https://www.youtube.com/watch?v=UlQ6bU7dXeI
日々、刻々、そのつどの生の主題(欲望)に相関してまなざしのフォーカスは移動する。
細部へ、あるいは、全体へ──
フォーカスするまなざしのカーソルは、しかし構造的な拘束のもとにある。
細部にまなざしを凝らせば全体は消える。
同じく、全体にまなざしを凝らせば細部は消える。
同時に二つの位相を見ることができるまなざしは存在しない。
けれども時間という契機がそこに加わることでまなざしは二重化される。
ふたつの視線の生成、その交わりにおいて、意識主体はみずからに対話の位相を開く。
かつて-さっき-いま-これから-いつか
この二重化を可能にしているメモリ──世界経験の歩みをみずからにトレースしてゆく内的構造。
メモリ機能による経験的与件のトレース、そして経験の強度に応じて刻まれる召喚ポイント。
さらにその累積から立ち上がるさまざまな予期、期待と不安という未規定な将来の情動的先取り。
すべての時制をたずさえる「いま」の展開、その総合としての「予期」の生成。
予期がめがける先にあるもの──「更新」。より〝よき生〟をめがける企投的意志の展開。
内なる対話の位相から立ち上がる予期に担われるように、固有の生の組織化と企投、「いま」が展開する。