ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

映画「大地のうた Pather Panchali」

2021-11-30 | Weblog

 

 


「みんな哀しくて、やさしい顔をしている」
       (石牟礼道子『苦界浄土』)


めめしさ、感傷は、嫌ではない
嫌じゃない以上のもの
記述されざる海に根ざしている

すべての記述は記述されざる海に浮かんでいる
この仮構がことばの専制を抑止する

     *

19歳の時に観た映画「大地のうた」
ほんとうに語るに値するものがある
けれど、いまもことばが見つからない

 

 

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「スキマを開く」 20211130

2021-11-30 | twitter

 

 

 

──河本英夫『臨床するオートポイエーシス──体験的世界の変容と再生』

「意識は選択の場所を開き、そこで注意を分散させることができる。
車の運転をしながら、隣席の友人と話しこんでいるときも、
眼前の信号が赤に代われば、とっさに反応できる。
意識は注意を分散的に活用するための場所を開いている。
これは意識の実践的働きである。
通常、知るという働きでは、意識は焦点化の方へ強いバイアスがかかってしまう。
そしてそれを志向性と呼んで、意識の本性が志向性だなどと思い込んでしまう
ところが意識は、それじたい注意の場所を開き、
そこに選択的は強さの違いをつけ、分散的に注意を活用することもできる。
ここでも意識はそれじたい実践的調整能力である」

「ながらく続いた意識研究の区切りや、少々予想外の帰結となった。
伝統的な反省能力に類似した能力はもちろんある。
これは知る能力の延長上の、みずから自身を知るという働きである。
だが意識の本性は、心の働きに隙間を開き、
選択を可能にするための遅延機能だという点で、
一つの落ち着きどころを迎えている。
反省能力の場合であっても、自己認識は一つの限定であり、
その結果それは本来一つの自己誤解でもあるので、
自己を知ることに力点があるとは思えない。
むしろ自分自身に対して隙間を開き、
自己の挙動を遅らせることに本来の働きがあると考えられる」

     ***

私(意識)にとって自由にならない「私」の作動がある。

「私」はつねに「私」にまみれながら「私」を目撃している。
そのことを詩人は「ぼくは一人の他者です」とつづった。

みずからの世界経験を一つの現象として捉える外部的な視線。
この視線をキープしながら、その本質を追い詰めると、
意識が介入できない〝不可視域〟(他者としての私)に出会うことになる。

      *

情動と行為が直列状態のまま事態が進行するとき、
行為の自然性を貫くように、意識は行為領域の背景にしりぞいている。

たとえば、情動と行為がスキマなく直列に結ばれた状態──
情動と行為が一体化し、両者を媒介する何ものも存在しないようにみえるとき、
事態はある「因-果」的に〝定まった〟方角をめがけて動いていく、ようにみえる。

行為の帰結から行為をふりかえった後に、
「感情のままに」「衝動にかられて」という言い方をすることがある。

行為と情動が直列するように動いているとき、いわば夢中であるとき、
行為の進行のさなかに、意識の反省機能は出現の機会を与えらない。
みずからを振り返る意識は「行為の自然性」にとって〝ノイズ〟の位置にあるともいえる。

行為が出会う対象、環境との関係が定常状態として平穏に保たれているかぎり、
行為の定常運転に修正をほどこす必要、内的必然性は存在しない。

行為の側、環境の側、いずれかに定常性を破るようなノイズ、トラブルが発生したとき、
はじめてなんらかの〝修正〟をほどこすことの内的要請が湧き上がる。

すなわち、両者の調和的関係、整合的なからみあいに、なんらかの〝破れ〟が生じたとき、
そこではじめて「私」(意識)というものが召喚され、作動を開始する。

   *

新たな行為パターンの獲得、行為領域を開くための契機──
定常性維持を困難にする、正負いずれかの〝破れ〟との遭遇。
そして、みずからに湧き上がるなんらかの修正要請。
そのために「私」(意識)は「私」の作動にいったんストップをかけ、
みずからに修正をほどこすための〝スキマ〟を開く。

   *

定常状態でうごている「運動する身体」に、意識の視線は向かわない。
コーヒーカップをつかむ手の動きは定型的な運動パターンに準じて動くだけである。

ただ、たとえばトゲがささって痛みのためにうまく指が動かせないような局面で、
意識は事後的にふだん主題に上らない指同士の連携関係、身体組織間の接続関係に気づく。
このとき意識が動き、なんらかの修正や接続のし直しを促す〝スキマ〟が自動的に開かれる。

運動が自然に進行するとは「意識しないこと」であり、
その必要がないことであり余計なことである。

新たな運動形成の思考は身体と環境との再対話を可能にするスキマにおいて現われる。

いまだ獲得されていない新たな運動図式、フォーメーションの形成へ向かう動機。
たとえば自転車に乗れるようになること──
乗りこなすことで享受可能になる予期的なエロスの訪れ。

このエロスは「私」にとってポジティブな〝破れ〟を意味する。
この予期において、定常性を拡張するためのエクササイズが動機づけられる。

       *

新たな危機あるいは予期的エロスの感知を引き金に、
みずからの修正可能性(存在可能)へ向かう根源的な動機の生成。

この一切の展開の場としての〝スキマ〟があり、
そこで既往の身体図式、世界図式はいったん解除され、
新たな定常性へ向けて結び直されていく。
そして、この位相が人間的自由というものの本質とつながっている。

 

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「百姓の息子」20211129

2021-11-29 | twitter

 

 

耕せる荒地を見つけて
鍬を入れる

瘦せた土地でも育つ植物はいる
土を起こし堆肥を混ぜ水を引く

鍬の入れ方は知っている
入れ方は未熟でも
見よう見真似で覚えている

汗を流し、握り飯とタクアンで昼飯を喰らう
それだけで満ちてくるものがある

 

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「ひとりの時間」20211129

2021-11-29 | Weblog

 

 

妄想、それでいい
正気と狂気、この区分は捨てたほうがいい

「全集中」(竈門炭治郎)

行ける涯まで行く
それをしないでどうする

行けば帰り道が出来ている

世界視線を完全に殺す時間
この時間を十全に行使する、しないでどうする

 

 

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「Not guilty」 20211128

2021-11-28 | Weblog

 

 

たとえば、差別を嫌う正義、善の側に身を置きながら
敵将の吃音をあざ笑うのはオーケーなのかな(・・?
だめだよね、それこそ差別の本丸じゃないかな、次男坊

「デクノボウ」(賢治)はそんなことは絶対に言わない
少なくとも「無知」を断罪するはずがない                            

無知は罪である、そうであるなら
一人残らず罪人ということになるな、どいつもこいつも

そんな科白を吐ける資格をもつ存在とはなにか

罪から逃れられる唯一の存在、全知全能、「神」
よく考えてほしい、いまは中世ではない
この信仰(共同信憑)から離脱することから近代が開始したはずさ

 「神の死」(ニーチェ)

生の意味と価値の絶対的供給源の消滅
この消滅にはたしかな理由と根拠がある

  自由、人権、民主、一般意志

すべては人間を超える存在の死(殺害)を絶対的前提として
人間同士が人間以外のどんな存在にも世話にならず
自力で作り上げた人間の価値、自前の取り決め以外ではない

その意味するところの核心──
全知という仮象の存在を「個」の上位に掲げてはならない

どれほど人間が無知であっても
天にまします存在の〝マウント〟を許さないという近代の鉄則

「個」という実存の価値を最高位とする理念への合意
この「個」にどんな例外も設けないという関係の原理、「人権」

「知」はときに、しばしば、あるいは常時〝暴走〟する
なぜか。知の階梯の上位にあるという妄想がそれを許す

「正義、善、真理」の側にいるという特権意識(倒錯)
それが知の階梯の下位にある存在を断罪し、ときに滅ぼしあう

この「構造」は敵も味方も共有している

差別を叩くために「無知」を叩いても何も変わらない
むしろ「無知」を叩くことを許す「知」の階梯を強化し
それが差別が芽を吹く温床を育むことになる

断罪することとは別のやり方を考えたほうがいい

「チッソは俺だ」という水俣の人の言葉がある
悲劇の本質をえぐり出す孤独な意志が導いた言葉だと思う

この言葉が直ちに「チッソは俺たちだ」に変換される思考領域がある

 

 

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「自由について」20211127

2021-11-27 | twitter

 

 

使う使わない。行使しない自由もある
この意志決定も「自由」という理念の内側にある

        *

ひとりひとり固有の関係意識、関係感情が溶けた〝この世界〟
内なる体験流が織り上げる〝この世界〟というイマージュ

意識の水面に泡立つイマージュをことば(認識)に落とし込む
そのうえで新たな企投(生の実践)に向かう

この企投へ移行する前段階──

世界記述の確定項をあつらえ、企投へ向かう直前の位相、
まよい、ためらい、たたずむ、未決のゆらぎ
世界を走査し、判断し、決断する、〝審議の位相〟において

世界の姿がほどかれ、新たなイマージュが生成し、結び直される

この位相への視線が「人間的自由」という価値の生命線を構成する
この視線を価値としてキープする集合的意志、一般意志の生成の可能性

        *

倫理、要請、希望、当為の思考では乗りこえられないラインがあって
掲げられた啓蒙のことば、啓蒙のための理念ではなく

ただ経験のなかで学び、みずから抽出するほかない人と人の関係のコード
理念(集合的価値)へと結実するための原的な経験
ただ、与え与えあう相互性において享受される関係のエロスがある

 

 

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「15歳」

2021-11-26 | Weblog

                                                                      Simon & Garfunkel - Wednesday Morning, 3 A.M., - YouTube

 

 

 

自在にステップを切って
どんな相手もフェイントで抜き去り
シュートを決めることができる

エネルギーが充てんされ
活性が細胞すべてに行き渡っている
完璧な感覚が満ちる日が稀にある

からだへの感受性が芽吹いた時代

もっと大事な秘め事
ピエトロ・ジェルミ「鉄道員」で号泣した
世界、宇宙、この世を感じた
ほんとはつよく再確認した

あれもちがう、これもちがう
学校、教師たちはクソだ
成績がなんだ、「堕ちてOK」と言い聞かせた

向こう三軒両隣、学校、この社会のどこでも出会えない
金輪際出会うことのない「ほんとう」がある
出会えないものへ向かう心をどこへ向けてよいのか

問いを生むちからもない
どれもちがう、どこにもない
それだけが手がかりだ

どいつもこいつも、勝手にほざけ

ことばを知らない
いい返せることばを知らないまま
大枚3600円、二枚組ベスト
S&Gが一つのシグナルとして灯った時代

 

 

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「関係のコンテクスト」20211126

2021-11-26 | Weblog

 

 

関係意識、関係感情がつくる関係のコンテクスト
ここから、ことばの意味の固有性が生成する

関係のコンテクストが解除され、消えるとき
関係のコンテクストにささえられたことばは
固有の意味の指定性(関係的意味)、そして生成性を失い
一般意味としてのことばの海に溶けていく

I love you──

恋のあけそめにおいて、ことばは価値の極相を帯びて固有の意味を示す
恋のたそがれにおいて、ことばは枯れて干上がり一般意味以外の意味を示さない

ことばの意味の生成と消滅(あるいは相転移)
このインターバルは、一夜でも、一瞬でも、永遠でもありうる

ことばの意味の生成、消滅、相転移は、ことばには表示されない
意味は、ただ内的経験の固有の展開として現象する

 

 

 

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「生の全域性」20210728

2021-11-25 | Weblog

 

 

生き延びること
勝利すること 
パイ獲得の最大化

現実論理、競争原理が示し求める主題
この主題の外に生は別の波形を描いてみせる 

生の波形は競争のピッチ上に全域を描くことができない

ピッチに展開する生はその閉域性を受け入れながら
ピッチの外に駆けている別の作動と結ばれている 

どれが〝真の作動原理〟ということではない 

ただ「生の全域」という理念(統制概念)が保たれるとき
一つの原理で生の全域を覆うことの不可能が浮かび上がる

全域を覆えば生は窒息して荒廃への道を歩むことになる 
そのことの洞察と了解が示すこと── 

すなわち、全域でありえないものの独裁
特定原理の暴走、専制、一元化に対する明晰な否認

さらに、全域性にかなう生のかたち、関係原理への問いの生成 
この問いを携えることではじめて何らかの修正の契機が生まれる

 

 

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「ブリッジする」2021124

2021-11-24 | Weblog

 

 

架けられたことのないブリッジ
超えがたい隔絶の両岸をブリッジする

ただ一つ挙げるとすれれば
ことばの仕事はそれ以外にはないかもしれない

同意してくれるかな

 

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「friend」 20201011

2021-11-24 | Weblog

                           w-inds  - YouTube

 

 

いつも率直でいることはむずかしい
赤裸々でいることのおそれには理由がある

けれど相手をまちがえないでほしい
どう転ぼうとも、つねに友がいる

逃げなくていい
構えなくていい
先読みしなくていい

ことばはなんどもループしながら
とまどい、ゆらぎ、立ちどまりながら
みずからかたちを整えていく

むりやり考えることではない
人の心にセットされている
整えるためのスペースを用意しよう

「砂糖が溶ける時間を待つ」

世界は記述を急がせ、〝解を出せ〟と求める
しばらく世界を黙らせなくてはならない

不逞なこころで要求をしりぞける

そう感じ、願うこころからすべては動きだす
世界は描かれ、最初のスケッチに出会う

じっと心の動きに耳を澄ます
そんなスペース、スキマをみずからに用意する

神聖なスキマを開いて
世界を黙らせ、じぶんのことばをさがす

バカすぎる──

生きて死ぬこと、いつかいなくなる
チリとなって時間の闇に消えていく

そんなわかりきったことに呑み込まれないように
この世の真実、そんなクソを喰らわないように

「はじめにことばありき」

そうではない、ことばより先に駆けているものがいる
駆けながらつねに世界を描き出していく

生きることに天も地も優も劣もない
天国も地獄も存在しない、すべて事後の物語にすぎない

出会ったこと、出会うことがすべてだ

だれか(馬鹿野郎さ)が教える基準から考えないでほしい
馬鹿野郎は基準に服属しながら人生を素通りしていく

きみが生きて感じ願う「いまここ」
一切がそこからはじまる

それだけが大事だ、この上なく
覚えておいてほしい

世界を黙らせることを知り
同じ時代を駆けている友がいる

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「学校臭」20211123

2021-11-23 | Weblog

 

 

教えてもらわなくていい
教えてもらったら困るんだよ

プンプンする、たまらん、黙れ
それだけで避けて通る理由は十分さ

腐臭に満ちた正解の集積場、ガッコウ

セッキョーされるために生まれたわけではない
正解を施されるために生きているわけではない

思考の翼をもぎ取るなよな
翼をもぎ取るニンゲンの工場かよ

外付けの翼で飛ぶことはできないんだよ
正解を据え膳されて生きることはできない

それじゃどこにも行き着けないんだよ
正解が指定する行き先に行き着くだけのことさ

わかるかな?

どんな正解も正義も善意も
思考を奪う道具として使われてきた

わからないならじぶんを鏡に映してみな

正解と正義と善意の鎧で身を固めながら
自前の思考、翼を奪われたニンゲンの姿が映っているから

 

 

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「キック・インサイド」20211122

2021-11-22 | Weblog

 

 


「言葉を知らなかったころの私のカラダのなかを想像してみたい。
ヒトの声が聞こえてくる、「ヒト」も「声」も「聞こえてくる」も
今の私のには「どういうこと」かがわかっている。
が、これがわかっていないとしたら、母親の手がやさしく私の胸をさわり、
母も手も胸も言葉もない、名無しの状態で存在している。
目で事物を確認するには、まだ少し時間がかかる、
いわば真暗闇の中での出来事が続いている。この闇の中での赤ん坊が、
視覚以外の殆どの感覚を言葉なしで練磨している、
と思うと何故か泣けてくる、これも言葉だ」

             ──田中泯『僕はずっと裸だった』(工作舎)

    ***


決められた座席、席順、禁則
学習課題、カリキュラム、時間割
進捗チェック、成績、査定、順位指定

先生と生徒がいる巨大な「拡大クラス」の構成

足りないもの──
意図、配慮を外したフリースペース

どんな善意も正義も真理も介入的接触によって変質させてしまう
フリーハンド、フリーステップの領域がある

拡大教室の気圏を抜けて個と個の出会いを願うなら
クラスの思考はみずから黙ることを学ばなくてはならない

どこか遠い場所へ
じゃなくて、もっと近く
からだに向かって

はじめようか
キック・インサイド
 
帆を上げ、舵をとる
むずかしくない、ステップを踏む

just one step
キープする
one more step
 
動いている、聴こえている
からだの声、インサイドから

しっくりくる、しっくりこない
疑いようのない、じぶんだけの感覚

こたえる声、アウトサイドから
伝わってくる、やさしいビートと響き
 
どこからか聴こえてくる
ありがとう、イン・アンド・アウト
 
まじわる地点がはじける
フリーハンド、フリースタイル
 
いまはじめて生まれたようにステップする
 
母なるものが教えた、かわいい子
生まれたてのあなたに、ようこそ

たくさん生きるんだよ
 
息つぎする、はじまりの場所で
いつでもここに帰還するように
 
考えをめぐらす場所じゃない
そうじゃない場所でステップする

考えることの間にスキマがある
 
ちょっと、全然ちがう
リアルにはスキマがある
とんでもなくでっかいスキマが空いている
 
世界を切り取って書きとめる場所じゃない
アレ、コレ、ソレと教えられる場所じゃない

じゃない場所でステップを踏む
キック・インサイド
ホップする、ジャンプする

おわらない響き、エンドレス

どこか遠くへ、じゃなくて
近くへ、からだに向かって

one more step

 

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「伝えそびれたこと」2021121

2021-11-21 | Weblog

 

 

そこで火を灯され、ことばが動きだす
ことばとは別の交歓ルートがある

ことばが照らすのではなく
ことばを照らし意味を与えている

ことばに先行して動いている
ことばに手を伸ばし選び運ばせる

ことばが果たせること果たせないこと
ことばに足りないもの行き過ぎるもの

ことばに修正を促がすルートがあって
いつも雨の日のように情動に濡れている

ことばの使用が逆説的にそのことを告げる
ことばにはかなえられる限界線がある

絵を描いて多少学んだつもりのことがある

「モジリアニってなんでこんな絵ばっかなんだ」
「一生、おんなじ顔を描いて飽きなかったのかね」
「飽きなかったんだろうね」
「むしろ描かざるをえなかった」
「外からはどんな陳腐な理由に見えても」
「それが何かはわからないけれど、そのことはわかる」

文章が絵を殺しているように感じていた
「気にしないで自由に描いてほしい」
そう伝えてほしいとだれかに話したことがあった
(伝わったのだろうか)

タッチ、構図、色、すべての選択にその人が滲んでいる
ことばが触れ、運べないものがそこにある

それを汲み尽くすことはできない
できないけれどそこになにかがあるという直観は訪れる

みせかけのやさしさはすぐわかる
そうじゃないものが死んでいるかもしれない
そう感じたから、順番を逆にして
絵にふさわしい、釣り合う文章を書く
そのつもりでの提案だった

 

 

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「スペース」 20211121

2021-11-21 | Weblog

 

 

最低のポテンシャルの状態でもいい

スペースをキープする
キープする意志をキープする

それがなければ何もはじまらない
それがなければすべてはバインドされていく

世界の姿をバインドする確定記述の外へ

世界をまるごと招き入れもてなす
花も毒も、すべてほどいて結び直す

そういうスペースがある
もてなしの作法はそれぞれでいい

一切の確定記述を解除して静かにたたずむ
そこが始発の場所になる

解除することの了解と根拠
その根拠──

本当に語るに値するものから一切をはじめる

水と酸素と食物
なくては生きられないもの

つばさを生やすことはできない
無呼吸では生きられない

わかりきったことを語るまえに
語りたいだけ語らせたあとに

そこから降りていく

湿った地層がある
いつも濡れている

いまも降りやまない雨粒が沁みていく
涙が積み重なった人間の地層がある

降りていく、降りきって底を打ち
底から引きあげ連れもどす

かぞえきれない涙の層を降りていく
リミットを超えて降りていく

かなしいことばに呼びとめられる

ひとつひとつに理由があり根拠がある
代わることのできない由来がある

呼び止められ、くじかれる心を黙らせ
耐えがたい限界を超える

ことばを黙らせる 完全に黙らせ
リミットの向こう側へ降りていく

野蛮な、不逞な、はぐれた鬼として
ことばをほどき、ほどき切る

深すぎて視透せなくなっている
固められた地層の底に向かって

まっすぐに降りていく

降りて降りて降り切って
連れだし、帰ってくる

出会うのはただ一つだ

純水のようなまっすぐな意志
月を、世界を照らしている光

だれの世話にもならない基底の意志
きれいごとではない

世界に照らされて生きるのではない

世界を産み、照らし出している
おれの、おまえの、だれかの
ひとりひとりの始原の光がある

そいつを連れもどし、ただしく光らせる
そうするためのスペースをキープする

 

 

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