(清水博『生命を捉えなおす 増補版』1990中公新書)より
人間ばかりでなく、動物も、おそらく植物でさえも、本質的には自由を求める存在です。自由は競争原理の基礎でもあるのです。しかし、生命を持つものの自由と自由が時には衝突しあう中でお互いの自由を確保するためにも調和が必要となるのです。調和とは個の自由の上に立つ秩序です。(これが散逸構造の意味です。)一般に、不均質な要素からできたシステムの中でこのための秩序ができるためには、要素が多様な自由度を持ち、その多くの自由度のうちのある部分を協力しあって拘束することによって、他の多くの自由度を開放することができるのです。
(中略)
これに反して日本の社会のようなタイプのシステムでは、要素が均質的で密着性が高いために拘束度が強くなり、狭い次元での競争を誘って秩序をつくり出す面が強いと思われます。つまり生成的ではないのです。さらに重要なことは、システムの閉鎖性のために、フィードフォワードよりもフィードバックが強く働いて、秩序が自己組織される傾向が強いことです。このようなシステムではその拘束性の強さから、秩序の一義性が目立ってきます。
(中略)
私が主張しようとしているのは、システムの(さまざまな)環境へのセマンティック(意味論的)な開放であり、また要素の多様性に立つ秩序であることをあらためて指摘しておきたいと思います。