(田原牧著『ほっとけよ。自己決定が世界を変える』06年8月ユビキタ・スタジオ)より
撮影現場の強烈なライティングは、美女の皺を覆い隠す。「誇るべき祖国・ニッポン」。その陳腐な物語の再演にも、まぶしすぎるほどの照明が必要だ。笑顔に覆われた鬱の陥穽が地雷原のように広がっている。一つだけ、忘れないでおきたい。この世では強制された明るさくらい、暗いものはないのだ。
欧州のある知識人がこう語ったという。なぜ、共産主義が斜陽となり、イスラームが復興してきたのか。その原因はユートピアの有無にあったという。共産主義もイスラームも共同体を重んじる点では一致する。しかし、共産主義は人々をユートピアで引っ張ろうとした。いまは艱難辛苦が続くが、その向こうに理想郷が待っていると説教した。(中略)しかし、イスラームはちがう。安易にユートピアを説かない。禁止と義務こそあれ、自由すら語らない。それを補うかのように、倫理に自らを律する気持ちを分かちあう共同体は、信徒以外の人間には想像できない温かさで満ちあふれている。
おそらく、先の暴力団組織はこうした宗教共同体に近い。
こうした共同幻想を最もよく表現するのが戦争だ。人間はいつも紐帯とか愛情とかを求めてしまう。だから、戦争の祈りにも、この愛への衝動は動員される。国や民族に限らず、家族や恋人への思いも戦争を正当化する道具にされる。戦争の種類だって、なにも侵略戦争に限らない。
撮影現場の強烈なライティングは、美女の皺を覆い隠す。「誇るべき祖国・ニッポン」。その陳腐な物語の再演にも、まぶしすぎるほどの照明が必要だ。笑顔に覆われた鬱の陥穽が地雷原のように広がっている。一つだけ、忘れないでおきたい。この世では強制された明るさくらい、暗いものはないのだ。
欧州のある知識人がこう語ったという。なぜ、共産主義が斜陽となり、イスラームが復興してきたのか。その原因はユートピアの有無にあったという。共産主義もイスラームも共同体を重んじる点では一致する。しかし、共産主義は人々をユートピアで引っ張ろうとした。いまは艱難辛苦が続くが、その向こうに理想郷が待っていると説教した。(中略)しかし、イスラームはちがう。安易にユートピアを説かない。禁止と義務こそあれ、自由すら語らない。それを補うかのように、倫理に自らを律する気持ちを分かちあう共同体は、信徒以外の人間には想像できない温かさで満ちあふれている。
おそらく、先の暴力団組織はこうした宗教共同体に近い。
こうした共同幻想を最もよく表現するのが戦争だ。人間はいつも紐帯とか愛情とかを求めてしまう。だから、戦争の祈りにも、この愛への衝動は動員される。国や民族に限らず、家族や恋人への思いも戦争を正当化する道具にされる。戦争の種類だって、なにも侵略戦争に限らない。