ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「世界に区切りを入れる」

2014-06-12 | Weblog


  記述ないし特定化という行為において、
  自然の連続体はたえず「変数」の不連続体へと分解されている。
  The continuum of nature is constantly broken down into a discontinuum
  of 〝variables〟 in the act of description or specification.

           ――G・ベイトソン『天使のおそれ』星川淳訳(1990年)


「人間のまなざしによって切れ目のない世界に切れ目が入ります」
「なぜ切れ目を入れるのか」
「切れ目のない世界をそのまま認識することはできません」
「そうかな」
「世界まるごとに表紙を付けても、それを本のように読むことはできない」
「かもしれない」
「知覚による主体的関与においてのみ、世界は固有の色あいをもって出現します」
「誰も関与しなければ世界は存在しない?」
「イエスと答えるほかありません」
「なぜ」。
「感性的なものを介さず世界に触れることはできません」
「妄想することはできる」
「それも感性的経験の事後の想起にすぎません。無から有は生まれない」」
「よくわからないな」
「知覚は世界を切り取ってそれを記号に変換する装置といえます」
「知覚に先行して世界は存在しないわけ」
「世界の実体という観念は事後のものにすぎず、物語的に表象する以外ない」
「じゃあ、切れ目を入れられるのは感性的体験から得られた世界でしかない」
「そのとおり。それは感性的作動と相即的に構成されたもの以外ではありません」

「区切るというのはことは、つまり情報化するいうことねと」
「そう。知覚的な質料を参照しながら、地図情報を構成する」
「生きるために?」
「まさしく。世界に境界線を引き、部分と部分に切り分け、記号化し、再び結び合わせる」
「変換作用、一般化というやつかな」
「変換作用には、種ごとにあるいは個体ごとに世界を切り取る一定の形式やパターンがあります」
「ふむ」
「ヒトの場合、例えば真・善・美という価値的表象は、偽・悪・醜という価値とワンセットです」
「コインの表と裏?」
「ストライクゾーンを設定すれば、必ずボールゾーンが前提される。それと同じです」
「論理的にはそうだろうけど」
「世界をAというクラスを漫画の吹き出しのように囲むと、必然的にA/非Aという二極性が誕生する」
「いいとこ取りはできない?」
「ええ。Aを強調することは非Aとの境界線を太くすることでもある。つまり、非Aも強化される」
「Aだけで世界を埋め尽くすことはできないわけね」
「拮抗する二極において思考は推進力を得ます。けれども、同時にそれは限界でもある」
「善であろうとすることは、同時に、悪を否定するということでもある」
「悪の否認が善の是認とイコールで結ばれる。このことは回避できません」
「ストライクだけの世界は存在できない」
「そう」
「だから、ごちゃごちゃといろいろ面倒くさいから、ぜんぶおまかせの神が出来る?」
「精神のエコノミーからいえば、そのことで考えるコストを大幅に削減できます」
「ある意味でふりだしに戻るという感じもする。特異点をもった切れ目のない世界ね」
「まさしく」
「宗教って、考えることの手抜きなのかな」
「二極の区切り方と異なる一極の特異点化というアプローチ、それがいわゆる宗教の機能です」
「何に対するアプローチ?」
「この世界を説明したいという人間の欲望にかかわります」
「自力じゃだめなので神なる存在が召喚されるわけか」
「御明察」
「ある意味で祈りにも通じるかな?」
「祈りは人間の意識が捕捉できないものを意識で捉えようとしない意識の作法といえます」
「はあ。でも神様は死んだといわれている」
「しかり。代替的な機能が求められるゆえんです」
「超越項的な機能的等価物?」
「非超越項的な機能的等価物といえます」
「暴力的権威的でない何か?」
「A/非Aという相互排除的に陣地を形成するものじゃないものだと思います」
「なんだろう?」

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