ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

2010エージェントのゆくえ 11

2011-04-28 | Weblog
     *

「自明性とは何を指すのでしょう?」
「大地のゆるぎなさのようなものと云えます」
「いま大地は激しくゆらいでいます」
「はい」
「起こりえないことが起きてしまった」
「自明性の崩壊は無意識深く波及します」
「出来事の規模はシステムの理解力をはるかに超えています」
「非反省的に前提にされたものが想像を絶する規模で破壊されました」
「どんな感情でもカバーできない出来事かもしれません」
「日常の自明性が砕け散った場所にいるとも云えます」
「いまどんな教訓が引き出せるのでしょう?」
「絶対安全という神話があります」
「恣意的なフィクションでした」
「あらゆるシステムの駆動は、一定の自明性を起点にします」
「それが根拠のあやしい信憑にすぎなくても?」
「ええ。閉鎖系では必ず自己完結できる価値命題が設定されます」
「その理由は?」
「システムを回すには、意味論的なボーダー形成が必須だからです」
「内と外をわけて、フレームワークを形成する?」
「ええ。そこからホリスティックな統一、各要素の配置と機能的連携へ進みます」
「迷信や思い込みであってもいい?」
「真偽以上に外部を遮断できる機能が重要です」
「それが閉鎖系であるゆえんでもある?」
「運用効率を上げるにはノイズは可能なかぎり排除したい」
「つまり、コストパフォーマンスを低減する」
「そこには外部要因の無視や見切りがあります」
「しかし永久運動システムは永久に不可能」
「システムの駆動は時限装置ですが、個別の生命のオーダーがそこに収まればいい」
「迷信か否かより、自己完結できる価値命題の確立と構造化が優先される」
「そこに客観性成立のカラクリがあります」
「カラクリ?」
「価値命題はいわば信憑にもとづくということです」
「単なる信憑にすぎない?」
「そこにエージェント問題があります」
「虚数的想定ということですか?」
「そうです」
「疑えない真理というものはありえないのでしょうか?」
「信憑成立が客観として自明化することがポイントです」
「要するにセルフィッシュな歪曲だけがあるということでしょうか?」
「問題は少し複雑です」
「どういうことでしょう?」
「あるシステムにフィットする信憑を単独で支えることはできません」
「ある種の共同性が前提にある?」
「客観の成立は独我論的なものではなく、いつも相互信憑のカタチをとるということです」
「仲間の共同性があるわけですね」
「信憑は他者の信憑と反照し合うことで客観性の強度を獲得します」
「それが客観性の僭称にも行きつく」
「はい。客観性が成立する構造とはそういうものです」
「ということは、どこまでいっても絶対の真理というものはあえませんね」
「可疑性は排除できません。しかし、システムはいつも不可疑性の地平を生きることも確かです」
「客観性はいつも反証可能性のもとにある」
「しかし生きられる地平では反証可能性はいつも事後的に訪れます」
「ということは真実は手遅れで告げられるしかない?」
「時限装置ですが、限界が顕在化するまでのタイムラグのなかにシステムの駆動があります」
「そして自明性を脅かすものには排除のチカラが働く」
「それがシステムのもつ必然的なメカニズムであることは明らかです」
「そこに形式合理性の追求が起こる背景もある」
「閉鎖系において、自明性は絶対化します」
「それがシステムの駆動条件をつくる」
「ええ。それを内部からどう打ち破るかはとても難しい問題です」
「単に構造を明らかにするだけではすまない」
「システムの選択にはぎりぎりのサバイバルが賭けられています」
「形式合理性の根拠が崩れると、おまんまの食い上げになる?」
「はい。システムへの帰属の全面化から帰結する問題です」
「単に客観の相対性を論証するだけではダメであると?」
「そのことだけは明らかです」
「なぜでしょう?」
「不毛な相対化合戦しか帰結しないからです」
「どんな解決策が考えられるのでしょう?」
「一つはシステムを複数化することが考えられます」
「どういうことでしょうか?」
コメント

「安心デマ」(参)

2011-04-09 | 参照
*「The Journal」http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/04/post_4.html

金平 様

どうも取材(仕事)の優先順位がまちがっているようです。
いま第一にやるべきは、「事態の絵解き」ではなく、国民が必要とする「情報の逐次発信」です。

いまなお原発事故は進行中です。にもかかわらず、国民がもっとも必要とする情報が、ブロックされています。さらにブロックのみならず、「恣意的な解釈」による歪な「安心デマ」がまかりとおっています。

このことは、すでに事故発生時から数日間に起こりました。もっとも回避行動が必要なこの時期に、たっぷり放射能を浴びていた大勢の住民(とくに子どもたち・胎児)がいることが明らかになっています。

政府・東電・保安院は、国民にむけた情報発信をすべき責任主体としての当事者能力を欠いています。依然として気象庁は、最新の放射能拡散予測の完全オープン化という、みずからの義務をはたしていません。

こうした事態の放置は、さらなる重大な悲劇をみちびくおそれがあります。京大の小出裕章氏をはじめ、心ある専門家たちが憂慮するとおり、「再臨界」が起これば、日本列島に暮らすことができなくなるでしょう。
このリスクが杞憂であることを祈るしかありませんが、ブロックされつづける情報によって、政府・東電・保安院の行動にバイアスがかかりつづけることが最大の懸念です。

したがって、ぜひお願い申し上げたいのは次の点です。
TBSの要職あるお立場を生かし、政府・東電・保安院の会見の現場に乗り込み、情報ブロックに風穴をあけていただきたい。追及を得意とする「ワイドショー軍団」を引き連れて行くことも一考していただきたい。

上記記事にまつわる詳細(絵解き)は、やがて明らかになるでしょう。大メディアが果たしてきた役割についても、白日の下に晒されるにちがいありません。すでに数年にわたり取材をつづけている複数のジャーナリストがいます。つまり、現在の金平さんの仕事ではないということです。いまは一刻も早く、会見の場に駆けつけていただくことを、心よりお願い申し上げます。

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「大本営ニッポンの現実」(参)

2011-04-08 | 参照
*「The Journal」http://www.the-journal.jp/mt/mt-comments.cgi

「大本営ニッポンの現在」

(半藤一利『昭和史』04年平凡社)より
「内閣情報局の指令のもと、ポツダム宣言について(昭和二十年七月)二十八日の朝刊で発表します。ただし、国民の戦意を低下させるような条項は削除し、政府の公式見解も発表せず、できるだけ小さく調子を下げて取り扱うようにしました。すると新聞社ではこれを独自に解釈し、逆に戦意昂揚をはかる強気の言葉を並べて報じたのです。読売報知は、「笑止、対日降伏条件」と題して「戦争完遂に邁進、帝国政府問題とせず」とうたいました。朝日新聞は「政府は黙殺」と見出しをかかげ、毎日新聞は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃砕せん、聖戦を飽くまで完遂」という具合です。」

http://www.youtube.com/watch?v=O0CRuajD6C8&feature=related

戦中そのままの血統をつぐメディアの現実と、戦中そのままの血統をつぐ統治機構の現実が、詳細にレポートされています。
悲しくもおぞましい現実の一端を、僭越ながら、「The Journal」の皆さまには(まだでしたら)ぜひご覧いただきたく存じます。
現在進行中の事態は、日本の歴史そして世界の歴史に、「ヤマト民族の恥辱」として深く刻まれるにちがいありません。

あまりにもヒドイ話なのですが、しかしこのまま終了となるはずはありません。国民をいけにえに延命を図りつづける大スポンサーと、結託した大メディアのお一人お一人は、遠くない将来、厳しく断罪される覚悟はできているのでしょうか。

こうした事態の推移とそれを担ったプレーヤーたちは、あまりにも罪深いといえますが、長きにわたり断罪と報復の嵐が吹き荒れるすさみきった国家の姿が目に浮かびます。

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「ゾンビ・メディアの延命ロジック」(参)

2011-04-06 | 参照
「The Journal」http://www.the-journal.jp/contents/yoshihiko/2011/04/post_27.html

「ゾンビ・メディアの延命ロジック」

この国のジャーナリストは一種の「名誉職」なのでしょうか。

誰でもアクセスできる情報を整理しただけの、ぬるい現象記述、責任のない感想記事を書いている場合ではありません。(この記事に関しては、「あなたの〝知らないニュース〟がココにある!」というのは誤りでしょう)

原発事故についていえば、
原子力・エネルギー政策における、これまでの計画立案・設計・建設・運用プロセスに踏み込んで、はっきりと「ガン巣」をえぐりだす仕事に邁進していただきたい。災厄を繰り返さないために必須です。

佐藤栄佐久元福島県知事に取材されたなら、県民の意志や懸念がどのように封殺され、「独裁国家」のふるまいがいかに展開されたのか具体的にえぐり出していただきたい。
(周知のとおり、原発反対をとなえた佐藤栄佐久氏は、ゆえなき汚職事件で粛清されました。担当検事は、くしくも小沢一郎と同じ人物でした)

「原発=絶対安全・クリーンエネルギー」で稼いできた大手メディアの罪深さは、太平洋戦争中の翼賛的ふるまいに匹敵します。いまも「この国の原発推進に対する疑義」は、ネットを介したフリーランスやNPO、海外メディアにおいてしかお目にかかれません。
大手メディアは「口封じ」されているのか、「共犯関係」にあるのか。原発推進に本当に理があればその論理を展開すればいい。しかし、反論を封殺して、情報の操作・隠ぺいに加担することは許されません。

「原子力損害賠償法」(2009年改定)によると、
原発事故に伴う電力会社の賠償限度額は、1200億円(事故ってもペイする!)。さらに、異常に巨大な天災地変または社会的動乱の場合には、完全に免責。今回の一民間企業が招いた災厄のツケは、国民が支払うことになることが法的にも既定路線です。
こんな法律を作ったのは、一体どんな皆さまでしょうか。立法にかかわる背景とプロセスについて、メディアには明らかにする義務があります。

期待はしないが「これ以上のウソやカマトトは止めろ」というのが、大手メディアに対する国民の標準的な評価でしょう。いまだに多数派の支持を受けていると誤解して、責任を問われない感想記事を垂れ流すだけの「戦わないメディア」に未来はありません。


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