ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「知という行為」(参)

2012-08-31 | 参照

「記述ないし特定化という行為において、自然の連続体はたえず「変数」の不連続体へと分解されつづけている」
The continuum of nature is constantly broken down into a discontinuum of 〝variables〟in the act of description or specification.

(G・ベイトソン&M・C・ベイトソン『天使のおそれ―聖なるもののエピステモロジー』星川淳・吉福伸逸訳)

「哲学がしばしば陥ることであるが、基礎づけという構想のもとにより基礎的だと思える領域を指定すれば、それで何かを解明したことになっていると思い込んでいるのである。(中略)哲学による基礎づけは、とりあえず根拠関係からの順序を決めただけであって、枠としての見通しをあたえただけである。内在的生は、基本的に生成関係にかかわるはずである。だが生成関係での事態の解明は、基礎づけ関係とは本来なんの関連もない。というのも、どのように基礎づけ関係を明示しようとも、必要とされているのは、形成運動を行なう回路を現実に探り当てることであって、根拠からの配置で事態を説明することではないからである」

「ことがらを経験できないものは、情報として配置することしかできない。この場面で行為と知とがまったく疎遠になり、いっさいの経験の動きのない、わかった風な言葉だけが夥しく発話されるだけになる。体験的行為と結びついていない言葉は、ただちにたんなる立場へと転化する」

(河本英夫『システム現象学― オートポイエーシスの第四領域』)
   
コメント

「経験の形成 ~自由度・差異・気づき・選択性~」(参)

2012-08-28 | 参照

(河本英夫『臨床するオートポイエーシス』2010年青土社)

「寝たきり老人と異なり、重度の発達障害者は頭の重さをいまだ一度も感じ取ったことがないのである。支えをあたえながら、重さの経験を作り出していかなければならないが、他の身体部位を支えながら、頭だけはごくわずかに自由度が残るようにして、この自由度のなかで障害者はみずからの重さを感じ取るのである。
この場合セラピストは、水に浮かんだ障害者にとっての水そのもののようになることが必要である。
こうした身体内感の差異が感じ取れなければ、およそ経験の違いを獲得する回路が形成されないままになる」

「結果として成功も失敗もある場面では、身体行為に選択的制御が必要になる。この選択性こそが、行為の組織化を促すのである。発達障害の治療の基本には、どのような小さな場面でも「選択性に直面する」という事態が含まれる。こうしてみると環境情報-運動系の線形記述は、おそらくロボットにしか当てはまらないのである」





コメント

「人間(生命)とメタファー」(参)

2012-08-24 | 参照

(G・ベイトソン&C・ベイトソン『天使のおそれ』)

「彼(グレゴリー)はこの問題を最重要視する。というのも、すべての生命が――美術評論家や哲学者だけでなく――四六時中美的価値に頼って生きているためである。」

「われわれが使えるすべてのメタファーのうち、もっとも中心的で、突出し、あらゆる人間にとって身近なのが自己(メタファー)である。ここでいう自己とは、心理学的構築物としてのいわゆる「自己」だけでなく、精神psychoと身体somaを含んだ全実存を指す。
われわれ一人ひとりが、クレアトゥーラとプレローマが出会う場だという意味だ。
われわれは、メタファーの網を通して世界を認識し、世界に反応するが、その網は自己の経験とそれを参照する可能性を中心に織りなされている。
知るということを成りたたせる相似性や調和性をふまえ、他者を理解するモデルとして自己知を用いることは、正しく同感sympathyと呼ばれる。しかし、今日の用法で最も適確なのは<共感empathy>という言葉だろう。
ここでそれをクライアントとセラピストのあいだの共感(感情移入)にかぎる必要はない。
作物を日照りでやられた農夫だって、わが畑を襲った死の何かを感じとっているにちがいないのだから。」

コメント

2012 手に結ぶ 20

2012-08-16 | Weblog
      *

「私は蒼空を見た。蒼空は私に沁みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を私の脊髄に聞いた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。」(坂口安吾『ふるさとに寄する讃歌』)

      *

「キミの戦士たち」


――新しい地平が到来するように
――季節のことづてを運びつづける
――戦士たちがいる

――やさしさと
――戦う意思と
――許すこころと
――希望が訪れるように駈けていく
――キミの生の精鋭たちがいる

――キミがこころを決めるまえに
――戦士たちは遠い気圏へと走り抜け
――キミと世界の姿を照らした

――呼びかけるより早く
――キミは季節に染まり
――こころはいつも遅れてその後を追った

――この世界が滅びの道を歩み出すとき
――キミの戦士たちが立ち上がる

――戦士たちは生き残り
――戦士たちを殺すものは滅びていく

青空を見上げなくても
キミには届いていたでしょう

空はどこまでも青く
雲は白く
光は水に溶け 
緑はきらめき
澄んだ風に洗われて
大地の楽譜は高鳴り

こころが唇を向けるより先に
キミは風景に透きとおる

孤独は深く
高揚は走り
夜は夢に濡れ
星はきらめき
深い森の底に
獣たちの息がこだまし

呼ぶ声が聞こえ
暁の光に洗われ
神聖なまなざしが降りてくる

キミが願うよりもまえに
こころは光に染まり

遠い気圏に視線を凝らし
こころは一斉に駈け出していく

いつも何かが終わり
何かが始まりつづけていた

星空に願わなくても
キミには聴こえていたでしょう

――問いを投げるより先に
――キミの生の前線を駈けていく
――キミの戦う精鋭たちがいる

カタチをたどれない世界の姿は
キミが悲しみに埋まるまえに
キミの戦士たちが教えてくれた

キミが祈念するまえに
戦士たちは先回りして
こころの祭壇を訪れ
神聖な光の所在を告げた

キミが迷うより先に
高波は押し寄せ
堪え切れずに
こころは結界を破られる

「ああ」

追いかけている
いつも追いかけていく
一斉に駈け出していく

どこにいても
なんどでも
問いかける前に
こころは追いかけていく

理由を尋ねるまえに
ここにこうしてあることに
光がこぼれ
感情がこぼれ
こころが氾濫する

響いていたのは
頌歌なのか悲歌なのか
希望なのか絶望なのか

記憶の底を洗い
呼吸を詰め
身を固くして
算段し
審議を始めるより先に

戦士たちは
大地に遍在し
光と風のざわめきに紛れ込み
キミのこころに
新たなエネルギーの凝集を配置した

一番柔らかな部分をめがけて
戦士たちはこころを襲い

どこへも誘わず
なにごとも命じず
惑星の四季を
ただ美しく染めた

求めることにおいても
求めないことにおいても

高鳴るキミの心臓は
同じ強度を刻んでいく

一つの波動として
一つの予感として
海と空は溶けあい

キミのこころに
聴かれないかぎり
奏でられない
聴くことから一番遠い
無音の音楽を告げた

あらゆる時制を貫いて
戦士たちは一度かぎりのダンスを
再び出会うことのないダンスを踊りつづけていく

未来へ向かうのか
過去へ向かうのか

欲望としてなのか
献身としてなのか

それは喜劇だろうか
悲劇だろうか
牢獄だろうか
祝福だろうか

いったい何が変わってよく
何が変わってはならないのか

キミはそのことについて
何も答える必要がなかった

キミが問いを投げるまえに
戦士たちは先回りをしてキミを色づけ

キミが気づくより早く
キミの思惑をこえて
キミの世界への着生を告げた

ここにあるという感触は
考えることに先んじて訪れ

確定しようという誰かの思惑を超えて
戦士たちはこころを訪れ
始原の意思をシナプスに走らせていく

新たな問いはいつも反転して
戦士たちの音楽に重なり
キミの生の駆動をうながした

切れ目なく連続する
過去と現在と未来が
キミの生の前線をつくり

配慮として
気遣いとして
ひとつの表情として

感情するまえに感情し
思考するまえに思考し

ここにこうしてあることに
最初のおののきが重なり
二番目のときめきが重なり
すべてが重なり
ざわめきはさらに深くなる

――遠くまで行きたかった
――近くまで来たかった

戦士たちはまた一つ季節のネジを巻いて
こころを前に進ませる

どこにいても
なんどでも
キミはその後を追いかける

疑うことも
信じることも

たしかにそれがそうであると
絶対に分岐するボーダーラインはわからなかった

キミは季節の内側に回り込んで
キミ自身の声を響かせたいと願った

キミの声が加わることで
世界は少しだけ色合いを変化させた

戦士たちはいつも
何かに終わりを告げ
新たな始まりを用意していく

色褪せて見えようと
華やいで見えようと

キミの追跡をそそのかしたり
断念させたりしながら

戦士たちの底知れない挑発は
いつも始原の駆動として
キミのこころに響きつづけていた

     *
コメント

2012年8月15日

2012-08-15 | comment
(http://ameblo.jp/sanni1132/entry-11328822903.htmlへのコメント)


前出のコメント欄、とても素敵なエピソードだと感じました。

「逆にマイナスにぼくが傷つけたこともあったかもしれません」

「僕の好きな先生」たちのいる風景が浮かびました。
説教や言説やスローガンの届かない、メタレベルの風景です。
コメント

昭和の体験から

2012-08-13 | comment
(http://ameblo.jp/sanni1132/entry-11326772689.htmlへのコメント)


じぶんの学校体験(昭和時代)をふりかえると、
「ユーモアを大切にしましょう」的な言語空間のイメージがあります。
あらゆるコトバが教育的指導に色づけらてしまう世界=学校です。

この言語空間に一度入ると、
コトバ(ユーモア)は標本化されて観察対象、学習対象になる。
端的にいうと、「死語」(生気を失ったコトバ)の世界です。

子どもたちは、このおかしさに気づいていると思いますが、
この世界への適応を長年強いられ、点数をつけられていくので、
いつのまにか学校的身体に変質してしまう、ということがあるように感じます。

コトバが因数分解される「死語」の世界は
とても機能的で、点数をつける官僚的営みにとっては便利でしょうが、
その代償として、社会から「ユーモア」(コトバ)が失われていく...

そこに、○○○先生の「主戦場」の一つがある。
というのは「盛りすぎ」でしょうか。

コメント

2012 手に結ぶ 18

2012-08-10 | Weblog
      *

「『ここからの出口がどこかにあるはずだ』とジョーカーは盗人に向かって言った」
〝There must be some kind of way out of here.〟said the joker to the thief. (「All Along the Watchtower」Bob Dylan )

      *

「接続エラーⅣ」


すでに授業が始まっていた。

「どうしたんだ」

入口のドアを開けると同時に、教師の視線が突き刺さった。
教室の空気が一気に変化したのがわかった。
教師は視線を逸らすことなく、低い声でオレにもう一度訊いた。
「どうして遅れたんだ」
ライトグレーのスーツに茶褐色のネクタイ。刈り上げた頭には白いものが混じっている。
経験を積んだいかにも教師らしい余裕が全身を包んでいた。

「車に轢かれた子猫が道端で死んでいて、あんまり可哀相だと思ったので、泣きながら埋めてやりました」

張りつめた空気が一瞬揺らいで何人かが少し笑ったが、教室は空々しい空気が支配していた。
教師のこめかみが膨らむのが見えた。この科白は効果的だった。前にもそっくり同じセリフを言ったことがあった。
その時には、曖昧に無視された。下手な冗談として許してやるという態度だった。しかし、今日はちがっていた。

「この問題を解いてみろ」
教師は黒板に書かれた数式を指さして、挑発するように威圧的な声でオレに命令した。
オレはバカバカしかったが、黒板の前に歩いていって、
外国人のように両手を広げたちびまる子の絵を書いて、横に『わかんない』と吹き出しを付けた。
オレは同じポーズで肩をすくめてみせた。もう誰も笑わなかった。

教師の眼にははっきりと憎悪が滲んでいた。教師は間髪いれずに、オレの胸ぐらをつかんで足払いを掛けてきた。
不意を喰らったオレは床に背中から落ちて、頭を強打した。
痛みがひどくて、オレは一瞬状況を見失った。頭が真っ白になって世界がぐるぐる回っていた。
すぐに悔しさと怒りがこみ上げてきたが、それもすぐに痛みの渦にまぎれてしまう。
頭を抱えて横になりながら、冷たい床の感触だけが変にリアルな感じがした。
女生徒たちの悲鳴と、その後の重い沈黙が遠くにあった。

「おい、勘違いするなよ。舐めたことしやがって」
教師のドスのきいた声が頭の上から響いた。
吐き気を感じて苦しかったが、教師の陳腐なセリフがオレに余裕を与えた。
この男はオレが考えているとおりの人間だと思った。
本気で喧嘩を買うつもりだ。だからきちんと応えなくちゃいけない。

オレは十分に呼吸を整えてから反撃を開始した。
わざと時間をかけて立ち上がり、制服についた埃を払いながら、いきなり急所を蹴り上げた。
手応えは十分だった。教師がうずくまると、素早く脇腹に思いきり蹴りを入れた。
ごろんと教師は丸まりながら床に転がった。呼吸が止まったように身動きでないでいた。
もうこれが最後だという感じで、オレは男の顔面にもう一蹴り入れた。
その時、ようやく臨界点に達したように教室の重い沈黙がはじけた。

「殺す気か」「バカヤロウ」「やめて」「死ぬぞ」「救急車を呼べ」
怒号や悲鳴や生徒が走り回る響きが渦巻いていた。
けれどもオレは容赦しなかった。
教師の襟首をつかんで教壇の上に仰向けにしてから、ネクタイをつかんで思いきり首を締め上げた。
顔がみるみる充血していくのが見えた。教師は苦悶のなかにまさかという驚きの表情をみせた。
醜く膨らんだ形相には、教師としての威厳も誇りも消えていた。まるでブタだな。
さらにオレは一度ネクタイを緩め、二重巻きにして両端をつかみ、立ち上がるようにして渾身の力で引っ張り上げた。
断末魔のようなうめき声が漏れた。

ふとオレは、これは夢かもしれないと思った。
どうしてこんなことをしているのだろう。
その瞬間、後頭部に灼熱を感じて気を失った。それが最後だった。

感情も感覚も凍りついて、永遠に溶け出さない氷に閉じ込められている感じがする。
しかし寒さも暑さも何も感じない。死んだ人間のようだ。
視線は中空を浮遊したまま、焦点を結べないでいた。勝手に眼球が動いているだけだ。
脈絡を喪失して、バラバラになった風景や事物が網膜のスクリーンを散乱したまま通りすぎていく。
全体を関連づけるどんな意味も消えていた。
この状態からどんなふうに抜け出したらいいんだろう。
一切の手掛かりが消えていた。
けれども、オレはこれでいいと思っていた。

理不尽にこみ上げる焦燥に苛まれながら、
オレは自分の意思をどこへ向けていいかわからなかった。
求める心は臨界に達しようとしているのに、
言葉も意味もイメージも、向かうべき場所も見当たらない。
思考は焦点を結べずに揺れていた。
それでも、オレの心は微塵も疑っていなかった。

説明できないものを、いい加減に説明してのぼせ上がり、
みんながみんな同じエサを欲しがると思い込んだバカがいる。
バカは自分が信じていない言葉を使う。
バカは誰もが同じ種類の人間だとタカをくくっている。
同じ仲間のつもりで、じぶんのいる檻に他人を閉じ込めようとする。
据え膳喰らって生きたければそれでいい。
勝手にすればいいが、オレにも囚人になれと命令する。
誰に向かってものを言っているか、わかっているのか。
無理矢理に囚人の仲間にするための権力を許す訳にはいかない。

このまま殺されてもかまわないが、自分から始末をつけるつもりはない。
反省も後悔もない。腐り果てた囚人たちには理解できないだろう。
滅ぼしたければ滅ぼせばいい。その前にオレが滅ぼしてやる。
オレに構うなと言っただけなのに、土足でオレに向かってきた。
滅ぼそうとする相手には礼を返すだけだ。それ以上でも以下でもない。
手心を加えるつもりは最初からなかった。覚悟がちがうんだよ。

巨大なエネルギーの波がなんどもなんども押し寄せてくる。
太陽とこの星の青空と大地と海と、人間の土地の一切合切が、
一つの心臓のようにリズムを刻んでいる。
妄想だろうか。錯乱だろうか。この感じは言葉にできない。
惑星の気圏を突き抜け、この宇宙全体が歌を歌っている。

ケダモノのオレは意味をなさない咆哮を張り上げる。
オレはオレだけに聴こえる声を聴いている。
オレはいまどこにいるのだろう。
猛烈な渇仰が心を引き裂いていく。
何かに向かってぶちまけたいが、一体何を、どこに向かってなのか。
感情は力のかぎり駆け出したいと願うのに、向かうべき場所がわからない。

けれども誘引は圧倒的だ。
ここにこうしていることだけで、何かが胸に迫ってくる。
ここにこうしているだけで、こぼれ出し、溢れていくものがある。
ぶちまけるものも、ぶちまける対象もまったくわからないが、
こみ上げるエネルギーの塊を、オレは心の底から信じていた。
オレは本当に狂っているかもしれない。
しかしオレは、それがオレを決して否認しないことを知っていた。

      *
コメント

金子みすゞさんへの返歌 20120214

2012-08-08 | Weblog

――2011年12月16日
――日本国「冷温停止状態」宣言

明治期以来の伝統でしょうか?

「クリーン」っていうと、
「クリーン」っていう。

「あんぜん」っていうと、
「あんぜん」っていう。

そうして、あとで、
取り返しがつかなくなって。

「デンキが足りない」っていうと、
「デンキが足りない」っていう。

こだまでしょうか。
いえ、オツム作動停止といいます。

       *

いつも繰り返されることがらには、
繰り返しのコードが貼り付いています。

「せんそう」っていうと、
「せんそう」っていう。

「しゅうせん」っていうと。
「しゅうせん」っていう。

そのあいだに、
かぞえきれない策謀と扇動と恫喝と讒謗と収奪と蹂躙と平伏があり、
無念に苛まれた生命のかぞえきれないいとなみと終焉が強いられました。

いまなお酷薄なコードが支配する21世紀です。

惨劇を導くコードは破られなければなりません。
戦わなければなりません。

――滅んではならないものが滅ぼされつづけていく

あなたの歌と遠く血脈を重ね合わせる、
十五世紀につづられた歌仙のことばがあります。

「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても草木の露をながめても、此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしく、幽玄に心をとめよ」(心敬『心敬僧都庭訓』)

「幽玄に」であって、「幽玄を」ではありません。
ここでは大いなる受身の形式において、
心がしたがうべきものが見出されています。

「天地の森羅萬象を現じ、法身の佛の無量無辺の形に變じ給ふごとく、胸のうちなるべし。是を等流身の佛と云ふ」(心敬『さゝめごと』)

なんのために?

戦いの最大の武装がそこにあるからです。
そしていつか戦いから自由になるための作法が。

     *
コメント

「脱ムラ」

2012-08-04 | comment
(http://ameblo.jp/sanni1132へのコメント)

「原子力ムラ」と同じく無数のムラがありそうです。
「教育ムラ」では、
何が起きても「学校は健全に保たれている」でしょうか。

けれども「脱ムラ」の気運は拡大しているように感じます。
この気運を感じられなければ、親も先生たちも、
子どもたちから置いてけぼりにされるのはまちがいなさそうです。

    *

「なつやすみ つまらない日は ありません」

小学一年男子の俳句です。(もともと「脱ムラ」デス)

こんな子が教育ムラで点数をつけられて、
「ムラ人」として訓練されていくのは悲しい。

大きなムラ=日本で教育を受けて、大人になって、
もう一度「ムラを出る」(子どもに帰る)。
たしか、それが男の成熟だとニーチェが言っていました。



コメント

2012 手に結ぶ 19

2012-08-02 | Weblog
      *

「本当は犬なのに サムライのつもり」 (草野宗正「ローテク・ロマンティカ」)

      *

「接続エラーⅣ――犬の文明」


――本当は犬の国なのに、ニンゲンのつもりのJと呼ばれる国がある。
――犬の国ではサムライになりすました犬の軍団が、
――犬だけを再生産するシステムを回しつづけている。

犬の国は「主人-奴隷」を関係フラクタルとして階層が積み上あがり、
犬たちの生涯は階層上昇をめぐる精励と競い合いに明け暮れていく。

犬たちの生活はDr.パブロフの「刺激-反応」図式に拘束され、
与えられるエサとコマンドに準じる線形的運動を反復していく。

犬たちの教育は集団・協調・規格・連帯責任のコードに貫かれ、
ノウハウだけが蓄積するゼロ学習がJの定常性を維持していく。

上位から下位へ向かう一方向的コマンドが接続連鎖を作り、
上位の犬に従属する犬たちは、下位の犬たちに従属を求めていく。

上位への拝跪とロイヤリティはそのまま下位への支配を意味し、
拝跪と支配のカップリングを接着剤として紐帯が強化されていく。

犬の国Jにはどこを探しても主体が存在しない。
階層上位に上納される物象化した主体だけが存在する。

驚くべきは、上納の連鎖が行きつく頂きの「空なる中心」である。
驚くべきは、階層構造のトップたる王位の「空なる中心」である。

犬の国Jでは王様も主体もどこを探しても見つからないが、
王を代行する「空なる中心」が「ゼロ記号」として遍在する。

「空なる中心」は、祭司化した上層の犬たちに占拠され、
「空なる中心」の命名権・解釈権・使用権が独占されている。

「国策」「国体」「キサマはそれでもJの国民か」「デンキが足りない」まで、
すべてのコマンドは聖なる「ゼロ記号」に媒介され、すべての犬に接続されていく。

犬として生きるか。人間として死ぬか。
犬の国Jでは酷薄な踏み絵の儀式が日常化している。

――2011年10月11日朝、自宅マンション14階。
――犬たちに包囲され、酷薄なリンチに晒されながら、
――犬であることを拒否した少年は、
――みずからの尊厳を守るために身を投げた。

犬たちの罵倒と暴力は、いつも人間に向けられる。
犬たちは人間を包囲して犬であることを求め、
出口のない地獄を用意して決死の脱出を強いた。

犬たちに従属する犬であることを強いられたとき、
人間でありつづけることを願った少年は死を選択した。

「主人-奴隷」のコードを破り棄てるために、
少年は誰にも目撃されない決死の抗議に殉じた。

司祭に連なる訓練を受けた犬たちは、こう言った。
「いじめと自殺を関連づける証拠は認められない」

子どもが死んでも。何が起こっても。
「学校は健全に保たれている」

犬は犬のコードを守ることでエサを与えられ、
人間を滅ぼしつづけることで階層を上っていく。

特別に選ばれた邪悪な犬がいるわけではない。
犬の属性に準じる犬のいとなみだけがある。

特別に残忍に生まれた犬がいるわけではない。
犬は犬の国のしきたりに従っただけである。

「こんなに悲しい出来事が起きたのに」

独善に染まった独裁の王がいるわけでもない。
犬であることを相互に認証しあう犬のコードだけがある。

人間から犬へのコンバージョンを強いるコードの支配と、
犬たちの日々の忠誠と精励が築き上げる犬の文明だけがある。

      *
コメント