「記述ないし特定化という行為において、自然の連続体はたえず「変数」の不連続体へと分解されつづけている」
The continuum of nature is constantly broken down into a discontinuum of 〝variables〟in the act of description or specification.
(G・ベイトソン&M・C・ベイトソン『天使のおそれ―聖なるもののエピステモロジー』星川淳・吉福伸逸訳)
「哲学がしばしば陥ることであるが、基礎づけという構想のもとにより基礎的だと思える領域を指定すれば、それで何かを解明したことになっていると思い込んでいるのである。(中略)哲学による基礎づけは、とりあえず根拠関係からの順序を決めただけであって、枠としての見通しをあたえただけである。内在的生は、基本的に生成関係にかかわるはずである。だが生成関係での事態の解明は、基礎づけ関係とは本来なんの関連もない。というのも、どのように基礎づけ関係を明示しようとも、必要とされているのは、形成運動を行なう回路を現実に探り当てることであって、根拠からの配置で事態を説明することではないからである」
「ことがらを経験できないものは、情報として配置することしかできない。この場面で行為と知とがまったく疎遠になり、いっさいの経験の動きのない、わかった風な言葉だけが夥しく発話されるだけになる。体験的行為と結びついていない言葉は、ただちにたんなる立場へと転化する」
(河本英夫『システム現象学― オートポイエーシスの第四領域』)