ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

Aさん、Bさんへ

2007-05-13 | comment
E-A-DだったAと言います(因みに成績は後ろから一番でした)。
不愉快な思いをされたかもしれません。お許し下さい。

おまえ何言ってるのと言われそうですが、
貴重な「場」があるだけではなやぐものがあります。
想いはいろいろ分岐するのだと思いますが、
「場」がなければ分岐するものへの想いも点火しません。
おこがましいですが、クラス会そしてサイトの運営には頭が下がります。

外交辞令でもなく、婉曲でもなく、
野次馬のど真ん中の言葉としてお受け取りください。

 うちあけなかった言葉たちは
 季節のたびに花を咲かせる
 ささやきかける (松任谷由実『One more kiss』)

孫引きですがもう一つ、

 風に散る花の行方は知らねども 
    惜しむ心は身にとまりけり(西行)

皆さんの思いをオープンソースとして閲覧できるこの場に感謝申し上げます。
大変失礼しました。
コメント

夏来にけらし。

2007-05-04 | comment
大変ご無礼とは承知ながら、一筆挿入させていただきます。

たかが数十年の時間の移ろいがいかほどのものなのか、という疑念がございます。
しかし、過去に着膨れしたオトナたちは、貴重な「現在」を生きることができないようにみえます。
若者たちの目にはそのように映っているようです(胸に手を当てて考えると思い当たります)。
言い換えると、棺桶に片足突っ込んだ姿にみえる。
例外的に思いやり深い若者たちは、そうしたオトナたちの過去を懐かしみあう振舞いに礼を尽くしてくれますが、年寄りを見限った作法と呼んでもいいかもしれません(本質的には勝手にやってちょ)。

「みえない関係がみえてきたとき、彼らは深く訣別している」
主題化されなかった過去は、数十年の歳月を経ても、否応なく現在の姿として浮上することがある。
そこから本当の現在が再び始まるという冷たい真実の祝福がございます。

ところで、その時こそ着膨れしたオトナだけに許された作法がありまして、そこで、たまさかに壮年期ならではの骨太のコミュニケーションを起爆させることもできるようなのです。
その可能性を見ることができれば野次馬としてはとてもとても嬉しいです。

遠い過去の短い期間を共有したという事実だけがせり上がり、その過去においてせめぎ合っていた、あるいは互いに見えなかった個々の体験の履歴が、すべてご破算あるいはなかったもののごとく、お互い温顔に満ちた表情で出会えるものかどうかは大いに疑わしいですね。当り前ですが。
例えば、同級生が市長に当選したということ自体が自慢のタネになることが信じられるためには、単に同級生だという事実だけでは弱い。北の将軍様の同級生たちは、同級生という事実だけで光栄なのかどうか。

そうした基本認識を踏まえることで、過去に着膨れした老人としてではなく、現在という土俵をともに生きる「ス」の関係において、たとえば友や子や誰それとも出会う道もオプションとして残されているのではないかと思いましたので、文字通り老婆心ながら、一筆したためさせていただきました。
ご無礼お許し下さい。頓首
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