ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「1985、狂風記」20240731

2024-07-31 | Weblog

 

 


なぜそうしている?

なんにもないからさ
ただそれだけのことだ

なんにもないからそうしている
だれかに教えられたからではない

ひとつだけ掃除しておきたいことはある
なんにもない地平のために掃き清めておく

勝手にわかられて墓場に安置される
そうして成仏することはできない

どんな実りもみちびかない
わかったつもりのことば
あずかり知らない決めごと決めつけ

すじちがいのことばに囲まれたまま
そのままそのとおりに歩むことはできない

あぶくのように湧き出すその場かぎりのことばの群れ
身をまかせると生きることが干からびていく

できてもできなくても
きれいに掃除してはじめて歩き出すことができる

なんにもないまっさらなガランドウ
鼻歌がよく響くこのうえない風通しのよさ

この清らかなふるさとの真実において
冷たく澄んだなつかしい風が吹き渡っている

 

 

コメント

「Backstage」20240730

2024-07-30 | Weblog

 

 

納得を刻む理路がみつからないとき
宙吊りのまま情動の乱流に呑まれそうなとき

乱流に抗うのではなく
救命の筏を投げ入れるのではなく

乱流に呑まれて溺れるまま
そのままそこに留まる意志を行使する

どこかにある理路を探すのではない
どんなことばの修飾も介助もいらない

どんな詠嘆がこみあげてもいい
すべては内なる水面に現象している

完結を急ぐことばを黙らせ
泡立つ波紋が描くものにまなざしを凝らす

そうしたほうがいい時がある
そうするたしかな理由と根拠がある

みずからのbackstageの素顔

いまここをこのように構成して生きている
みずからの基底の意志と出会うべき時がある

 

 

コメント

「こども」20240729

2024-07-29 | Weblog

 

 

高貴さと邪悪さ、光と影
ふたつが一つとして生きられている

学校メガネを掛けると生きられる姿は切り詰められ
どちらか一方にフォーカスされて存在から遠ざかる

この視線を浴びせられ損なわれる思考のルートがある

すなわち、ふたつを一つとしてみずからを反照するチカラ
みずからと世界を等しく結んで思考する本当の英知へ向かう道

コメント

「ダンサー」20240728

2024-07-28 | Weblog

                                                       世界1位に輝いたブレイクダンサー | Bgirl Kanami (youtube.com)

 

 

行き止まりを指定する真理のことば
それをはじめに解除しておく

悟性に出番はない
静かに黙らせておこう

そうしてステージがととのえられる

ジャンプする、スキップする、ステップを踏む
なんでもいいから思いついたまま動いてみる

日常とはちがう動作であればあるほどいい

すでに固有の波形を描きながら生きている
それがなんらかのシグナルを返してくる

シグナルとシグナルが出会えば何かが起こる

かならず不和、きしみ、対抗、矛盾、反作用の結節がみつかる
いいかえると、ノイズを生み、そこに対話の位相を励起させる

拘束するものを感知してほどくように
ありうる可動のエリアを開くように

シグナルを交換しながら、応答しあうステージの設営と展開

どんな属性も問われない
この位相でただ踊り切ることをめがける人
あまねくそれをダンサーと呼ぶことができる

 

コメント

「1981、召喚ポイント」20240727(20230925)

2024-07-27 | Weblog

 

 

ひとが果てしなくつづり、みずからもつづってきた
記憶の資源を惜しみなく余さず風景に投入する
そうして視覚を変化させることはできる

満開の桜はところかまわず咲いている
いまも轟々たるいにしへの春の風が吹き荒んでいる

      *

忍辱の歌謡が奏でられるとき
かなしみを噛み殺しながら唱和を拒み
埋葬を許さないものがいる

すべてが虚無の諦念へ転移する境界があって

この境界に出会うとき
一つのシグナルが点灯する

訣別によって滅んでいくものを
なんどでも奪い返す
奪い返して「いまここ」に集わせよ
 
過去、現在、未来
光、影、花、毒、天、地

線形的な時間配列に亀裂を入れて粉砕し
全時間全項連結するように「いまここ」を構成する

なぜそうするのか

どこでもないただ一点、「いまここ」に集わせ
すべてをほんとうに懐かしむために
そうしてはじめて未知の視覚を手に入れるために

俺たちは永遠に訣別を知らない者にならなければならなかった

 

 

コメント

「第三領域」20240726

2024-07-26 | Weblog

                                                                                              LIBERA - Stay with me - YouTube

 

 私は、あなたが赤をどのように見ているかを知らないし、
 あなたは私がそれをどのように見ているか知らないでしょう。
 しかし、この意識の分離はコミュニケーションの失敗の後にだけ認められるのであり、  
  そして我々の最初の運動は、我々の間にある
 ある分割されないものの存在を信じることにあるのです。
  
     (メルロ=ポンティ『知覚の優位性とその哲学的帰結』加藤和雄訳)

      *

ことば、ふるまい、表出、表現、
すべてはこのエリアに向かって投入される

なんらかの応答と承認の予期にみちびかれ、
日々、意志は保たれ、企投が途絶えることはない

第三領域──

だれにも帰属しない、しかしだれもが帰属する
ひととひとのあいだに設営された合流の地平

信仰ということばが生まれるよりはやく
ひとという生き物が仮構し、ともに生きられてきた信の地平

あらゆる企投はここへ向かってくりかえされる

遠いともだちのいる場所へ架橋するかのように
からだを凝らし、こころを凝らし、ことばを凝らす

きらめく光を、うつくしい花をもとめながら
底知れない闇を、致死を招く毒をみつけることもある

そうだとしてもつねに企投の動機はただ一つ
「我々の最初の運動」は、光と花を信じて開始される

 

 

 

コメント

「生の享受」20240725(20231220)

2024-07-25 | Weblog

                       Chopin: Nocturne No. 10 in Ab Maj, Op. 32, No. 2 - Ingrid Fliter (youtube.com)

 

 

 人間は運命のなかにみずから失ったものを感得するので、
 運命は失われた生への憧憬を呼び起こす。

 この憧憬は生の喪失の感情であって、失われたものを生として、
 かつて生に親しみ深かったものとして認知するからである。
 この認知はそれだけですでに生の享受である。

    ──ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』細谷・岡崎訳


享受、そう言い切るにはちょっと足りないな
付け加えるべきものがあると思う

救われない悲しみ、隔絶した生と生、酷薄な生の経験
この感知に歪み、身もだえる心にはよそよそしいことばさ
そう語るにはもうすこし語るべきことがあるだろう

じゃあ、おまえの意見を聞こうじゃないか
ああ、いいとも、聞いてくれ

ひとりでは享受することはできない、単独では不可能さ
享受と呼べるためには背景がなければならない
つまり、いつでも帰還して享受を可能にする場所がね

静かに着席して心をほどくができる
生をともに歩むことへの信の地平
そんな関係の地平が信じられてはじめて可能になるだろう

ヘーゲルのことばもそれに依っているはずさ

たとえそれが仮想のものであってもいい
すくなくともそうでありうるという信が合流する場所
現実の乱流が押し流すことができない心の拠点のようなもの
そんな地平への信だけがよくささえるのだと思うな

 

 

コメント

「絵を描く人へ」20240724(20220616)

2024-07-24 | Weblog

 

 

わずかに感知できたと思うことはある
求められてすることの外にある

誠実ないとなみに映らない、ひそかに
たずさえられ動いているものがある

ことばの外に置かれながら
降り積もるものがある

ただ積るだけではなく
芽吹いていくものがある

(おそらく行使されていない)

ほんとうはなにも知らない
知らないこと承知のうえで

勝手な妄想にちがいない

いつかそれを絵にしてほしい
そう感じていたことはたしかだ

 

 

コメント

「2020、秋」 20240724(20201103)

2024-07-24 | Weblog

 

 

光が閉じられ
永遠に遠ざかろうとする
夕暮れの

きよらかな喪失の光景に
かたちのない応答が現象する

月明りにさがした
帰り道

深く、ざわめきを沈め
静かに眠らせたいときがある

許された時間のなかに
すべて溶けてゆくように

リアルよ、眠れ

眠っているあいだに
夜空はきらめき、天使が羽ばたく

沈黙しているかぎり、世界よ
おまえはなぜか懐かしい

 

コメント

「船上のくらし」 20240723

2024-07-23 | Weblog

 

 

乗りかかった船、だれにとってもさ
ひとりの例外もない、たったいちどきりの船の旅
ときどき忘れそうになる、けっして忘れないようにな

覚悟してもしなくても
願っても願わなくても
あきらめてもあきらめなくても

怒り、かなしみ、よろこび、憎しみ
すべては乗りかかった船のなかの出来事
船の外はどこにも存在しない、Never

船の外という観念は船の中に生まれる
外があるという観念の生成
俺たちの観念の運動はどこかで船の外へ向かい、一線を超えてしまう

そのことには確かな理由がある
そのことのどうしようもなさがある

なぜだろうか

そのことも覚えておいたほうがいい
船の外がなければ救われない
そんな身をよじる感情や経験があって
どうしよもうなく船の外に希望、救済を夢みる心がいる

どうしようもなく深い業にみちびかれ
船内のどこか、あるいは、全域を制圧したい欲望にかられる
そんな心が船外にまします〝カミガミ〟を呼び寄せる
そんなこともありふれた出来事として起きてきた いまもだ

バカだなって、それだけで済ませられるか?

すべては船上において現象する
船外に運びだすことはできない

願いは一つ、よりよき船の旅

船の外という観念、星に願う心が心のまま
そのまま穏やかに生きられるために
船上の暮らしをなんとかする以外にない

なにより大事なことがある
それぞれの〝よりよき〟は一つではない

一つではないことを一つにしようとする
するとカミガミが召喚され争いがはじまる

一つではないことを条件として
それぞれの〝よりよき〟が生きられる船の旅

とは何か?

適切に問いが投げられるとき
その解は適切な問いのなかにすでに含まている
だれかがそう語った、そのことは信じていいかもしれない

適切に問いを立てようとするかぎり
船外という観念一切は棄却されなければならない
つまり、すべての問題を船内においてほどいていく道だけがある

船上に生きて行くかぎり、さまざまなゴミが生まれる
しかしゴミの掃き出し口はどこにもない
ゴミを集めてかき出す外部は存在しない
ゴミを含めて船上の暮らしがある
だからゴミをかかえて生き抜く方法は一つになる

溜まったゴミをすべて資源化して生きる糧に変換する

この知恵を研ぎ鍛え上げていくしかないということになる
よき船の旅を願うかぎり、それが不可避のテーマになるにちがいない

 

 

コメント

「ヘーゲル」20240722(20220530)

2024-07-22 | Weblog

 

 


 普遍的自己意識とは、
 他者の〈自己〉において
 自分自身を肯定的に知ることである。
        
   (ヘーゲル『エンチクロペディー』廣松渉訳)


いいかえてみる

特定のだれかとだれかというのではない。
存在のみなもとに潜む共通の連結成分を適切に抽出して、
新たな関係可能(ありうる)を見出す方角へ思考を走らせる。

他者との関係において、相互に肯定的な関係存在でありうる自己と他者を、
同時に、ひとりの関係存在の内側にありながら発見的に取り出していくこと。

それは自他の関係のエロス(歓び)が相互に高まって行く方角を意味する。
リアルの地平との連結を必須の条件として、この抽象レベルを鍛えて行く。

思考の普遍性というものがあるとすれば、その可能性のなかにある。

 

 

コメント

「石牟礼道子×見田宗介、往復書簡」20240721

2024-07-21 | 参照

 

 

 

「第四信 見田宗介 この生の海:七月二十六日」

死んでゆくものたちの目が最後に見ている景色というようなことを考えています。
『花をたてまつる』という御本の「いまわの花」という御文章では、
あの現代の非業の病に八つばかりでみまかってしまった少女が、
たぶん最後に見ることのできた花の色のことを記しておられます。
工場の排水の毒で目のみえなくなった少女が、
その春の日に縁側にまでいざりでて、首をもたげて母親にいう。

 なあ かかしゃん
 しゃくらのはなの
 咲いとるよう
 いつくしさよ なあ
 なあ しゃくらのはなの いつくさよう
 なあ かかしゃん しゃくらの はなの

母親は娘のひとみに見入って、「あれまだ……、この世が見えとったばいなぁ」と。
桜の時期になると、いつもこのことを語らずにはいなかった母親は、
ただ、この娘がこの生のうちにこの花を見てから死んだことだけを、
「よっぽどよかった」と思いなぐさめておられるのでした。
人にとって〈しゃくらのはな〉とは、何なのだろう。
この少女と母親の無念は、何によってもつぐなわれることのないものだけれど、
たとえばもう少しは長い年月を、ふつうに近く生きられた人間なら、
その景色を見た、ということだけで、自分の死と生を納得して
受け入れることのできるような、そういう景色というものがあるのだろうかと。

              (見田宗介『超高層のバベル 見田宗介対話集』)

 

 

コメント

「紫式部」 20240720(20210413)

2024-07-20 | Weblog

                         Hiromitsu Agatsuma - Solitude (youtube.com)

 

 


 めぐり逢ひて
 見しやそれともわかぬ間に 
 雲隠れにし夜半の月かな                    
            
     ──紫式部『新古今和歌集』

 

心はしたためることばを探している
これがほんとう この意味  これが世界

そうして差し出せるものを探している
だれかに みずからに

ことばに手をかけ つづり ことばを運ぶ
そうすることのはなかさ、告げたい心のまま

はかなく、せつなく、遠いことば
どこにもたどりつくことなく
かたちを結ぶことのない、遠い夢

なんどもつぶやいてみる
この世はかなわない願いに染まっている
     
消えゆくたまゆらのきらめき
かつて いま これから
最後に訪れるものへのおそれ

はじまりとおわりを区切られた
ひとりの時間の向こう側へ心は駆け出していく

はてしない時間の海に浮かぶ
たしかに生きられていたなごり

いまを照らしながら海に消えたもの
これから消えてゆくもの

なつかしさ せつなさ、おそろしさ、ものくるおしさ
どれもこれもほんとうは触れることができない

手に負えない 名づけようのないものに
しかたなく情動が告げる

ああ、なんてかなしいのだろう

 

 

 

コメント

「少年の夢」20240719(20230519)

2024-07-19 | Weblog

                                                                    Something Just Like This -  Fingerstyle Guitar Cover (youtube.com)

 

 

そこで会えたらいい
妄想が描き上げる地平はある

別々のポジションに生きながら
どんなボールも通すルートは開通している

ノールックパス、ノールックチャッチ

どこにいても、どんなゲームでも
深い闇に堕ちても光の通り道は見えている

ありえない、そんなセリフを嘲笑うようにパスを通す

能書きを垂れ流す世界、知にいきり立つ世界が恥じ入り
いつかそこに暮らしたいと願う、かもしれない

妄想に制限をかけない心に宿る応答の地平
そんな地平で涼しく生きあえたらいい

 

 

 

 

コメント

「関係コード」20240718

2024-07-18 | Weblog

 

 


「アントワーヌ、君は世界を憎んでいるだけだ」
「憎んでいる?」
「そうだ。君はお母さんを許していない。子供の君を捨てて先に死んでしまった母親を許していない」
「下司な心理学者の真似はやめてもらおう。そんなことが今の議論にどんな関係がある」
「あるとも、君は世界を憎んでいる。この世界を滅ぼすことが君の望みだ。
 そのために、君は民衆だの正義だの革命だのという言葉を都合よく引き合いに出しているだけだ。
 利用しているだけだ。あの娘を愛せなくて、どうして全人類を愛せるだろう。
 あの娘を突きとばした君は、いつか全人類を突きとばすことになるんだ」

                         ──笠井潔『バイバイ、エンジェル』
             *


いまも実存をさいなみ、関係世界をむしばむ観念のお化けが徘徊している。
観念の倒錯。関係世界の基底をつくる関係のコードは対象化されにくい。

仮構された天があり、地があり、心を先導する価値の階梯は滅んでいない。
無慈悲な査定において個を配置し、配列する、呪われた相互的展開。
等しく共有され、分断とルサンチマンを量産しつづける関係のコード。

いまなお、関係世界を構成する深層のコードに認識のカーソルは届いていない。
それが対象化され、ただしく修正へ向かう主題として浮上しなければならない。
このことは倫理ではなく、生のエロスの享受可能性、ただその一点から要請される。

 

 

コメント