扉が開かれるスキマ、フリースペースがあって

直列を外した場所で奏でられ
この地平だけで聴かれる音楽がある

 

 

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「やさしい声」 20201123

2020-11-23 | Weblog

                                                             https://www.youtube.com/watch?v=RAB8l6msHk8

 

少女のからだの中で「feel」がうごき、創発の秘蹟が現象する

「菜の花が 月のでんきを つけました」(小4女子)

いくつものコンテキストに由来することばたちは
ひとつに結び合わされ、世界を
どこにもないコンテキスト(vision)へ誘っていく

許されたフリーハンド、心のフリースペース
それを開き、導くのはみずからに与えるゴーサイン

名づけられたことば、定められた意味
これはこれ、あれはあれ、それはそれ
たくさんの決めごとに満ちた世界を壊すのではない

やさしいまなざし、声、ひかりに照らされ
かたちをほどくように、世界は変化していく

 

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「新しい朝」 20201122

2020-11-22 | Weblog

 

「生の余白にあるのは死ではなく、別の生である」(稲垣諭)


ことばに手をかける手前で
動く影、生の波形が照らされる

新しい朝に火を灯され
泡立ち、駆けていくものがいる

願うもの、願わないもの
求めたもの、求めるもの

見えるもの、見えないもの
すべては心の水面に現象していく

朝の光が告げる

一つの意味に収めることはできない
ことば走りやすく、行きすぎ
生の波形とすれちがってしまう

新しい朝を迎えるために
記述の手を休め、スペースを開いておくことを

 

 

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「for a young lion」

2020-11-21 | Weblog

 


いつも率直でいることはむずかしい
赤裸々でいることのおそれには理由がある

ここを超えるとなにかが壊れてしまう
そんな予感にしばられた世界がある

だれかが引いたわけでもない
世界には超えられないラインが走っている

けれど、相手をまちがえてはいけない
絶対的味方はいる
どう転ぼうとも、つねに友がいる

逃げなくていい
構えなくていい
先読みしなくていい

いまここにいなくても
メッセージは届けられている

いまここに、胸のうちに
刻んでおくべき、透明な
ラインを超えていくことばがある

こころはなんどもループしながら
とまどい、ゆらぎ、立ちどまりながら
みずからかたちを整えていく

整えるためのスペースと時間を用意しよう

「砂糖が溶けるには時間がいる」

世界は記述を急がせ、〝解を出せ〟と求める
しばらく世界を黙らせる

不逞なこころで要求をしりぞける

「no thanks」

そう感じ、願うこころが出会う
世界の視線に映ることのないことばがある

心の動きに耳を澄ます
そんなスペース、スキマを用意する

神聖なスペースを開いて
世界を黙らせ、じぶんのことばをさがす

気をつけて──

生きて死ぬこと、いつかいなくなる
チリとなって時間の闇に消えていく

そんなわかりきったことに呑み込まれないように
この世の真実、そんなクソを喰らわないように

「はじめにことばありき」、ではない

どんなことばより先に駆けている
駆けながらつねに告げている

生きることに天も地も優も劣もない
天国も地獄も存在しない、すべて事後の物語にすぎない

ここにこうして出会ったこと、出会うことがすべてだ

だれか(馬鹿野郎さ)が示す基準から考える必要はない
馬鹿野郎は基準に服属しながら世界を素通りしていく

きみが生きて感じ願う「いま、ここ」
一切がそこからはじまる、それだけが大事だ、この上なく

忘れないでほしい

世界を黙らせることを知る
いまここを駆けている友

すべてをわがこととして変換する
不逞な、やさしい、繊細なライオンたちがいることを

 

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「Intermission」 20201120

2020-11-20 | Weblog

 

フォーマルな関係や未知の人との出会いでは緊張がつきものですが、
そんな場であっても、なんとなく安らぐというか、
心がほどける感じがする人に出会うことが、ごく稀にですが、あります。

友人関係ではありふれたことですが、それほど親しくないのに、
なぜか日常の〝かまえ〟を緩めても許される、臆せずに安心してくつろげる雰囲気がある。
たとえば言葉がみつからず言い淀んだり、戸惑ったり、返事に困って沈黙が走っても、
ゆったりとかまえ、微笑みでもてなしてくれる。

すると、ホッと息をついて、思考や感情を立てなおすことができる。
その人が意識的であるかどうかはわからないけれど、
相手の感情や思考に配慮が行き届いている。
…………
他人に対してだけではなく、その人は自分自身に対してもそうしているのかもしれません。
…………
逆説的ですが、居心地のいい場所、関係の中にいると、
そのこと自体を意識しなくてよくなる気がします。
…………
さらに、もう一つ大事だと思うことがあります。
自分が本当に相手から大切にされている、
認められているといった感覚は自分一人の中で完結するわけではなくて、
相手にも向けられていく。つまり、相互的なものだろうということです。
…………
それとは真逆のケースも考えられます。
ひと言でいえば、命令と禁止のことばに満ちた関係世界。
…………
おとなにとっても自分の考えや感情を適切に言葉にするのはカンタンじゃありません。
いわんや子どもにおいておや!
自分の言葉を探すことが許される場所、関係、そして教室、学校というものが、
子どもには何より大事なのだろうと思います。

 

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「関係態度」 20201119

2020-11-19 | Weblog

 

われわれの実存における最大のテーマ、〝関係〟
生活世界の主題はほとんどすべては人と人との関係をめぐっている

関係にたいする〝かまえ〟、関係態度にしたがって
「関係価値」の方向はさまざまに分岐していく

     *

関係し合う存在それぞれを一つの人格として固定し
多様な駒が構成するチェスゲームのように捉えることもできる

いわば勝ち負けを決する陣地戦としての関係のゲーム
「友-敵」の区分、駒と駒の連携、敵対、かけひき、せめぎあい
この場合、関係価値はみずからの優位性を証明し、誇示すること
すなわち〝勝つこと〟に収れんする

これとは別に、相互の優劣、勝ち負けを決するのではなく
新たな関係価値の創発をめがける関係のゲームも存在する

たとえば、各種のコラボ、あるいは音楽におけるセッション
ここには、いまここに存在しない関係価値へのめがけがあり
そのことへの共通の了解と予期が〝関係〟を構成する

いわば〝非知的な関係価値〟に開かれた関係態度
暗黙の共通了解と予期的エロスにささえられた関係のゲームがある

    *

一対一、一対多、多対多、さまざまな関係世界を問わず
関係に対する〝かまえ〟、関係の本質の理解の仕方にしたがって
「関係価値」の方向はさまざまに分岐していく

    *

 ──G・ベイトソン『精神のコミュニケーション』佐藤悦子他訳

  「精神医学が再帰科学であるかどうかを決めるのは、
  精神科医の、医業に対する倫理的な態度にかかっている。
  患者との関係、人間の相互作用についての見解、
  患者の攻撃からの防衛欲求は、
  自分を技術にたけた専門家と静的にみるか、
  絶え間なく向上成長する人として動的にみるかによって違ってくる。
  前者にとっては誤りはすべて脅威と映るだろうし、
  後者にとってりの発見は未来の前進を約束するものだろう」

 

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「多様性」 20201118

2020-11-18 | Weblog

 

関係世界における〝多様性〟という価値
なぜ、それが積極的な価値でありうるのか

一つの答え──

異質な存在が交わり、生まれる享受可能な〝関係〟の多産性
さまざまな対話、表現、その多重記述(相互触発)のエロス的生成
(いいかえると、〝関係〟という個に帰属しない第三領域の豊饒化)

しかし、多様性はそれ自体みずから支えることができない価値でもある
多様性はそのまま放置すれば、たやすく敵対関係へ転化する
異質な存在どうしのせめぎあい、相互否定、削り合い、殺し合い

多様性が価値として生かされるには、それを支える必須の条件がある
手当なく、放置したまま「多様性」を唱えることは無責任でしかない


 ──竹田青嗣『言語的思考へ』

 「ヘーゲルはまた、ルソーが「一般意志」の概念で示した「法」と市民の関係についての基本原則を、
 「自由の相互承認」という概念によっていっそう本質的なかたちで示した。
 ヘーゲルは、人間は「自由」であるとか、自由であるべきである、とは言わなかった。
 彼の設問は、人間の「自由」というものが社会的に実現されるとすれば
 その制度的な本質的な条件はなにか、というものだった。
 各人が、その所有するさまざまな諸差異にかかわらず、相互に他者を、
 個人としての「自由」(自己決定権限)をもった自立した存在として
 公共的に承認しあう場合にだけそれは可能になる、というのがその答えである」

 

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「Song For the Asking」 

2020-11-17 | Weblog

                                                                                              https://www.youtube.com/watch?v=Bmb-lXFSIZc

ソレがなくとも生きていくことはできる
ソレは生きる絶対的な条件とはいえない

ソレはただ絶対的条件の外に透明な体験を結ぶ

ソレがない生を侮り呪う理由は存在しない
ソレがなくとも生が枯れてしまうわけではない

ソレをソレとして語ることはできない
ソレをひとつの実体として示すことはできない

聴かれなければ奏でられない
奏でられなければ聴かれない

カタチでもなく表象でもない、ただ体験として
そのつど、いちどかぎりの触発として現象する

聴くことなく奏でられることない生を、侮り、呪う理由は存在しない
ただ、ソレがなければ生が枯れてしまうという内的作動がだけある

 

 

 

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「内なる世界視線」 20201116

2020-11-16 | Weblog

 

一つの視線、スコープに収めるように
存在のかたちを確定したがっている

姿、意志、感情、その歩み
わたしの存在まるごと

ソレ、アレ、コレとして
記述の確定へ向かうものがいる

攻撃をしかけるように
ときにやさしい瞳を伴って

光源は向こう側に置かれ
わたしの姿が照らし出される

わたしのまなざしは閉じられ

照らし出されるまま、照らし返せないまま
外からの視線とスコープにまるごと収められる

──このことの一切がわたしの意識の構造
心のうちがわの出来事として現象している

 

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