――G・ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明他訳
知覚のすべて、反応のすべて、
個々の行動と行動のクラスのすべて、
学習と遺伝のすべて、神経生理と内分泌のすべて、
組織なるものと進化なるもののすべて
―実に一つの思考題材の全体であるが―
これらはすべて本来的にコミュニケーションの世界の出来事として捉えられるべきものである。
思想が生命に歩み戻ることは、野生を回復することである。
未開の領域を進むものは、つねに野生へと目覚める。
未開の地は、地球の辺境や人間であることの限界に位置するのではなく、
誰にとっても手の届きそうな眼前の未来や、日常の行為の傍らにある。
だから踏み込みを誤らなければ、誰であれ未開の地に入り込むことができる。
――河本英夫『メタモルフォーゼ/オートポイエーシスの核心』2002年
語りえないことの語りえなさにおいて
ファンタジーが励起する地平が告げられる
未知の未知であることにおいて
公理系のコスモスに破れ目が走り
すべては決められてあることのように
魂が羽ばたくフリースペースが開かれ
非空間的にかたどられたもう一つの
切れ目のない世界が姿を現わしていく
フィティッシュな電価を帯びた求心的な作動があり
ポテンシャルの試行をめがける遠心的な作動がある
聴かれないかぎり奏でられない
聴くことから遠い無音の旋律が響き
ゲシュタルトはノイズの乱流を浴びながら
応答と応答が重なる和音を探して唇を向かわせる
なぜそうしているのかみずから問うより先に
未規定の均衡点をめがけて予期は駆け抜ける
新たな視覚を生むように情報はピックアップされ
無数のコンテキストが次々に浮上しては消えていく
*
桜の梢は季節と唇を重ねるように
冷たい春の雨に濡れている
はるかな時制の扉を開くように
花びらは空に舞っている
光と影に織られて水面はきらめき
まなざしは風景のゆらめきに溶けていく
草むらにさざ波が走り
そよ風のせせらぎが頬を洗う
静けさの襞に深くわけ入ると
轟々たる古の風が吹き荒んでいる
見上げると遠く点滅を描きながら
渡り鳥たちが空の奥に消えていく
永遠の遠ざかりを告げられ
こころは臨界へ向かって動き出す
不思議さの高みを駆け上り
透明な舞台が誂えられ
ここにこうしてあることに
かたちのない応答が写像されていく
――「情報空間の特性」から、文明の審級を知ることができる。
「愚かな文明」は、ユニラテラルであり、クローズドであり、エクスクリューシブであり、収束的である。
「高貴な文明」は、インタラクティブであり、オープンであり、インクリューシブであり、展開的である。
――「子どもの教育」から、文明の審級を知ることができる。
「愚かな文明」は、規律・協調・集団・標準・位階、総じて線形的な価値コードに準じて、
人権にまさる愛国と忠君、そして自己犠牲を子どもの心に書き込むことができると妄想する。
「高貴な文明」は、歴史が成就したすべての悲劇と錯誤と不実の由来を悲しみと共に学び、
子どもの非線形的で自律的成長に最大の敬意を払い、愚かさの感染を防圧する知恵の果実を蓄える。
――「代表者のクオリティ」から、文明の審級を知ることができる。
「愚かな文明」には、自由と秩序がゼロサムのゲームだと考えるトンマたちと、
サムライのつもりで吠えるだけの誰かの番犬でしかないなりすましが溢れる。
「高貴な文明」には、未規定な現実の遷移に開かれた、終わりなき探求者たる智者の群れがいる。
自由と調和が一つに結ばれる、未だ顕現せざる包括的ゲシュタルトの探求がその主題を構成する。
――「エージェント(権威者・専門家)との関係特性」から、文明の審級を知ることができる。
「愚かな文明」は、エージェントに過剰に依存し、学ばないことを学び、生命の簒奪と毀損を放置する。
単体として作動できないメンバーたちは、絶えず接続先を探してエージェントの宇宙をさ迷い続ける。
「高貴な文明」には、無数の思考が織りなすギャラクシー上に、新たな星座が奇跡のように出現していく。
エージェントは出現した星座を最初に指さす人として存在し、メンバーたちはその役割を相互に交換しあう。
――「外交の手法」から、文明の審級を知ることができる。
「愚かな文明」は、外なるものへの敵対と罵倒にブルータルな血をたぎらせ、寛容なき滅びの美学に自滅していく。
世界の区分線はコンクリートに固定され、神話化され、「価値/非価値」をめぐるあらゆる思考に制御をかける。
「高貴な文明」は、すべての魂に寛ぐスペースを誂え、エレガントな〝もてなしの作法〟であらゆるゲストを迎える。
もてなしの作法は、エコメンタルなコスモスのゆらぎに共振しながら、みずからと世界の区切りを更新していく。
「愚かな文明」は、実線で太く描かれた漫画の吹出しに似た、特殊な公理系の宇宙を至上化してノイズを排除する。
「高貴な文明」は、メンバー一人一人の内部に、公理系の外とつながる〝第四次〟のアンサンブルの宇宙を夢見ている。
ぼくは表情をつくれずうろたえてしまった。
けれども彼女は、待ってくれた。
ぼくを急かすようなそぶりを一切みせず、
迷える子羊をやさしくもてなすように、
気持ちを立て直すための時間を用意してくれた。
だれにも気づかれることなく、
ただぼくのために用意された、
天使が小さく羽ばたきするような刹那の時間。
ぼくはそのつかの間の奇跡を受け入れ、
天使のもてなしに包まれる。
――小さな休止符が日常の楽譜に書き込まれ
――魂に息継ぎする時間が与えられる
――そうして、言葉をさがすことを許される
迷える子羊に与えられた、奇跡のようなインターミッション。
差し出された魂のフリースペースに、深い安堵がみちびかれる……
そして、振り出しにもどる。
奇跡であり、うんこであり、退屈であり、冷酷でもある、
いつもと変わらない現実がまた動きはじめていく。